第13話 揺れを殺す
翌朝、領主館の中庭には、まだ夜の冷たさが残っていた。
空は薄く白み始めている。
馬の鼻息が白くなり、石敷きの上に小さく消えた。
俺は杖をつきながら、吊り床馬車の横に立っていた。
身体は昨日より動く。
背中の痛みは鈍くなり、太腿にも少し力が戻ってきた。
だが、治ったわけではない。
歩ける。
短い距離なら立っていられる。
それだけだ。
無理をすれば、また傷が開く。
リーナには、出発前から3回ほど釘を刺された。
「顔色は悪くありません。でも、良いわけでもありません」
「それ、結局どっちですか」
「無理をすれば悪くなります」
「はい」
「馬車の揺れで痛みが増したら、すぐ言ってください」
「はい」
「言わなければ怒ります」
「それはもう、はい」
完全に患者扱いである。
いや、患者なのだから仕方ない。
俺は自分の身体を荷として扱う。
壊れやすい荷。
運び手本人が壊れていては、話にならない。
中庭の中央では、老薬師バルムが吊り床馬車を見上げていた。
昨日作った仮の馬車だ。
小型の馬車の内側に木枠を組み、革紐で寝台を吊っている。
下には藁袋。
左右には布帯。
背中側は角度を変えられるよう、差し込み式の支えを入れた。
見た目は立派ではない。
だが、目的は飾ることではない。
揺れを殺すこと。
そして、バルムを鉱山町へ着いてから治療できる状態で届けることだ。
「ふん。まだ壊れておらんようだな」
バルムが馬車を見て言った。
馬車職人のドランが腕を組む。
「昨日作ったばかりで壊れてたまるか」
「道の上で壊れなければよいがな」
「縁起でもねえ爺さんだ」
「壊れるものは、たいてい壊れてほしくない時に壊れる」
それは本当にそう。
俺は深く頷いてしまった。
ドランがこちらを見る。
「お前まで納得するな」
「すみません。実感がありすぎて」
ガルドが低く笑った。
今日の同行者は決まっている。
馬車にはバルムとリーナ。
御者は領主館のミゲルという男。
護衛はガルドが選んだ2人。
道見役には、薬草急送でも働いたラウル。
そして俺は、最初の宿場まで同行する。
そこで馬車の状態、バルムの体調、休憩間隔、吊り床の調整を確認して、問題がなければ引き返す。
本当は最後まで行きたい。
だが、今の身体では無理だ。
それを認めるのも、仕事のうちだ。
御者のミゲルは、30代くらいの男だった。
背が高く、腕が太い。
馬の扱いには慣れているようで、手綱を持つ姿に余裕がある。
ただ、その余裕が少し怖い。
自分の腕に自信がある者は、時に「できる」を「やっていい」と勘違いする。
俺はミゲルの前に立った。
「今日は速さより、揺らさないことを優先してください」
ミゲルは片眉を上げた。
「領主館の馬を任されている。荒い走りはしない」
「それなら安心です。ただ、道が良い場所ほど速度が出やすい。そこでも急加速は避けてください」
「俺に御者のやり方を教えるのか」
やはり来た。
こういう反応は仕方ない。
俺は頭を下げた。
「教えるつもりはありません。今日の荷が特殊なので、お願いしています」
「荷?」
馬車の中から、バルムの声が飛んだ。
「誰が荷だ」
「すみません。今日の乗客が特殊なので」
言い直すと、リーナが小さく息を吐いた。
怒られなかっただけましだ。
俺はミゲルに続ける。
「バルム殿は、鉱山町に着いてからが本番です。道中で消耗させすぎると、早く着いても意味がありません」
ミゲルは少しだけ表情を変えた。
御者としての誇りを否定するのではなく、目的を伝える。
速く走る腕ではなく、壊さず届ける腕を求めている。
そこが伝わればいい。
「……つまり、今日は腕自慢をする日ではないと」
「はい。揺れを読める御者が一番必要です」
「揺れを読める、か」
ミゲルは手綱を見下ろし、ふっと笑った。
「いいだろう。そこまで言うなら、揺らさず走ってやる」
「ありがとうございます」
ひとまず通った。
ただし、人は言葉だけでは変わらない。
道に出れば、癖が出る。
だから確認が必要だ。
馬車に積む物も見直した。
バルムの薬箱は大きかった。
薬瓶、乾草、すり鉢、布、古い帳面、金属の器具。
必要なものばかりなのだろう。
だが、全部を同じ馬車に積めば重くなる。
重くなれば馬に負担がかかる。
揺れも大きくなる。
「バルム殿。この薬箱の中で、到着後すぐ必要なものはどれですか」
「全部だ」
即答だった。
俺はリーナを見る。
リーナは薬箱の中身を見て、少し考えた。
「すぐ必要なのは、診察用の布、脈を見る糸、熱冷ましの調合具、記録帳の一部、乾燥薬草の一部です。大きなすり鉢と予備の瓶は、後続でも大丈夫だと思います」
「おい、見習い」
バルムが睨む。
リーナは一歩も引かない。
「鉱山町にも調合道具はあります。薬草も先に届いています。移動中に馬車が重くなりすぎる方が危険です」
バルムは少し黙った。
「……カミラの弟子は、師に似て遠慮がない」
「ありがとうございます」
「褒めておらん」
どうやら褒めていないらしい。
だが、バルムは薬箱の中身を分けることを認めた。
すぐ必要なものだけを小箱へ。
重い道具と予備は、後続の通常便へ。
それだけで馬車の荷はかなり軽くなった。
俺は小箱を持ち上げようとして、リーナに止められた。
「持たないでください」
「重さを」
「別の人に持たせてください」
「はい」
護衛の1人に持ってもらい、重さを確認する。
悪くない。
馬車の床に固定する。
バルムの寝台から手が届く位置。
だが、揺れて身体にぶつからない場所。
固定は強く。
しかし、必要な時にすぐ外せるように。
こういう細かいところで、いざという時に差が出る。
準備が整った頃、朝日が領主館の屋根を照らし始めた。
使者が近づいてくる。
「準備は?」
「出られます」
俺は答えた。
「ただし、最初の半刻は試走です。問題があれば、領都を出る前に止めます」
「急ぎだぞ」
「だから、領都を出てから壊れる前に見ます」
使者は少し言いたげだったが、バルムが馬車の中から言った。
「この若造の言う通りにせよ。壊れた馬車で急ぐ方が愚かだ」
「承知しました」
バルムの一言は強い。
老薬師本人が言えば、使者も引く。
馬車が動き出した。
◆
領主館の門を出て、広い通りを北へ向かう。
俺は馬車の横に乗せられた小さな補助席に座っていた。
本来なら荷置きか従者用の場所らしい。
揺れはある。
だが、耐えられる。
リーナは馬車の内側でバルムの様子を見ている。
ガルドたちは周囲。
ラウルは少し前を進み、道の様子を確認していた。
ミゲルの手綱さばきは、たしかに上手い。
馬の歩みを乱さない。
急に引かない。
石畳の段差を避ける。
馬車の車輪が大きく跳ねる場所では、自然に速度を落とす。
口は少し強かったが、腕は本物だ。
それでも、完璧ではない。
良い道に出た瞬間、少しだけ速度が上がる。
馬が気持ちよく歩ける場所だ。
御者も楽になる。
だが、馬車の中ではそのわずかな速度差が、吊り床に別の揺れを生む。
「ミゲルさん、少しだけ落としてください」
俺が言うと、ミゲルはすぐには返事をしなかった。
「今は道が良い」
「はい。だからこそ、揺れが前後に伸びています」
「前後?」
「吊り床が、車体より遅れて動いています。速度を上げると、その遅れが大きくなる」
ミゲルはちらりと後ろを見た。
馬車の中では、リーナが寝台の布帯を押さえている。
バルムは目を閉じているが、眉間に皺が寄っていた。
「……わかった」
ミゲルが少し速度を落とす。
揺れが丸くなる。
馬車の中からバルムの声がした。
「今の方がましだ」
ミゲルの顔つきが変わった。
自分でも違いがわかったのだろう。
「なるほど。速ければ揺れが増えるだけではなく、揺れ方が変わるのか」
「はい。荷によって嫌な揺れ方が違います。今回は前後の揺れが腰に響く」
「面白いな」
「面白いですが、バルム殿にはつらいです」
「それは困る」
それからミゲルの走り方が変わった。
速さを見せるのではなく、揺れを探る走りになった。
馬の歩幅。
車輪の音。
寝台の揺れ。
それを感じながら進む。
御者としての腕が、別の形で使われ始めたのがわかった。
俺は胸の奥で小さく頷いた。
人は、役割を正しく渡せば変わる。
速く走れではなく、揺れを殺せ。
今日のミゲルの仕事は、それだ。
領都の北門へ近づく頃、最初の短い停止を入れた。
「もう止まるのか」
使者が言う。
「止まります」
俺は補助席から慎重に降りた。
背中に痛みが走る。
だが、耐えられる。
リーナがすぐに馬車から顔を出した。
「無理は?」
「してません」
「顔は?」
「たぶん普通です」
「自分で判断しないでください」
はい。
バルムの状態を確認する。
脈。
咳。
腰。
水分。
寝台の革紐。
布帯。
小箱の固定。
車輪。
馬。
確認札の項目を1つずつ潰していく。
時間はかかる。
だが、ここで見るから後で止まらない。
リーナがバルムの脈を取りながら言った。
「大きな乱れはありません。咳も少ないです」
「腰は?」
俺が聞く。
「まだ耐えられる」
バルムが答える。
「耐えるではなく、悪化しているかどうかでお願いします」
「少し重い。痛みは強くない」
「では、背中の角度を少し上げますか」
「いや、次の区間はこのままでよい」
本人の判断も大事だ。
だが、本人の我慢を信用しすぎてもいけない。
俺はリーナを見る。
リーナは小さく頷いた。
問題なし。
「再出発できます」
俺が言うと、使者が懐の懐中時計のような小さな器具を見た。
この世界にも時間を測る道具はあるらしい。
「予定より遅れている」
「まだ領都の門ですから」
「だから心配なのだ」
「ここで確認したから、次から止まる理由が減ります」
使者は納得しきっていない顔だった。
焦るのはわかる。
鉱山町では人が待っている。
早く送り出したい。
だが、焦りは馬車を揺らす。
揺れはバルムの体力を削る。
体力が削れれば、着いてから治療できない。
何度でも同じところへ戻る。
目的は、ただ運ぶことではない。
治療できる状態で届けることだ。
再出発した馬車は、領都の北門を抜けた。
道は石畳から土道に変わる。
ここからが本番だった。
◆
土道に入ると、揺れの質が変わった。
石畳の硬い衝撃ではない。
地面のうねり。
車輪が沈む感覚。
左右の傾き。
馬車全体がゆっくり揺れる。
これはこれで厄介だ。
吊り床は硬い衝撃には強い。
だが、長く続くうねりには、身体をじわじわ疲れさせる。
「ミゲルさん、右の轍を避けてください」
「見えている」
「左へ寄りすぎると傾きます」
「なら、真ん中か」
「はい。ただし、前の水たまりは避けて」
「注文が多い」
「今日だけは我慢してください」
ミゲルは文句を言いながらも、手綱を見事に操った。
馬車は大きな水たまりを避け、深い轍にも入らず進む。
だが、全ては避けられない。
1度、車輪が隠れた石を踏んだ。
馬車が跳ねる。
吊り床が前後に振れた。
「っ」
馬車の中で、バルムの息が漏れた。
「止めてください」
俺はすぐに言った。
ミゲルが手綱を引く。
馬車が止まる。
使者が顔をしかめた。
「またか」
「今のは確認が必要です」
俺は補助席から降りようとして、痛みで少し顔を歪めた。
リーナが先に降りて言う。
「あなたは座っていてください。私が見ます」
「でも」
「座っていてください」
「はい」
逆らえない。
リーナが馬車内でバルムを確認する。
腰。
脈。
呼吸。
バルムは顔をしかめていたが、声はしっかりしている。
「腰に響いた。だが、続けられる」
リーナが少し考えた。
「背中の支えを少し変えます。腰の下に布を追加します」
ドランから預かった予備布を差し込む。
俺は外から吊り床の革紐を見る。
前側の右紐が、少しだけ伸びている。
「右前の革紐、緩んでます」
ドランの助手として同行していた若い職人が確認する。
「本当だ。締め直す」
「ここ、石を踏んだ時に負荷が寄ったんですね」
「だろうな。紐が新しいから、最初は伸びる」
「次の休憩までにもう1回確認しましょう。最初の何回かが危ない」
使者が俺を見る。
「それも想定内か」
「想定内というより、起きてほしくないけど起きると思っていたことです」
「嫌な答えだ」
「現場はだいたいそうです」
修正して再出発。
時間は失った。
だが、ここで直したから大きな事故にはならない。
俺はそう信じるしかない。
頭の奥に表示が浮かぶ。
【身体負荷管理:起動中】
【対象:バルム】
【揺れ要因:路面石・右前革紐伸張】
【対策:腰支持追加・革紐再調整】
【状態:継続可能】
よし。
まだ行ける。
ただし、俺自身の身体も少し怪しくなっていた。
補助席に座っているだけでも、揺れは傷に響く。
背中が熱い。
太腿も重い。
リーナには言うべきだ。
でも、今言えば止められるかもしれない。
そう思った瞬間、自分で自分を殴りたくなった。
何を考えている。
俺は散々、人には無理するなと言っている。
それで自分だけ隠すのか。
「リーナさん」
馬車の中へ声をかける。
「俺も少し痛みが増えました」
リーナが即座に顔を出した。
「どこですか」
「背中と太腿。まだ耐えられますが、増えてます」
「次の休憩で確認します。今すぐ悪化する感じは?」
「出血してる感じはないです。熱いだけ」
「隠さず言ったのは良いです」
「褒められた」
「まだ途中です」
リーナはすぐに戻った。
少しだけ胸が軽くなる。
報告する。
それだけで状況は管理できる。
痛みも荷だ。
隠して積めば、どこかで崩れる。
◆
北道の分岐手前にある小さな宿場へ着いたのは、昼前だった。
予定より少し遅い。
だが、バルムは起きていた。
顔色も悪すぎない。
腰の痛みはあるが、意識ははっきりしている。
馬も潰れていない。
馬車も壊れていない。
まずまずだ。
宿場の裏手に馬車を入れ、休憩を取る。
バルムを馬車から降ろすかどうかで少し揉めた。
本人は降りると言う。
リーナは短時間なら良いが、段差に注意と言う。
俺は、降ろすなら椅子を近くへ持ってきて、立たせる時間を減らすべきだと言った。
結果、宿場の椅子を馬車の横へ置き、護衛2人が支えながらバルムを下ろした。
老人は椅子に座ると、悔しそうに息を吐いた。
「思ったより、身体に響くな」
「道が悪くなるほど響きます」
俺は言った。
「でも、ここまで来ても診察できそうですか」
バルムは俺を見る。
「今すぐ患者を見ろと言われれば、見られる」
「なら成功です」
「まだ半分も来ておらん」
「だから、ここまでの運び方は成功です。この先は調整して続ける」
バルムは少しだけ口元を緩めた。
「お前、妙なところで前向きだな」
「全部まとめて考えると潰れるので、区間で見ます」
「なるほど。治療と似ている」
「薬師の考え方、俺には合うかもしれません」
「やめておけ。面倒だぞ」
「運び手も大概です」
「違いない」
老人が初めて少し笑った。
リーナがバルムの脈を取り、咳の様子を確認する。
問題はある。
疲労は見える。
だが、継続不能ではない。
俺は馬車の点検を見た。
右前の革紐は、また少し伸びていた。
職人に交換してもらう。
車輪の金輪は無事。
床板の軋みも大きくはない。
小箱の固定は少し緩んでいたため、締め直す。
こういう小さな修正が大事だ。
止まった時に見る。
見たら直す。
直したら記録する。
次に活かす。
俺は木札に項目を書き込んだ。
右前革紐は新造時伸びやすい。
腰布追加でバルムの痛み軽減。
良路で速度上げすぎると前後揺れ増加。
土道では水たまりより隠れ石注意。
小箱固定は半刻ごと確認。
ミゲルが横から覗き込む。
「俺の走りも書かれるのか」
「書きます」
「悪口か」
「次に同じ仕事をする御者のためです」
ミゲルは少し黙った。
「……なら、書いておけ。土道では馬の頭を上げさせすぎると車輪の揺れを拾いやすい。今日は少し低めに歩かせた方が安定した」
「それ、めちゃくちゃ大事です」
俺が言うと、ミゲルは少し得意そうな顔をした。
「御者にも御者の勘がある」
「はい。教えてください」
素直に言うと、ミゲルは少し照れたように鼻を鳴らした。
いい流れだ。
人は、自分の腕が役に立つ形で記録されると、協力的になる。
ただ命令するのではなく、経験を拾う。
それも仕組み作りなのだろう。
休憩の終わりが近づいた頃、使者が俺のところへ来た。
「アスト。ここから先は、予定通り君は戻る」
「はい」
「本当に戻るのだな」
少し意外だった。
「俺が残った方がいいですか」
「判断役としてはな。だが、君が倒れれば余計な負担になる」
「わかっています」
「ならよい」
使者は短く言った。
リーナもこちらへ来る。
「あなたはここで引き返してください」
「はい」
「本当に、はい?」
「本当に、はいです」
「よろしい」
少しだけ信用が回復した気がする。
バルムが椅子から俺を見上げた。
「若造」
「はい」
「ここまでの運び方は悪くなかった」
「ありがとうございます」
「だが、まだ荒い。人を運ぶ時は、本人の意地も荷に入れろ」
「意地?」
「年寄りは、自分が弱ったと認めるのが嫌いだ。だから休めと言われると腹が立つ。だが、治療のために必要だと言われれば、少しは飲み込める」
俺は黙った。
それは、たぶん俺自身にも刺さる言葉だった。
「人を運ぶなら、身体だけでなく、面子も運べ。雑に扱えば、余計に疲れる」
深い。
さすがに年の功だ。
俺は頭を下げた。
「覚えておきます」
「覚えておくだけでは足りん。次に使え」
「はい」
バルムは満足そうに頷いた。
その言葉も、木札に書いておくべきだと思った。
人を運ぶ時は、身体だけでなく面子も運ぶ。
これはたぶん、大事な荷札だ。
◆
再出発の時が来た。
バルムは再び吊り床馬車に乗る。
リーナが隣につく。
ラウルが道を確認する。
ミゲルが手綱を握る。
ガルドの護衛が周囲を固める。
俺は宿場の前に立ち、馬車を見送った。
この先へは行かない。
行けない。
行かないことが、今回の正しい判断だ。
それでも、胸は少し痛んだ。
バルムが馬車の中から声をかける。
「若造」
「はい」
「わしを届け損なうなよ」
「ここから先は、皆さんに任せます。でも、届く形は作りました」
「ならよい」
リーナも顔を出した。
「戻ったら、すぐ休んでください」
「はい」
「本当にです」
「本当に」
「帰ったら傷を見ます」
「はい」
ミゲルが手綱を鳴らす。
馬車が動き出した。
ゆっくり。
だが、確かに前へ。
吊り床は揺れている。
でも、壊れる揺れではない。
バルムを削り切る揺れでもない。
少なくとも、ここまでの調整ではそうだ。
俺は馬車の背中が小さくなるまで見送った。
道の先には、鉱山町がある。
熱病に苦しむ人たちがいる。
薬草は届いた。
今度は、薬師本人を届ける。
人は荷ではない。
けれど、運ばなければならない時がある。
その時に必要なのは、雑な速さではない。
身体と心と役割を、壊さず目的地までつなぐことだ。
馬車が丘の向こうへ消えた。
俺は深く息を吐いた。
身体がどっと重くなる。
やはり、限界は近かったらしい。
宿場に残っていた領主館の馬車が、俺を領都へ戻すために用意されている。
今度は俺が運ばれる番だ。
少し情けない。
だが、それでいい。
俺もまた、壊してはいけない荷なのだから。
頭の奥に、表示が浮かんだ。
【老薬師搬送:第一調整区間完了】
【対象状態:継続可能】
【馬車状態:調整済】
【引き継ぎ情報:作成済】
【役割固定:運び手】
【補足:退く判断も、運び手の責任です】
退く判断。
たしかに、それも大事だ。
俺は苦笑し、杖を握り直した。
「戻るか」
誰にともなく呟く。
領都へ戻ったら、記録をまとめる。
吊り床馬車の改善点。
御者の走り方。
休憩間隔。
バルムの言葉。
人を運ぶ時は、身体だけでなく面子も運ぶ。
それを忘れないように。
俺は補助の馬車へ乗り込んだ。
帰り道の揺れが、傷に響く。
だが、今は少しだけ誇らしかった。
俺は最後まで行けなかった。
それでも、道はつないだ。
荷を。
人を。
命を救う知識を。
この世界で、俺の仕事は少しずつ形になっている。
信じ込めた力だけが、俺の武器になる。
なら今日、俺が信じた力は。
速さではなく、引き際だった。
第13話─了




