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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第41話 塩は、人を縛る

 北の塩倉。


 サナが吐いたその名は、朝になっても作業部屋の空気を重くしていた。


 塩は腐らない。


 サナはそう言った。


 だから隠すには向いている、と。


 確かに、塩は強い荷だ。


 食べるために必要で、保存にも使える。


 肉にも魚にも、漬物にも、薬にも、馬にも使う。


 少量でも価値がある。


 しかも、腐らない。


 つまり、金の代わりにもなる。


 米ほどかさばらず、布ほど目立たず、薬草ほど管理が難しくない。


 裏仕事の報酬としては、かなり扱いやすい。


 俺は机の上に木札を並べた。


 黒鳴石。


 偽札。


 偽薬。


 偽礼状。


 偽名簿。


 紙。


 染料。


 水路。


 塩。


 全部が同じ重さではない。


 だが、欠け指の道の中ではつながっている。


 人を動かすには、報酬がいる。


 金でもいい。


 だが、金は足がつく。


 塩なら、日雇いにも子どもにも渡せる。


 家へ持ち帰れば、すぐ役に立つ。


 売れば小銭になる。


 腹が減っている人間には、銀貨より塩の方が信じやすい時もある。


「欠け指は、塩で人を縛っているかもしれません」


 俺が言うと、マルセルが帳面から顔を上げた。


「塩で?」


「はい。仕事の報酬を塩で払う。もしくは塩札を渡す。北の塩倉へ行けば塩がもらえる、という形で」


 セリアが筆を取る。


「塩札……黒い輪の札とは別ですか」


「たぶん別です。黒い輪は合図や誘導。塩札は支払いか借りの証」


 ノルが顔をしかめた。


「西市場の裏で、塩粒袋をもらう仕事はあった」


 全員の視線がノルへ向いた。


 彼は少し肩をすくめる。


「俺は受けてない。でも、聞いたことはある。荷を運ぶんやなくて、紙を貼るだけ、言われたことを言うだけ、袋を置くだけ。終わったら塩粒袋がもらえるって」


「塩粒袋」


「小さい布袋に塩が入ってる。飯に使えるし、売れる」


 やはり。


 欠け指は、金ではなく塩で人を動かしている。


 それなら、子どもや日雇いも釣れる。


 しかも、塩を受け取っただけでは罪の意識が薄い。


 危険な荷を持ったわけではない。


 ただ紙を貼った。


 ただ噂を言った。


 ただ袋を置いた。


 その報酬に塩をもらう。


 小さな行為が、道を腐らせる。


「北の塩倉は、欠け指の本拠ではなく、支払いの結び目かもしれません」


 俺は言った。


「人を縛る場所ですね」


 リーナが静かに言う。


「はい」


 人は荷じゃない。


 だが、塩で縛られれば、人は荷のように動かされる。


 それを断たなければならない。


 ただし、塩倉を押さえるだけでは足りない。


 そこから塩をもらっていた人間は、次にどこへ行くのか。


 何もないまま放り出せば、また別の欠け指に拾われる。


 サナの言葉が、まだ胸に刺さっている。


 きれいな道しか知らない奴が言うな。


 札に入れない人間は、どこを通ればいい。


 それに答えなければ、欠け指の道を潰しても穴は残る。


「北の塩倉へ踏み込む前に、もう一つ準備が要ります」


 俺は言った。


 マルセルが眉を寄せる。


「また札か」


「はい」


「言うと思った」


「仮仕事札です」


 セリアの筆が止まる。


「仮仕事札?」


「身元保証がない人、日雇い名簿にまだ入れない人、でも危ない裏仕事に流したくない人のための、一日限りの軽い仕事札です」


 マルセルが腕を組む。


「甘い」


「はい」


「悪用される」


「されます」


「それでもやるのか」


「北の塩倉を押さえるなら必要です。塩粒袋で動いていた人たちが、その日の飯に困ります。そこへ正規の小仕事を置かないと、欠け指の代わりが出ます」


 マルセルは黙った。


 金の話になると厳しい男だ。


 だが、必要性は理解している顔だった。


「内容は」


「荷場掃除、空箱整理、名紙箱の燃やし立ち会い、掲示板の張り替え補助、水桶洗い、馬草の分別。危険荷には触らせない。薬にも触らせない。半日か一日。報酬は少額と食事券。塩ではなく、食べ物と正規の小銭」


「保証人なしで入れるのか」


「仮札なので、首紐か腕札で見えるようにする。仕事場から出る時に返す。名前が書けなければ、特徴と仮名で記録。責めるためではなく、戻るために」


 セリアが小さく頷いた。


「名なしを名ありへ移す入口ですね」


「はい。正式登録ではなく、入口です」


 ノルがぽつりと言った。


「それ、前にあったら、俺……」


 言いかけて、口を閉じる。


 言わなくてもわかる。


 もし、危険荷の前に仮仕事札があれば。


 もし、妹の薬代の前に、少しでも正規の道が見えていれば。


 ノルは黒い輪の道へ近づかなかったかもしれない。


 過去は戻らない。


 でも、次の誰かは止められる。


「やろう」


 オルディンが静かに言った。


 いつの間にか、ギルド長が入口に立っていた。


「北の塩倉を押さえるなら、裏の塩で動いていた者を受ける口が要る。仮仕事札を試す」


 マルセルがため息をつく。


「費用がかかります」


「欠け指に道を奪われるより安い」


「……それはそうです」


 決まった。


 仮仕事札。


 これが、サナの問いへの最初の答えになる。


     ◆


 北の塩倉へは、すぐには踏み込まなかった。


 まず、塩の流れを見る。


 塩倉から出る正規の荷。


 料理屋へ行く塩。


 保存肉屋へ行く塩。


 薬師へ行く少量の塩。


 馬屋へ行く塩。


 そこに紛れて、小さな塩粒袋が出ているか。


 ガルドと領兵、マルセルの職員が分かれて見ることになった。


 俺は作業部屋で地図を見る。


 北の塩倉は、領都の北側にある古い倉だ。


 大通りから少し外れ、荷馬車が入りやすい。


 裏には細い路地。


 さらに奥には、乾いた井戸跡。


 水路とは離れている。


 つまり、これまでの南水路中心の逃げ方とは違う。


 塩は水を嫌う。


 だから水路ではなく、乾いた道を使う。


 乾物倉、塩倉、馬屋、保存肉屋。


 そういう乾いた結び目が、新しい輪になる。


 俺は戻り札に触れた。


 また地図の線が増える。


 だが、深く入りすぎるな。


【自己暗示候補:物流経路解析模倣】


【参照対象:物語内商人群・軍師群・鑑定士群】


【適合率:37%】


【効果:荷流れ推定・不自然な小口流通抽出】


【警告:過集中】


 起動。


 塩倉。


 大口の樽。


 小口の袋。


 料理屋。


 馬屋。


 日雇い。


 塩粒袋。


 支払い。


 人が動く。


 塩は腐らない。


 だから、急いで運ぶ必要がない。


 逆に言えば、小分けにして隠しやすい。


 どこかで小袋に詰め替えているはずだ。


「塩倉そのものではなく、小分け場があります」


 俺は言った。


 セリアが地図を見る。


「塩倉の中ではない?」


「中でやると、正規の出入りに紛れにくい。小袋にするには布袋や紐もいる。塩倉から少し離れた乾いた場所。布と塩が両方ある場所」


 マルセルがすぐ反応する。


「保存肉屋の裏か」


「はい。塩も布もある。肉を塩漬けにするから、小袋があっても不自然じゃない」


 ノルが言う。


「北の保存肉屋なら、裏に空き馬小屋がある。昔、日雇いが寝泊まりしてたって聞いた」


「そこです」


 俺は地図に赤寄りの黄札を置いた。


「塩倉を見せ札にして、保存肉屋裏の小分け場を押さえる」


 ガルドへの伝令が出る。


 塩倉を正面から監視。


 保存肉屋裏の空き馬小屋へ、少人数で接近。


 追わない。


 袋の出入りを見る。


 サナは捕まっている。


 青い紐の男も捕まっている。


 だから今日動くのは、別の手駒かもしれない。


 欠け指本人が出る可能性は低い。


 だが、支払いの道は見えるはずだ。


 俺は戻り札を読む。


「俺はアスト。役割は運び手。解析は道具。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


 まだ安定している。


 リーナが横から水を置いた。


「頭を使いすぎています」


「今日は塩の道だけです」


「だけ、ではありません」


「はい」


 最近、このやり取りばかりだ。


 でも、止めてくれる人がいるのはありがたい。


     ◆


 昼過ぎ、保存肉屋裏から報告が来た。


 空き馬小屋に、小さな布袋が大量にあった。


 中身は塩。


 袋には、黒い輪ではなく、白い点が3つ。


 塩粒を示す印だろう。


 さらに、木札が数枚。


 塩一袋。


 紙貼り一枚。


 噂一声。


 袋置き一つ。


 それぞれの仕事と報酬が書かれていた。


 ノルがその報告を聞き、顔を歪めた。


「それや。西市場で聞いたやつ」


 やはり。


 欠け指は、塩で小さな仕事を買っていた。


 紙を貼る。


 噂を言う。


 袋を置く。


 直接手を汚さない仕事。


 だが、道を確実に腐らせる仕事。


「人は?」


 俺が聞くと、伝令が答える。


「小屋にはいません。ただ、塩袋を取りに来る者が夕方にいる可能性あり」


「待ちます」


 ガルドもそう判断していた。


 踏み込んで塩袋だけ押さえるより、取りに来る者を見る。


 ただし、相手は貧しい人間かもしれない。


 捕まえる時も、刃物を向けすぎない。


 報酬を受け取るだけの者と、指示を出す者を分ける。


「塩袋を取りに来た人を、全員同じ扱いにしないでください」


 俺は言った。


「仕事を頼む側と、受ける側を分ける。受ける側には仮仕事札を示す」


 セリアが頷く。


「仮仕事札の試作品、急ぎます」


 机の上に、薄い木札が並べられる。


 仮。


 掃除。


 水桶。


 掲示。


 空箱。


 短い印。


 名前が書けなくても使えるよう、絵も入れる。


 箒。


 桶。


 板。


 箱。


 日雇いでも、文字が苦手でもわかる。


 ノルがその札を見て、少しだけ笑った。


「これなら、俺でもわかる」


「あなた基準は有効です」


 セリアが言うと、ノルは「またそれか」と苦笑した。


 少しだけ空気が軽くなった。


     ◆


 夕方、保存肉屋裏で動きがあった。


 最初に来たのは、子ども2人。


 年は10前後。


 塩袋を受け取りに来たらしい。


 ガルドは捕まえなかった。


 ただ、出口で灰鴉亭の若い者が声をかけた。


 塩袋は置け。


 代わりに飯券を出す。


 子どもたちは逃げようとしたが、刃物も脅しもないとわかると、塩袋を置いた。


 その後、ギルドへ連れてこられた。


 怯えていた。


 だが、怪我はない。


 俺は椅子に座ったまま、2人に向き合った。


「名前は?」


 1人は黙る。


 もう1人が小さく言った。


「リト」


「もう1人は?」


「……ジナ」


「塩袋を取るように言った人は?」


「顔を隠したおじさん」


「何をすれば塩をもらえると言われた?」


 リトは俯いた。


「紙を貼るだけ。西市場の壁に。あと、明日の朝、人が集まってるところで“薬師は嘘つき”って言うだけ」


 リーナの顔が硬くなる。


 まだ続ける気だったのか。


 薬師方針札が出ても、薬師の信用を削る声を子どもに言わせる。


「言わなくていい」


 俺は言った。


 リトが顔を上げる。


「でも、塩が」


「塩袋の代わりに、今日の飯券を出します。明日、仮仕事札で水桶洗いか掲示板の掃除をすれば、食事と小銭が出ます」


「怒られない?」


「責めるためではなく、止めるためです」


 リトはその言葉を知っていたらしい。


 少しだけ肩の力が抜けた。


 ジナも小さく頷いた。


 子どもを救えたと言うには早い。


 でも、今日その子たちは「薬師は嘘つき」と叫ばなくて済む。


 それだけでも意味がある。


 次に来たのは、大人の男だった。


 彼は塩袋を取る側ではなく、木札を補充する側だった。


 捕まった。


 持ち物から、黒い輪の木片が出た。


 そこには一言。


 塩は、名を問わぬ。


 俺はそれを見て、胸の奥が冷えた。


 そうだ。


 そこが欠け指の強みだ。


 名前を問わない。


 保証人を問わない。


 今日食うための塩を出す。


 だから人が集まる。


 こちらの正規の道は、名前を聞く。


 確認する。


 札を作る。


 安全のためには必要だ。


 だが、その手間が人を弾く。


 欠け指は、その隙間へ塩を置く。


「仮仕事札の意味が、はっきりしましたね」


 リーナが言った。


「はい」


 名前を問わない道に、人が流れる。


 なら、こちらは名前を奪わない形で、入口を作る。


 完全な身元確認ではなく、仮名と特徴。


 その日の仕事。


 その日の食事。


 次に来たら、少しずつ名を聞く。


 名を奪わず、名を育てる。


 そういう道が必要だ。


     ◆


 保存肉屋裏の空き馬小屋は押さえた。


 塩袋は回収。


 木札も押収。


 指示役の男も捕まえた。


 ただし、欠け指本人は出てこなかった。


 当然だろう。


 北の塩倉も本拠ではない。


 塩の支払い道。


 人を縛る道の一部だ。


 だが、その一部を切った。


 そして、こちらは仮仕事札を出した。


 夕方のうちに、試験として5人が仮仕事を受けた。


 リトとジナは水桶洗い。


 日雇いの中年男は空箱整理。


 老婆は掲示板周りの掃き掃除。


 もう1人の若者は馬草の仕分け。


 報酬は食事券と少額。


 全員、塩袋より少しだけましな額にした。


 マルセルはものすごく嫌そうな顔をしたが、結局認めた。


「塩袋に負けるわけにはいかん」


 それが理由だった。


 十分だ。


 ノルは仮仕事札の説明役になった。


「今日は仮や。危ない荷は持たん。終わったら札返す。次も来たら、同じ仕事があるか聞け。黒い輪の塩袋より、こっち来い」


 その言葉が、妙に似合っていた。


 ノル自身が、黒い輪の道から戻った人間だからだ。


 サナの問いに、完璧な答えはまだ出ていない。


 だが、最初の細い道はできた。


 札に入れない人間のための、仮の入口。


     ◆


 夜、ガルドが戻った。


 保存肉屋裏で捕まえた男は、欠け指の居場所を知らないと言った。


 ただ、塩袋の補充指示は、北の塩倉ではなく「塩倉奥の秤場」で受けたらしい。


「秤場?」


 俺が聞くと、マルセルが答えた。


「塩の重さを量る場所だ。正規の倉の奥にある。帳面もそこに置く」


「つまり、塩倉の中に手が入っている」


「そうなる」


 北の塩倉そのものを見せ札だと思っていた。


 だが、完全な外れではない。


 奥の秤場。


 そこが次の結び目だ。


 塩は腐らない。


 だが、帳面は腐る。


 重さを書き換えれば、小分けの塩を抜ける。


 報酬用の塩粒袋も作れる。


「次は帳面です」


 俺は言った。


「塩倉の塩そのものじゃなく、秤場の帳面を見る必要があります」


 マルセルが頷く。


「塩の出入りと、実際の残量だな」


「はい。欠け指の塩道は、帳面の隙間から出ている」


 また、道が見えた。


 塩倉奥の秤場。


 そこへ、欠け指の影が伸びている。


     ◆


 下宿へ戻ると、疲れがどっと来た。


 今日は戦っていない。


 声も張っていない。


 だが、塩の道を見続けた。


 そして、仮仕事札を作った。


 それはただの制度ではない。


 サナの問いへの答えだ。


 まだ細い。


 まだ弱い。


 悪用もされる。


 それでも、ないよりいい。


 俺は戻り札を手に取った。


「俺はアスト。役割は運び手。戦闘も推理も解析も目的じゃない。道を守る手段。情報も荷。善意も荷。礼も荷。人は荷じゃない。名は奪うものじゃない。塩は人を縛る。仮の道は人を戻す。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【物流経路解析残滓:低下】


【状態:疲労大・安定】


 塩は人を縛る。


 仮の道は人を戻す。


 今日の言葉だ。


 欠け指は、名前を問わない塩で人を動かした。


 こちらは、名前を奪わない仮札で人を受ける。


 まだ小さい。


 だが、道は小さな一歩からできる。


 北の塩倉。


 保存肉屋裏。


 塩粒袋。


 塩倉奥の秤場。


 欠け指の塩道は、少しずつ見えてきた。


 俺は目を閉じた。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 俺は、腐らない荷の裏にある腐った道を見抜ける。


 そして、塩で縛られた人を、別の細い道へ戻せる。


 次は秤場。


 塩の重さを量る場所で、欠け指の道の重さも量る。


第41話─了

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