第2話 助かった先で、疑われる
目が覚めた時、最初に思ったのは。
痛い。
次に思ったのは。
まだ生きてる。
そして3つ目に思ったのは。
「……知らん天井やな」
異世界でも、人間というのは追い詰められると、ろくでもないことを考えるらしい。
俺は木の天井を見上げていた。
板と板の隙間から、細い光が差し込んでいる。
部屋の中には、薬草の匂いが漂っていた。
湿った草。
煮詰めた葉。
少し焦げたような苦い匂い。
身体を動かそうとして、全身が拒否した。
「ぐっ……!」
背中が焼けるように痛い。
肩も重い。
太腿は、少し動かしただけで肉の奥が引きつった。
森裂きに裂かれた傷が、きっちり俺の身体に残っている。
あれは夢ではなかった。
俺は異世界に来た。
若い男アストの身体で目を覚ました。
魔物に襲われた。
そして、自己暗示とかいうわけのわからない固有スキルで、どうにか生き残った。
無理やり上体を起こそうとすると、横から低い声が飛んだ。
「動くな。縫った傷が開く」
俺は首だけを動かした。
部屋の隅に、がっしりした男が座っていた。
年は40前後だろうか。
短く刈った髪。
傷のある頬。
革鎧を着たまま、椅子に腰掛けている。
この身体の記憶が、男の名を拾った。
ガルド。
荷馬車隊の護衛頭。
昨日、俺――いや、この身体のアストを雑用係として雇った男だ。
「……ガルドさん」
「覚えているか」
「はい。なんとか」
「なら説明しろ」
いきなり本題だった。
俺は息を止めかけた。
ガルドの目は鋭い。
助けた相手を見る目ではない。
逃がさないための目だ。
「森裂き4匹だ。うち3匹が死んでいた。1匹は逃げた痕があった。お前は剣も持たず、魔法も使えない雑用係のはずだ」
「……はい」
「どうやって倒した」
さて、困った。
正直に全部言えばどうなる。
俺は異世界から来ました。
前の世界では大型トラック運転手でした。
固有スキル自己暗示で、頭の中にある物語の人物の能力や精神性を模倣できます。
言えるわけがない。
頭がおかしいと思われるか、危険人物として縛られるか。
最悪、魔物より厄介なものとして処分される。
俺は痛む喉で、ゆっくり息を吐いた。
「必死でした」
「必死で森裂きが死ぬなら、護衛はいらん」
「それは、そうですね」
返す言葉がない。
ガルドは淡々と続けた。
「1匹は喉を潰されていた。1匹は目を刺され、頭を砕かれていた。1匹は木に叩きつけられたように死んでいた。最後の傷はおかしい。剣でも槍でもない。普通の魔法の痕にも見えん」
そこまで見ているのか。
この男、雑に見えてかなり鋭い。
いや、当然か。
命のやり取りを仕事にしている人間だ。
死体を見れば、何が起きたかくらい考える。
「俺にも、よくわかりません」
「ほう」
「死にたくなかった。それだけです」
嘘ではない。
全部を言っていないだけだ。
ガルドはしばらく俺を見ていた。
その目の奥には、疑いと、少しだけ別のものがある。
評価。
いや、警戒込みの評価か。
「死にたくないだけで、あそこまでやれるなら大したもんだ」
「褒めてます?」
「半分はな。もう半分は、気味が悪いと思っている」
「正直ですね」
「嘘をつく相手には、嘘で返す。正直に隠す相手には、こっちも正直に疑う」
嫌なほど冷静な男だった。
俺は苦笑しようとして、背中の傷が痛み、顔を歪めた。
「っ……」
「だから動くなと言った」
ガルドは立ち上がり、水差しを持ってきた。
木の杯に水を注ぎ、俺の口元へ差し出す。
俺はゆっくり飲んだ。
水が喉を通った瞬間、生きている実感が少し戻った。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「礼なら薬師の娘に言え。俺はお前を拾っただけだ」
「拾っただけでも十分です」
「荷馬車隊の荷が散らばっていた。逃げた御者や人足を集め直すのに半日かかった。お前を置いていく案も出た」
「でしょうね」
「だが、お前が森裂きを止めていなければ、後ろの馬車まで食われていた」
ガルドは窓の外を見た。
「だから助けた。借りを作りっぱなしは気持ちが悪い」
わかりやすい。
こういう人間は嫌いではない。
恩だの善意だのを大げさに言わず、借りだから返したと言う。
信用できるかどうかは別として、筋は通っている。
その時、扉が開いた。
入ってきたのは、薄緑の髪をした少女だった。
年は17か18くらい。
白い前掛けをつけ、両手に湯気の立つ器と包帯を持っている。
目が大きく、顔立ちは整っている。
ただし、こちらを見る視線は妙に厳しい。
「起きたんですか」
「ええ、まあ」
「動きましたか?」
「少しだけ」
「動かないでください。傷口が開きます」
初対面で怒られた。
いや、初対面ではない。
この身体の記憶が、彼女を知っている。
リーナ。
隊商付きの薬師見習い。
村から領都まで同行している治療係だ。
アストは、彼女にまともに話しかけたことがほとんどない。
雑用係と薬師見習い。
距離は近いが、立場は違う。
リーナは俺の横に来ると、包帯を確認し始めた。
手つきは若いのに慣れている。
血や傷を見る目に怯えがない。
「傷は深いですが、熱は下がっています。おかしいくらい回復が早いです」
「おかしいくらい?」
「普通なら、今頃まだ意識が戻っていません」
内心で、ひやりとした。
自己暗示の効果か。
不屈系統。
身体維持。
痛覚鈍化。
そのあたりが、まだ残っているのかもしれない。
だが、リーナにはそれが魔法としては見えていないらしい。
「森裂きに噛まれた傷は、毒気が入ることがあります。なのに傷口が腐っていない。出血の割に、身体も持っている」
「運がよかったんでしょう」
「運で片付けるには、いろいろ変です」
ガルドといい、リーナといい、この世界の人間は案外ごまかされてくれない。
まあ、当然だ。
身元の薄い雑用係が、突然魔物を倒して生き残った。
怪しい。
俺でも怪しむ。
リーナは薬湯を差し出してきた。
「飲んでください。傷の熱を抑える薬です」
「わかりました」
俺は器を受け取って飲んだ。
舌に強い苦みが広がる。
顔をしかめそうになったが、何とか飲み込んだ。
命には代えられない。
リーナは空になった器を見て、小さく頷いた。
「生きる気はあるんですね」
「あります。めちゃくちゃあります」
「なら、しばらく大人しくしてください」
それだけ言うと、リーナは包帯を替え、傷口を確認し、手早く処置を終えた。
若いのに無駄がない。
俺が余計なことを言えば、たぶんすぐ怒られる。
「夕方にもう1度見に来ます。勝手に立たないでください」
「はい」
素直に答えると、リーナは少し意外そうに俺を見た。
それから、器を持って部屋を出ていった。
残された俺とガルドの間に、妙な沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは、ガルドだった。
「領都までは、あと1日だ」
「今どこです?」
「森を抜けた先の宿場だ。お前が倒れてから、丸1日寝ていた」
「丸1日……」
俺は窓の外を見た。
知らない空。
知らない世界。
それでも時間は進んでいる。
「領都に着いたら、どうなるんですか」
「本来なら、お前には雑用分の銅貨を払って終わりだ」
「本来なら?」
「お前は森裂きを倒した。しかも荷馬車隊を助けた。だから商人頭が追加で報酬を出すと言っている」
「それはありがたいですね」
「だが、同時に聞き取りもされる」
来た。
俺は目を細めた。
「誰に?」
「商人ギルドと、場合によっては領兵だ」
「領兵……」
「森裂きは弱い魔物ではない。村人なら5人いても食われる。護衛でも油断すれば死ぬ。それを雑用係が倒した。理由を聞かれる」
「答えられなかったら?」
「怪しまれる」
「怪しまれたら?」
「最悪、拘束される」
異世界転生2日目で牢屋行きは嫌すぎる。
俺は天井を見ながら考えた。
全部隠すのは無理だ。
だが全部話すのもまずい。
なら、出す情報を選ぶしかない。
自己暗示。
この世界に、そういうスキルがあるのかはわからない。
だが、固有スキルという表示が出た。
つまり、他にもスキル持ちはいる可能性が高い。
俺は慎重に聞いた。
「ガルドさん。固有スキルって、珍しいんですか?」
その瞬間、ガルドの目が変わった。
明らかに警戒が増した。
「……お前、固有持ちか」
しまった。
聞き方を間違えた。
だが、もう戻れない。
「たぶん」
「たぶん?」
「昨日、死にかけた時に目覚めたみたいで」
「名は?」
俺は一拍置いた。
「自己暗示、です」
ガルドは眉を寄せた。
「聞いたことがない」
「俺も、昨日まで知りませんでした」
「効果は」
「自分に強く言い聞かせると、少しだけ身体が動く。痛みに耐えられる。恐怖で固まらずに済む。そんな感じです」
嘘ではない。
かなり削っているだけだ。
物語の人物の能力や精神性を模倣できる、とは言わない。
それを言えば、絶対に面倒なことになる。
ガルドは腕を組み、しばらく黙った。
「自己暗示、か。戦場ではたまに似たことが起きる。死ぬはずの兵が立つ。腹を裂かれた男が最後に敵を道連れにする。恐怖を忘れた若造が、歴戦の兵を刺す」
「それがスキルになったようなもの、ですか」
「ありえなくはない」
「信じてもらえますか」
「半分はな」
「また半分」
「全部信じる奴は早死にする」
このおっさん、かなり好きかもしれない。
ガルドは椅子に座り直した。
「領都で聞かれたら、そう答えろ。死にかけて固有スキルが目覚めた。効果は痛みに耐え、身体を無理やり動かすこと。森裂きは地形と運で倒した。余計なことは言うな」
「いいんですか」
「お前が危険な化け物なら、俺は今ここで殺す」
さらっと言った。
冗談ではない目だった。
「でも、そうはしないんですね」
「お前は森裂きから逃げ切れたはずだ」
「え?」
「あの場に残って戦わず、森の奥へ逃げれば、荷馬車隊に追いついた森裂きが人を食っている間に、お前は助かったかもしれん」
俺は黙った。
そんなことは考えなかった。
いや、正確には考える余裕がなかった。
だが、ガルドはそこを見ていた。
「お前は弱い。だが、逃げ方を知っていた。それでも結果として、追ってきた森裂きを止めた。理由は知らんが、今のところ殺すほどではない」
「評価が物騒ですね」
「生き残っただけありがたく思え」
「それは本当にそうです」
その時、頭の中に薄く文字が浮かんだ。
【状況認識:対人警戒】
【自己暗示候補:交渉系統】
【相手の言葉・視線・間から心理を読む】
俺は思わず目を細めた。
交渉系統。
戦闘だけではないのか。
頭の中には、口先だけで国を動かす怪物もいる。
嘘と真実を混ぜる天才。
相手の欲望を見抜く詐欺師。
王を操る宰相。
会議で戦争に勝つ軍師。
そういう連中の真似も、できる可能性がある。
だが、今はやめておいた。
下手に使えば、俺自身の言葉ではなくなる。
そもそも、口先でガルドを丸め込める気がしない。
こっちの適合率が低ければ、逆に怪しまれる。
このスキルは強い。
だが、使いどころを間違えると危ない。
さらに別の表示が浮かんだ。
【警告】
【物語模倣の連続使用は、自己認識に負荷を与えます】
【現在の自己固定率:91%】
【自己固定率が低下すると、人格混濁・記憶混線・行動衝動の発生確率が上昇します】
背筋が冷えた。
自己固定率。
つまり、俺が俺でいられる割合か。
昨日は不屈、野性格闘、威圧、見えない弾のような攻撃。
短時間でいろいろ使いすぎた。
そのせいで少し削れたのか。
強い能力を使えば使うほど、自分が何者かわからなくなる。
ある意味、当然だ。
他人の生き方、他人の力、他人の狂気を自分に重ねるのだから。
俺は、俺を騙す。
だが、騙しすぎれば、騙した俺が本物になる。
それはまずい。
めちゃくちゃまずい。
「顔色が悪いぞ」
ガルドが言った。
「傷が痛んだだけです」
「嘘は下手だな」
「正直に隠してます」
「便利な言葉にするな」
ガルドは立ち上がった。
「夕方に商人頭が来る。それまで寝ておけ」
「はい」
「それと」
扉の前で、ガルドが振り返った。
「お前、自分を強く思い込めると言ったな」
「はい」
「なら覚えておけ。戦いで一番危ないのは、自分を強いと思い込むことだ」
俺はすぐに返事ができなかった。
ガルドはそのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かになった部屋で、俺は天井を見た。
痛み。
疲労。
不安。
そして、胸の奥に残っている熱。
この世界で俺は弱い。
何も持っていない。
身分もない。
金もない。
知り合いもいない。
けれど、スキルはある。
自己暗示。
信じ込めた力だけが、俺の武器になる。
剣士にもなれるかもしれない。
魔法使いにもなれるかもしれない。
武闘家にも、軍師にも、怪物にも。
たぶん、条件さえ満たせば何にでもなれる。
だからこそ、決めておかないといけない。
何になるかではない。
何になっても、最後に戻る場所を。
「俺」
小さく呟いた。
「51歳。大型トラック運転手。日本で事故に遭った」
言葉にする。
記憶を固定する。
俺が俺であるために。
「今はアスト。ルカ村出身の身体。固有スキルは自己暗示」
胸の奥が少し落ち着く。
「好きなもんは、漫画、アニメ、小説。仕事終わりの飯。熱い風呂。寝る前のスマホ。嫌いなもんは、無茶な割り込みと、雑な積み方」
言っていて、少し笑った。
異世界で何を確認しているのか。
だが、不思議と落ち着いた。
【自己固定率:92%】
【自己確認行動を検知】
【推奨:定期的な自己確認】
「なるほどな」
これは日課にしよう。
能力を使った後は、必ず自分を確認する。
俺は誰か。
何をしてきたか。
何を守るか。
物語の怪物を借りても、俺自身まで怪物になったら意味がない。
そう考えているうちに、眠気が来た。
薬のせいか。
傷のせいか。
俺は目を閉じかけた。
その時、外から怒鳴り声が聞こえた。
「だから言っているだろう! あの雑用係は危険だ! 森裂きを素手で殺すような奴を、領都へ連れていく気か!」
知らない男の声。
続いて、別の声。
「だが、あいつがいなければ荷は全滅していた!」
「それとこれとは別だ! 領都の門で揉めたら、隊商ごと止められるぞ!」
揉めている。
俺のことで。
まあ、当然だ。
助かったから終わり、ではない。
むしろここからが本番だ。
異世界で生きるには、魔物より面倒なものがいくらでもある。
人間。
信用。
身分。
金。
情報。
俺は目を開けた。
身体は痛い。
まだ立つのも厳しい。
だが、寝ているだけでは流される。
荷物と同じだ。
段取りを他人任せにすると、いつの間にか変な場所へ積まれる。
俺はゆっくり息を吸った。
交渉系統は使わない。
今はまだ、使わない方がいい。
でも、俺自身の経験なら使える。
現場で揉めた時。
客先で怒鳴られた時。
積み込みが遅れた時。
事故渋滞で予定が崩れた時。
大事なのは、誰が何を怖がっているかを見抜くことだ。
商人は荷を止められるのが怖い。
護衛は危険人物を連れるのが怖い。
薬師は怪我人が死ぬのが怖い。
ガルドは隊商の筋を崩すのが嫌い。
なら、俺が見せるべきものは力ではない。
管理できる危険だ。
暴れない。
逃げない。
嘘をつきすぎない。
役に立つ。
そう思わせること。
「……仕事と一緒やな」
俺は苦笑した。
異世界に来ても、結局それか。
力だけでは荷は届かない。
信用がない運転手に、大事な荷は任されない。
なら、この世界でも同じだ。
俺はまず、信用を積む。
1つずつ。
荷物みたいに。
崩れないように。
その時、再び表示が浮かんだ。
【方針確認】
【自己暗示の安定条件を一部達成】
【新規補助項目:役割固定】
【自分の役割を明確に定義することで、模倣能力の暴走を抑制します】
役割固定。
つまり、俺が何者として能力を使うかを決めればいい。
剣士として。
魔法使いとして。
軍師として。
怪物として。
あるいは。
「運び手として」
口にした瞬間、胸の奥で何かがかちりとはまった。
【役割候補:運び手】
【適合率:高】
【効果予測:危険予測・経路把握・荷重感覚・疲労管理・隊列維持への補正】
戦闘能力ではない。
派手さもない。
でも、俺には一番しっくり来た。
俺は運んできた。
荷物を。
時間を。
信用を。
誰かの生活を。
なら、この世界でもまずはそこからでいい。
物語の英雄になる前に。
俺は俺として、運び手になる。
外の怒鳴り声はまだ続いている。
俺は痛む身体を少しだけ起こした。
傷が引きつり、汗がにじむ。
だが、今度は無理な自己暗示ではない。
ただの意地だ。
「すみません」
俺は扉の向こうへ声をかけた。
外の声が止まる。
「話、俺も混ぜてもらっていいですか」
少しの沈黙。
それから、ガルドの低い声が返ってきた。
「寝ていろと言ったはずだ」
「寝てたら、俺の積み先が牢屋になりそうなんで」
扉の向こうで、誰かが吹き出した。
ガルドのため息が聞こえる。
「……口だけは元気だな」
「そこも自己暗示かもしれません」
「便利な言葉にするな」
扉が開いた。
光が差し込む。
そこにはガルド、リーナ、そして腹の出た商人らしき男が立っていた。
この身体の記憶が、男を知っている。
マルセル。
荷馬車隊を率いる商人頭だ。
その顔には、警戒と計算が同じくらい浮かんでいる。
俺は痛みに耐えながら、できるだけ穏やかに笑った。
強い男に見せる必要はない。
危ない男に見せてもいけない。
今の俺が見せるべきなのは、使える男だ。
「俺を領都まで連れていってください」
マルセルが目を細めた。
「なぜ、こちらが危険を背負わねばならん?」
「危険だけなら、置いていった方がいいです」
俺はすぐに答えた。
「でも、俺は道中で役に立ちます。魔物と戦えと言われても困りますが、荷の積み直し、隊列の見直し、休憩の取り方、危ない場所の見張り方なら、少しはできます」
「雑用係が?」
「はい。雑用係として」
俺は自分の手を見た。
細い手。
まだ弱い手。
でも、ここからだ。
「俺は、荷を運ぶ仕事を前にしていました」
嘘ではない。
前の世界で、だが。
「荷を崩さず、人を死なせず、目的地まで届ける。そのために必要なことなら、少しわかります」
マルセルは黙った。
ガルドも黙っている。
リーナだけが、少し不思議そうに俺を見ていた。
俺は続けた。
「それで役に立たないと思ったら、領都に着いた時点で放り出してください。報酬も最低限でいいです」
「最低限でいい?」
「命を拾ってもらった分がありますから」
マルセルの目が変わる。
金の話になると、人は少しだけ本音を出す。
俺はそれを見逃さなかった。
「ただし、道中で俺の提案が役に立ったら、その分だけ評価してください」
「……面白いことを言う」
マルセルは顎を撫でた。
「役に立つかどうかを、こちらが決めていいのだな」
「もちろんです」
「ガルド」
マルセルが護衛頭を見る。
「どう思う」
ガルドは俺をじっと見た。
「縛って運ぶよりは、働かせた方がましだ」
「ひどい評価ですね」
「高評価だ」
マルセルは短く笑った。
「よかろう。領都まで連れていく。ただし、勝手な行動は許さん。ガルドの指示に従え」
「はい」
「それと、森裂きの件は領都で報告する。固有スキルについてもな」
「わかっています」
「逃げれば追わせる」
「逃げません」
逃げる先がない。
それに、逃げたところでこの身体ではすぐ死ぬ。
なら、隊商にいる方がまだいい。
マルセルは頷き、部屋を出ていった。
リーナも器を持って下がろうとしたが、扉の前で振り返った。
「本当に、動けるんですか」
「正直、無理です」
「では寝てください」
「はい」
即答すると、リーナは少しだけ呆れた顔をした。
ガルドだけが残る。
「領都までの道中、余計なことはするな」
「はい」
「だが、気づいたことがあれば言え」
「いいんですか」
「役に立つと言ったのはお前だ」
ガルドは薄く笑った。
「試してやる」
扉が閉まる。
今度こそ部屋は静かになった。
俺はゆっくり横になった。
痛い。
しんどい。
不安だらけだ。
でも、さっきより少しだけ息がしやすい。
領都へ行く。
そこで、俺のこの世界での立場が決まる。
固有スキル持ち。
元雑用係。
魔物を倒した怪しい男。
そして、運び手。
俺は目を閉じた。
頭の中には、無数の物語が眠っている。
けれど、今はまだ引き出さない。
まずは俺自身の力で、最初の道を進む。
自己暗示とは、自分を騙す力だ。
だが、自分を騙すには、まず本当の自分を知らなければならない。
俺は運ぶ。
この身体を。
この命を。
この先の未来を。
異世界の道の上で、もう一度。
俺はハンドルのない人生を、走らせ始める。
第2話─了




