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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第20話 偽の札は、道を曲げる

 翌朝、俺は商人ギルドの作業部屋で目を覚ました。


 ……いや、正確には、作業部屋で寝落ちしていた。


 机の上には西市場の地図。


 黒札の写し。


 臨時仕事札の控え。


 欠け指に関する記録。


 灰鴉亭。


 古井戸。


 黄色布の男。


 黒紐の革袋。


 危険荷3つ。


 日雇い12人。


 その全部が、木札と紙になって並んでいる。


 俺は椅子にもたれたまま、首を動かして小さく呻いた。


「……身体が、板みたいになってる」


「板の方が静かです」


 横から声がした。


 セリアだった。


 彼女は机の向こうで、すでに筆を走らせている。


 朝早いのに、顔に眠気がない。


 書記という生き物は、睡眠を削っても字が歪まないのだろうか。


「おはようございます」


「おはようございます。寝るなら部屋で寝てください」


「そのつもりだったんですが」


「つもりは記録に残りません。結果だけが残ります」


「厳しい」


「仕事です」


 いつもの調子だった。


 俺は身体を起こそうとして、背中の痛みに顔をしかめた。


 傷は良くなっている。


 それは確かだ。


 だが、椅子で寝るのは駄目だ。


 自然治癒促進がどうとか以前に、普通に身体に悪い。


【自己暗示:自然治癒促進】


【状態:安定】


【警告:不適切な休息姿勢により疲労回復効率が低下】


【推奨:寝床での睡眠】


「スキルにまで怒られた……」


「何か言いましたか」


「自分にも怒られました」


「では聞いてください」


 返す言葉がない。


 俺は机の上の水を飲み、粥を少し食べた。


 昨夜の緊張が抜けたせいか、腹は減っている。


 身体が治る材料を欲しがっているのがわかる。


 リーナがいれば「食べてください」と無表情で言うだろう。


 今はいない。


 彼女は鉱山町でバルムの補助についている。


 だからこそ、余計に自分で身体を管理しなければならない。


 そう思いながら、俺は木札を1枚取った。


 人員流路設計。


 昨日、頭の中に浮かんだ新しい補助。


 危険荷に乗せられそうな人間を、別の仕事へ流す。


 言葉にすると簡単だ。


 だが、やることは泥臭い。


 日雇いが集まる場所を知る。


 声をかける人間を知る。


 危険な報酬の匂いを知る。


 そして、危ない荷を断った後に、食える仕事を少しでも置く。


 正義だけでは腹は膨れない。


 腹が減れば、人は危ない荷を持つ。


 それが、ノルを見て痛いほどわかった。


 扉が叩かれた。


「入るぞ」


 マルセルだった。


 今日も帳面を抱えている。


 顔色は渋い。


 だが、それはいつものことだ。


「ノルが来ている」


「もう動けるんですか」


「動けると言い張っている」


「危ないですね」


「お前が言うな」


 刺さる。


 ノルはその後ろから、おずおずと顔を出した。


 昨日より顔色は良い。


 だが、まだ手には包帯が巻かれている。


 視線は少し落ち着かない。


「おはようございます」


 俺が言うと、ノルは小さく頭を下げた。


「……おはよう」


「妹さんは?」


「薬が効いてきたって。大家の婆さんが、礼を言えって」


「よかった」


 本当に、よかった。


 ノルの肩から、少しだけ力が抜けた。


 それだけでも、昨日よりましだ。


 マルセルが帳面を開く。


「ノルには今日から、軽急便の下働き見習いをやらせる」


「いきなりですか」


「いきなりだ。だが、荷は持たせん。まず札読みと仕分けだ」


 妥当だ。


 危険荷を受けたばかりの人間に、すぐ荷を持たせるのは危ない。


 本人のためにも、周囲のためにも。


「ノルさん、文字は読めますか」


「少しだけ。荷札の簡単なやつなら」


 俺よりましかもしれない。


 いや、負けてられない。


「なら、一緒に覚えましょう」


「一緒に?」


「俺も勉強中なので」


 ノルは少し驚いた顔をした。


「商人ギルドの人なのに?」


「まだ臨時雇いですし、文字は弱いです」


「それ、言っていいのか」


「言わない方が危ないので」


 ノルは少しだけ笑った。


 初めて、年相応の顔に見えた。


 その時、受付の方から職員が駆け込んできた。


「マルセルさん、アストさん、少し来てください!」


「何だ」


「西市場の臨時仕事札で、揉めています」


 俺とマルセルは顔を見合わせた。


 早い。


 嫌な予感も早い。


     ◆


 商人ギルドの表受付には、日雇いの男が3人立っていた。


 服は粗末で、肩に縄や袋をかけている。


 昨日の西市場で、臨時仕事札を見て来た者たちらしい。


 そのうちの1人が、しわくちゃになった木札を握っている。


「これを見て来たんだ」


 男は少し苛立った声で言った。


「商人ギルドの仕事だって聞いた。なのに受付で、そんな札は知らないって言われた」


 受付職員は困惑している。


 俺は木札を受け取った。


 一目見て、嫌な感じがした。


 形は似ている。


 大きさも、昨日セリアが作った臨時仕事札に近い。


 だが、違う。


 まず、木が違う。


 商人ギルドで使う札は、角を少し落としている。


 これは角が尖ったままだ。


 そして、文字。


 俺でも読める。


 いや、読めるからこそ違和感がある。


「軽急便下働き。西外れ倉庫。日当銀貨1枚。今朝すぐ集まれ」


 そう書いてある。


 銀貨1枚。


 高すぎる。


 下働きに出す額ではない。


 そして、商人ギルドの印が雑だ。


 焼き印ではなく、焦がしたような跡。


 似せているが、本物ではない。


 セリアが横から札を見て、すぐに言った。


「偽札です」


 日雇いの男たちがざわついた。


「偽札?」


「でも、昨日の札と同じようなことが書いてあったぞ」


「食事券もあるって」


「西外れ倉庫に行けば、仕事があるって聞いた」


 俺は胸の奥が冷えるのを感じた。


 欠け指側が、こちらの逃げ道を真似た。


 臨時仕事札を偽造し、日雇いを別の場所へ誘導している。


 危険荷から逃げる道を、逆に罠にした。


 やられた。


 いや、まだ間に合う。


「この札、どこで受け取りましたか」


 俺は男に聞いた。


「西市場の古井戸の近く。朝方、子どもが配ってた」


「子ども?」


「ああ。10歳くらいのガキだ。黄色い布を腕に巻いた男が、遠くで見てた」


 黄色布。


 まただ。


「西外れ倉庫へ、もう向かった人は?」


「たぶん何人かいる。銀貨1枚だぞ。行くだろ、普通」


 ノルが後ろで息を呑んだ。


 彼はその金額の重さを知っている。


 俺も、もうわかる。


 銀貨1枚。


 日雇いには大金だ。


 しかも、商人ギルドの名前を使われている。


 信じる者がいてもおかしくない。


「マルセルさん」


「領兵へ知らせる。ガルドを呼ぶ」


「それと、本物の臨時仕事札をすぐ出してください。偽札注意。西外れ倉庫へ行くな。商人ギルドの仕事は必ず本館受付か、灰鴉亭前の臨時受付で確認、と」


 セリアがすでに筆を取っていた。


「短く書きます」


「お願いします」


 俺は日雇いの男たちを見る。


「あなたたちは、ここに来て正解です。この札は偽物です」


「じゃあ仕事はねえのか」


「あります。ただし銀貨1枚ではありません」


 男たちの顔が曇る。


 当然だ。


 高い餌を見せられた後に、普通の日当では落差がある。


 でも、ここで誤魔化してはいけない。


「正規の下働きなら、日当は銅貨です。食事券は出ます。危険な荷は持たせません。今すぐ西外れ倉庫の情報を教えてくれるなら、今日の仕事を優先します」


 男たちは顔を見合わせた。


 そのうちの1人が、しぶしぶ言った。


「西外れ倉庫は、昔の羊毛倉だ。今は空き家みたいになってる。市場からなら裏道を抜けて半刻くらい」


「そこに向かった人の数は?」


「俺たちが見たのは6人。もっといるかもしれない」


 6人以上。


 急がなければならない。


 だが、俺が走るわけにはいかない。


 ここで焦って現場へ出ようとするな。


 俺は自分に言い聞かせた。


「ノルさん」


「何だ」


「西外れ倉庫を知っていますか」


「ああ。昔、雨宿りに使ったことがある」


「出入口は?」


「正面の大扉。裏に小さい搬入口。あと、屋根の一部が落ちてて、そこから中に入れる」


「逃げ道に使われそうなのは?」


「裏の搬入口。細い路地に出る。その先は染物屋の排水溝の横を抜けて、西門側へ逃げられる」


 俺は地図を引き寄せた。


 西市場。


 西外れ倉庫。


 正面。


 裏搬入口。


 屋根穴。


 西門側への路地。


 欠け指側が何をしたいのか。


 日雇いを集める。


 偽の仕事札。


 西外れ倉庫。


 高額報酬。


 そこで危険荷を渡すのか。


 それとも、日雇いをまとめて人質や捨て駒にするのか。


 あるいは、商人ギルドの名を使って事件を起こし、軽急便の信用を落とすのか。


 どれもありえる。


「目的は、軽急便の信用を汚すことかもしれません」


 俺が言うと、マルセルの顔が険しくなった。


「商人ギルドの札で人を集め、そこで事件を起こす。そうなれば、こちらの責任に見える」


「はい」


「悪質だな」


「だから、先に偽札だと記録してください。受付に来た3人の証言も。木札も保管」


 セリアが頷く。


「偽札記録を作ります」


「黒札に追加です。偽札による人員誘導」


「承知しました」


 また仕組みが増える。


 だが、必要だ。


 道を曲げるのは危険荷だけではない。


 偽の札も、道を曲げる。


     ◆


 ガルドが戻ってきたのは、ほとんど同時だった。


 話を聞くと、すぐに動いた。


「領兵へ知らせる。俺は西外れ倉庫へ向かう」


「正面からですか」


「いや。正面は領兵。俺は裏搬入口側へ回る」


「屋根穴も」


「わかっている。ノル、場所を描けるか」


 ノルは少し怯えたが、頷いた。


「描ける」


 セリアが紙を出す。


 ノルは震える手で、倉庫の簡単な形を描いた。


 正面大扉。


 裏搬入口。


 屋根穴。


 路地。


 古い井戸跡。


 排水溝。


 ガルドはそれを見て、短く頷く。


「使える」


 ノルの表情が少し変わった。


 自分の情報が役に立った。


 それは大事だ。


「現場で日雇いを見つけたら、捕まえるんじゃなく逃がしてください」


 俺は言った。


 ガルドがこちらを見る。


「命令する気か」


「お願いです」


「内容は?」


「彼らは偽札に釣られただけかもしれません。いきなり兵に囲まれたら、欠け指側へ逃げる。まず“商人ギルドの札は偽物だ。こちらへ来れば仕事を保証する”と伝えてください」


「保証するのか」


 マルセルが低く言う。


「します。今日だけでも。そうしないと、誰も信じません」


 マルセルは舌打ちした。


「金が飛ぶ」


「でも、信用が戻ります」


「わかっている」


 マルセルは受付職員に命じる。


「今日の臨時仕事枠を増やせ。倉庫整理と荷札仕分け。日当は通常。食事券あり。ただし、名前を記録する」


「はい!」


 ガルドが出発する。


 領兵への伝令も走る。


 商人ギルドの中が一気に動き出した。


 俺は作業部屋へ戻り、地図の前に座った。


 行けない。


 でも、できることはある。


「セリアさん、偽札注意の短札を大量に作れますか」


「文面は?」


「商人ギルドの仕事は本館受付か、灰鴉亭前臨時受付で確認。西外れ倉庫の札は偽物。銀貨1枚の仕事に注意。中身不明の荷を持つな」


「長いです」


「削ってください」


 セリアは少し考え、筆を走らせた。


 偽札注意。


 西外れ倉庫へ行くな。


 仕事は本館か臨時受付で確認。


 銀貨1枚の下働きは偽物。


 危険荷を持つな。


「これで」


「完璧です」


「では写します」


 書記見習いたちが集められ、短札を写し始める。


 それを職員が西市場へ走って貼りに行く。


 灰鴉亭にも届ける。


 ダンテにも伝える。


 偽の札で曲げられた人の流れを、正しい札で戻す。


 これは、文字の戦いだ。


 派手な剣も魔法もない。


 だが、札1枚で人は動く。


 だからこそ、偽札は怖い。


【新規リスク:偽札誘導】


【補助派生:荷札整理・流通制御】


【対策:真札再掲示・確認窓口固定・偽札記録】


【役割固定:運び手】


 頭の奥の表示が、状況を整理してくれる。


 だが、安心はできない。


 現場はまだ動いている。


     ◆


 最初の報告が来たのは、半刻ほど後だった。


「西外れ倉庫、正面に日雇い8人。中で黄色布の男を確認。荷はまだ渡されていません」


「欠け指は?」


「未確認」


 またか。


 欠け指は出てこない。


 黄色布を使って人を動かす。


「日雇いへの声かけは?」


「領兵が正面から近づくと、黄色布が逃げようとしました。ガルドさんが裏搬入口側に回っています」


「日雇いは?」


「混乱しています。偽札と知らなかった者が多いようです」


「臨時仕事の保証を伝えてください。逃げなくていい、名前を記録すれば仕事を出す、と」


 伝令がまた走る。


 次の報告。


「黄色布、裏搬入口から逃走。ガルドさんが追跡中。倉庫内に革袋4つ。封印係を待機」


「中身は触らない」


「伝えています」


「日雇いは?」


「6人が保護。2人が逃げました」


 6人。


 全部ではないが、大きい。


 逃げた2人は、恐怖か、後ろめたさか。


 追わせすぎると逆効果だ。


「逃げた2人は、無理に追わないでください。顔だけ記録。危険荷を持っていないなら、人を優先」


 マルセルが横で言った。


「甘い」


「ここで追い回すと、次から誰も正規側へ来ません」


「わかっている」


 彼は渋い顔のまま、帳面に書き込んだ。


 その時、ノルが小さく言った。


「黄色布は、たぶん西門側へ逃げる」


「なぜ?」


「あいつは捕まりそうになると、染物屋の排水溝横を抜ける。そこから古い石段へ行く。石段の上に、荷を隠せる割れた壁がある」


「ガルドさんへ伝えてください」


 すぐに伝令が走る。


 ノルは唇を噛んだ。


「俺、もっと早く言えばよかった」


「今言えたからいいです」


「でも」


「情報は、出せる時に出す。責めている時間はありません」


 ノルは小さく頷いた。


 彼も今、運んでいる。


 荷ではなく、記憶を。


 危ない道を知る者として、その情報を正規の道へ渡している。


     ◆


 昼前、ガルドが戻ってきた。


 黄色布の男は捕まっていた。


 ただし、無傷ではない。


 逃げる途中で転び、腕を痛めたらしい。


 領兵に引き渡されたとのこと。


「欠け指は?」


 俺が聞くと、ガルドは首を振った。


「いない。黄色布も、居場所は知らんと言っている」


「本当に?」


「今のところはな。だが、荷は押さえた」


「中身は?」


「封印係の確認では、革袋4つのうち2つが黒鳴石の粉。1つが眠り粉。1つは紙束だ」


「また紙束」


「今度は偽札の文面と、商人ギルドの印を真似た焼き型の下書きだ」


 俺は息を呑んだ。


 偽札を量産するつもりだったのか。


 もし今朝止めなければ、商人ギルドの偽仕事札が西市場中に広がっていたかもしれない。


 軽急便の信用は一気に汚れた。


 それだけではない。


 日雇いたちが危険荷へまとめて流された。


 道が曲げられる。


 偽札1枚で。


「間に合いましたね」


「半分はな」


 ガルドが言った。


「逃げた2人がいる。欠け指も捕まっていない。偽札の写しが他にある可能性もある」


「残り半分は、これからですね」


「そうだ」


 マルセルが帳面を閉じた。


「しかし、今日の件で偽札対策は必須になった」


「本物の札に、偽造しにくい印が要ります」


 俺は言った。


 セリアが頷く。


「焼き印だけでは弱いです。割印にしましょう」


「割印?」


「2枚1組の札にして、片方をギルドが保管、片方を運び手へ渡す。合わせると印がつながる形です」


「それ、いいです」


 前の世界でいう半券のようなものか。


 片方だけでは偽造しにくい。


 受け取り時に照合できる。


「軽急便の仕事札も、臨時仕事札も、重要なものは半札方式にしましょう」


 俺は言った。


「本館控えと本人持ち。現場で照合する。偽札注意の短札にも“半札なしは確認せよ”と書く」


 セリアがすぐに書く。


 マルセルは少し渋い顔をした。


「手間が増える」


「でも、偽札で信用を壊されるよりましです」


「またそれか」


「はい」


 マルセルは諦めたように頷いた。


「採用だ」


 また、危険から仕組みが生まれる。


 黒札。


 偽札記録。


 半札。


 臨時仕事受付。


 人員流路。


 どんどん増えていく。


 これを全部回すには、人がいる。


 文字を読める人間もいる。


 そして、危険を判断できる人間もいる。


 軽急便は、もはや単なる速達ではなくなりつつあった。


     ◆


 午後、保護された日雇いたちが商人ギルドへ来た。


 6人。


 年齢はばらばらだ。


 若い男。


 中年の女。


 痩せた少年。


 片足を少し引きずる男。


 どの顔にも、警戒と疲れがあった。


 彼らは偽札に釣られて西外れ倉庫へ行った。


 銀貨1枚の仕事を信じて。


 だが、そこで待っていたのは危険荷だった。


 俺は受付横の小部屋で、彼らに説明した。


「偽札に釣られたこと自体は、責めません」


 全員がこちらを見る。


「ただし、これからは商人ギルドの仕事札は、本館か臨時受付で確認してください。中身不明の荷、高すぎる報酬、受取人不明、夜の人目のない場所。そういう仕事は受けないでください」


 中年の女が言った。


「受けなきゃ、食えない時は?」


 鋭い質問だった。


 綺麗事を言うな、という目だ。


 俺は少し息を吸った。


「そのために、臨時仕事を増やします。日当は高くないです。銀貨1枚なんて出せません。でも、危険荷よりは安全です」


「安い仕事で生きろってことかい」


「そうです」


 俺は正直に言った。


「でも、危険荷で死ぬよりいい。倒れても、荷主は助けてくれません。ノルさんみたいに」


 ノルが部屋の隅で小さく身を縮めた。


 だが、逃げなかった。


 彼は自分の包帯を見せた。


「俺は、銀貨5枚で受けた。妹の薬代が欲しかった。でも、箱の中身も知らなかった。倒れて、金も使えなくなった」


 部屋が静かになる。


 ノルの声は震えていた。


「俺みたいになるなって言われても、腹が減ってたら受けると思う。でも……せめて、札は確認しろ。中身を聞け。答えない荷主からは逃げろ」


 それは、俺が言うよりずっと響いた。


 同じ日雇い側の言葉だからだ。


 中年の女は、しばらく黙った後、舌打ちした。


「食事券は出るんだろうね」


 マルセルが即答した。


「出る。ただし、仕事をした者にだ」


「なら働くよ。危ない荷よりはましだ」


 1人。


 また1人。


 日雇いたちが頷いた。


 全員が信用したわけではない。


 でも、少なくとも今日の6人は、正規の仕事へ流れた。


 小さな流れだ。


 だが、流れは小さくても、道になる。


【人員流路設計】


【危険荷候補から正規臨時仕事への誘導:6名】


【ノルの証言により説得効果上昇】


【状態:部分成功】


 部分成功。


 それでいい。


 全部は救えない。


 でも、ゼロではない。


     ◆


 夕方、セリアの部屋で半札の試作品が作られた。


 1枚の木札を斜めに割る。


 片方はギルド控え。


 片方は依頼人または運び手。


 合わせると、焼き印の線がつながる。


 さらに、セリアは端に小さな記号を刻んだ。


「この記号は?」


 俺が聞くと、セリアは答えた。


「日ごとに変えます。偽造しにくくするためです」


「すごい」


「書記の仕事です」


 淡々としているが、少しだけ誇らしげだった。


 マルセルは半札を見て、渋いながらも頷く。


「手間は増えるが、これなら偽札はかなり減る」


「ただし、半札そのものを盗まれる可能性はあります」


 俺が言うと、セリアがすぐ頷いた。


「保管箱を分けます。使用済みも回収。紛失時は即記録」


「また記録」


「記録は鎖です」


 セリアの言葉に、俺は少し笑った。


 便利な道具には鎖が要る。


 その鎖の多くは、文字と記録なのかもしれない。


     ◆


 夜になる頃、領兵から報告が入った。


 黄色布の男は、欠け指の居場所を知らないと言い張っている。


 だが、灰鴉亭とは別に、西門近くの廃倉庫で荷を受け取ったことがあるらしい。


 欠け指本人は、荷を直接持たない。


 人を使い、札を使い、偽の仕事を使い、危ない荷だけを流す。


 本人は道の外にいる。


 厄介だ。


 俺は作業部屋で報告を聞きながら、地図に新しい木札を置いた。


 西門廃倉庫。


 偽札。


 黒鳴石粉。


 眠り粉。


 経路写し。


 黄色布。


 欠け指未捕捉。


 また線が増える。


 セリアが言った。


「地図が黒札だらけになりますね」


「嫌な地図ですね」


「でも、見えないよりはいいです」


「はい」


 見えれば対策できる。


 見えないものは、ただ怖いだけだ。


 俺は胸の奥で自分を確認した。


 俺。


 51歳。


 大型トラック運転手。


 今はアスト。


 固有スキルは自己暗示。


 役割は運び手。


 荷を届ける。


 人を壊さず運ぶ。


 流すものと止めるものを見る。


 危険荷と人を切り離す。


 偽の札で曲げられた道を、正しい札で戻す。


【自己確認行動を検知】


【自己固定率:96%】


【役割固定:運び手】


【新規補助:真偽札判定】


【注意:情報戦の要素が増加しています】


 情報戦。


 また物騒な言葉が来た。


 でも、実際そうなのだろう。


 欠け指は剣で襲ってこない。


 偽札で人を動かし、危険荷で道を汚し、正規の仕組みを信用ごと壊そうとしている。


 なら、こちらは記録と札と道で対抗するしかない。


 派手ではない。


 でも、この戦いは道の上で起きている。


 運び手の戦場だ。


 俺は半札の試作品を手に取った。


 軽い木片。


 だが、これが人の流れを守る鎖になるかもしれない。


 窓の外では、領都の夜が静かに広がっている。


 その静けさの下で、欠け指はまだどこかにいる。


 でも、今日はこちらも1つ道具を得た。


 偽札には、半札。


 危険荷には、黒札。


 日雇いには、逃げ道。


 少しずつ、鎖は増えている。


 錆びさせるわけにはいかない。


 俺は木片を机に置き、深く息を吐いた。


 明日から、軽急便はまた少し変わる。


 ただ速く届ける便ではなく。


 嘘の道を見破り、本物の道を示す仕組みへ。


 そうしなければ、道は簡単に曲げられる。


 偽の札1枚で。


第20話─了

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