表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/48

第42話 秤場の嘘

 北の塩倉へ行くことになった時、リーナは当然のように反対した。


「まだ遠出は許可していません」


「遠出というほどでは」


「塩倉まで行くのでしょう」


「荷車に乗ります」


「荷車に乗れば怪我が治るわけではありません」


「椅子も持っていきます」


「椅子を持っていけば無茶ではなくなるわけでもありません」


 正論が強い。


 だが、今回ばかりは現場を見たかった。


 塩倉奥の秤場。


 欠け指の塩道は、そこから出ている可能性が高い。


 帳面だけならギルドに持ってこられる。


 だが、秤場の空気、床、袋、重り、人の動き。


 そこを見なければわからないものがある。


 前の世界で荷を扱っていた感覚が、頭の奥でずっと警告していた。


 数字だけでは見えない。


 現場には、数字に出る前の嘘が残る。


 リーナは俺の顔を見て、深くため息をついた。


「条件があります」


「はい」


「荷車で移動。歩き回らない。椅子に座る。重い物を持たない。塩袋に触らない。頭を使いすぎたら止める。戻り札を持つ」


「全部守ります」


「本当に?」


「本当に」


「信じきれませんが、同行します」


 ありがたい。


 そして怖い。


 こうして俺は、リーナとセリア、マルセル、ガルドとともに北の塩倉へ向かった。


     ◆


 北の塩倉は、領都の北側にあった。


 古い石壁。


 厚い木扉。


 馬車が入れる広い前庭。


 空気には、乾いた塩と古い麻袋の匂いが混じっている。


 水路近くの湿った場所とは違う。


 ここは乾いていた。


 乾いた荷の場所だ。


 だからこそ、隠すものも違う。


 南水路では、黒鳴石や染料や偽札が水と一緒に動いた。


 北の塩倉では、塩と袋と帳面が動く。


 正面には塩倉番のダリオが待っていた。


 四十代半ばくらいの男で、顔は日に焼け、腕は太い。


 だが、目の下に深い疲れがあった。


「商人ギルドの調査と聞いております」


 ダリオは硬い声で言った。


 マルセルが前へ出る。


「塩の出入りについて確認する。お前を最初から疑っているわけではない」


「疑われるようなことが起きているなら、見ていただくしかありません」


 その返事は、思ったよりまっすぐだった。


 もちろん、それだけで白とは言えない。


 欠け指の道は、人の表情だけでは読めない。


 俺は椅子を用意され、秤場の端に座った。


 リーナの視線が背中に刺さる。


 立つな、という無言の圧である。


 秤場には、大きな天秤があった。


 横木。


 吊り皿。


 分銅。


 塩袋を置く台。


 帳面机。


 袋の口を縛る麻紐。


 空袋。


 そして、床に落ちた白い粒。


 塩だ。


 ごく普通に見える。


 だが、普通の場所ほど嘘は隠れやすい。


「帳面を」


 マルセルが言うと、ダリオは分厚い帳面を差し出した。


 塩の入庫。


 出庫。


 湿り減り。


 こぼれ。


 袋替え。


 秤直し。


 それらが細かく書かれている。


 セリアが隣で写しを取り、マルセルが数字を追う。


 俺は帳面の列を眺めた。


 数字。


 袋数。


 重さ。


 湿り分。


 こぼれ。


 最初は何も見えない。


 だが、繰り返し見るうちに、違和感が出てきた。


「湿り減りが、きれいすぎます」


 俺は言った。


 ダリオが眉を寄せる。


「きれい?」


「はい。塩は湿ります。でも、毎回同じようには湿りません。天気、置き場所、袋の古さ、開けた回数で変わるはずです」


 セリアが帳面を見直す。


「確かに。三日に一度、ほぼ同じ量の湿り減りが出ています」


 マルセルが目を細めた。


「百袋に一袋弱か。多すぎるほどではないが、規則的だな」


「本当に湿りなら、もっとばらつきます」


 俺は床の塩を見る。


 こぼれた塩。


 隅に掃き寄せられた白い粒。


 樽の影。


 麻袋の山。


 人が毎日見ているからこそ、見落とすもの。


「湿り減りとして処理された分は、どこへ?」


 ダリオが答える。


「湿った塩は、乾かせるものは乾かします。汚れたものは捨て塩として処分します」


「捨て塩の置き場は?」


「裏の乾き場です」


「見せてください」


 俺が立とうとすると、リーナがすぐ言った。


「座っていてください」


「でも」


「座っていてください」


「はい」


 代わりにガルドが裏を見に行く。


 俺は帳面に視線を戻した。


 湿り減り。


 捨て塩。


 こぼれ。


 塩粒袋。


 どこかでつながっている。


 ここで自己暗示を深く使うのは危ない。


 だが、少しだけなら。


 数字と物の流れを見るだけ。


【自己暗示候補:計量鑑定模倣】


【参照対象:物語内商人群・鑑定士群・帳簿読み役】


【適合率:36%】


【効果:帳簿矛盾抽出・重量差分推定】


【警告:過集中】


 起動。


 帳面の数字が線になる。


 入庫。


 出庫。


 湿り。


 捨て塩。


 袋替え。


 同じ日。


 同じ間隔。


 同じ担当印。


 同じ分銅番号。


 俺の目が止まった。


「この印」


 俺は帳面の端を指した。


「分銅の番号ですか」


 ダリオが覗く。


「はい。秤に使った分銅を記録しています」


「湿り減りが多い日は、同じ分銅ですね」


 セリアがすぐ確認する。


「三番分銅。確かに、湿り減りの多い日に多く使われています」


 マルセルの顔が変わった。


「分銅を見せろ」


 ダリオはすぐ木箱を開けた。


 分銅が並んでいる。


 一番。


 二番。


 三番。


 四番。


 見た目は同じように黒く、古い。


 マルセルが三番を手に取ろうとして、リーナが止めた。


「布越しで」


 最近、全員がその一言に従うようになっている。


 マルセルは布を使って三番分銅を持った。


「重さを比べる」


 正規の分銅と天秤にかける。


 三番分銅は、わずかに軽かった。


 ほんの少し。


 見ただけではわからない。


 だが、秤に乗せればわかる。


 軽い分銅で量れば、出す塩は少なくなる。


 帳面上は正しい重さを出したことになる。


 実際には少しずつ塩が残る。


 その残りが、湿り減りや捨て塩に回される。


 そして、小袋へ。


「これだ」


 マルセルが低く言った。


 ダリオの顔から血の気が引いた。


「そんな……分銅は毎朝確認を」


「誰が確認している」


 ガルドが戻りながら聞いた。


 手には小さな布袋がある。


 その中から、白い点が3つついた塩粒袋が出てきた。


「裏の乾き場の薪束の下だ。捨て塩じゃない。小分け済みだ」


 秤場の空気が凍った。


 塩粒袋。


 昨日、保存肉屋裏の空き馬小屋で見つかったものと同じ印。


 白い点が3つ。


 塩による裏仕事の報酬。


 ダリオは袋を見て、唇を震わせた。


「私は知らない。知らないんだ」


 ガルドが静かに問う。


「分銅を確認する者は誰だ」


 ダリオは答えた。


「副番のミゲルです。朝の秤合わせは、いつも……」


「そのミゲルは?」


 倉の者が慌てて走る。


 少しして戻ってきた。


「いません。裏口から出たようです」


 逃げた。


 つまり当たりだ。


     ◆


 ミゲルは、塩倉の副番だった。


 細身で、帳面も読める。


 秤場に自由に出入りできる。


 分銅に触れる。


 捨て塩の処理にも関われる。


 欠け指が手を入れるには、ちょうどいい位置だった。


 だが、彼が欠け指の本体ではない。


 おそらく、塩道の結び目の一人。


 ミゲルを追えば、また逃げ道へ誘われるかもしれない。


「追わないでください」


 俺が言うと、ガルドがこちらを見た。


「もう出たぞ」


「出口を見ます。ミゲルがどこへ逃げたいか。正面から追うより、次に何を取りに行くかです」


 セリアが地図を広げる。


 北の塩倉。


 裏口。


 保存肉屋裏。


 空き馬小屋。


 乾いた井戸跡。


 塩倉奥の秤場。


 ミゲルが逃げるなら、証拠を消すか、報酬を持つか、連絡役に会う。


「分銅をすり替えたなら、正しい分銅か、加工道具がどこかにあります」


 俺は言った。


「逃げる前に、それを回収しようとするかもしれません」


 ダリオが顔を上げる。


「分銅を削るなら、鍛冶ではなく鋳掛け屋です。塩倉の裏に、小さな鋳掛け屋がある」


「そこです」


 ガルドはすぐ動いた。


 領兵と二手に分かれる。


 一方は裏口からミゲルの足跡を追う。


 もう一方は鋳掛け屋へ先回り。


 追うな。


 流れを見ろ。


 ミゲルが何を守りたいかを見る。


 俺は戻り札に触れた。


「俺はアスト。役割は運び手。鑑定は道具。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


 息が少し楽になる。


 だが、頭の奥はまだ熱い。


 リーナが俺の前に水を置いた。


「飲んでください」


「はい」


「今日は立っていませんが、頭を使いすぎています」


「分銅は見えました」


「見えたから休むのです」


「はい」


 言い返せない。


     ◆


 鋳掛け屋で、ミゲルは捕まった。


 正確には、捕まる寸前に逃げようとして転んだらしい。


 右手には小さな工具袋。


 中には、分銅の内側を削るための細工道具。


 そして、正規の三番分銅が入っていた。


 塩倉にあった三番は偽物。


 ここにあったものが本物。


 つまり、日によって分銅をすり替え、少しずつ塩を抜いていた。


 帳面上は湿り減り。


 実物は塩粒袋。


 欠け指の裏仕事報酬。


 筋が通った。


 だが、ミゲルは泣きそうな顔で言ったらしい。


「借りがあった。塩を少し抜くだけだと言われた。人を殺すとは思っていなかった」


 その言葉に、俺は怒りより疲れを感じた。


 まただ。


 少しだけ。


 紙を貼るだけ。


 噂を言うだけ。


 袋を置くだけ。


 塩を少し抜くだけ。


 小さな「だけ」が重なり、人を傷つける。


 欠け指は、その「だけ」を売っている。


 ミゲルは許されるわけではない。


 だが、欠け指に使われた一人でもある。


 ガルドがミゲルを連れて戻ると、ダリオは崩れるように膝をついた。


「なぜだ、ミゲル」


 ミゲルは答えない。


 顔を伏せている。


 マルセルが帳面を叩いた。


「塩はどれだけ抜いた」


 ミゲルは小さく言った。


「わからない。少しずつだ。湿り減りに混ぜた」


「少しずつ、どれだけだ」


「……三十袋分くらい」


 重い沈黙が落ちた。


 三十袋。


 小さくない。


 それだけの塩が、紙貼り、偽札、偽薬、噂、袋置きの報酬になっていた。


 塩は人を縛る。


 その言葉が、現実の重さを持った。


     ◆


 塩倉でやるべきことは多かった。


 まず、三番分銅を封印。


 分銅をすべて再確認。


 帳面の湿り減りを洗い直す。


 捨て塩の乾き場を閉鎖。


 塩粒袋を回収。


 ミゲルの担当した日を赤札扱いにする。


 そして、塩倉で働く者たちに説明する。


 ここが難しかった。


 副番が欠け指に使われていた。


 それだけ聞けば、塩倉全体が疑われる。


 ダリオも責められる。


 他の倉番たちも動揺する。


 だから、隠さない。


 ただし、全員を悪人にはしない。


 セリアが掲示用の短文を作る。


 塩倉秤場に不正分銅あり。


 副番ミゲルを拘束。


 塩粒袋は欠け指の裏仕事報酬に使われた疑い。


 塩倉全体を停止せず、分銅と帳面を再確認。


 塩の正規出庫は継続。


 責めるためではなく、止めるために。


 またこの言葉だ。


 だが、今は必要だった。


 塩倉を止めきれば、領都の暮らしが揺れる。


 塩は必要だ。


 だから、腐った秤だけを止める。


 道そのものは止めない。


 マルセルが言った。


「塩の出庫を止めるな。だが、三番分銅を使った分はすべて再確認だ」


 ダリオは青ざめた顔で頷く。


「私も責任を取ります」


「責任は後で取れ。今は塩を正しく出せ」


 マルセルの言葉は厳しい。


 だが、正しい。


 今ここでダリオを潰せば、塩倉はさらに乱れる。


 責任と処理は分ける。


 それもまた、道を止めないために必要なことだ。


     ◆


 夕方、塩倉の前に仮仕事札の小さな受付を出した。


 水桶洗いではない。


 塩倉用の仮仕事。


 床の乾拭き。


 破れ袋の分別。


 空袋の数え直し。


 ただし、秤場には入れない。


 分銅にも触らない。


 塩そのものも扱わせない。


 報酬は食事券と小銭。


 塩粒袋より少し良い。


 リトとジナも、大人の見守りつきで空袋の分別をした。


 ノルが説明役を務める。


「塩袋もらう仕事はもう危ない。こっちの仮仕事なら、飯券と小銭が出る。秤には触らん。袋を分けるだけや」


 日雇いたちは半信半疑だった。


 それでも、何人かが並んだ。


 塩で縛られていた人たちが、少しずつ別の列に移る。


 細い。


 弱い。


 でも、道だ。


 サナの問いへの答えとしては、まだ足りない。


 それでも、何もないよりはいい。


 オルディンが塩倉の前で、その列を見ていた。


「仮仕事札は続ける価値がある」


「費用はかかります」


 マルセルが言う。


「欠け指に人を買われるより安い」


 ギルド長は昨日と同じようなことを言った。


 だが、今日はその意味がさらに重かった。


 塩三十袋分。


 欠け指は、それでどれだけの人間を動かしたのか。


 その一部を正規の仮仕事に戻せるなら、費用としては安いのかもしれない。


     ◆


 ミゲルの持ち物から、木片が出た。


 黒い輪。


 切れた鎖。


 そして文字。


 重さは、書いた者が決める。


 俺はその木片を見て、静かに首を横に振った。


「違う」


 また、そう言ってしまった。


 リーナがこちらを見る。


「重さは、物が持っています。人の名も、塩も、礼も、勝手に軽くできるものじゃない」


 マルセルが頷く。


「帳面に軽く書けば軽くなる、というものではないな」


「はい」


 欠け指は、帳面の上で塩を消した。


 湿り減りにした。


 捨て塩にした。


 人の名も、礼も、善意も、そうやって勝手に書き換えてきた。


 だが、本当の重さは消えない。


 消えたように見せただけだ。


 その重さは、どこかに積もる。


 今回は塩粒袋として積もった。


 そして、人を縛った。


「次は、欠け指の帳面です」


 俺は言った。


 ガルドが目を細める。


「帳面?」


「塩をどこへ配ったか。誰を塩で縛ったか。ミゲルが全部覚えているとは思えません。欠け指側にも、支払いの控えがあるはずです」


「それを探す」


「はい」


 塩倉の帳面は見えた。


 次は欠け指の裏帳面。


 塩粒袋がどこへ渡り、誰がどの仕事を受けたのか。


 そこが見えれば、欠け指の人の道が見える。


 怖いが、必要だ。


     ◆


 夜。


 下宿に戻ると、塩の匂いがまだ鼻の奥に残っていた。


 乾いた匂い。


 重い匂い。


 腐らない荷の匂い。


 俺はベッドに座り、戻り札を手に取った。


「俺はアスト。役割は運び手。戦闘も推理も鑑定も目的じゃない。道を守る手段。情報も荷。善意も荷。礼も荷。人は荷じゃない。名は奪うものじゃない。塩は人を縛る。重さは勝手に消せない。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【計量鑑定残滓:低下】


【状態:疲労大・安定】


 重さは勝手に消せない。


 今日の言葉だ。


 帳面で湿り減りと書いても、塩はどこかへ行く。


 捨て塩と書いても、小袋になって人を縛る。


 後回しと書いても、人の名は軽くならない。


 裏切り者と書いても、ノルが荷になるわけではない。


 欠け指は、書き換える。


 重さを変えたふりをする。


 でも本当の重さは残る。


 なら、その重さを見つける。


 秤場の嘘は見えた。


 分銅も押さえた。


 塩粒袋も回収した。


 仮仕事札の列もできた。


 次は、欠け指の裏帳面。


 塩で誰を動かしたのか。


 どの仕事に、どれだけの重さを払ったのか。


 それを見つければ、欠け指の道はさらに細くなる。


 俺は目を閉じた。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 俺は、秤場の嘘を見抜ける。


 帳面の上で消された重さも、塩の粒からたどり直せる。


 欠け指が重さを書き換えるなら、こちらは本当の重さを量り直す。


第42話─了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ