33. イライサ「行かないで」
私たちは沢を渡り、そのまま岸に沿って流れを下った。
王子を支えるデレクの代わりにルシエットが灯りを持ち、私が藪をかき分けて道無き道を進んだ。何度も足を滑らせてまた転びそうになったけど、その度にルシエットに支えられ、ほとんど抱き合うような格好でなんとか歩き続けた。
「ダンスのお相手をしてるみたいですね。森の中だと私の方がリード役みたいです」
こんな時に軽口を言って微笑むルシエットの明るさが心強い。彼女の持つ灯火は心許ない足下だけでなく、今にも不安に呑み込まれてしまいそうな私の心の中まで照らしてくれているみたいだった。
川幅が徐々に広くなり、下る斜面が緩やかになってきた。所々に人が歩いたような小径の跡も見つかり、もうすぐ森を抜けられそうな希望が見えてきた時だった。
「王子!」
デレクの声に振り返ると、彼の腕の中に王子の体が力無く倒れ込んだところだった。
「王子様!!」
ゆっくりと地面に横たえられた体にルシエットがすがりつく。王子の目は開いたままだけど、意識は朦朧としているようだった。
「傷が開いて……出血が酷くなってます!もうこれ以上歩くのは無理です!」
「どこか隠れられる場所を探して、少し王子を休ませましょう。もう人里が近いはずです。私が先に行って誰か助けを呼んできます」
デレクは近くにあった大きな木の根の下の洞穴に王子を運んで寝かせると、「すぐに戻ります!」と言い残して暗闇の中に駆け出していった。
残された私たちは、震えが止まらない王子の体を少しでも温めようと両側から寄り添い、必死で呼びかけ続けた。
「もう大丈夫です王子様!すぐに助けが来ますから!」
「国境付近にはワシリウスの警備隊の拠点がいくつもあるはずです。彼らはすぐに動いてくれるはず……」
祈るような気持ちで励ます言葉を探す。王子の目は私もルシエットも見ていない。このまま目が閉じられてしまったら、もう二度と開くことはないのではないかと怖くて、同じようなことを何度も何度も語りかけた。
しかし一向に助けが来ないまま、隠れている洞穴の外ではとうとう空が薄っすら明るくなり始めた。王子の目は閉じられ、か細い呼吸だけが辛うじてまだ命があることを知らせてくれていた。私たちはただ身を寄せ合い、手を握り合って助けを待つことしかできない。
するとやがて、洞穴のすぐ近くの茂みがガサガサと揺れ、数人の人の話し声が聞こえてきた。
「おい、こっちにも足跡があるぞ!足を引きずってて血の痕もある。間違いない、ベルディアの連中だ!」
待ち望んだ救援ではなく敵兵たちの声だった。何人いるのだろう?すぐその辺りを探し回っている。夜明けも近い今、足跡を追われたらこの洞穴が見つかるのは時間の問題だ。私たち二人ではどうすることもできない。
絶望的な状況に青ざめながらルシエットを見ると、彼女は横たわった王子の体に木の葉を被せて隠そうとしていた。そんなものは焼け石に水だ。音を立てると見つかってしまう可能性が高い。
「ルシエット、無駄よ。もう息を殺して神に祈るしか……」
声を顰めて止めようとした私にニコッと微笑んで、ルシエットは囁いた。
「大丈夫です。あたしができるだけ遠くまであの人たちを引き付けて逃げますから、その間にイライサ様はここを離れて助けを呼んできてください」
「無理よ!逃げられるはずないわ!」
声を抑えながら必死で引き止めようとする。ルシエットを案じているのか、ここに取り残されるのが怖いのか、おそらく両方の不安と恐怖が私にのしかかる。でもルシエットの顔に迷いは無かった。
どうしてだろう?これほど絶望的な状況の中で、どうしてそんなに強くいられるんだろう?私には無理だ。何もできない。できるはずがない。
無力感に支配された私の心の中を見透かすように、ルシエットは微笑んだまま私の目をじっと覗き込んだ。
「大丈夫。イライサ様はあたしなんかよりずっと強いお方です。これからもずっと王子様を守れるのはイライサ様だけなんです」
「お願いルシエット、行かないで……お願い!」
意識の無い王子の上にそっと顔を寄せて口づけると、その顔の上に最後の木の葉を被せて、ルシエットはこちらを振り返った。
「あたし……行きます。王子様をお願いします」




