第3章 - 第3話
本部に戻るなり、ドラゴとトジが医務室へ駆け込んできた。
「ミーナ! 大丈夫か!? 怪我したって聞いたぞ――」
「あっ、ドラゴ! それにトジも」
ベッドの上で、ミーナがひょいと上体を起こす。腕には包帯。脇腹にも、白い布が巻かれている。
だが、その顔はいつも通りの笑顔だった。
「にゃはは、心配しすぎだニャ。アタシがちょっとドジっただけニャ。かすり傷、かすり傷っ」
「そう? それならよかった……」
トジがホッと一息をつく。
ベッドの脇には、シエルが静かに付き添っていた。
そして、その輪から少し離れた壁際に、グレンが立っていた。
うつむき、両手を膝の上できつく握りしめている。誰とも、目を合わせていない。
「グレン」
シエルが、努めて穏やかな声をかけた。
「私が張り切って氷を出しすぎちゃったのがいけなかったの。今回の件は、私のせいよ」
「……いえ。悪いのは、自分です」
返ってきたのは、暗く、重たい言葉だった。
「シエルさんの氷は、完璧な足止めでした。それを活かせず、あまつさえ足を滑らせたのは、自分の未熟さです。あなたは、何も悪くありません」
ミーナが、ベッドの上から身を乗り出した。
「グレン、ほんとに気にしないでニャ! アタシが勝手に飛び込んだだけだもん。グレンのせいなんかじゃ――」
その言葉が、かえってグレンの胸の奥を締め付ける。
動けなかったのも、判断を誤ったのも、足を滑らせたのも、全部、自分。
なのにミーナは、傷を負った身で、こちらを気遣っている。
グレンは、何も言えなかった。ただ、深く頭を下げた。
その背中を黙って見ていたドラゴが、声をかける。
「もう済んだことだろ。次に向けて修行しようぜ、修行!」
「そ、そうだよ! 気持ちを切り替えて、次に活かせばいいよ」
トジも、重くなった空気を少しでも和らげようと、ドラゴに続く。
「……ありがとうございます」
グレンは、力なく笑った。
「自分は、大丈夫です。次こそは絶対に、完璧にこなしてみせます」
言葉とは裏腹に、その表情は、少しも晴れていなかった。
「もう! こんなところで話をしてると、どんどん暗くなるわ。みんなでご飯でも行きましょ!」
沈んだ空気を見かねて、シエルが、ぱんと手を打って提案する。
だが、グレンは静かに首を横に振った。
「いえ、今日は、もう帰ります。……ミーナさん、本当に申し訳ありませんでした」
ミーナに向かって、深々と頭を下げる。
そして、返事を待つこともなく、そのまま医務室を出ていってしまった。
「……グレン」
見過ごせなかったのだろう。トジが、後を追おうとする。
その肩に、シエルの手が、やわらかく置かれた。
「今は、そっとしておきましょう」
静かな声だった。
「何を言っても、きっと今の彼には届かないわ。……ああいう時は、一人になる時間も、必要だから」
トジは、しばらく扉を見つめていたが、やがて、ゆっくりと腰を下ろした。
誰も、彼を追いかけることは、できなかった。
◆◆◆
数日後、新たな任務が下りた。
魔獣を頭にした凶暴なイノシシの群れが、ある街を荒らしているという。その討伐だ。
部隊のリーダーは、先日、屋根から落ちた猫を受け止めた、あの気のいい先輩守護者。
同行は、ドラゴ、トジ、傷の癒えたミーナ、そしてグレン。加えて、国軍兵が三名。
計八名の小隊だった。
任務地を聞いて、グレンの表情が、目に見えて曇った。
――そこは、グレンの生まれた街だった。
街道を、馬車が進んでいく。
荷台に揺られながら、ドラゴがちらりとグレンを見た。
さっきから、一言もしゃべらない。窓の外へ向けた横顔が、ずっと硬いままだ。
「なあグレン。まだこの前のこと気にしてるのか? ミーナも無事に回復したんだし、お前も元気出せよ!」
「……あ、すみません。この前のことは、もう、大丈夫です。いつまでも、引きずってばかりいられませんから」
ミーナへの負い目が消えたわけではない。それでも、前を向こうとする言葉だった。
「じゃあ、なんで、そんなに暗い顔してんだ? せっかく、地元に帰るんだから、もっと嬉しそうにしろよ」
思ったことが、そのまま口から出た。トジが「ちょっと、ドラゴ」と小声でたしなめる。
「……そう、ですよね」
グレンは、目を伏せたまま、力なく笑った。
トジが、気を取り直すように、そっと口を開く。
「グレンの家って、たしか名家だって聞いたけど」
「はい。スザク家といって……あの街では、代々、守護者を輩出してきた家です。街の人には、少し名の知れた家柄で」
「へえ! すげえじゃねえか!」
ドラゴが、目を輝かせて身を乗り出した。
だが、グレンは首を横に振る。
「すごいのは、家です。自分では、ありません」
その声には、卑下でも、皮肉でもない、静かな響きがあった。
「幼い頃から、母に鍛えられました。優秀な兄が二人いて……その背中を追って、同じように、完璧にやれと。朝は日が昇る前から槍の稽古、夜は座学。休みは、ほとんどありませんでした」
「うわ……それ、しんどくないニャ?」
ミーナが、思わず眉をしかめる。
「げっ、そんなに? オレには絶対無理だな……」
ドラゴが、心底ぞっとしたように顔をしかめた。
「いえ」
グレンは、そんなドラゴを見て、少しだけ表情を和らげ、はっきりと否定した。
「厳しかったのは、事実です。でも、それはスザク家の人間として、当然のこと。おかげで、槍も魔法も、人並み以上に身につけさせてもらいました。……恨むなんて、とんでもない。感謝しています」
言葉に、迷いはなかった。
「ただ――」
そこで、声が、少しだけ小さくなる。
「そうやって育ててもらったのに。自分は、みなさんの足を引っ張ってばかりで。せっかくの環境も、名前も、活かせていない。……もっと頑張らないと」
「はぁ? 何だよ、それ」
ドラゴが、腕を組んで、あっけらかんと言い放った。
「グレンは足なんて引っ張ってねえよ。強えし、そんで、いい奴だ」
「ドラゴ……」
悪気は、まるでない。ただ、思ったことを、まっすぐに。
グレンは、何と返せばいいか分からず、曖昧に笑うだけだった。荷台に、また沈黙が落ちる。
トジも心配そうに話を聞いていたが、それ以上は何も言わなかった。
やがて、馬車が街に着いた。
石畳の通りは、どこか懐かしく、けれど今のグレンには、ひどく重く感じられた。
装備を確かめ、一歩、故郷の地を踏みしめる。
その時だった。
「グレン」
静かで、よく通る声が、背後からかけられた。
振り返ったグレンの体が、目に見えて、こわばった。
立っていたのは、品のいい身なりの女性だった。背筋は伸び、表情は涼やかで、けれど、どこか冷たい。
「母上……」
グレンの声が、わずかに上ずった。




