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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第40話 輪を切る

 サナの輪を切る。


 そう口にしたものの、輪そのものはまだ見えていなかった。


 見えているのは、点だ。


 南水路。


 西市場。


 職人通り。


 水車小屋。


 古い版木工房。


 乾物倉。


 染物屋の排水溝。


 石倉。


 どれも、欠け指側が使った場所だった。


 サナはそこに現れ、逃げ、また別の場所に現れる。


 追えば消える。


 捕まえようとすれば、水路や裏道へ抜ける。


 なら、追ってはいけない。


 追うのではなく、輪を見る。


 輪になっているなら、どこかに結び目がある。


 そこを切れば、サナはただ走るだけでは逃げられなくなる。


 俺は作業部屋の机に地図を広げた。


 昨日押さえた古い版木工房の場所に、黒札を置く。


 乾物倉に黄札。


 水車小屋に黒札。


 南水路に赤黒札。


 染物屋の裏手に青札。


 青札と言っても支援物資ではない。


 青い染料の印だ。


 偽薬瓶の紙に残った青い染み。


 青札箱を汚そうとした青い染料。


 青い袖紐。


 青い紐の男。


 青が、ずっと混じっている。


 セリアが地図を覗き込みながら言った。


「紙、染料、水路、版木。つながっていますね」


「はい」


「でも、サナ本人の居場所ではありません」


「居場所じゃなく、必要なものを見ます」


 俺は木札を並べる。


 紙。


 版木。


 偽印。


 染料。


 水。


 小舟。


 裏道。


 全部を使える場所。


 それは、市場の真ん中ではない。


 薬師診療所でもない。


 商人ギルドでもない。


 もっと地味で、汚れていて、誰も気にしない場所。


「染物屋の裏ですね」


 セリアが先に言った。


 俺は頷いた。


「正確には、その奥の古い沈み場です」


 染物屋の裏には、昔使われていた染料を沈める小さな溜まり場がある。


 今はほとんど使われていない。


 だが、水路へつながる細い水があり、紙を濡らせる。


 染料の匂いもごまかせる。


 青い紐や布を染めることもできる。


 小舟も隠せる。


 そして、西市場にも南水路にも近い。


 サナが何度も消えた理由は、たぶんそこだ。


 彼女は逃げていたのではない。


 輪に戻っていた。


 俺は戻り札に触れた。


 深く入りすぎるな。


 今回は追跡者ではなく、運び手として見る。


【自己暗示候補:経路統合模倣】


【参照対象:物語内軍師群・追跡者群・管制官群】


【適合率:37%】


【効果:複数経路の重ね合わせ・結節点推定】


【警告:過集中に注意】


 起動。


 地図の点が線になる。


 線が重なる。


 南水路から染物屋裏。


 染物屋裏から西市場。


 西市場から古い版木工房。


 版木工房から乾物倉。


 水車小屋から香草売り。


 石倉から排水溝。


 全部が、染物屋裏の沈み場へ戻る。


 そこだけが、紙も染料も水も人も受け入れられる。


「輪の結び目は、染物屋裏の沈み場です」


 俺は言った。


 ガルドが地図を見下ろす。


「踏み込むか」


「踏み込む前に、出口を切ります」


「出口?」


「水路、小舟、排水溝、屋根裏、染物屋の表口。全部」


 サナは足が速い。


 裏道も知っている。


 だから、見つけてから追っても遅い。


 逃げ道を先に切る。


 ただし、派手に囲めば警戒される。


 だから人は少なく。


 位置は離して。


 表向きは、昨日押さえた偽名簿の後処理だけを見せる。


 サナに「まだ旧版木工房の方を気にしている」と思わせる。


「餌は?」


 マルセルが聞いた。


「名紙です」


 セリアの眉が動く。


「また餌紙を使うのですか」


「はい。ただし、今回は名前ではなく、処分記録です」


 俺は紙を1枚出した。


 そこには、偽名簿の証拠品をどこへ移すかが書かれている。


 もちろん偽物だ。


 旧版木工房から押収した偽印と版木を、夕方に商人ギルドではなく、染物屋裏を通って封印庫へ移す。


 そんな内容にしてある。


 実際には移さない。


 だが、サナが見れば動く。


 偽印と版木は、欠け指側にとって痛い証拠だ。


 取り返せるなら取り返したい。


 あるいは燃やしたい。


「これを流す道は?」


 セリアが聞く。


「昨日使った廃紙の道ではありません。今度は、紙屑ではなく伝言として漏らします」


 マルセルが目を細める。


「誰を疑っている」


「特定の誰かではありません。漏れる前提で動きます」


 商人ギルド内に内通者がいるとは限らない。


 だが、出入りする人間は多い。


 職員。


 人足。


 商人。


 伝令。


 紙屑拾い。


 全員を疑えば組織は壊れる。


 だから、誰かを刺すのではなく、情報に印をつける。


 この偽の移送話を聞いた者が、どこへ運ぶかを見る。


 それだけだ。


「危ない情報は、あえて短くします」


 俺は言った。


「長い計画ではなく、“夕方、証拠を染物屋裏から動かす”だけ。相手が動くなら、そこへ来る」


 ガルドは頷いた。


「よし。俺は水路側に入る」


「見つけても、すぐ追わないでください。まず小舟を押さえる」


「わかっている」


「サナを捕まえるより、輪を切るのが先です」


 ガルドが少しだけ笑った。


「お前、言うようになったな」


「最近、追うと逃げられるので」


「その通りだ」


     ◆


 午後、偽の移送話は静かに流された。


 大声で広めるわけではない。


 セリアがわざと、受付横で職員に短く確認する。


 マルセルが帳面にそれらしい移送時刻を書く。


 紙は本物ではなく、偽の控え。


 見られて困るように見せる。


 人は、見てはいけないものほどよく見る。


 それを利用するのは嫌な気分だった。


 だが、今回は人を餌にしていない。


 流すのは情報だけだ。


 俺は戻り札を握った。


 嫌な気分は残しておけ。


 それが線だ。


【自己確認行動を検知】


【自己固定率:96%】


 名紙箱の横では、ノルがピトに説明していた。


「今日は紙屑の仕事はなしや。変な紙拾っても追うな。ギルドへ持ってこい」


「飯券は?」


「持ってきたらな」


「じゃあ探す」


「探しに行くな。見つけたらや」


 ピトは少し不満そうだったが、頷いた。


 子どもを走らせない。


 これも大事だ。


 サナを捕まえるために、こちらが子どもを危険に流せば意味がない。


 リーナは薬師診療所との確認を終え、作業部屋に戻ってきた。


「薬師側も、今日は裏口を閉じています」


「患者の動きは?」


「落ち着いています。薬師方針札が効いています」


「よかった」


「ただ、あなたは顔色が悪いです」


「今日はまだ座ってます」


「頭を使っています」


「そこも制限対象ですか」


「当然です」


 当然らしい。


 俺は水を飲んだ。


 自分でも、頭が熱いのはわかっている。


 経路統合模倣は、戦闘より危険は少ない。


 だが、視界の奥で線がずっと動く。


 使いすぎると、何でも罠に見えてくる。


 それはそれで危ない。


     ◆


 夕方前、ガルドから最初の報告が来た。


 染物屋裏の沈み場に、小舟が2艘。


 1艘は古く、底が割れている。


 もう1艘は使える状態。


 水路側には、細い縄が渡されていた。


 逃げる時、船を引き寄せるためのものだ。


 ガルドはその縄を切らず、別の縄で固定した。


 サナが引いても、小舟は動かない。


 いい。


 出口が一つ消えた。


 次の報告。


 染物屋の屋根裏に、細い板が渡されていた。


 隣の空き家へ逃げるための橋。


 領兵が空き家側で待機。


 板はそのまま。


 サナが渡ったところで押さえる。


 これもいい。


 次。


 排水溝の蓋が、内側から開けられるよう細工されていた。


 ノルの情報では、子どもか細い女なら通れる。


 そこに灰鴉亭の若い者を配置。


 蓋は閉めず、通った先で待つ。


 追い込むのではなく、出たところを押さえる。


 輪が少しずつ狭まる。


 俺は地図の上で、出口に木札を置いた。


 小舟。


 屋根。


 排水溝。


 表口。


 水路。


 残るのは、染物屋の奥の沈み場だけ。


 そこへサナが来るかどうか。


 待つ時間が長い。


 だが、焦るな。


 来なければ、それも情報だ。


 移送話に反応しなかったなら、この輪はもう捨てられている。


 反応するなら、まだここが生きている。


 その時、伝令が駆け込んできた。


「青い袖紐の女、確認!」


 部屋の空気が張る。


「場所は」


「染物屋裏。沈み場の手前です。小さな火打ち箱と油壺を持っています」


 燃やす気だ。


 偽印と版木を取り返すのではなく、証拠を焼きに来た。


 予定通り。


「周囲に他の人影は?」


「男1人。顔布あり。右足は引いていません。欠け指ではないと思われます」


 手駒。


 サナと護衛役か。


「ガルドさんへ。火をつける前に油壺を押さえる。ただし、サナを追いすぎない。逃げ道を使わせてください」


「使わせる?」


 伝令が驚く。


「はい。出口は押さえてあります。逃げ道を使わせれば、こちらの待ち場所へ出ます」


 伝令が走る。


 リーナが俺を見る。


「かなり危ない指示ですね」


「はい」


「逃がす前提ですから」


「追って捕まえるより、逃げた先で捕まえる方が安全です」


 リーナは少しだけ眉を寄せたが、何も言わなかった。


     ◆


 現場の報告は、短く途切れながら来た。


「サナ、沈み場へ」


「油壺を置いた」


「火打ち石」


「ガルドさん、油壺を蹴り飛ばす」


「男が煙玉」


 煙。


 まただ。


 サナの常套手段。


 だが、今回は想定内。


「煙に入らない。出口で待つ」


 俺は言った。


「沈み場の中を追わない。水路、屋根、排水溝を押さえる」


 伝令が出る。


 次の報告。


「サナ、屋根へ!」


 屋根。


 俺は地図の屋根札を見る。


 空き家側に領兵。


「空き家側は?」


「待機中!」


 しばらくして。


「サナ、屋根板を渡る途中で引き返しました! 空き家側に人を見たようです!」


「次は排水溝」


 俺が言うより早く、報告が来た。


「排水溝へ!」


 ノルが身を乗り出す。


「あそこ、途中で二股に分かれる。右は行き止まり、左は灰鴉亭の裏へ出る」


「灰鴉亭側は?」


「配置済みです」


 伝令が答える。


 俺は頷く。


「右の行き止まりへ追い込まないでください。追い詰めると刃物を使う。左へ出させる」


 ノルが息を呑む。


「出させるんか」


「出口で待つ」


 追い詰めた獣ほど危ない。


 サナは逃げる道があると思えば走る。


 そこに、こちらが待つ。


 次の報告までの数息が、やけに長かった。


 そして。


「灰鴉亭裏でサナ確保!」


 部屋にいた全員が、一瞬言葉を失った。


 次に、ノルが小さく叫んだ。


「捕まった……?」


 伝令は息を切らしながら頷いた。


「はい! 灰鴉亭の若い者が出口を押さえ、ガルドさんが後ろから。サナは短剣を持っていましたが、抜く前に押さえました」


 捕まえた。


 サナを。


 欠け指の言葉を運んでいた女。


 黄色い布。


 青い袖紐。


 偽札、偽薬、偽名簿、ノルへの脅し。


 その多くの場面にいた女。


 ついに、輪を切った。


 俺は椅子にもたれ、深く息を吐いた。


【経路統合模倣:解除推奨】


 そうだ。


 戻る。


「俺はアスト。役割は運び手。追跡も管制も目的じゃない。道を守る手段。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


 よし。


 戻った。


 手が少し震えている。


 リーナが水を差し出した。


「飲んでください」


「はい」


「今日はここまでです」


「まだサナの聞き取りが」


「今日はここまでです」


 強い。


 だが、確かに頭が熱い。


 今の状態で聞き取りに関わると、余計なことをするかもしれない。


 ガルドに任せるべきだ。


     ◆


 サナは夜になる前に商人ギルドへ連れてこられた。


 顔は泥と煤で汚れている。


 年は20代後半くらいだろうか。


 目は鋭い。


 恐怖より、悔しさが強い顔だった。


 腕には青い袖紐。


 内側には、古い黄色い布が縫い込まれていた。


 サナ。


 その名を呼ぶと、彼女は一瞬だけ反応した。


 それだけで十分だった。


 俺は会議室の端に座っていた。


 リーナには止められたが、同席だけは許された。


 話すのはガルドとオルディン。


 俺は聞く。


 それだけ。


 サナは最初、何も話さなかった。


 ガルドが聞く。


「欠け指はどこだ」


 サナは笑った。


「道の上さ」


「水車小屋か」


「捨てた」


「南水路か」


「もう古い」


「では、どこだ」


 サナは黙る。


 オルディンが静かに言った。


「お前は、欠け指に使い捨てられる」


「違う」


 初めて、サナの声が揺れた。


「あの人は、道をくれた」


「人を荷にする道か」


 俺は思わず言った。


 リーナが横でこちらを見る。


 喋るなと言われていたが、出てしまった。


 サナの目が俺に向く。


「きれいな道しか知らない奴が言うな」


 低い声だった。


「あんたらの札に入れない人間は、どこを通ればいい? 金も、名も、保証人もない奴は? 薬師に相手にされない奴は? ギルドに追い返される奴は?」


 部屋が静かになる。


 サナの言葉には、ただの悪意だけではないものがあった。


 怒り。


 恨み。


 過去。


 欠け指が彼女を使った理由も、そこにあるのだろう。


 俺はすぐ返せなかった。


 完全には否定できない。


 商人ギルドの道に入れない者はいる。


 薬師に届かない者もいる。


 だからこそ、欠け指のような裏道が生まれる。


 だが。


「だからって、名前を奪っていい理由にはならない」


 俺は言った。


「子どもを使っていい理由にも、偽薬を売っていい理由にも、ノルさんの妹を餌にしていい理由にもならない」


 サナの目が細くなる。


「道を作るって言うなら、こぼれた奴の道も作りな」


「作る」


 俺は答えた。


 考えるより先に出た。


「だから、欠け指の道は潰す」


 サナは笑った。


「潰せないよ。あの人は、あんたらの道の隙間にいる」


「なら、隙間ごと見ます」


「見えるもんか」


「見ます」


 言い切った。


 サナはしばらく俺を見ていた。


 やがて、目を逸らす。


「……北の塩倉」


 ガルドが反応した。


「何?」


「欠け指は、次に北の塩倉を使う。塩は腐らない。だから隠すには向いてる」


「本拠か」


「さあね」


 サナはそれ以上、口を閉ざした。


 だが、十分だった。


 北の塩倉。


 新しい結び目。


 塩。


 腐らない荷。


 道の保存場所。


 欠け指の次の輪郭が、また少し見えた。


     ◆


 サナの聞き取りが終わる頃、俺はほとんど限界だった。


 喋るなと言われていたのに喋った。


 リーナには当然、会議室を出た瞬間に睨まれた。


「今日はここまでと言いました」


「すみません」


「本当に、すみませんと思っていますか」


「思っています」


「なら寝てください」


「はい」


 逆らえない。


 それでも、今日の成果は大きい。


 サナを捕まえた。


 輪の結び目を切った。


 北の塩倉という次の手がかりも得た。


 ただし、サナの言葉も残った。


 札に入れない人間は、どこを通ればいい。


 それは、痛い問いだった。


 欠け指の道を潰すだけでは足りない。


 裏道へ落ちる前の道を作らなければ、また誰かが欠け指になる。


 俺はその言葉を胸に抱えたまま、下宿へ戻った。


 ベッドに座り、戻り札を手に取る。


「俺はアスト。役割は運び手。戦闘も推理も追跡も管制も目的じゃない。道を守る手段。情報も荷。善意も荷。礼も荷。人は荷じゃない。名は奪うものじゃない。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【経路統合残滓:低下】


【状態:疲労大・安定】


 安定。


 今日は戻れた。


 サナは捕まった。


 だが、終わりではない。


 欠け指はまだいる。


 北の塩倉。


 そこが次の道だ。


 そして、サナが投げた問いも残っている。


 きれいな道に入れない者は、どこを通ればいいのか。


 俺たちは、黒い輪の道を潰す。


 その代わりになる道も作らなければならない。


 それができなければ、同じことが繰り返される。


 俺は目を閉じた。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 俺は、輪を切れる。


 追いかけなくても、逃げ道を見て、結び目を押さえられる。


 そして、切った後に残る隙間も、見なければならない。


 次は北の塩倉。


 欠け指の道へ、こちらから踏み込む。


第40話─了

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