第一話 =まただ! また『アイツ』だ!=
――――――目が覚めた。左の方から私に向かって伸びる陽ざしがアラームの代わりとなっている。
今日もまた、一日が始まる。金曜日だ。確か、今日は私が日直だったっけ……まぁ、別にそこまで急いでいく必要もないか。いつも通りの時間に学校へ向かえば、十分間に合うし。とりあえずこれから身支度して、朝ごはん作って……はぁ、いつも思うんだけど、なんで私がお兄ちゃんの分まで朝ごはん作らなきゃなんないんだろ。婿入り先が町内だから、朝ごはんくらいこっちで食べさせろとか言ってるけど、そのくらい奥さんに作ってもらえばいいのに……。
まぁ、奥さんは私も昔から知ってる人だし、あの人の料理による被害も知ってるから、あんまり強くも言えないんだけど。
…………な。
まぁ、いっか。とりあえず光を拒むこの目をこじ開けて、朝ごはん作ろ。目玉焼きくらいでいいでしょ。昨日もいろいろあって疲れたし。まぁ、いつもの事なんだけど。
「…………な‼ 沙奈! はよ起き!」
「ひゃい!?」
突然耳元で爆音。思わず私は飛び起きる。
さっきまであれだけ嫌がっていた両目も、嘘のように開いた。でもやっぱり突然の光になれなくて、目が反射的に細まる。
誰だろ? 今の声。お兄ちゃん? いや、でも女の子の声だったし……。
様々な疑問を解決すべく、私はぼんやりと光を受け入れ始めた瞳で、目の前の人影を凝視する。
すると、そこにいたのは全く予想外の人物だった。
「……へ? 真紀子?」
それは私の通う高校のクラスメイトであり親友である、楠木真紀子だった。
彼女は両腕を組み、いかにも呆れた表情を張り付けて私を見下ろしていた。
「やっと起きた……ん? 今は普通の沙奈か…………もう昼休みやよ? はよ御飯食べん?」
………………what?
「昼休み…………え? 昼休み??」
「まだ寝ぼけとんの? アンタ、最近それ多い気がするげんけど」
率直な疑問を口に出せば、今度こそ苛立ちすら隠さない返答が返ってきた。
昼休み? よくみれば、真紀子も制服姿やし……あれ? ここ教室?
見渡してみれば、そこは通いなれた教室の、座りなれた私の席だった。黒板の上を見れば、時刻は十二時五十分。クラスメイト達は皆すでに昼食を取っており、食べてないのは私と真紀子くらいのものだ。
…………ん? 何で私教室にいるの?
「朝は日直なのに遅刻してくるし。腹も足も胸元も見せ放題やし。髪はぼさぼさやし。素行は荒いし……また『変な沙奈』になっとったがいね。覚えとらんのけ?」
そこまで言われて、私は窓に目を向けた。
じー。
しばし硬直。
やがて、赤面。
鏡なんて見なくてもわかる。私今、顔真っ赤。
「え!? え!? な、何でこんな事になっとるん!!?」
見れば今の私は、髪は寝癖つき放題。胸元はボタンが外れ、ブラジャーが見えるすれすれになってる。てか汗でちょっと透けてる。カッターシャツはスカートから出て腹チラなう。スカートもいつもより短くて、これまた下着が見えるすれすれだった。
何これ!? ちょっとひど過ぎじゃない!? これじゃ誘ってるようなもんやん!! 私こんなキャラじゃないし! てか強調するほど胸ないし!
……あ、何か今の自分で言ってて悲しい……ってそうじゃなくて!!
あからさまに取り乱す私に、真紀子はやっぱりため息を漏らした。
「また覚えてない様やし言うけど……アンタ朝来たときは、まだボタンも止まっとったし、そこまで乱れてはなかったんやけど、何か一限終わった後に「暑ぃ」とか言ってボタン外しとったんよ。おまけにシャツも出してな。そんで授業中も胸元に指突っ込んでシャツで体仰いだり、おまけに片足椅子に乗っけたり……はっきり言うけど、お世辞にも女の子には見えんかったわ。なんか不良っぽかった」
間違いない。
今の真紀子の話を聞いて、私は確信する。
でも、今はそんな事どうでもいい。とにかく、今私がすべきことは。
「ちょ、ちょっとトイレ行って直してくる!! 真紀子さきに御飯食べとって!」
「あー……うん分かった。廊下走んなやー」
気の抜けた真紀子の声を背中に受けながら、私はトイレまで全力疾走する。
あーもう! まただ! また『アイツ』だ! ほんっっっっとうにろくな事せんな『アイツ』!!
心の中で雄たけびをあげながら、私は便意も無いのに女子トイレへと駆け込むのだった。
「あー……たった疲れた」
「お疲れさん」
放課後。あの後終礼までを何とか乗り切った私は今、机の上でゾンビのごとくうなだれていた。その前の席に座る真紀子はといえば、こっちの事などお構いなしに紙パックの苺ジュースと洒落込んでいる。
「もうほんとに嫌や。あれから先生にまでいじられたし」
「ほやなー。授業始まって開口一番が「おー糸式、女子力は家の人に持ってきてもらったんか?」は流石にウチも笑ったわ」
「他人事やと思って……皆もそれ聞いて爆笑するし、ショックやわ……」
聞けば私は午前中の授業で、先生に身だしなみについて言われたらしい。「アナタは女の子なんだから、もう少し身だしなみに気を遣ったら?」という先生の問いに対して、
「「女子力は家に忘れました」やもんなー。そりゃイジられるわいね」
「もぅ! 思い出させんといて!」
悲痛な私の叫びも、「いや、アンタが最初に話振ったがいね」の淡白な一言の前には意味を持たなかった。まぁその通りなんだけどさ……。
「あー……それもこれも『アイツ』のせいや。『アイツ』さえおらんだら、今頃私も平和な学園生活を送れとった筈なんに……」
「もう三年経つんやったっけ? 沙奈のそれ」
そう、三年。
人によってはたった三年に思えるかもしれないけど、私にとっては三年も、だ。
三年間、私は『アイツ』に悩まされてきた。切っ掛けなんか覚えてない。ただ、気づけば私は原因不明の現象に苛まれていた。
現象の内容は単純明快。
時折、記憶がすぱっと無くなってしまうのだ。
例えば、朝起きて、身支度を済ませて、学校へ向かっていたかと思えば、気づいた時にはもう終礼になっていたり。
夜寝ようと思って部屋に入ったら、起きたときにはなぜか私服で今にいて、しかもめっちゃ眠たくなっていたり……。ちなみに後でお兄ちゃんに言われたのだが、私はいきなり夜出かけるといって家を出て、朝になるころに帰ってきたらしい。
まぁ、掻い摘んで例を挙げればこんな感じだ。今日、私が起きたときに学校にいて、しかも昼休みだったのも原因は同じだと、今の冷静になった頭なら理解できる。
―――――――――理解出来るだけで、納得はしないけど。
「一回病院で診てもらった方がええんやないの?」
「行ったよ。市民病院も金沢にある国立の病院も、脳外科と精神科両方行ったけど、返答は同じやったわいね。
『どこも異常はありません』って一言だけ」
市民病院はともかく、国立病院がそう言ったのだから、認めざるをえない。
ただ私だって、記憶が飛ぶだけならまだ良い。いや良くはないんだけど、その間普通に生活しているのなら、まだ気楽なものだ。
でも、私の場合はそうはいかなかった。
「もぅ! ほんとに何なん『アイツ』! 私の体を好き勝手弄んでるのがそんなに楽しいんけ!?」
「沙奈、その発言はいらん誤解を生むさけ止めとき」
いつも通り冷静な真紀子の声も耳に入らない。
そう、私が抱える目下一番の悩みは『アイツ』だ。
私が知らない間、私として生活しているらしい『アイツ』。私の記憶が抜けている間、どうやら私とは違う『裏の私』が私の代わりに私になっている様なのだ。
それを裏付けるのは、周りの人たちの証言の数々。
不良に因縁吹っ掛けられたのにブチ切れて喧嘩して、しかもボコボコにしていた。
身だしなみを気にしなくなった。
言動が乱暴でガサツになっていた。etc……。言われたことを挙げていくと、枚挙にいとまがない。しかも入れ替わっていたであろう時間を一度調べてみたのだが、タイミングが不規則で何が切っ掛けなのかが分からないのだからタチが悪い事この上ない。
「もう最悪。今日だって服はあんなんやし、意味不明発言もあったみたいやし、それになにより……」
「? まだなんかあったん?」
「日直遅れたし……」
「……そこ?」
呆れた声で言う真紀子に、私はがばっと顔をあげた。
「いや重要やよ!? おかげで同じ日直やった東雲君に迷惑かけてまったし……」
「あーそれでアンタ東雲に死ぬほど謝っとったんか」
「普通に許してはくれたけど……ほんと申し訳ないわ」
「アンタも損な性格やな」
そう言うと、真紀子はカバンを右手で取ってすっと立ち上がった。
「ま、ここで愚痴っとってもそれは治らんし、下校時間が近づいて外暗くなるだけやわいね。とりあえず、もう帰らんけ?」
「うん……そうやね」
促され、私もカバンを持って立ち上がる。窓を除けば、もう日は落ちかけており、すっかり黄昏時と言っていい時間になっていた。早く帰って夕飯の準備しなきゃ。またお兄ちゃん来るかな?
そんな事を考えながら、私は真紀子と並んで教室を出る。
途中、自転車小屋まで何でもない話をしながら歩いていると。
「あのぉ……」
突然、後ろから声がふいてきた。ふいてきた、なんて表現をしたのは、それがあまりにもか細く、下手したら気が付かなかっただろうなと思えるほどだったから。
いったん話を止め、真紀子と二人でそちらを振り向くと、なんとも声色通りの、気の弱そうな可愛らしい女の子が立っていた。その両隣には、友達らしき女の子も立っている。
「えっと、あの……い、糸式先輩」
どうやら私に用があるらしい。
「私? 何?」
自分を指さしてそう問いかければ、女の子はひっ! と小さな悲鳴を上げた。ん? どういうことかな? なんか知らないけど、私怖がられてる? どうも後輩の子みたいだけど、私はこの子と面識なかったはずなんだけど……。
隣にいる真紀子を見れば、よく分かってない様な何かを察してる様な、何とも複雑な表情で私を見ている。
「あ、あの……その、ですね……えっと……」
そういって口ごもる後輩ちゃんの顔は、心なしかほんのりと桜色に染まっている。ちらちらと後ろの二人に視線を送れば、二人が「頑張って!」と小声で勇気づけている。
なにこれ? なんか告白みたいになってるけど……。
状況を理解できないでいると、
「い、糸式先輩! け……今朝はありがとうございました!」
「え……?」
「お、お礼だけどうしても言いたくて……先輩は、私のこと知らんと思いますけど……で、でも! 私、先輩みたいな人がおって、本当に助かったんです! だから、その……ありがとうございました!」
なるほど、わからん。
この子は一体何の話をしているんだろうか。
「えっと……ど、どういたしまして?」
あんた誰? なんていうのは流石に憚られたので、とりあえずそう答えておく。
すると、後輩ちゃんはパァという擬音が見えそうな笑顔を浮かべた。
「は、はい! では、私はこれで失礼します! あ……それと先輩!」
「ん?」
今度は何だろうか。
そう思っていると、再び後輩ちゃんは頬を染め、こういった。
「その、朝の……怖い人たちにも負けずに睨み返して、私は悪くないって言ってくれた先輩……本当にカッコよかったです! 失礼します!」
そういって、後輩ちゃんは出口へ続く坂の下へと向かっていった。友人二人もぺこりと頭を下げてその子のもとへと走っていく。
坂の下でキャーキャーと騒いでいる後輩ちゃんたちの声も、私にはやけに遠く感じられた。
朝。怖い人たち。睨み返していた。私が。私が。私が……私が!?
「あーうん、何ていうかさ……アンタ、ほんと最近モテるよね……女子に」
ポン、と私の肩に手を置き、真紀子はゆっくりと自転車小屋へと歩いていく。
彼女に手を置かれたから、というわけでもないが、私の体はわなわなと震えていた。
間違いない。『アイツ』だ。私の記憶がない朝。また『アイツ』が何かしたのだ。
「あーもう! ほんと勘弁してまー!」
まー! まー。まー………。
日が落ち、闇があたりを包みだした町に、私の声はやけに響いていた。
たった…………すごく、とても。
(例)たった疲れた→すごく疲れた
わいね…………語尾の一つ。
(例)そりゃ笑われるわいね→そりゃ笑われるって。
~さけ…………~から。~だからの意
(例)誤解を生むさけ、止めとき→誤解を生むから、止めときなさい
~してま………~して。~してよ。~してくれの意。
(例)勘弁してま!→勘弁してくれ!
今の10代~20代はだいぶ方言も薄まってますが、「たった」や「わいね」「がいね」「~け?」は特に頻繁に使いますね。
拙作でも、これらの方言は多々使うと思います。




