38. ザフィーラ「この世でたった一つの宝石」
「ザフィーラ……お前との婚約は無かったことになった。七人の兄たちも、五人の弟たちも、皆がお前を狙っている。だが……」
アラハッディン皇子は腰に佩いた短刀を抜き放った。
「誰にもお前を渡しはしない。誰かに奪われるぐらいなら、いっそこの手でお前を……」
一歩、また一歩と、まるで恐怖を煽るかのようにゆっくり詰め寄ってくる。どこにも逃げ場は無い。最悪の結末?……そんなはずは無い。だってこの展開は……
「そこまでだ!愚かなる我が兄アラハッディン!」
モザイク模様の窓ガラスを派手に突き破って部屋に転がり込んできたのは、第十皇子のクルンバト。異国風の美しい細身の剣を斜めに構え、アラハッディンに対峙する。
「貴様!なぜザフィーラの寝所に!……さてはコソコソ忍び込んでいた間男は貴様か!」
「下衆な勘繰りはよせ。僕はただ美しい者を美しいと讃える文を届けていただけだ。やましいことなどあるものか!」
「あの女々しい恋文か。自分に酔った独り善がりな詩など、よく恥ずかしげもなく我が妃に送って寄越したものだ」
「まだ妃ではない!いや、もうお前の妃になることはない!」
「抜かせ小僧!」
二人の男が睨み合い、今にも斬り結ぼうと間合いが近付く。そこにもう一人の皇子が現れた。今度は天窓を突き破って。
帝国一の剣の使い手と名高い第五皇子ヤフディン。すでに自慢の名刀「シャッハラーサ」を抜き身で携え、他の二人とは比べ物にならない殺気を醸し出している。
「お飾りの剣を振りかざして幼稚な意地の張り合いはやめておけ。お前たちの手が届くような女ではない。勘違いするなよ、アラハッディン。ザフィーラはたまたまお前に献上されたというだけで、お前のものではない」
その迫力に恐れおののいて腰を抜かすアラハッディンと、後ずさりながらも剣を下ろさないクルンバト。しかし鋭い刃のようなヤフディンの眼光を向けられると、やはり怖気づいて脚が震えている。
するとさらにもう一人、正面の入り口を開けて入ってきた。
第一皇子のアミル・サマーン。病身の皇帝に代わって今この大帝国バラクシャーの全権を握っている男。その尊大で傲岸不遜な眼差しがこちらに注がれる。
「おお、ザフィーラ!ニシャブールの深淵なる宝石よ!みすぼらしい弟たちの宮殿ではその美貌を飾るに相応しくない。そなたのためにこの帝国始まって以来の壮麗な大宮殿を築こう!」
四人の皇子のギラギラした視線がぶつかり合い、激しく火花を散らした後、一斉にこちらに向けられた。どれを受け止めてもいけない。顔を伏せたまま、この場でたった一つの正解を答える。
「恐れながら……預言者は私を帝国の災厄、滅びの呪いと見立てました。今この場で世継ぎの皆様が刃を向け合っていらっしゃることこそ何よりの証……」
誰とも視線が合わないように目を閉じたまま顔を上げる。この世でたった一つの宝石と例え称される美しすぎる顔を。
「どうかこの顔を焼き、砂漠の牢獄の奥深くに私をお捨て去りください。大帝国の永劫なる繁栄のために」
「そんな……そんなことはさせない!」
大げさな身ぶりとともにクルンバトが叫ぶ。いちいち芝居の台詞じみているのほ何故だろう。アミル・サマーンも頷いた。
「無論だ。この帝国で最も価値ある宝を砂漠に捨て去るなど正気の沙汰ではない」
そこにまた一人、まるでタイミングを見計らったかのように第三皇子アリファハッドが現れた。
「呪いなど恐れることはない。簡単なことだ。ザフィーラは次の皇帝の妃となる。それまでは誰も手を触れてはならない。誰もこの離宮に近付いてはならない。兄上、それでよろしいか?」
挑戦的な目で尋ねられ、長兄アミル・サマーンは鷹揚に頷いた。
「どのみち私のものになるのは同じことだが……ザフィーラ、それでよいか?」
「仰せのままに……」
アリファハッドが一瞬、こちらを見てニヤリと笑った。




