第12話 人は荷ではない、けれど運ぶ
領主館へ向かう道は、商人ギルドの前の通りよりもずっと整っていた。
石畳の高さが揃っている。
道幅も広い。
左右には背の高い建物が並び、門番らしい兵士が要所に立っている。
同じ領都でも、場所が変われば空気まで変わるらしい。
俺は杖をつきながら、ゆっくり歩いていた。
隣にはリーナ。
前には領主館の使者。
少し後ろにはガルド。
完全に護送に近い。
いや、今回は護衛だと思いたい。
「歩幅が大きいです」
リーナが横から言った。
「そうですか」
「傷に響きます」
「ゆっくり歩いてるつもりなんですが」
「つもりではなく、実際にゆっくり歩いてください」
相変わらず厳しい。
だが、実際に太腿は重い。
自然治癒促進でかなり楽にはなったが、治ったわけではない。
長距離歩行不可。
戦闘不可。
過負荷禁止。
頭の中の表示が何度もそう告げてくる。
まったく、俺のスキルは便利なわりに説教が多い。
領主館の門をくぐると、広い庭に出た。
庭と言っても、花を眺めるだけの場所ではない。
馬車が通れる石敷きの道。
兵の訓練場。
倉庫。
井戸。
そして、立派な玄関。
館というより、小さな役所と砦を合わせたような場所だった。
使者がこちらを振り返る。
「こちらへ」
通されたのは、応接室ではなく、奥の実務部屋だった。
机がいくつも並び、役人たちが紙束を抱えて動いている。
領主館と聞いて、もっと豪華な部屋を想像していたが、実際は仕事場だった。
少し安心する。
飾りの多い部屋より、こういう場所の方が落ち着く。
その一角に、老人が座っていた。
痩せた身体。
白い髪。
深い皺。
だが、目だけは鋭い。
背筋も伸びている。
年寄りではあるが、弱々しいとは違う。
古い刃物のような人だった。
「あなたがバルム殿ですか」
俺が頭を下げると、老人は鼻を鳴らした。
「そういうお前が、荷運びの若造か」
「アストです」
「怪我人ではないか」
「はい。怪我人です」
「そんな者に、わしを運ばせる相談をするとはな」
いきなり手厳しい。
ガルドが横で小さく笑った気がした。
笑うな。
使者が咳払いをする。
「バルム殿。こちらのアストは、鉱山町への薬草急送を成功させた者です」
「聞いておる。薬草を木箱に詰めて、川を越えさせたのだろう」
「はい」
「だが、わしは木箱ではない」
老人の目が鋭くなる。
「それは、俺もそう思います」
俺はすぐに答えた。
ここを間違えてはいけない。
人を荷物扱いすれば、この人は絶対に話を聞かない。
「人は荷ではありません」
「ほう」
「でも、目的地まで無事に届ける必要があるという意味では、考えるべきことは似ています」
バルムは黙った。
俺は続ける。
「ただし、人は揺れれば痛む。疲れれば判断が鈍る。寒ければ体力を奪われる。急がせすぎれば、着いた時に使い物にならない。だから、荷より難しいです」
老人の眉がわずかに動いた。
「使い物にならない、か。ずいぶんはっきり言う」
「鉱山町へ着いてから治療できなければ、急いで運ぶ意味がありません」
「……なるほど」
バルムは椅子の背にもたれた。
「少しは話が通じるようだ」
第一関門は通ったらしい。
俺は胸の奥で息を吐いた。
使者が机の上に地図を広げる。
ルーヴェンから鉱山町まで。
薬草急送と同じ北方面。
ただし、今回は高齢の薬師を運ぶ。
薬草箱とは違う。
馬に左右均等に載せて終わり、というわけにはいかない。
「まず確認させてください」
俺はバルムへ向き直った。
「年齢は」
「72だ」
「持病は」
「腰が悪い。長く馬に乗ると脚が痺れる。咳は少しあるが、熱はない」
「馬車には乗れますか」
「乗れる。だが、揺れる馬車は嫌いだ」
「馬には」
「昔は乗った。今は長くは無理だ」
「食事は」
「粥なら食える。硬いものは面倒だ」
「途中で休まなければならない間隔は」
「わしは休まずとも行ける」
即答だった。
俺はリーナを見た。
リーナは無言で首を横に振った。
ですよね。
「バルム殿」
俺は老人へ視線を戻した。
「それは希望ですか、実績ですか」
部屋が少し静かになった。
バルムの目が細くなる。
「何?」
「最近、実際に休まず長距離移動したことがありますか」
「……ない」
「なら、休む前提で組みます」
「急ぐのだろう」
「急ぎます。でも、無理はしません」
「わしが休みたいと言った覚えはない」
「休みたいかどうかではなく、倒れないためです」
言いながら、少し自分にも刺さった。
俺も似たようなことを言われている。
無理はできる。
でも、無理を前提にすると壊れる。
人も荷も同じだ。
いや、人はもっと壊れやすい。
「鉱山町へ着いて、すぐ患者を診られる状態でなければいけません。道中で体力を使い切ったら、移動は成功でも任務は失敗です」
バルムは黙った。
鋭い目で俺を見ている。
怒っているようにも見える。
だが、話を聞いていない目ではない。
「……続けろ」
「はい」
俺は地図を見る。
「まず、通常の荷馬車は駄目です。揺れが大きい。馬を急がせれば余計に身体へ響きます」
使者が頷く。
「領主館の馬車もあるが、速度を出せば揺れる」
「なら、速度を出すところと、揺らさないところを分けます」
「どういう意味だ」
「バルム殿をずっと同じ乗り物に乗せない。道が良い区間は小型馬車。悪路の区間は、担架か吊り床。必要なら短く馬に乗る。でも1つの方法で最後まで通さない」
バルムが眉を上げた。
「乗り換えながら行くのか」
「はい。人を壊さず運ぶなら、道に合わせて運び方を変えるべきです」
「面倒だな」
「面倒です。でも、倒れるよりましです」
ガルドが腕を組む。
「吊り床とは何だ」
「馬車の中に寝台を固定するんじゃなく、革紐や布で少し吊るす形です。車体の揺れを直接身体に伝えないようにする」
「そんなもの、すぐ作れるのか」
使者が言った。
俺は部屋を見回した。
「領主館に馬車職人か、荷車の修理ができる人はいますか」
「いる」
「革紐、厚い布、木枠、藁袋は?」
「ある」
「なら、完全なものは無理でも、応急の吊り寝台は作れます。荷台の中で身体が跳ねないように、横揺れを抑える支えも必要です」
頭の中で、トラックの荷台が浮かぶ。
壊れ物を運ぶ時。
振動を殺す。
隙間を埋める。
固定しすぎて衝撃を直に伝えない。
動かしすぎて中で暴れさせない。
人間なら、さらに呼吸と姿勢がいる。
リーナが口を開いた。
「背中と腰を支えるなら、完全に平らな寝台より少し上体を起こせる方がいいです。咳があるなら、横になりすぎると苦しいかもしれません」
「なるほど」
俺は頷いた。
「じゃあ、角度を変えられるようにしましょう。背中側に藁袋を差し込めるようにする。休む時は上体を起こす。揺れが少ない時は寝る。咳が出る時は横向きもできるように」
バルムがリーナを見る。
「お前、薬師見習いか」
「はい」
「師は誰だ」
「カミラ薬師です」
「カミラか。あの娘の弟子なら、まあ悪くない」
リーナの師匠、やはり有名らしい。
リーナは少しだけ背筋を伸ばした。
俺は地図に視線を戻す。
「次に休憩地点です」
使者が言う。
「急ぎなら、休憩は減らした方がよいのではないか」
「長い休憩は減らします。でも、短い休憩は増やします」
「またそれか」
ガルドが少し笑った。
俺は第3話などとは言わない。
領都へ向かう道中で使った考えだ。
「身体が冷え切るほど長く止まると、再出発がつらい。だから、短く止まる。水、体勢変更、脈、咳、腰の痛み、馬の状態、吊り床の緩みを確認する。大きく崩れる前に直す」
バルムが小さく唸った。
「薬師の診立てに似ているな」
「壊れてから直すより、壊れる前に見る方が楽です」
「それは正しい」
初めて、老人がはっきり同意した。
少しだけ空気が変わる。
「人員は?」
使者が聞いた。
「護衛は多すぎると遅くなります。でも少なすぎると危ない。先行して道を見る者、馬車周りを守る者、バルム殿を介助できる者、予備の馬を見る者」
俺はリーナを見た。
「薬師として同行はできますか」
リーナは少し目を見開いた。
「私がですか」
「治療者の目が必要です。俺だけでは身体の変化を見落とします」
リーナは迷った。
当然だ。
彼女は俺の治療もある。
それに、鉱山町は熱病が出ている。
薬師見習いが向かうには危険もある。
バルムが口を開いた。
「見習いを連れていくなら、役には立つ。わしが倒れた時、わし自身では自分を診られん」
「師匠の許可が必要です」
リーナが言った。
使者が頷く。
「カミラ薬師には領主館から話を通す」
話が大きくなる。
俺は少し嫌な予感がした。
リーナが同行する。
ガルドか護衛もつく。
老薬師を運ぶ。
では、俺は?
「アスト」
案の定、使者が俺を見た。
「お前にも同行してもらう」
リーナがすぐ反応した。
「無理です」
即答だった。
俺が答えるより早い。
使者は眉を上げる。
「なぜだ」
「彼はまだ深い怪我をしています。短時間歩くことはできますが、長距離移動や悪路は危険です」
「だが、段取りを組んだ者が現場にいなければ、判断が遅れる」
「途中で彼が倒れたら、さらに荷が増えます」
リーナは一歩も引かない。
ありがたい。
だが、使者の言うこともわかる。
人を運ぶ計画は、薬草箱よりずっと変化が大きい。
現場で判断する者が必要だ。
俺が作った仕組みを、現場で修正できる人間。
ラウルのような道を見る人間は必要だ。
だが、今回の中心は移動中の身体負荷。
それを見るには、リーナとバルム本人。
俺は無理に行くべきか。
いや、違う。
ここで無理をすれば、俺自身が運ぶべき対象になる。
それは最悪だ。
俺は杖を握り直した。
「俺は、全行程には同行できません」
使者の目が細くなる。
「できない、と?」
「はい。今の身体では、足手まといになります」
悔しいが、事実だ。
「ただし、領都から最初の中継点までは同行できます。そこで乗り心地、吊り床、休憩間隔を確認する。問題が出たら調整する。その後は、ラウルさんのような道を知る人と、リーナさんに判断を引き継ぐ」
リーナが俺を見る。
反対しかけた顔だ。
俺は先に続けた。
「短距離なら、俺も馬車で移動できます。もちろん、無理なら戻ります。俺の身体も壊せません」
リーナは黙った。
まだ納得はしていない。
だが、完全同行よりはましだと思ったのだろう。
「最初の中継点はどこだ」
使者が聞く。
ガルドが地図を指した。
「北道の手前、石橋へ向かう分岐の宿場だ。領都からなら半日弱。道も比較的良い」
「そこまでなら、アストでも耐えられるか」
リーナが考え込む。
「揺れが少ない馬車で、途中に休憩を入れるなら。ただし、痛みや発熱があれば即中止です」
「俺もそれでいいです」
「あなたは良くても、私が良くない場合があります」
「はい」
逆らわない。
ここは逆らってはいけない。
バルムが声を立てずに笑った。
「お前、自分を運ぶのは下手そうだな」
「最近、自覚しました」
「なら、見習いの言うことを聞け。治療者の命令を聞けぬ者は、患者を運ぶ資格がない」
ぐうの音も出ない。
「はい」
俺は素直に答えた。
◆
そこから、具体的な準備が始まった。
領主館の馬車職人が呼ばれる。
大柄な男で、名前はドラン。
無口だが、木枠や車輪の話になると目が鋭くなる。
「吊り床だと?」
ドランは俺の説明を聞くと、眉を寄せた。
「馬車の中に寝床を吊るす。革紐で四隅を受ける。下には藁袋。横揺れを抑えるため、左右に布帯。背中側は角度を変えられるように」
「そんなもん、走れば揺れるぞ」
「揺れを消すんじゃなく、尖った衝撃を丸くしたいんです」
「丸く?」
「車輪が石に当たった時、身体が直接跳ねないように。完全固定だと衝撃がそのまま行く。ゆるすぎると中で振られる。少し逃がして、少し抑える」
ドランは黙って俺を見た。
「荷車を知っている言い方だな」
「前に、荷を運ぶ仕事をしていました」
「どこで」
「遠いところです」
もうこの答えにも慣れてきた。
ドランはそれ以上聞かず、馬車の寸法を測り始めた。
「半日で仮のものなら作れる。だが、荒れ道で壊れたら知らんぞ」
「壊れそうな箇所を先に教えてください」
「固定の革紐。木枠の角。床板の軋み。あと、車輪の金輪が緩むと全部終わる」
「そこを重点確認で」
俺はリーナに目を向ける。
「確認札を作りましょう」
「はい」
リーナはもう慣れたもので、すぐに紙を出した。
出発前確認。
革紐。
木枠。
床板。
車輪。
藁袋。
布帯。
水。
食事。
薬。
毛布。
吐き気止め。
咳止め。
体温。
脈。
腰痛。
休憩予定。
書けば書くほど、荷物ではなく医療搬送に近づいていく。
いや、実際そうなのだろう。
人を運ぶとは、身体ごと、命ごと運ぶことだ。
「馬はどうしますか」
俺が聞くと、使者が答えた。
「領主館の馬を出す。強い馬だ」
「強いだけではなく、性格が穏やかな馬を」
「なぜだ」
「急に走り出す馬は困ります。今回は速さより、揺れを読めることが大事です。御者も同じです。腕が良くても、飛ばしたがる人は駄目です」
使者が少し苦い顔をした。
「領主館の御者は腕自慢が多い」
「なら、腕を見せる場面ではないと先に伝えてください」
ガルドが吹き出しかけた。
使者は真顔で頷いた。
「伝える」
大丈夫だろうか。
少し不安だ。
だが、言わないよりはいい。
御者にとって、速く走ることが誇りの場合もある。
しかし今回は、速さだけでは失敗する。
揺らさず、止め時を間違えず、馬を潰さず進む。
それが腕だ。
頭の奥に表示が浮かんだ。
【新規補助:身体負荷管理】
【役割固定:運び手】
【対象:人員輸送】
【効果予測:揺れ・疲労・休憩間隔の判断補助】
【注意:医療判断は専門者の意見を優先してください】
はいはい。
そこはわかっている。
俺は医者ではない。
薬師でもない。
だからこそ、リーナとバルムの判断が必要だ。
◆
昼過ぎには、仮の吊り床馬車が形になった。
領主館の中庭に、小型の馬車が引き出される。
荷台の内側に木枠。
そこへ革紐で吊った寝台。
下には藁袋。
左右には揺れ止めの布帯。
背中側には、角度を変えられる差し込み式の支え。
見た目は不格好だった。
だが、目的は美しさではない。
壊さず運ぶことだ。
「試す」
バルムが言った。
老人は誰よりも早く馬車へ乗ろうとした。
リーナが止める。
「ゆっくりです」
「わかっておる」
「わかっている動きではありません」
この2人、相性がいいのか悪いのかわからない。
俺も杖をついて近づく。
バルムは寝台に横になり、背中の角度を調整した。
「悪くない」
第一声はそれだった。
ドランが鼻を鳴らす。
「まだ動いてない」
「動かせ」
御者が馬を進める。
中庭の石敷きを、ゆっくり1周。
吊り床は揺れた。
だが、車輪の衝撃が直接身体へ行く感じは少ない。
リーナが横から確認する。
「咳は?」
「ない」
「腰は」
「少しましだ」
「頭は」
「揺れる」
俺は馬車の横を歩きながら、揺れを見る。
左右はいい。
だが、前後に少し跳ねる。
「前側の革紐、少し締めてください。後ろはそのまま。あと、背中の支えが硬いかもしれません。布を1枚噛ませたいです」
ドランがすぐに調整する。
2周目。
少しましになる。
ただ、曲がる時に身体が横へ流れる。
「布帯を腰の位置にも追加。固定しすぎず、流れを止める程度で」
「注文が多いな」
ドランが言う。
「壊れやすい荷なので」
バルムが寝台の上で目を開けた。
「誰が壊れやすい荷だ」
「すみません。人でした」
「遅いわ」
老人が少し笑った。
場の空気が緩む。
3周目。
かなり安定した。
バルムは目を閉じたまま、しばらく黙っていた。
リーナが脈を取る。
「大きく乱れてはいません」
「腰は?」
俺が聞く。
「耐えられる」
バルムが答えた。
「ただし、このまま長く揺られれば疲れる」
「なら、休憩間隔は短めです。最初は半刻ごとに確認。問題なければ少し伸ばす」
「急ぐのだろう」
「休憩を削って倒れたら、もっと遅れます」
「お前、そればかりだな」
「仕事なので」
バルムは目を閉じたまま、ふっと息を吐いた。
「よし。これで行く」
使者が頷いた。
「出発は?」
「明朝で」
俺が言うと、使者は眉を寄せた。
「今からではないのか」
「今から出ると、途中で夜になります。初めての吊り床馬車で夜道は危険です。明朝、明るくなってすぐ出る。今日のうちに馬車を調整し、馬と御者に慣らす。必要な薬と食事もまとめる」
「鉱山町は急いでいる」
「だからこそ、失敗しない形で出します」
俺ははっきり言った。
「焦って今出て、夜道で馬車が壊れたら終わりです。バルム殿が倒れても終わりです。明朝出て、止まらず進める準備を今日中にします」
使者はしばらく黙った。
領主館の人間としては、一刻も早く動かしたいのだろう。
だが、急がせることと、早く届かせることは同じではない。
やがて、バルムが口を開いた。
「明朝でよい」
「バルム殿」
使者が驚いた顔をする。
老人は寝台の上で目を開けた。
「わしは鉱山町へ死にに行くのではない。治しに行く。着いた時に倒れておっては話にならん」
さすが薬師。
話が早い。
使者は深く頭を下げた。
「承知しました。明朝、出発とします」
◆
その後は、準備に追われた。
馬車の調整。
革紐の予備。
藁袋の交換分。
水。
粥にできる穀物。
薬箱。
毛布。
雨避け。
簡易の帳。
休憩地点の確認。
先触れ。
護衛の選定。
御者への説明。
そして、確認札。
俺は領主館の一室で、リーナや使者と一緒に項目を潰していった。
自分の身体はまだ万全ではない。
だから、途中で何度も座る。
腹も減る。
リーナに言われて、粥も食べる。
情けないが、これも仕事だ。
俺自身が途中で壊れたら、何の意味もない。
夕方になる頃、ようやく準備の形が見えた。
明朝、領都を出る。
馬車にはバルム。
リーナが同乗。
御者は穏やかな運転を選ばれた男。
護衛はガルドが選んだ2人。
道見役にラウルを呼ぶ手配もした。
俺は最初の宿場まで同行。
そこで馬車の状態とバルムの身体を確認し、問題がなければ引き返す。
引き継ぎ用の木札も作った。
この先は俺がいなくても、確認すべきことが見えるように。
それが、今の俺にできる精一杯だった。
領主館を出る頃、空は赤く染まっていた。
俺は杖をつき、ゆっくり門へ向かう。
リーナが隣を歩く。
「明日、本当に宿場まで行くのですか」
「はい」
「無理だと判断したら止めます」
「わかってます」
「わかっている人は、もう少し不安そうな顔をします」
「不安ですよ」
「そうは見えません」
俺は少し考えた。
「怖いです。でも、少し楽しみでもあります」
「楽しみ?」
「うまく運べるかどうかを、自分の目で見られるので」
リーナは呆れたように息を吐いた。
「やはり、あなたは患者としては面倒です」
「すみません」
「でも、運び手としては……たぶん必要です」
小さな声だった。
俺は少しだけ笑った。
「それ、褒めてます?」
「半分は」
「残り半分は?」
「やはり面倒です」
この返し、流行っているのかもしれない。
領主館の門を出ると、領都の夕方の音がした。
荷車。
人の声。
馬の蹄。
どこかの店から漂う焼き物の匂い。
この街は、今日も動いている。
そして明日、俺は初めて人を運ぶ仕事に関わる。
荷ではない。
人だ。
老薬師バルム。
鉱山町の患者たち。
リーナ。
護衛。
御者。
その全員の命と体力が、道の上で揺れる。
俺は胸の奥で、自分を確認した。
俺。
51歳。
大型トラック運転手。
今はアスト。
固有スキルは自己暗示。
役割は運び手。
信じ込めた力だけが、俺の武器になる。
なら、今信じるべき力は何か。
速さではない。
派手な力でもない。
人を壊さず、目的地へ届ける段取り。
揺れを読み、休ませ、必要な時に止める判断。
それが、今回の武器だ。
【新規任務:老薬師バルムの鉱山町搬送】
【役割固定:運び手】
【補助派生:身体負荷管理】
【注意:対象は荷物ではありません】
【目的:到着後、治療可能な状態で届けること】
わかっている。
荷は、届いてから働く。
人は、着いてから生きて動く。
だからこそ、運び方を間違えてはいけない。
俺は杖を握り直し、ゆっくり歩き出した。
明日の朝。
新しい便が出る。
今度の荷は、命を救う知識を持った老人だ。
そして俺は、その人を壊さず届ける方法を考えなければならない。
第12話─了




