第3章 - 第5話
その日の夜。
守護者たちは、日中に討伐を行った、街のはずれで野営を張っていた。
討伐は、まだ終わっていない。
群れの大半は退けたものの、頭となる魔獣が、どこかに潜んでいる。
明日に備えて、この場所で夜を明かすことになったのだ。
焚火が、ぱちぱちと爆ぜている。
その炎を、じっと見つめる影が、ひとつ。グレンだった。
膝を抱え、揺れる火を、ただ黙って眺めている。
声をかけるのも憚られるほど、その背中は、深く沈んでいた。
少し離れた場所から、その様子を見ていたミーナが、そっと立ち上がった。
「……となり、いいニャ?」
返事を待たずに、ぽすんと隣に腰を下ろす。
グレンは、少しだけ目を上げたが、何も言わなかった。
しばらく、焚火の音だけが、二人のあいだを流れていく。
やがて、グレンが、ぽつりと口を開いた。
「……母は、昔から、ああだったわけじゃ、ないんです」
ミーナは、口を挟まず、耳を傾けた。
「自分が、まだ小さかった頃は。……よく、笑う人でした。庭で、一緒に花を植えたり。稽古のあとに、こっそり甘いものを、分けてくれたり」
炎の色が、グレンの横顔を、ゆらゆらと照らす。
「父が、いたんです。守護者でした。強くて、優しくて……街のみんなに、慕われていて。母は、そんな父の隣で、いつも穏やかに笑っていました」
過去を手繰るように、グレンの声は、静かだった。
「でも——父は、任務の途中で、亡くなりました。自分が、まだ幼い頃に。魔獣から、街の人を庇って」
ぱちり、と火の粉が舞う。
「それから、母は……変わってしまったんです。笑わなくなって。『完璧であれ』と、そればかり、言うようになって」
ミーナの猫耳が、そっと伏せられた。
「たぶん」
グレンは、膝を抱える腕に、少し力を込めた。
「母は、必死なんだと思います。大黒柱を失って、それでも、スザク家を守らなきゃいけなくて。……兄たちと、自分を、一人前の守護者にすることだけが、母にとっての、家を護る方法だったんです」
だから、と。グレンは、火を見つめたまま、続けた。
「母を、恨んではいません。母は、母なりに、家を、自分たちを、護ろうとしているだけなんです。……悪いのは、その期待に、応えられない、自分のほうで」
その言葉に、迷いはなかった。けれど、その声には、どうしようもない寂しさが、滲んでいた。
ミーナは、しばらく、黙っていた。
この、真面目で、優しくて、不器用な少年に、何と言葉をかければいいのか。
ぴんと立った尻尾が、迷うように、ゆっくりと揺れる。
「……グレンはさ」
ミーナが、口を開きかけた、その時だった。
ガサッ、と。
闇の奥、茂みの向こうから、重い足音が近づいてきた。一つではない。いくつも、いくつも。
鼻息。地を蹴る、蹄の音。
血走った、赤い目が、暗がりの中に、いくつも浮かび上がる。
「敵襲だ! 総員、起きろ!」
気配を察知した隊長が、テントから飛び出し、声を上げる。
ドラゴ、トジ、そして国軍兵の三名も、瞬く間に武器を手に取った。
新たなイノシシの群れ。その中に、ひときわ大きな影も、混じっている。
「昼間の生き残りか……! 各自、応戦しろ!」
ドラゴが大剣を構え、ミーナが腰を落とす。グレンも、槍を握りしめた。
その、直後だった。
カン、カン、カン——!
夜の静寂を裂いて、街のほうから、けたたましい鐘の音が響いてきた。
続いて、悲鳴。逃げ惑う人々の声。
全員の顔が、街の方角へ、はじかれたように向いた。
「まずい……! 別の場所から、街に魔獣が侵入したのか!」
隊長が、舌打ちする。
目の前の群れも、放ってはおけない。だが、街には、逃げ遅れた住民がいる。
どちらも、一刻の猶予もなかった。
「二手に分かれるぞ! グレン——」
隊長の視線が、グレンで、止まった。
「この街は、お前の故郷だな」
「……はい」
「よし。じゃあ、ドラゴ、トジ、ミーナの三人を連れて、お前は街に行け。土地勘のない俺より、お前のほうが、避難路も分かってる。隊長として、この街を護ってこい」
息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「自分が……隊長を、ですか」
声が、震えていた。視線が、行き場なく泳ぐ。
「無理です。自分には……また、昨日のように、皆を危険に晒してしまう。今度は、誰かを、死なせてしまうかもしれない」
握りしめた拳が、白くなる。
街のほうで、また、悲鳴。子供の、泣き声。
それが、否応なく、グレンの背を急かす。
「ニャはは、何言ってるニャ」
明るい声が、割って入った。
ミーナだった。まだ包帯の取れない腕で、ぐっと拳を突き上げている。
「グレンなら、絶対大丈夫ニャ! アタシ、知ってるもん。グレンが誰よりも周りをよく見てて、誰よりも仲間想いだってこと」
「ミーナ、さん……」
「だから、安心して背中をまかせられるニャ」
その隣で、ドラゴがにっと笑った。
「お前の指示なら、オレたちは動くぜ。地元の道、お前がいちばん知ってんだろ。なら、お前が舵を取れ」
トジも、静かに、けれど深く頷いた。
「僕も、グレンの判断を信じてる。一人で背負わなくていい。指示を出してよ。僕たちが、その通りに動くから」
迷いのない瞳が、三つ。まっすぐにグレンを見ていた。
昨日、母親から浴びせられた言葉とは、何もかもが違った。
あれは、刃だった。でも、これは——。
グレンは、ゆっくりと顔を上げた。
俯いて泳いでいた視線が、仲間たちの目を、一人ずつ捉えていく。
まだ、恐怖は消えていない。心臓は、痛いほど早鐘を打っている。
それでも。
この三人が、自分を信じてくれている。なら、応えなければ。
もう二度と、誰も傷つけさせはしない。
「……分かりました」
絞り出した声は、まだ震えていた。けれど、その瞳の奥に、微かな光が宿っていた。
「やらせて、ください。この街も、皆さんの背中も、自分が——必ず護ります」
「よし、行け! 街の住民を、頼んだぞ!」
隊長が、迫る群れへ向き直りながら、鋭く叫ぶ。
グレンを先頭に、ドラゴ、トジ、ミーナが、街へと駆け出した。
夜の闇の向こう。鐘の音が鳴り続ける街並みに、土煙を上げて、無数の影が、押し寄せていた。




