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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第36話 薬師を選ばせるな

 薬師方針札を出すには、薬師たちを同じ場に乗せる必要があった。


 言うだけなら簡単だ。


 薬は命の危険順。


 支援量では変えない。


 裏口では出さない。


 偽薬は飲ませず持参。


 北道関係の薬師は、この方針で統一する。


 だが、実際にそれを薬師全員の名で出すとなると、話は急に重くなる。


 薬師にも立場がある。


 流派がある。


 経験がある。


 患者との関係がある。


 バルムのような老薬師もいれば、リーナのように若く実務に強い薬師もいる。


 領都の薬師、鉱山町の薬師、村付きの薬師見習い。


 それぞれが同じ考えで動いているわけではない。


 そこを欠け指は狙っている。


 薬師を選ばせる。


 あの薬師は信用できる。


 あの薬師は遅い。


 あの薬師は商人ギルド寄りだ。


 あの薬師なら裏から薬をくれる。


 そう分ければ、患者と家族は揺れる。


 薬師たちも疑い合う。


 そして、薬が通る道は腐る。


 だから、今日は薬師会議だった。


 場所は商人ギルドの奥の会議室。


 表からは見えない。


 だが、閉じすぎてもいけない。


 閉じた場で決めたと見られれば、また噂が入る。


 だから、会議の後に出す方針札だけは公開する。


 話し合いは奥で。


 結果は表へ。


 そう決めた。


 俺は会議室の端に座っていた。


 もちろん椅子だ。


 リーナから「立たないでください」と先に言われている。


 右肩と背中はまだ完全ではない。


 喉も、昨日よりはましだが本調子ではない。


 だから今日は声を張らない。


 張らないために、札と進行を用意した。


 セリアが机の上に短い札を並べる。


 薬順。


 裏口。


 偽薬。


 支援。


 返答。


 副印。


 それぞれの札に、話すべき項目だけが書いてある。


 議論が逸れたら、この札へ戻す。


 薬師の会議であって、感情の殴り合いではない。


 そうしなければ、欠け指の思う壺だ。


 リーナは俺の向かい側に座っている。


 その横には領都薬師のハルム。


 少し痩せた中年の男で、眉間の皺が深い。


 さらに、鉱山町から来た薬師見習いのテオ。


 バルムは鉱山町から離れられないため、書状で参加する形になった。


 その書状は、ラウルが持ち帰ったものだ。


 副印も一致。


 唱え文も一致。


 本物である。


 マルセルとオルディンも同席する。


 ガルドは扉の近く。


 ノルは外で、黒い輪の札や偽薬を持ち込む者がいないか見ている。


 会議が始まる前から、空気は硬かった。


 ハルムが低い声で言う。


「商人ギルドが薬師の方針まで札にする。正直、気分の良いものではありませんな」


 いきなり来た。


 セリアの筆が止まりかける。


 リーナは静かに答えた。


「薬師の方針を商人ギルドが決めるのではありません。薬師が決めた方針を、商人ギルドの道で伝えるだけです」


「だが、民はそう見るか?」


 ハルムは俺を見た。


「軽急便だの青札だの、近ごろ何でもギルドの札になっている。薬まで商人の札に乗せれば、薬師が商人に使われていると見られる」


 痛いところだった。


 実際、その危険はある。


 俺はすぐ反論しかけて、止めた。


 ここで俺が前に出すぎると、余計に「商人ギルドが薬師を動かしている」ように見える。


 俺は札を一枚、机の中央へ出した。


 薬師が決める。


 ギルドは運ぶ。


 短い札だ。


 リーナがそれを見て、頷いた。


「ハルム薬師の懸念は正しいと思います。だからこそ、方針札の先頭にはこの文を入れたいです」


 ハルムは札を見る。


 少しだけ表情が変わった。


「薬師が決める。ギルドは運ぶ、か」


「はい」


「ならば、商人ギルドの名を上に置くな。薬師連名を上に置くべきだ」


 リーナは頷いた。


「同意します」


 よし。


 ぶつかりかけたが、進んだ。


 俺は少し息を吐く。


 こういう場では、勝とうとしてはいけない。


 道を通す。


 それだけだ。


     ◆


 会議は少しずつ進んだ。


 薬の順番は、命の危険順。


 この文には全員が同意した。


 支援物資の量で薬順は変えない。


 これにも同意。


 ただし、ハルムは言った。


「支援物資を出した者に礼を返すことは否定しない。礼を返さねば、次の支援は続かぬ」


 それはその通りだ。


 バルムの礼状と同じ考えだった。


 リーナも頷く。


「礼は返す。薬順は変えない。この二つを並べて書きます」


 セリアが方針札の案に書き加える。


 礼は返す。


 薬順は変えない。


 短く、強い。


 次は裏口。


 薬は裏口で渡さない。


 問い合わせは家族確認札へ。


 ここで鉱山町のテオが言った。


「でも、現場では家族が裏口に来ます。追い返すだけでは、騒ぎになります」


 リーナが答える。


「裏口で薬を出さない。ただし、名前と関係は聞き取り、家族確認札へ回す。そうすれば追い返すだけにはなりません」


「人を戻す窓口が要るわけですね」


 テオが納得する。


 これも通った。


 偽薬。


 偽薬を持っている者は、飲ませず持参。


 責めるためではなく、止めるために。


 この文は、すでにギルドで使っている。


 ハルムは最初、眉をひそめた。


「偽薬を買った者を責めない、と書くのか」


「はい」


 俺はここで初めて口を開いた。


 声は抑える。


「責めると隠します。隠すと飲ませます。飲ませると被害が出ます」


 ハルムは俺を見た。


「理屈はわかる」


「偽薬を買ったことは間違いです。でも、間違いを出せる道がないと、次に止められません」


 しばらく沈黙があった。


 ハルムは息を吐いた。


「……薬師としては腹立たしいが、患者のためには正しいな」


 通った。


 偽薬は責めるためではなく、止めるために持参。


 セリアが書く。


 少しずつ、方針札が形になっていく。


 その時だった。


 扉の外が騒がしくなった。


 ノルの声がする。


「待て! 中に入るな!」


 続いて、男の怒鳴り声。


「薬師を選ばせろ! うちの娘はリーナ薬師じゃなく、ハルム薬師に診てほしいんだ!」


 会議室の空気が凍った。


 来た。


 薬師を選ばせる。


 欠け指の次の手が、会議の最中に来た。


 ガルドが扉へ向かう。


 だが、俺は言った。


「剣は抜かないでください」


「わかっている」


 扉が開く。


 ノルが必死に止めている男がいた。


 30代くらい。


 服は乱れ、顔は怒りと恐怖で歪んでいる。


 手には紙片。


 その後ろには、同じような顔の者が数人いた。


 家族を心配する人たちだろう。


 男は紙片を掲げた。


「ここに書いてある! リーナ薬師の薬は若すぎて効かない。ハルム薬師なら古い薬を出せるって!」


 リーナの顔が硬くなる。


 ハルムの顔も険しくなった。


「私がそんなことを言うはずがない」


 ハルムが低く言う。


「でも、薬師の印がある!」


 男が紙片を突き出す。


 セリアが受け取ろうとしたが、俺は止めた。


「机に置いてください。触るのは布越しで」


 紙片は机に置かれた。


 リーナが見て、すぐに言う。


「偽です。副印がありません」


 ハルムも見た。


「私の印に似せているが、違う。線が太すぎる」


 紙にはこう書かれていた。


 若き薬師の薬は軽い。


 古き薬師の薬は深い。


 選ぶ者だけが救われる。


 吐き気がする文だった。


 薬師を割る。


 患者に選ばせる。


 選ばなかった者は救われないと脅す。


 欠け指のやり方だ。


 男はまだ怒鳴っている。


「偽だって言えば済むのか! 娘が熱を出してるんだぞ!」


 その声に、後ろの人々も揺れる。


 薬師会議の場が、一気に群衆の入口になりかけた。


 ここで間違えれば、薬師方針札は生まれる前に折れる。


 俺は戻り札に触れた。


 声を張るな。


 でも、場を整えろ。


 強い言葉ではなく、通る言葉を。


【自己暗示候補:調停模倣】


【参照対象:物語内調停者群・軍師群・裁定者群】


【適合率:34%】


【効果:論点整理・対立緩和・発言順制御】


【警告:過集中】


 起動。


 音が少し整う。


 怒鳴り声。


 不安。


 薬師の怒り。


 ノルの焦り。


 全部をひとつずつ分ける。


 誰を止めるか。


 誰に話させるか。


 順番を間違えるな。


「まず、娘さんの状態を聞きます」


 俺は言った。


 声は大きくない。


 でも、部屋に通った。


 男がこちらを見る。


「名前、年、今いる場所。熱はいつからか。意識はあるか」


「……ミラ。7歳。西市場の裏。昨日の夜から熱。今朝は水を飲んだ」


 リーナがすぐに反応する。


「今すぐ命に関わる情報はありません。ただし確認が必要です」


 俺は次にハルムを見る。


「ハルム薬師、この紙は偽ですね」


「偽だ」


「リーナ薬師、内容も偽ですね」


「偽です。薬に若い古いはありません。症状に合うかどうかです」


 俺は男へ向き直る。


「今、2人の薬師が同じことを言いました。この紙は偽です」


 男は紙片を見た。


 手が震えている。


「じゃあ、俺は……」


「騙されています。でも、娘さんの確認はします」


 リーナが言った。


「私が行きます」


 その瞬間、ハルムが口を開いた。


「いや、私も行こう」


 部屋の空気が変わった。


 ハルムはリーナを見た。


「私とあなたが別々に動けば、奴らの思う壺だ。2人で見る。診断が一致するか、その場で示す」


 リーナは一瞬だけ驚き、それから深く頷いた。


「お願いします」


 通った。


 薬師を選ばせる罠を、薬師2人で見る形に変えた。


 選ばせない。


 同じ基準で見る。


 これが一番強い。


【調停模倣:解除推奨】


 俺は戻り札を握る。


「俺はアスト。役割は運び手。調停は道具。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


 よし。


 戻った。


 だが、終わっていなかった。


 男の後ろにいた1人が、急に前へ出た。


 手に小瓶。


 薄い緑の液体。


 リーナへ向かって投げようとしている。


 近い。


 ガルドは扉側。


 リーナが、ミラのもとへ向かうために立ち上がろうとした瞬間。


 間に合わない。


 俺の身体は、勝手に動こうとした。


 背中が痛む。


 右肩が熱い。


 それでも、動くしかない。


 斬るな。


 殴るな。


 守れ。


 盾になる者。


 仲間の前へ立つ守護者。


 矢を受け、毒を遮り、ただ一歩だけ壁になる者。


 俺は盾役じゃない。


 でも、一歩だけなら。


【自己暗示候補:守護動作模倣】


【参照対象:物語内盾役群・護衛群】


【適合率:33%】


【効果:割り込み動作補正・防御姿勢補正】


【警告:右肩負荷・背部痛悪化】


 起動。


 俺は椅子から半分転がるように前へ出た。


 机の上にあった木の書板を左手で掴む。


 右肩は使わない。


 左で持つ。


 身体をひねる。


 小瓶が飛ぶ。


 書板に当たる。


 割れる。


 青緑の液体が飛び散った。


 顔にはかからない。


 リーナにもかからない。


 腕に少しかかった。


 熱い。


 いや、焼けるほどではない。


 だが、刺激がある。


「アスト!」


 リーナの声。


 ガルドが投げた男を押さえ込む。


 ノルが叫ぶ。


「水! 水持ってこい!」


 リーナが俺の腕を掴む。


「動かないで!」


「動いてません……もう」


「黙って」


 怖い。


 だが、無事だ。


 リーナにかからなかった。


 小瓶の液体は、偽薬と同じ色だが、匂いが強い。


 目に入れば危なかったかもしれない。


 リーナがすぐ水で俺の腕を洗う。


「強い毒ではありません。でも刺激があります。目に入れば危険でした」


「よかった」


「よくありません」


「はい」


 怒られる体力もない。


 背中が痛い。


 左腕も少し痺れる。


 だが、動けないほどではない。


【守護動作模倣:反動小】


【自己確認を推奨】


 俺は戻り札を見た。


 セリアがすぐ札を俺の前へ出す。


 声が少し震えている。


「読んでください」


「俺はアスト。役割は運び手。守ることも目的じゃない。道を守る手段。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:95%】


 少し下がった。


 でも戻っている。


 リーナがそれを知ることはない。


 ただ、俺の目を見て、呼吸を確認した。


「戻っていますか」


「戻っています」


「あとで診ます」


「はい」


 逆らえない。


     ◆


 小瓶を投げた男は、青い紐の男とは別人だった。


 だが、袖の裏に黒い輪の木片を持っていた。


 そこには短く書かれていた。


 薬師は、選ぶ前に汚せ。


 薬師を選ばせるだけでなく、薬師を物理的に汚すつもりだった。


 偽薬の液体をリーナに浴びせ、混乱の中で「やはりリーナ薬師は危ない」と叫ばせる。


 あるいは、リーナが怪我をすれば、それだけで薬師方針札は揺れる。


 だが、失敗した。


 リーナは無事。


 ハルムもその場にいた。


 そして、薬師2人は同じ判断をした。


 紙片は偽。


 小瓶は危険。


 患者の確認は薬師2人で行う。


 この事実は強い。


 ハルムは俺の腕を見た後、静かに言った。


「若い薬師を疑わせるために、こんな真似をするか」


 その声には、薬師としての怒りがあった。


 リーナも頷く。


「薬師同士を割る狙いです」


「なら、割れぬ」


 ハルムはそう言った。


 短い。


 だが、強い言葉だった。


 セリアがそれを聞き逃さなかった。


 方針札の最後に書き加える。


 薬師は割れぬ。


 俺は少し笑った。


 いい。


 とてもいい。


 薬師連名の方針札。


 薬師が決める。ギルドは運ぶ。


 薬は命の危険順。


 礼は返す。薬順は変えない。


 裏口では薬を出さない。


 偽薬は責めるためではなく、止めるために持参。


 薬師は割れぬ。


 強い札になった。


     ◆


 夕方、方針札は掲示された。


 リーナの名。


 ハルムの名。


 バルムの名。


 鉱山町薬師の名。


 商人ギルドの名は、下に小さく。


 運搬・掲示担当として。


 人々はその札を見た。


 薬師を選ばせる偽文書も、横に偽物として貼られた。


 違いが見える。


 偽文書は、人を選ばせる。


 本物は、薬師が同じ基準で見る。


 偽文書は、不安を煽る。


 本物は、持ち込む道を示す。


 それだけで、空気が少し変わった。


 完全に信じたわけではない。


 だが、薬師同士が割れていないことは見えた。


 それが大事だった。


 ノルが掲示板の横で、日雇いたちに説明していた。


「薬師を選べって札は偽や。薬師らが一緒に見るって言うてる。黒い輪の札をもろたら持ってこい。責めるためやない。止めるためや」


 その言葉も、少しずつ染みている。


 俺は椅子からその様子を見た。


 左腕には薬布。


 背中は少し痛みが増えた。


 リーナには当然怒られた。


 だが、後悔はない。


 小瓶はリーナに届かなかった。


 方針札は折れなかった。


 薬師は割れなかった。


 今日は、それで十分だ。


     ◆


 夜、下宿に戻ると、俺は完全に疲れ切っていた。


 リーナの診察を受け、左腕を洗い直され、背中にも薬を塗られた。


「守る動きでも、身体には負担がかかります」


「はい」


「右肩を使わなかったのは、少しだけ良い判断です」


「少しだけ」


「少しだけです」


 厳しい。


 だが、リーナの声には少しだけ柔らかさもあった。


「助かりました」


 彼女が小さく言った。


「なら、よかったです」


「でも、無茶は無茶です」


「はい」


 そこは譲らないらしい。


 リーナが部屋を出た後、俺は戻り札を手に取った。


「俺はアスト。役割は運び手。戦闘も推理も調停も守護も目的じゃない。道を守る手段。情報も荷。善意も荷。礼も荷。人は荷じゃない。薬師は道の結び目。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【守護動作模倣残滓:低下】


【状態:疲労大・安定】


 戻った。


 今日も、何とか。


 薬師を選ばせる罠は潰した。


 薬師方針札も出せた。


 リーナも無事だ。


 ただ、欠け指はまだいる。


 青い紐の男は捕まったが、サナも欠け指も残っている。


 そして今日、欠け指は薬師を汚そうとした。


 次は何を狙う。


 薬師が割れないなら、薬を作る場所か。


 診療所か。


 患者の列か。


 それとも、俺自身か。


 考えすぎると眠れなくなる。


 だから、戻り札をもう一度握った。


 俺はアスト。


 役割は運び手。


 今は寝る。


 寝て、戻る。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 薬師は折れない。


 選ばされない。


 割らされない。


 そして俺は、道の結び目を守るためなら、一歩だけ盾にもなれる。


 ただし、戻る。


 必ず、俺に戻る。


第36話─了

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