第3章 - 第6話
夜の街を、四人は駆けていた。
鐘の音が、絶え間なく鳴り響いている。
石畳を蹴る足音が、闇に反響した。
先頭を行くグレンの背中は、まだ強張っている。
槍を握る手の指が、白くなるほど力が入ったままだった。
呼吸は浅く、短い。
一歩進むごとに、心臓が嫌な音を立てる。
——また、しくじったら。今度は、街の人が。
その思いが、鉛のように足にまとわりつく。
ドラゴとトジは、少し後ろを駆けていた。何か言いたげな顔をしながらも、口を挟まずにいる。
そんな中、すっと、グレンの隣に並んだ影があった。
ミーナだった。
「ねえ、グレン」
いつもの「ニャ」が、ない。落ち着いた、少し低い声。
グレンが横を見ると、ミーナはまっすぐ前を向いて走っていた。
「……グレンはさ、守護者になれて、嬉しかった?」
「え……」
思いがけない問いだった。グレンは、一瞬、言葉に詰まる。
「嬉しかった? か……考えたことも、なかったです」
正直な答えだった。
「自分にとって、守護者になるのは、当たり前のことでした。スザク家に生まれた以上、そうするものだと。兄たちもそうだったし、それ以外の道なんて、考えたこともなくて。……嬉しいとか、そういうふうに、思ったことは」
言いながら、グレンは、自分でも少し驚いていた。
改めて問われるまで、そんなことすら、考えたこともなかったのだ。
「そっか」
ミーナは、静かに頷いた。それから、にっと笑う。
「アタシはね、嬉しかったよ。すっごく」
その声には、嘘のない、まっすぐな喜びがあった。
「守護者になるの、アタシの夢だったんだ。強くなって、みんなを護れる人になりたくてさ。ずっと、憧れてたんだニャ」
グレンは、少しまぶしそうに、その横顔を見た。
「でもね」
ミーナの声が、ふっと、少しだけ落ちる。
「その夢が……逆に、苦しくなっちゃった時期が、あったんだ」
「苦しく、ですか」
「うん」
猫耳が、わずかに伏せられる。
「アタシ、村でいちばん身体能力が高くて、狩りも得意で。みんなに期待されてたの。『お前が守護者になって出世すれば、村のみんなが腹いっぱい飯を食える。お前は村の代表だ』ってね」
夜風が、その言葉をさらっていく。
「最初は、悪い気なんてしなかった。よーし、絶対に守護者になってやるぞーって、意気込んでた。……でも」
声のトーンが、静かになっていく。
「期待されればされるほど、憧れだったはずの守護者が、怖くなったの。……もし、なれなかったら。もし、期待に応えられなかったら。アタシがしくじったら、村のみんなが、アタシのことを嫌いになるんじゃないか、アタシの居場所がなくなっちゃうんじゃないかって」
握った双短剣の柄を、指先が、そっとなぞる。
「そう考えたら、夜も眠れなくてさ」
ミーナは、少しだけ、苦く笑った。
「試験が近づくにつれて、いつの間にか、笑えなくなっちゃってたの。あんなに、なりたかったはずなのに、守護者を目指すことが苦しくなってた」
いつも太陽みたいに笑っているミーナが、笑えない——。
その言葉に、グレンは、思わず横を見た。
「だけどね」
ミーナが、顔を上げる。今度は、いつもの、太陽みたいな笑顔だった。尻尾が、ぴんと立っている。
「あるとき、みんなに言われたんだ。『守護者を目指すお前は、確かに俺たちの代表だ。でも、それ以前に、俺たちの家族だ。無理に気負わなくていい。だから、とにかく笑って、楽しくやってこい』ってね」
「……笑って、楽しく」
「そう。それを聞いたら、すうっと楽になったの。立場は、何にも変わってない。代表は代表のまま。背負ってるものも、同じ。でも、気持ち一つで、こんなに変わるんだって、分かったんだ」
グレンの足が、わずかに緩んだ。
「グレンはさ、守護者になるのが当たり前だったって言ったけど。……それって、一度も、自分がどうしたいか、考える余裕がなかったってことだよね」
図星だった。グレンは、何も言い返せない。
「グレンのお母さんも、きっと、余裕がないだけじゃないかな。お父さんを亡くして、家を護らなきゃって、必死で。グレンを追い詰めたいわけじゃ、ないと思う。……でも、そのプレッシャーを、グレンが全部、一人で背負う必要はないよ」
ミーナは、まっすぐにグレンの目を覗き込んだ。
「完璧じゃなくていい。スザク家じゃなくていい。……もっと、力抜いていいんだニャ!」
力を抜く。
その言葉に、グレンの胸が、どきりと跳ねた。あの日、先輩に言われた言葉。ずっと、意味が分からなかった言葉。
「あのね、グレン」
ミーナの声が、まっすぐ響く。
「守護者の顔が曇ってたら、護られる側だって、不安になっちゃうニャ。逆に、守護者が笑ってたら——『あ、この人がいれば大丈夫だ』って、安心できるニャ」
夜風が、二人のあいだを抜けていく。
「だから、笑うニャ、グレン。あんたが笑ってれば、それだけで、護れるものがあるニャ」
グレンは、足を止めそうになった。
胸の奥で、ずっと凍りついていた何かが、ゆっくりと溶けていくのが分かった。
母の、冷たい声。スザクの名に、泥を塗るな——。
その言葉の上に、今、別の言葉が、温かく降り積もっていく。
笑うニャ、と。
槍の柄を握る手から、いつの間にか余計な力が抜けていた。
浅かった呼吸が、深く、長くなる。
胸を満たしていた重さが、嘘のように軽い。
気づけば、目元が、わずかに熱くなっていた。
それを誤魔化すように、グレンは前を向く。
そして——自然と、口元がほころんだ。
作り笑いではない。久しく忘れていた、本当の笑みだった。
「……ありがとう、ミーナ」
さん付けが、消えていた。
ミーナが、きょとんと目を丸くして——それから、嬉しそうに、にゃはっと笑った。
その様子を後ろで見ていたドラゴが、にっと口の端を上げる。
「ははっ、いい感じになってきたじゃねえか!」
「そうだね!」
トジも、つられて笑った。
二人の明るい声に、グレンも、ほんの少し照れたように笑う。
その顔は、もう強張ってなどいなかった。
通りの先から、地響きと獣の咆哮が、近づいてきた。
角を曲がれば、そこはもう、魔獣が暴れる大通り。
逃げ惑う人々の影が、見える。
グレンは槍を構え、振り返った。
もう昨日の青ざめた影はない。
穏やかで、けれど確かな自信を宿した笑みで、彼は仲間たちに号令をかけた。
「——行こう。大丈夫。誰も、死なせはしない」




