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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第7話 走れない運び手

 薬草急送隊が出発した後、俺はしばらくその場を動けなかった。


 ギルド裏の荷場。


 夕方の風。


 遠ざかっていく馬の蹄の音。


 その全部が、妙に胸の奥へ残った。


 自分で走るわけではない。


 自分で荷を持つわけでもない。


 自分で道を選び直せるわけでもない。


 俺ができるのは、出発前に組んだ段取りを信じることだけだった。


「顔が硬いぞ」


 横に立っていたガルドが言った。


「そりゃ硬くもなります」


「自分で行きたかったか」


「行ける身体なら」


「行っていたら邪魔だ」


「わかってます」


 痛いところを容赦なく突いてくる。


 だが、その通りだった。


 今の俺が同行しても、足手まといになるだけだ。


 薬草急送隊は、軽く、速く、止まらず進むために組んだ。


 そこへ歩くのもやっとの怪我人を混ぜるなど、本末転倒だ。


 俺は、俺自身を荷から外した。


 それが正しい。


 正しいが、気分は良くない。


 前の世界でも、似た感覚はあった。


 自分がハンドルを握っている時は、不安でもまだ動ける。


 渋滞なら抜け道を考える。


 荷崩れしそうなら止まって確認する。


 眠気が来れば休む。


 判断は自分の手の中にある。


 だが、人に任せた荷は違う。


 連絡が来るまで、何もできない。


 だからこそ、任せる前に潰せる不安は潰しておく必要がある。


「部屋へ戻れ」


 ガルドが言う。


「いや、ギルドの作業部屋を借りたいです」


「何をする」


「待ちます」


「部屋で待て」


「待ち方があります」


 ガルドが眉を上げた。


 俺は杖代わりの棒に体重を預けながら、ゆっくり息を吐いた。


「出した荷は、出したら終わりじゃありません。戻ってくる情報を受ける場所が必要です。誰が、いつ、どこから戻るか。何を報告するか。追加で何を出すか」


「お前は動けない」


「だから、動ける人が迷わないようにしておきます」


 ガルドはしばらく俺を見ていたが、やがて短く言った。


「マルセルに言え」


     ◆


 商人ギルドの1階奥に、小さな作業部屋を借りた。


 本来は荷札の整理や帳面の写しに使う部屋らしい。


 大きな机。


 壁に掛けられた周辺地図。


 インク壺。


 削った木札。


 古い帳面。


 それだけあれば十分だった。


 リーナは俺を椅子に座らせると、腕を組んで言った。


「立ち上がらないでください」


「はい」


「荷場へ戻ろうとしないでください」


「はい」


「痛みを我慢して平気な顔をしないでください」


「それは難しいですね」


「では、平気でない顔をしてください」


「注文が細かい」


 そう言うと、リーナは少しだけ目を細めた。


 怒っているというより、心配している顔だった。


 俺は素直に頭を下げる。


「無理はしません。今倒れたら、ただの迷惑なんで」


「わかっているならいいです」


 リーナは薬草の控えを書いた木札を机に置いた。


「これが今回の薬草の内訳です。種類、量、包み数、印。鉱山町の薬師が確認しやすいように写してあります」


「助かります」


「それと、薬草箱の詰め方も簡単に描いておきました」


 俺は木札を見る。


 赤線、白丸、青点、月印。


 種類ごとに印が分けられ、箱の中の位置も簡単な図になっている。


 すごい。


 この子、かなり仕事ができる。


「リーナさん、これめちゃくちゃわかりやすいです」


「薬は間違えると人が死にますから」


「荷も間違えると人が死にます」


「なら、同じですね」


「同じですね」


 短いやり取りだったが、妙にしっくり来た。


 薬師と運び手。


 役割は違う。


 でも、間違えれば人が死ぬという点では似ている。


 俺は木札を机の左側に置いた。


 次に、空の木札を並べる。


 1枚目。


 出発時刻。


 2枚目。


 予定経路。


 3枚目。


 人員。


 4枚目。


 馬。


 5枚目。


 費用。


 6枚目。


 未確定要素。


 前の世界の運行管理表のようなものを作る。


 もちろん、この世界にはデジタルの配車システムも、スマホも、GPSもない。


 だが、紙と木札でも最低限の管理はできる。


 情報は、頭の中だけに置くと腐る。


 見える場所に置く。


 誰が見てもわかる形にする。


 それだけで、事故は少し減る。


 マルセルが部屋を覗き込んだ。


「何を並べている」


「急送隊の状況表です」


「状況表?」


「出発前に決めたこと、戻ってきたら聞くこと、次に打つ手をまとめます」


「今からか?」


「今からです。何か起きてから考えると遅いので」


 マルセルは部屋に入り、木札を1枚ずつ見た。


「費用まで分けるのか」


「誰が何にいくら使ったかを聞きます。次回の目安になりますし、不正も減ります」


「商人ギルドで不正の話をするとは、度胸があるな」


「ないと思っている方が怖いです」


 マルセルは少し黙り、それから口の端を上げた。


「気に入った。だが、言い方には気をつけろ」


「すみません」


「いや、今のは正しい。人は金が見えないところで緩む」


 商人らしい言い方だった。


 マルセルは壁の地図を指差す。


「古渡しへの使いは、もう出した。早ければ夜前に戻る」


「戻ったら、ここへお願いします」


「荷場ではなく?」


「はい。荷場だと情報が散ります。まずここで受けたいです」


「わかった」


 マルセルは少し感心したように俺を見た。


「お前、本当に元雑用係か?」


「今も雑用係みたいなもんです」


「雑用係は、ここまで嫌なところを先に見ない」


「嫌なところを先に見ないと、現場で嫌なことになります」


「なるほどな」


 マルセルが出ていく。


 俺は木札を並べ直した。


 その時、頭の奥に薄い表示が浮かぶ。


【役割固定:運び手】


【補助派生:運行管理】


【効果予測:情報整理・遅延要因予測・人員連絡補正】


「運行管理、か」


 思わず呟いた。


 ハンドルを握るだけが運び手ではない。


 走る人間を支える側も、荷を運んでいる。


 予定を組む者。


 連絡を受ける者。


 代わりの道を探す者。


 事故が起きた時に次の手を打つ者。


 前の世界では、事務所から無茶を言われて腹が立ったこともある。


 けれど、本当に現場をわかっている配車係や運行管理者には、何度も助けられた。


 あの人たちは、電話の向こうで道を作っていた。


 今の俺は、それをやるしかない。


 走れない運び手。


 なら、走る者のために道を整えろ。


【自己固定率:94%】


【安定】


 よし。


 変な方向には行っていない。


 俺は息を吐き、次に「報告項目」の木札を作った。


 戻ってきた者に聞くこと。


 1、時刻。


 2、場所。


 3、天候。


 4、馬の状態。


 5、道の状態。


 6、魔物または盗賊の気配。


 7、費用。


 8、予定変更の有無。


 これを聞けば、最低限は見える。


 リーナが横から覗き込んだ。


「細かいですね」


「細かいところで詰まるんで」


「薬師の記録に似ています」


「薬師も記録するんですか」


「薬の量、患者の熱、汗、脈、飲ませた時間。覚えているつもりでも、人は忘れます」


「やっぱり同じですね」


「はい」


 リーナは少しだけ頷いた。


「あなたのやり方は、少し変です。でも、嫌いではありません」


「変は否定できません」


「否定しないんですね」


「自覚はあります」


 そう答えると、リーナはほんの少し笑った。


 初めて見たかもしれない。


 厳しい顔ばかりの彼女が笑うと、年相応に見えた。


 だが、その笑みはすぐに消えた。


 廊下が慌ただしくなったからだ。


 足音。


 誰かの声。


 マルセルが扉を開けた。


「古渡しへの使いが戻った」


 早い。


 俺は背筋を伸ばした。


「ここへ」


 マルセルの後ろから、若い男が入ってきた。


 息が荒い。


 額には汗。


 靴には泥。


 かなり急いで戻ってきたのがわかる。


「座らせて、水を」


 俺が言うと、近くの職員が慌てて水を持ってきた。


 若い男は杯を受け取り、一気に飲む。


「名前は?」


「エドです」


「エドさん。落ち着いて、順番に教えてください。古渡しに行ったんですね」


「はい」


「船頭はいましたか」


「いませんでした」


 部屋の空気が変わった。


 マルセルの顔が険しくなる。


 俺は木札を1枚取った。


「船は?」


「小舟が2艘ありました。ただ、1艘は岸に上げられていて、底に穴が開いていました。もう1艘は川に浮いていましたが、繋ぎ縄が古くて、今にも切れそうでした」


「船頭の家は?」


「空でした。火の気もありません」


「最近使われた痕は?」


「少しありました。足跡も」


「足跡?」


「はい。爺さんのものかはわかりません。ただ、複数です」


 嫌な感じが強くなる。


「渡し賃を取る誰かは?」


「いません。ただ……」


 エドが言いにくそうに口を閉じた。


「何です?」


「渡し場近くの木に、札が打ちつけられていました」


「札?」


 エドは懐から薄い木片を出した。


 そこには雑な字で何かが書かれている。


 俺は読めない。


 この身体の記憶で簡単な文字は拾えるが、まだすらすらとはいかない。


 マルセルが木片を受け取って読み上げた。


「渡しを使う者は、北岸の小屋へ来い。船の守り賃として銀貨1枚を払え」


「銀貨1枚?」


 リーナが眉をひそめた。


 マルセルの顔がさらに険しくなる。


「ふざけた額だ。本来の渡し賃は銅貨数枚だぞ」


 俺は机の木札を見た。


 やはり来た。


 人為的妨害。


 船頭がいない。


 船が傷んでいる。


 渡し場に怪しい札。


 単なる偶然かもしれない。


 だが、薬草急送隊にとっては十分に詰まりだ。


「北岸の小屋というのは?」


 ラウルの代わりに、ガルドが答えた。


「渡った先にある古い番小屋だ。昔は川守が使っていた」


「そこに誰かが陣取ってる可能性がある」


「だろうな」


「盗賊ですか」


「小物だ。だが、小物でも川を押さえれば強い」


 ガルドの言葉は重かった。


 道を支配するのに、大軍はいらない。


 橋。


 渡し。


 峠。


 狭い場所。


 そこを押さえるだけで、荷は止まる。


 荷を止めれば、金になる。


 前の世界でも、道路が止まれば物流が死ぬ。


 この世界でも同じだ。


 俺は深く息を吸った。


「急送隊は、まだ渡し場に着いていませんよね」


 マルセルが頷く。


「出たばかりだ。順調なら夜前に古道手前、明け方に渡しだ」


「なら、まだ間に合う」


「どうする」


 全員の視線が俺に向いた。


 背中に嫌な汗がにじむ。


 俺は現場に行けない。


 だが、行けないからこそ、今ここで次の手を打たなければならない。


「まず、伝令を出します」


 俺は木札を動かした。


「急送隊へ。古渡しの船頭不在。船の1艘破損。北岸に不審者の可能性。渡し場へ突っ込まず、手前の炭焼き小屋で停止。夜明けまで待機」


 ガルドが頷く。


「妥当だ」


「次に、予備の縄と簡単な修理道具を持たせます。船の繋ぎ縄が危ないなら、こちらで替える」


 マルセルが職員に目配せした。


「倉庫に縄はある。板と釘も出せる」


「船を直せる人は?」


「船大工はいない。だが、荷車の修理職人ならいる」


「底に穴が開いた船は諦めます。使える方の小舟だけを安全にする。薬草と人を分けて渡すなら、1艘でもいける」


「馬は?」


 ガルドが聞いた。


「馬は泳がせるか、浅瀬を探す必要があります」


「川幅は?」


 エドが答えた。


「広くはないです。でも流れは少し速いです」


「馬を無理に渡すのは危ないか……」


 俺は地図を睨んだ。


 荷を軽くしたのは正解だった。


 最悪、人と薬草だけ先に渡せる。


 馬を置く選択肢もある。


 だが、その後の距離が問題だ。


 鉱山町まで薬草箱を人力で運ぶのは厳しい。


「北岸側に馬を借りられる場所は?」


 マルセルが考え込む。


「番小屋の先に小さな集落がある。だが、商人ギルドとの付き合いは薄い」


「金で借りられますか」


「足元を見られる」


「見られても、薬草が届かないよりは安い」


 俺が言うと、マルセルは苦い顔をした。


「お前、金を使わせる時だけ迷いがないな」


「必要な金なら使うしかありません」


「商人にとって一番嫌な正論だ」


 俺は伝令用の内容をもう1枚の木札にまとめた。


「伝令は2人。1人は急送隊へ。もう1人は、可能なら北岸の集落へ先に回る。馬を借りられるか確認。無理なら、人足でもいい。薬草箱を担げる人を確保する」


 ガルドが腕を組む。


「北岸へ先に回るには、結局渡しが必要だ」


「別の道は?」


「かなり遠い」


「なら、急送隊と同じ経路ではなく、北道の橋を使う伝令を出せますか。軽装の1人なら橋を渡れるんですよね」


 ガルドが地図を見る。


「行ける。危険はあるが、馬なしの伝令なら渡れる可能性は高い」


「その人に北岸集落へ向かってもらう」


 マルセルがすぐ職員を呼ぶ。


「走れる者を2人。片方は西の古道へ。片方は北道の橋へ。ギルド印の札を持たせろ」


 職員が動く。


 部屋の空気が一気に熱を持った。


 情報が入り、判断が生まれ、人が走る。


 これだ。


 俺はこのために待っていた。


 ただ不安になるためではない。


 次の手を打つために、待っていた。


 頭の奥に表示が浮かぶ。


【運行管理:起動中】


【遅延要因:渡し場不備・不審者】


【対策:伝令追加・修理資材投入・北岸支援要請】


【成功率:不明】


 最後が正直すぎる。


 成功率は不明。


 当たり前だ。


 机の上で完璧な計画など作れない。


 現場には、現場の風が吹く。


 それでも、何もしないよりはいい。


 リーナが静かに言った。


「薬草箱は、人が担いでも運べる重さです。ただし、長くは無理です」


「なら、箱に肩紐をつけておけばよかった」


 俺は思わず呟いた。


 リーナが目を瞬かせる。


「肩紐?」


「箱を背負えるようにする紐です。手で持つより楽になる。くそ、出す前に気づくべきだった」


「今から送る修理道具に、紐を入れましょう。向こうで箱にかけられます」


「お願いします」


 完璧ではない。


 抜けはある。


 でも、抜けに気づいたら塞ぐ。


 それしかない。


 ガルドが俺を見た。


「自分を責めるな。初めてにしてはよく見ている」


「でも、抜けました」


「抜けない人間はいない。抜けた時に塞げるかだ」


 その言葉は、少し胸に入った。


 俺は頷き、木札に新しく書き加える。


 肩紐。


 予備縄。


 油紙追加。


 小型工具。


 北岸支援。


 そして、不審者注意。


 この世界の文字を書く手は、まだぎこちない。


 だが、書かないよりはいい。


 しばらくして、2人の伝令が準備を整えた。


 俺はそれぞれに木札を渡す。


「急送隊への伝令は、ラウルさんに直接。いなければトマさんへ。内容は復唱してください」


 若い伝令が頷く。


「古渡しの船頭不在。船1艘破損。北岸に不審者の可能性。渡しへ突っ込まず、炭焼き小屋で待機。予備縄と修理道具を使う」


「よし」


 もう1人を見る。


「北岸支援への伝令は、橋を越えて集落へ。馬か人足の確保。薬草箱2つを鉱山町まで運ぶ可能性あり。費用はギルドが払う。ただし、ぼったくられすぎないように」


 伝令が苦笑した。


「難しいですね」


「難しいです。でも、お願いします」


「はい」


 2人が走っていく。


 その背中を見送りながら、俺は机に手をついた。


 身体が重い。


 頭も熱い。


 だが、まだ倒れるわけにはいかない。


 マルセルが俺を見た。


「休め」


「まだ報告を待ちます」


「倒れたら元も子もない」


「座ってます」


「そういう問題ではない」


 リーナが横から言った。


「少し横になってください。報告が来たら起こします」


「でも」


「待つのも仕事なら、倒れないのも仕事です」


 反論できなかった。


 俺は作業部屋の隅に置かれた長椅子に横になった。


 背中が痛まないように、リーナが布を噛ませてくれる。


 情けない。


 でも、ありがたい。


 目を閉じると、馬の蹄の音が耳に残っている気がした。


 急送隊。


 伝令。


 古渡し。


 北岸の小屋。


 不審者。


 薬草。


 熱病の鉱山町。


 全部が頭の中で絡まっている。


 俺は小さく呟いた。


「俺。51歳。大型トラック運転手。今はアスト。役割は運び手」


【自己確認行動を検知】


【自己固定率:94%】


「走れなくても、運ぶ。ここからでも、道を作る」


【役割固定:運び手】


【補助派生:運行管理】


【安定】


 少しだけ、呼吸が楽になった。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 今、俺が信じ込むべき力は、誰かを殴る力ではない。


 遠くの荷を、見えない場所から支える力だ。


 目を閉じる直前、廊下の向こうで鐘が鳴った。


 領都の夜が始まる。


 俺の初仕事は、まだ終わらない。


 荷は今も、道の上にある。


 そして俺は、走れないまま、その道を追いかけていた。


第7話─了

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