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中編「消えゆく仲間たち」

 遺跡の調査を始めて、二日目。

 僕たちは、古代都市の半分ほどまで探索を進めることができた。

 最初こそ複雑に入り組んだ道に苦労させられたが、歩いているうちに少しずつ街の構造が分かってきた。

 崩れかけた石造りの建物、かつての大通りと思われる広い道、そしてそれらを結ぶ無数の細い路地。

 まだまだ調べるべき場所は多いが、この調子なら明日には遺跡の最奥部まで到達できるかもしれない。

 調査そのものは、順調だった。

 もっとも、僕たち四人の人間関係については、そうとも言い切れなかったけれど。


「だからよぉ! いちいち指図すんなっつってんだろ!」


「指図ではありません。あなたが勝手なことをなさるから注意しているんですよ」


「それを指図っつうんだよ!」


 ……また始まった。

 野営地へ戻るなり、ボルドとレイはいつものように言い争っていた。

 もはや、どちらが何を言い出したのかすら分からない。

 最初の頃はそのたびに慌てて仲裁に入っていた僕だったが、最近では少し慣れてきてしまった。

 どうやら、この二人にとっては口喧嘩も一種の挨拶みたいなものらしい。

 ……そう思うことにしよう。

 とはいえ、互いに剣を抜くような事態にだけはならないでほしいものだ。


 その日の夜。

 僕は寝床の中で、なかなか眠りにつけずにいた。

 隣からは、ボルドの豪快ないびきが聞こえてくる。


「グゴォォォ……グガァァァ……!」


 ……本当に、人間の出せる音なのだろうか。

 ドラゴンがいるとすれば、きっとこんな鳴き声なのかもしれない。

 そう考えると、少しだけおかしくなった。

 けれど、僕の頭から離れないのは、昨日サルジが口にした言葉だった。


 『――本当に、この問題を解決するつもりがあるのか』


 あの時は、ただ恐ろしい予想だとしか思わなかった。

 しかし、人というものは一度疑問を抱いてしまうと、どうしてもそれを考えずにはいられない。

 僕たち四人は、なぜここへ送り込まれたのだろう。

 国が本当にドラゴンの脅威を取り除こうとしているなら、もっと大勢の兵士を派遣してもいいはずだ。

 それなのに、選ばれたのは僕たちだけだった。

 ウェル族の僕。

 投獄されるはずだったレイ。

 軍を辞めたボルド。

 そして、スパイの疑いをかけられたサルジ。

 全員に共通しているのは、国家にとって都合の悪い存在だということ。

 もし、ドラゴンの調査という名目そのものが偽りだったとしたら……?


 そこまで考えて、僕は毛布を引き寄せた。

 やめよう……こんなことを考えていたら、ますます眠れなくなる。

 何より、まだ何も起きていないのだ。

 きっと、考えすぎなのだろう。

 僕は目を閉じた。

 ボルドのいびきは、相変わらず凄まじかった。

 ――結局、その夜はほとんど眠れなかった。


 三日目の朝。

 僕たちは昨日と同じ組み合わせで、遺跡の調査を再開した。

 野営地の警備はレイとボルドに任せ、僕とサルジはさらに奥へと進む。

 昨日までに通った道は、ある程度頭に入っている。

 そのため、探索は驚くほど順調だった。


「おっ、こっちの道は昨日も通りましたね」


「ああ。その先の分かれ道から、まだ調べてねぇ区画に入るぞ」


「はい!」


 昨日よりも足取りは軽い。

 サルジが警戒を緩めていないことは分かっていたが、僕自身は少しずつ、この遺跡の雰囲気に慣れ始めていた。

 相変わらず生き物の気配はない。

 建物の間を吹き抜ける風と、石畳を踏む僕たちの足音。

 耳に届くのは、それくらいだった。

 けれど、昨日まで感じていた不気味さも、長く歩き続けているうちに少しずつ薄れてきた。

 何も起こらない。

 少なくとも、今のところは。

 ……やっぱり、ドラゴンなんていないのかもしれない。

 そんな楽観的な考えが、僕の頭をよぎった。


 その時だった。


「アアアアアアアアッ!!」


 突然、遠くから凄まじい絶叫が響き渡った。

 僕は反射的に足を止めた。


「……え?」


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 続けて、悲鳴が聞こえた。


「ダ、ダレカァァッ!! タスケテクレェェェッ!!」


 聞き覚えのある声だった。

 あの、酒で焼けたようなガラガラ声。

 まさか……!


「……ボルドさん!?」


 僕の顔から、血の気が引いた。


「チッ! 野営地の方だ!」


 サルジが叫ぶ。


「戻るぞ、ロイド!」


「は、はいっ!」


 僕たちは、来た道を引き返した。

 石畳を蹴り、崩れかけた壁の脇を駆け抜ける。

 胸の奥で心臓が激しく脈打っていた。

 何が起こった?

 何が、あのボルドに悲鳴を上げさせたのだろう。

 野盗か?

 それとも……。

 嫌な想像を振り払うように、僕は必死に走った。

 やがて、建物の隙間から野営地が見えてきた。


「…………っ!」


 僕は、その場に立ち尽くした。

 炎が上がっていた。

 赤く、激しく、恐ろしいほどの勢いで。

 まるで地面そのものが燃えているかのように、巨大な火柱が空へ向かって立ち昇っていた。

 そして、その炎の中心に。

 人がいた。


「……ボル、ド……さん?」


 それは、確かにボルドだった。

 大柄な身体が、炎に包まれている。

 先ほどまで聞こえていた悲鳴は、すでに途切れていた。

 炎の向こうで、彼の姿が揺らめいていた。


「ロイドさん! サルジさん!」


 レイが叫んだ。


「早く! 手を貸してください!」


 彼は水の入った樽を抱え、炎へ向かって中身を浴びせていた。

 しかし、火勢は少しも衰えない。


「どうして……!」


 レイの声には、いつもの冷静さがなかった。


「どうして消えないんですか……!」


 僕は動けなかった。

 あまりにも現実離れした光景だった。

 目の前で、一緒に旅をしてきた仲間が燃えている。

 ほんの数時間前まで、酒を飲んで笑っていた人が。

 あんなに大きな声で、レイと喧嘩していた人が。


「ロイド!!」


 突然、肩を強く掴まれた。

 サルジだった。


「何ぼさっとしてやがる! 手伝え!」


「……あっ!」


 我に返った僕は、慌てて水樽へ駆け寄った。


「は、はいっ!」


 そこからは、ほとんど無我夢中だった。

 三人で残された水を運び、炎を消そうと必死になった。

 水を浴びせても、炎はなかなか弱まらなかった。

 近くにあった砂や燃えない布も使い、どうにか火勢を抑えようとした。

 熱気が顔を焼く。

 煙が喉を刺激する。

 目には涙が滲み、息をするだけでも苦しかった。

 それでも、手を止めるわけにはいかなかった。


「くそっ! なんなんだよ、この火は!」


 サルジが怒鳴る。


「頼む……!」


 僕は思わず呟いた。


「お願いだから、消えてくれ……!」


 どれほど時間が経ったのだろう。

 やがて、ようやく炎が小さくなり始めた。

 火柱は崩れ、残された火も少しずつ消えていく。

 そして……炎の向こうにあったものが、僕たちの前に現れた。


「…………」


 僕は、何も言えなかった。

 そこにいたのは、もう僕たちの知っているボルドではなかった。

 あの大きな身体も、豪快な笑顔も、酒臭い息も。

 その人らしさを感じさせるものは、ほとんど残されていなかった。


「……うっ」


 胃の奥から、何かが込み上げてきた。

 僕は思わず口元を押さえ、顔を背けた。

 直視できなかった。

 目を閉じても、あの光景が焼き付いて離れない。


「……ボルドさん」


 声に出してみた。

 返事はなかった。

 当然だった。

 けれど……ほんの少し前まで、確かに生きていたのだ。

 僕たちと同じように歩き、笑い、怒っていた。

 それなのに……人間というものは、こんなにも突然、いなくなってしまうものなのだろうか。

 僕はその場に膝をついた。

 誰も、何も言えなかった。

 ただ、燃え残った木片が崩れる乾いた音だけが、静かな山中に響いていた。


 しばらくの間、僕たちは何もできなかった。

 ようやく気持ちを立て直したレイが、ボルドの遺体を埋葬することを提案した。

 獣に荒らされないよう、野営地から少し離れた場所に穴を掘る。

 僕は、遺体に目を向けることすらできなかった。

 結局、埋葬の大部分をレイとサルジに任せてしまった。

 情けない。

 自分でも、そう思った。

 けれど、どうしても身体が動かなかったのだ。

 簡素な墓ができあがると、僕たちはその前にしばらく立ち尽くした。

 墓標らしい墓標もない。

 ただ、掘り返した土の上に、いくつか石を積み重ねただけだった。


「…………」


 僕は手を合わせた。

 ボルドとは、まだ出会って三日しか経っていなかった。

 親しい友人だったわけでもない。

 むしろ、面倒な人だと思うことの方が多かった。

 それでも、これほど呆気なく別れが訪れるとは、夢にも思わなかった。


「……さて」


 沈黙を破ったのは、サルジだった。

 彼はレイの方を向いた。


「レイの兄ちゃん。悪いが、何があったのか説明してもらえるか?」


 レイは地面を見つめていた。

 両手を組み、深く俯いている。

 しばらく返事はなかった。


「……レイさん?」


 僕が声をかけると、彼はようやく顔を上げた。


「……ええ。そうですね」


 その表情は、ひどく疲れ切っていた。


「私たちは、あなた方が探索に向かったあとも、いつも通り野営地の警備を続けていました」


 レイは、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「特に異常はありませんでした。互いに持ち場を守り、周辺を警戒していたんです」


「それで?」


「しばらくすると、ボルドさんが頭痛を訴え始めました」


「頭痛?」


「ええ。昨日、酒を飲みすぎたせいだろうと本人は言っていました」


 ……ああ。

 あの酒樽の件か。


「それで、身体を洗って頭を冷やすと言い出したんです。水の入った樽をひとつ持って、少し離れた場所へ行ってしまいました」


 レイは、苦々しげに唇を噛んだ。


「本当なら止めるべきでした。ですが、また言い争いになるのも面倒だと思ってしまって……」


「……それで、見過ごしたのか」


 サルジが尋ねた。


「はい」


 レイは深々と頷いた。


「その後、しばらくは何事もなかったんです。ですが、突然……」


 彼の声が震え始めた。


「あの悲鳴が聞こえたんです」


 僕は思わず、さっきの光景を思い出した。

 凄まじい炎、聞こえてきた絶叫。

 そして……もう二度と声を発することのない、ボルドの無残な姿。


「……すぐに駆けつけました」


 レイは続けた。


「ですが、その時にはもう……彼は炎に包まれていました」


 言葉が途切れた。

 レイは口元を押さえ、顔を背ける。


「……すみません」


「いや、もういい」


 サルジが低く言った。


「大体のことは分かった」


 そして、少し間を置いて尋ねた。


「犯人は見たか?」


「……いいえ」


「誰かが逃げていく姿は?」


「それも……見ていません」


「そうか」


 サルジは腕を組みながら、目をつむって何か思索を巡らせているようだった。


「ですが……」


 すると、レイが重々しく口を開いた。


「あれほど激しく、人間が燃え上がるなんて……普通では考えられません」


 彼は青ざめた顔で僕たちを見た。


「もしかすると、本当に……」


 そこで一度、言葉を飲み込む。


「この山には、ドラゴンがいるのではないでしょうか」


 その瞬間。


「……チッ!」


 サルジが、苛立たしげに舌打ちした。


「馬鹿馬鹿しい!」


「……何ですって?」


「ドラゴンだと? そんなもん、まだ見てもいねぇだろ!」


 サルジは勢いよく立ち上がった。


「どうせ頭のおかしい山賊か何かが、燃えやすい油でもぶっかけて火をつけたんだろうよ!」


「ですが、あの炎は……!」


「だからって、すぐに化け物の仕業にするんじゃねぇ!」


 二人の声が、険しさを増していく。

 僕はまた喧嘩になるのかと思った。

 けれど、サルジはそこで口を閉じ、深く息を吐いた。


「……とにかくだ」


 彼は僕たちを見回した。


「これからは、絶対に一人で行動するな。何をするにも三人一緒だ」


「……はい」


「寝る時も、警備する時もだ。誰かが単独行動を始めたら、必ず止めろ」


 その言葉には、反論の余地などなかった。

 少なくとも今、僕たちは何者かに命を狙われている可能性がある。

 しかも、仲間を一人失ったばかりなのだ。

 もう、同じことを繰り返すわけにはいかない。

 ……それでも。


 僕の頭には、ひとつ気になっていることがあった。

 あの炎だ。

 サルジは燃料を使ったのだろうと言った。

 けれど、あれほど激しく燃えていたのに、近くには犯人らしい人影もなかった。

 何より。

 あんな炎を起こすには、一体どれほどの燃料が必要なのだろう。


「……ロイド?」


 サルジが声をかけてきた。

 しかし、その時僕はすでに歩き始めていた。

 もう一度、あの場所を調べてみたかったのだ。


 焼け跡には、まだ微かな熱が残っていた。

 焦げた木と、何か別のものが焼けたような、鼻をつく臭いが漂っている。

 先ほどまで人が燃えていた場所。

 そう思うだけで、背筋が寒くなった。

 それでも、僕は周囲を注意深く見回した。

 地面は広い範囲にわたって黒く焦げている。

 ところどころに燃え残った木片や灰が散らばり、周囲の草も熱で枯れていた。


「……これは」


 中心に近い場所に、黒く焼けた木の破片が落ちていた。

 大きさと形からすると、どうやら樽の一部らしい。

 レイの話によれば、ボルドは身体を洗うために水樽を持ってここへ来たという。

 ならば、この破片はその樽の残骸なのだろう。

 僕はしゃがみ込み、慎重に辺りを調べ始めた。

 サルジは、何者かが燃えやすい油を使ったのだろうと言っていた。

 そうであれば、燃料を入れていた容器や、何かを運んだ痕跡が残っていてもおかしくない。

 けれど……。


「……何もないな」


 どれだけ探しても、それらしいものは見つからなかった。

 もちろん、犯人が証拠を持ち去った可能性もある。

 だが、それにしても奇妙だった。

 これほど大きな炎が上がったというのに、明らかに人為的な痕跡が見当たらないのだ。


「……ん?」


 ふと、僕は少し離れた場所に目を留めた。

 灰の塊があった。

 ほかの焼け跡とは違い、そこだけ灰が不自然にまとまっている。

 僕は近づき、目を凝らした。

 どうやら、何かを重ねて置いてあったものが、そのまま燃え尽きたように見える。

 木の葉……いや、草だろうか。

 植物の繊維のようなものが、わずかに形を残していた。


「……何だろう、これ」


 僕は灰に手を伸ばしかけた。

 その時。


「おいっ!!」


 背後から、大きな怒声が響いた。


「何やってんだ、てめぇ!」


「うわあっ!」


 驚いて振り返ると、サルジとレイがこちらへ駆け寄ってきていた。

 サルジは顔を真っ赤にしていた。


「お前、死にてぇのか!?」


「えっ、あ、いや、その……!」


「ついさっき仲間が殺された場所だぞ! 犯人が近くに潜んでるかもしれねぇってのに、何一人でうろついてやがる!」


 ……しまった。

 言われてみれば、その通りだった。

 僕は手がかりを探すことに夢中になり、さっき決めたばかりの約束をもう破ってしまっていたのだ。


「ご、ごめんなさい……!」


「まったく、勘弁してくれよ……!」


 サルジは頭を抱えた。

 その隣で、レイが少しだけ表情を和らげた。


「ロイドさん。何か気になることでもあったのですか?」


「ええと……」


 僕は焼け跡を見渡した。

 燃料らしいものは、結局見つからなかった。

 少し離れた場所にあった灰も、それが何なのかまでは分からない。

 確かな手がかりと呼べるものは、何ひとつ掴めていなかった。


「……すみません。何か分かるかと思ったんですけど、結局、何も見つかりませんでした」


「そうですか……」


 レイが静かに頷く。

 一方のサルジは鼻を鳴らした。


「まあ、素人でもねぇ限り、簡単に足がつくような証拠は残さねぇだろうさ」


 彼は周囲を見回した。


「とにかく、もう戻るぞ。これ以上、ここにいるのは危険だ」


「……はい」


 僕はもう一度、焼け跡に目を向けた。

 黒く焦げた地面。

 壊れた樽。

 そして、少し離れた場所に残された灰。

 あの灰は、一体何だったのだろう。

 その疑問を抱えたまま、僕は二人の後を追った。


 ボルドが命を落とした三日目。

 僕たちは、それ以上の探索をすべて中止した。

 野営地の周囲を警戒し、残された食料や武器を確認し、襲撃に備えて守りを固める。

 それが、僕たちにできる精一杯のことだった。

 正直に言えば、僕は怖くて仕方がなかった。

 ドラゴンがいるのか。

 それとも、人間の手による犯行なのか。

 何も分からない。

 ただ、確かなことがひとつだけあった。

 僕たちの仲間が、一人殺されたのだ。

 そして、次に狙われるのが誰なのかも分からない。

 僕かもしれない。

 レイかもしれない。

 あるいは、サルジかもしれない。

 そのことを考えるたびに、胸の奥が冷たくなった。


 夕方になると、僕は何度も周囲を見回すようになった。

 茂みが揺れるだけで、心臓が跳ねる。

 風の音が聞こえれば、誰かの足音ではないかと疑ってしまう。

 昨日までは、ただ静かなだけだった遺跡。

 今では、その静けさそのものが恐ろしく感じられた。


「……ロイドさん」


 レイが僕に声をかけた。


「顔色が良くありませんね」


「あ、いえ……大丈夫です」


「無理をなさらないでください」


 彼は少しだけ声を落とした。


「こんな状況です。恐ろしくなるのも、無理はありませんよ」


「……レイさんは、怖くないんですか?」


 僕は思わず尋ねた。

 レイは、すぐには答えなかった。

 そして、小さく息を吐いた。


「……怖いですよ」


 意外な返事だった。


「私も、死にたくはありませんから」


 そう言う彼の表情は、いつになく真剣だった。

 その言葉を聞いて、僕は少しだけ安心した。

 どうやら、恐ろしいと思っているのは僕だけではないらしい。

 当たり前なことかもしれないが、その事実を当人同士で共有できることが、せめてもの慰めだったのだ。


 そして、暗闇が立ち込める夜が訪れた。

 僕たちは話し合い、これまでより見張りの交代を短くすることにした。

 一人が見張っている間、残りの二人は仮眠を取る。

 本当なら、全員が起きて警戒していたいところだった。

 しかし、眠らずにいれば判断力が鈍る。

 何かが起こった時に、疲れ切って動けなくなってしまっては元も子もない。

 やむを得ない判断だった。


 僕は寝床に横になった。

 もちろん、眠れるとは思ってはいない。

 目を閉じれば、あの炎が浮かんでくる。

 ボルドの悲鳴。

 焼け焦げた地面。

 そして、何も残されていないように見えた、あの不気味な現場。

 ……考えたくない。

 僕は毛布を頭まで引き上げた。

 やがて、身体の疲労が恐怖に勝ったのだろう。

 気がつけば、浅い眠りに落ちていた。


 ふと、目が覚めた。


「……ん」


 僕はゆっくりと身体を起こした。

 天幕の外は、まだ暗い。

 どうやら、サルジと見張りを交代する時間が近づいているらしい。

 正確な時間は分からなかったが、もう少しすれば交代のはずだ。

 ……どうせ、これ以上ぐっすり眠れる気もしない。

 僕は剣を手に取り、外套を羽織った。

 少し早いけれど、サルジには先に休んでもらおう。

 そう考え、天幕を出た。


「……サルジさん?」


 返事はなかった。

 僕は辺りを見回した。

 野営地の焚き火は、ほとんど熾火になっている。

 赤い光が、わずかに地面を照らしていた。


「サルジさん。少し早いですけど、交代しましょう」


 ……おかしい。

 どこにも姿が見えない。

 見張りの場所は、野営地からそう離れていないはずだった。

 暗がりに目を凝らしてみたが、人影らしいものは何一つ見当たらなかった。


「……あれ?」


 僕は一度、天幕を振り返った。

 なぜか、レイまでもいない。

 一体どういうことだろう。

 二人とも、どこへ行ってしまったのだ。


「レイさん?」


 返事はない。


「サルジさん! レイさん!」


 声を大きくしてみた。

 しかし、誰も応えなかった。

 ……嫌な予感がする。

 ボルドさんの身に、あんなことが起きたばかりなのだ。

 まさか……いや、そんなはずはない。

 僕は剣の柄を握り締めた。


「……くそっ、二人とも何やってるんだよ……!」


 その時だった。

 カサッ。

 近くの茂みで、何かが動いた。


「……っ!」


 僕は反射的に剣を抜いた。

 両手で構え、音のした方向へ刃先を向ける。

 風だろうか、それとも、何かの動物だろうか。

 ……いや。

 この遺跡には、動物の気配すらなかったはずだ。


 カサカサッ。

 再び、草を踏む音がした。

 何かが、こちらへ近づいてくる。


「だ、誰だっ!」


 自分でも驚くほど、声が震えていた。

 次の瞬間。


「ロイドさん!」

「うわああっ!!」


 茂みの向こうから、人影が飛び出してきた。


「お、落ち着いてください! 私です!」


「……レ、レイさん!?」


 現れたのはレイだった。

 僕は思わず、深く息を吐いた。


「な、なんだ……びっくりした……!」


 しかし、彼の表情を見た途端、その安堵は吹き飛んでしまった。

 レイは青ざめていた。

 肩で息をしながら、ひどく慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。


「ロイドさん……大変です!」


「え?」


「サルジさんが……!」


 レイは、一度言葉を詰まらせた。

 そして。


「サルジさんが、どこにもいないんです!」


「…………え?」


 僕は、一瞬その意味を理解できなかった。


「い、いないって……どういうことですか?」


「分かりません!」


 レイが首を振る。


「先ほど、あまりにも外が静かだったので、様子を確かめようと思ったんです」


「……はい」


「そうしたら、見張りをしているはずのサルジさんの姿が見当たらなくて……!」


 彼は慌てた様子で周囲を指差した。


「野営地の周りを探しました。少し離れた茂みや、荷物の置き場も確認したんです。ですが……」


「……どこにも?」


「ええ。どこにもいないんです」


 僕は唾を呑んだ。

 サルジが、いなくなった。

 ほんの少し前まで、ここで見張りをしていたはずなのに。

 一体、どこへ。

 まさか……。

 僕は頭を振った。

 駄目だ、今だけは、最悪のことを考えている場合ではない。


「……探しましょう!」


 僕はレイを見た。


「まだ近くにいるかもしれません!」


「ええ。そうですね」


 レイも頷いた。


「ロイド、十分に警戒してください。もし何者かに連れ去られたのだとしたら、私たちも危険です」


「……分かりました」


 僕たちはそれぞれ剣を手にし、野営地の周辺を探し始めた。

 暗闇の中での捜索は、想像以上に難しかった。

 月明かりは頼りなく、地面の状態を確かめるだけでも一苦労だった。

 枯れ葉や枝があちこちに積もり、雑草が土を覆っている。

 足跡らしいものを見つけても、それがいつ、誰によって残されたものなのか分からない。


「サルジさん!」


 僕は何度も呼びかけた。


「サルジさん! どこにいるんですか!」


 けれど、返事はない。

 風が吹くたびに、草木がざわめく。

 そのたびに僕たちは足を止め、剣を握り直した。

 何者かが潜んでいるかもしれない。

 そう思うだけで、身体が強張った。

 やがて、野営地の周辺をひと通り調べ終えた。

 しかし、サルジは見つからないままだ。


「……どうしましょう」


 僕は焦りを抑えきれず、レイを見た。


「この近くには、もう……」


「……遺跡の方へ向かいましょう」


 レイは静かに答えた。


「もしサルジさんが自分の意思で移動したのなら、何か理由があったはずです。あるいは……」


 彼は、そこで言葉を止めた。


「……いえ。とにかく、探してみましょう」


 僕は頷いた。

 二人で野営地を離れ、古代都市へと足を踏み入れた。

 昼間にも歩いた石畳の道。

 見覚えのある建物。

 それなのに、夜の遺跡はまったく別の場所のようだった。

 建物の窓は黒い穴のように口を開け、崩れた壁は得体の知れない影を落としている。

 何かが潜んでいても、おかしくない。

 僕たちは互いの位置を確かめながら、慎重に進んだ。


「……サルジさん」


 声を出しても、すぐに闇へ吸い込まれてしまう。

 返事はない。

 足音だけが、静かな街に響いていた。

 一体どれほど歩いたのだろう。

 気がつくと、東の空が少しずつ白み始めていた。

 夜明けが近づいている。

 僕たちは、ほとんど休まずに探し続けていた。

 それでも何も見つからない。

 サルジはどこへ消えてしまったのだろう。

 昼間、ボルドが殺された。

 そして今度は、サルジが行方不明になった。

 まさか、同じ何者かに襲われたのだろうか。


 ……嫌だ。

 僕は歯を食いしばった。

 もう、誰かが死ぬところなんて見たくない。

 あの炎も、ボルドの最後も。

 二度と、あんなものは見たくなかった。


「……ロイドさん!」


 突然、レイが声を上げた。


「こちらへ!」


「えっ!?」


 僕は慌てて彼の元へ向かった。

 レイは石畳の一角にしゃがみ込み、地面を指差していた。


「見てください」


「……これは」


 足跡だった。

 夜露を含んだ砂の上に、人間の靴と思われる跡が残されている。

 それも、ひとつやふたつではない。

 微かではあるが、道の奥へと続いていた。


「……足跡!」


 僕は思わず声を上げた。


「ええ。比較的小さなものです」


 レイは周囲の地面を確認しながら続けた。


「サルジさんの体格を考えると、彼の足跡である可能性があります」


「じゃあ……!」


「まだ断定はできません。ですが、調べる価値はあるでしょう」


 僕は頷いた。

 そして、二人で足跡を追い始める。

 跡はところどころで途切れていたが、しばらく進むと再び見つかった。

 そしてその先には、古びた石造りの建物があった。

 建物の側面には細い通路があり、足跡はその奥へと続いている。

 どうやら、建物の裏手へ通じているらしい。


「……あそこですね」


 僕は小さく呟いた。

 すると、レイも頷いた。


「ええ」


 彼は剣を抜いた。

 僕もそれに倣い、腰から剣を引き抜く。

 心臓が、激しく脈打っていた。

 サルジがいるかもしれない。

 あるいは……彼を連れ去った何者かが、そこで待ち構えているかもしれない。


「……ロイドさん」


 レイが低い声で言った。


「決して、私から離れないでください」


「……はい」


 僕たちは互いに目を合わせた。

 そして、剣を構え直す。

 一歩。

 また、一歩。

 崩れかけた石壁に沿って、慎重に進んでいく。

 建物の裏側は、まだ夜明けの光が届かず、薄暗かった。

 足跡は、その暗がりの奥へと続いていた。

 僕は息を殺した。

 剣を握る手には、じっとりと汗が滲んでいる。

 すぐそこに何かがある。

 そんな確信めいた予感があった。

 そして僕とレイは、ゆっくりと建物の角へと近づいていった。

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