第3章 - 第4話
「母上……」
グレンの声が、わずかに上ずった。
なぜ、母がここに——。とっさに、頭が真っ白になる。
母親は、そんな息子の動揺には構わず、静かに口を開いた。
「今日、王都から守護者が派遣されると聞いていたわ。魔獣たちの被害が、ここまで広がっているのだもの。……お世話になる方々に、挨拶をと思って、待っていたのだけれど」
守護者本部には、スザク家の伝手がいくつもある。今日この街へ討伐部隊が来ることを、母はどこからか、事前に掴んでいたらしい。
その視線が、部隊の面々を、ひとりずつ検分するように滑っていく。
そして——先頭に立つ、一人の少年の前で止まった。
母親の眉が、わずかに動いた。
「……グレン。あなたが、来ていたの」
息子が派遣されてくることまでは、聞いていなかったのだろう。
その声には、再会を喜ぶ響きは、微塵もなかった。
むしろ、値踏みするような、静かな緊張だけがあった。
そこへ、隊長の先輩守護者が、愛想のよい笑みを浮かべて歩み出た。
「これはこれは、スザク家の奥方でいらっしゃいますか。此度の討伐、我々にお任せください」
「ご丁寧に、痛み入ります」
母親は、上品に一礼した。そして、探るように問う。
「その子は……グレンは、きちんとやっておりますでしょうか。ご迷惑を、おかけしていなければよいのですが」
「とんでもない」
先輩は、からりと笑って、グレンの肩をぽんと叩いた。
「グレンは、真面目で優秀ですよ。槍も魔法も、申し分ない。何より、誰よりも早く現場に来て、地道に準備を怠らない。私も見習いたいくらいです」
世辞ではない、心からの言葉だった。
だが。
母親の表情は、ぴくりとも動かなかった。
「そうですか。……当然のことです。スザク家の人間ですもの」
褒め言葉は、まるで水が石の上を滑り落ちるように、彼女の中に何も残さなかった。
そして、母親は、まっすぐに息子を見据える。
「グレン。任務は、完璧にこなしているのでしょうね」
「……はい」
「スザクの名に、泥を塗ってはいないでしょうね」
声を荒げるでもない。ただ、静かに。
その一言ごとに、見えない刃が、グレンの胸に突き立てられていく。
「兄さんたちは、もっと立派な働きをしているのよ。あなたは末の息子。だからこそ、人一倍——分かっているわね」
「……はい。分かって、います」
グレンの手が、小さく震え、額には、うっすらと汗が滲んでいる。
その様子を、後ろで見ていたドラゴが眉をしかめた。
隣のトジも、口を引き結んでいる。
馬車の中では、あんなに「感謝している」と語っていたグレン。
その母親が、目の前で、息子にかける言葉がこれか。
二人の脳裏に、同じ疑問がよぎる。
……なんだ、この人
ドラゴが、一歩、前に出た。思ったことを、そのまま口にしかける。
だが、それより早く——グレンが、顔を上げた。
引きつった、けれど精一杯の笑みを、母親に向ける。
「……大丈夫だよ、母上。ちゃんと、やってるから」
母親は、ただ小さく頷いて、踵を返した。
「では、守護者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
その背中が遠ざかっても、グレンの口元の笑みは、しばらく貼りついたまま剥がれなかった。
「グレン……」
ミーナは心配そうに、グレンの横顔を見つめていた。
◆◆◆
明けて、翌日。
部隊は、街のはずれで、討伐にあたっていた。
茂みを割って、イノシシの群れが押し寄せてくる。
魔獣の魔力に当てられ、我を失っている個体だ。
鼻息は荒く、目は血走っている。
「来るぞ! 散開しろ!」
先輩守護者の号令のもと、部隊が展開する。
国軍兵の三名は、近隣住民の避難誘導。
そして、守護者は戦闘体勢に入った。
ドラゴの大剣が一頭を弾き飛ばし、ミーナが宙を舞い、トジが二丁の魔銃で牽制の弾を撃ち込んでいく。
グレンも、槍を構えていた。
迫るイノシシの一頭へ、穂先に炎を纏わせ、鋭く踏み込む。
「——『朱雀炎武』!」
炎を帯びた一閃が、獣を横薙ぎに斬り払う。
イノシシは短く鳴いて、地面に伏した。
続けざまに、もう一頭。
突き出された槍が、的確に急所を貫く。
危なげのない、堅実な太刀筋だった。昨日までの、あの硬さはない。
その様子を、少し離れた場所から見ていたドラゴが、ふっと肩の力を抜いた。
「なんだ。あいつ、ちゃんとやれてるじゃねえか」
「うん。今日は、調子よさそうだね」
トジも、安堵の笑みを浮かべる。
心配していたミーナも、戦いながら一安心する。
グレンの働きは、堅実だった。
誰も、危うさなど感じてはいなかった。
だが、異変が起きた。
群れの数が減り、戦況が落ち着きかけた、その時だった。
「きゃあっ!」
避難している住人から、悲鳴が上がる。
路地の奥。逃げ遅れた老人が、腰を抜かして、へたり込んでいた。
その背後に迫る、一頭のイノシシ。
一番近くにいたのは、グレンだった。
「——っ!」
地を蹴る。だが、走りながら、頭の中に、いくつもの考えが押し寄せてきた。
……まず、イノシシを止めるべきか
……いや、それとも、先に老人を抱えて逃がすべきか
……炎で牽制するか? それなら、確実に止められる。だが——
……『朱雀炎武』を撃てば、家に燃え移るかもしれない。家屋に被害を出してはいけない
……でも、槍だけで間に合うか?
考えが、絡まる。渦を巻く。
どれも選べないまま、駆ける足が鈍る。
その、致命的な一瞬。
イノシシがグレンの想像を超えた加速をした。
グレンがたどり着くよりも先に、その牙は、老人の腕をかすめた。
「うわっ……!」
よろめいた老人が、地面に倒れ込む。
その直後、横合いからトジが銃弾でイノシシの頭を撃ち抜いた。
イノシシは、そのまま地面に倒れこんだ。
隊長が駆け寄り、老人を抱え起こす。
腕には、赤い線が一筋。浅い、かすり傷だった。
グレンは、立ち尽くしていた。
槍を握ったまま。何も、できなかった手のまま。
その後、討伐そのものは、ほどなく終わった。
住人に駆け寄って、グレンは何度も頭を下げた。
「申し訳……ありません。自分の、未熟さで」
「いや、こっちこそ逃げ遅れて……これくらい、なんともないよ」
老人は気にした風もなく、むしろグレンを案じてくれた。
だが、グレンは顔を上げられなかった。
そこへ——静かな足音が、近づいてきた。
「グレン」
母親だった。息子の働きが気になって、討伐の様子を見に来ていたのだ。
倒れた老人を、ちらりと一瞥する。
そして、息子に向き直った。
「何をやっているの」
声は、低く、冷たい。
「街の人間に、怪我をさせた? スザク家の人間が? ……恥を知りなさい!」
人目も憚らず、実の息子への非難を、はっきりと口にした。
空気が、凍りついた。
グレンの顔から、血の気が引いていく。
「申し訳……ありません」
それ以上に、何も言えなかった。
次の瞬間、地を踏みつける音がした。
ドラゴだった。
「——おい」
空気が震えるほど、低い声。
握りしめた拳から、うっすらと血が滲んでいる。
「住人はかすり傷だ。グレンだって、命懸けで戦ってた。それを、息子が無事かも聞かずに……あんた、それでも親かよ!」
「なんですか、あなたは? これはうちの家の問題です。口を挟まないでください!」
「いや、だけど——」
「ドラゴ!」
それを、止めたのはグレンだった。
虚ろな瞳が、ドラゴを見上げる。そこには、もう何の光もなかった。
「やめてください。……母上の、言う通りです。自分が、無能なだけなんです」
「グレン、お前っ……!」
ドラゴが、言葉を失う。
グレンは、母親に向き直り、深く頭を下げた。下げたまま、動かない。
「このような失態が続くようなら、あなたをスザク家から勘当します! そのつもりでいなさい!」
母親は、そう言うと、踵を返した。その背中は、最後まで一度も、息子を振り返らなかった。
重い沈黙だけが、残された。
ミーナが、おずおずと一歩、近づく。
「グレン……」
グレンは、顔を上げなかった。
「……申し訳ありません。少し、一人にしてください」
それだけを、絞り出すように言って。
足を引きずるように、その場を離れていく。
追いかけようとしたミーナの肩を、トジがそっと押さえた。
ドラゴは、ただ拳を握りしめていた。
何もできない自分への怒りで、その指先が、小さく震えていた。
第4話も読んでいただきありがとうございます。
おそらく今週の土日の更新はありません。
申し訳ございません。
来週にはまた更新していきますので、引き続きよろしくお願いします。




