中編「消えゆく仲間たち」
遺跡の調査を始めて、二日目。
僕たちは、古代都市の半分ほどまで探索を進めることができた。
最初こそ複雑に入り組んだ道に苦労させられたが、歩いているうちに少しずつ街の構造が分かってきた。
崩れかけた石造りの建物、かつての大通りと思われる広い道、そしてそれらを結ぶ無数の細い路地。
まだまだ調べるべき場所は多いが、この調子なら明日には遺跡の最奥部まで到達できるかもしれない。
調査そのものは、順調だった。
もっとも、僕たち四人の人間関係については、そうとも言い切れなかったけれど。
「だからよぉ! いちいち指図すんなっつってんだろ!」
「指図ではありません。あなたが勝手なことをなさるから注意しているんですよ」
「それを指図っつうんだよ!」
……また始まった。
野営地へ戻るなり、ボルドとレイはいつものように言い争っていた。
もはや、どちらが何を言い出したのかすら分からない。
最初の頃はそのたびに慌てて仲裁に入っていた僕だったが、最近では少し慣れてきてしまった。
どうやら、この二人にとっては口喧嘩も一種の挨拶みたいなものらしい。
……そう思うことにしよう。
とはいえ、互いに剣を抜くような事態にだけはならないでほしいものだ。
その日の夜。
僕は寝床の中で、なかなか眠りにつけずにいた。
隣からは、ボルドの豪快ないびきが聞こえてくる。
「グゴォォォ……グガァァァ……!」
……本当に、人間の出せる音なのだろうか。
ドラゴンがいるとすれば、きっとこんな鳴き声なのかもしれない。
そう考えると、少しだけおかしくなった。
けれど、僕の頭から離れないのは、昨日サルジが口にした言葉だった。
『――本当に、この問題を解決するつもりがあるのか』
あの時は、ただ恐ろしい予想だとしか思わなかった。
しかし、人というものは一度疑問を抱いてしまうと、どうしてもそれを考えずにはいられない。
僕たち四人は、なぜここへ送り込まれたのだろう。
国が本当にドラゴンの脅威を取り除こうとしているなら、もっと大勢の兵士を派遣してもいいはずだ。
それなのに、選ばれたのは僕たちだけだった。
ウェル族の僕。
投獄されるはずだったレイ。
軍を辞めたボルド。
そして、スパイの疑いをかけられたサルジ。
全員に共通しているのは、国家にとって都合の悪い存在だということ。
もし、ドラゴンの調査という名目そのものが偽りだったとしたら……?
そこまで考えて、僕は毛布を引き寄せた。
やめよう……こんなことを考えていたら、ますます眠れなくなる。
何より、まだ何も起きていないのだ。
きっと、考えすぎなのだろう。
僕は目を閉じた。
ボルドのいびきは、相変わらず凄まじかった。
――結局、その夜はほとんど眠れなかった。
三日目の朝。
僕たちは昨日と同じ組み合わせで、遺跡の調査を再開した。
野営地の警備はレイとボルドに任せ、僕とサルジはさらに奥へと進む。
昨日までに通った道は、ある程度頭に入っている。
そのため、探索は驚くほど順調だった。
「おっ、こっちの道は昨日も通りましたね」
「ああ。その先の分かれ道から、まだ調べてねぇ区画に入るぞ」
「はい!」
昨日よりも足取りは軽い。
サルジが警戒を緩めていないことは分かっていたが、僕自身は少しずつ、この遺跡の雰囲気に慣れ始めていた。
相変わらず生き物の気配はない。
建物の間を吹き抜ける風と、石畳を踏む僕たちの足音。
耳に届くのは、それくらいだった。
けれど、昨日まで感じていた不気味さも、長く歩き続けているうちに少しずつ薄れてきた。
何も起こらない。
少なくとも、今のところは。
……やっぱり、ドラゴンなんていないのかもしれない。
そんな楽観的な考えが、僕の頭をよぎった。
その時だった。
「アアアアアアアアッ!!」
突然、遠くから凄まじい絶叫が響き渡った。
僕は反射的に足を止めた。
「……え?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
続けて、悲鳴が聞こえた。
「ダ、ダレカァァッ!! タスケテクレェェェッ!!」
聞き覚えのある声だった。
あの、酒で焼けたようなガラガラ声。
まさか……!
「……ボルドさん!?」
僕の顔から、血の気が引いた。
「チッ! 野営地の方だ!」
サルジが叫ぶ。
「戻るぞ、ロイド!」
「は、はいっ!」
僕たちは、来た道を引き返した。
石畳を蹴り、崩れかけた壁の脇を駆け抜ける。
胸の奥で心臓が激しく脈打っていた。
何が起こった?
何が、あのボルドに悲鳴を上げさせたのだろう。
野盗か?
それとも……。
嫌な想像を振り払うように、僕は必死に走った。
やがて、建物の隙間から野営地が見えてきた。
「…………っ!」
僕は、その場に立ち尽くした。
炎が上がっていた。
赤く、激しく、恐ろしいほどの勢いで。
まるで地面そのものが燃えているかのように、巨大な火柱が空へ向かって立ち昇っていた。
そして、その炎の中心に。
人がいた。
「……ボル、ド……さん?」
それは、確かにボルドだった。
大柄な身体が、炎に包まれている。
先ほどまで聞こえていた悲鳴は、すでに途切れていた。
炎の向こうで、彼の姿が揺らめいていた。
「ロイドさん! サルジさん!」
レイが叫んだ。
「早く! 手を貸してください!」
彼は水の入った樽を抱え、炎へ向かって中身を浴びせていた。
しかし、火勢は少しも衰えない。
「どうして……!」
レイの声には、いつもの冷静さがなかった。
「どうして消えないんですか……!」
僕は動けなかった。
あまりにも現実離れした光景だった。
目の前で、一緒に旅をしてきた仲間が燃えている。
ほんの数時間前まで、酒を飲んで笑っていた人が。
あんなに大きな声で、レイと喧嘩していた人が。
「ロイド!!」
突然、肩を強く掴まれた。
サルジだった。
「何ぼさっとしてやがる! 手伝え!」
「……あっ!」
我に返った僕は、慌てて水樽へ駆け寄った。
「は、はいっ!」
そこからは、ほとんど無我夢中だった。
三人で残された水を運び、炎を消そうと必死になった。
水を浴びせても、炎はなかなか弱まらなかった。
近くにあった砂や燃えない布も使い、どうにか火勢を抑えようとした。
熱気が顔を焼く。
煙が喉を刺激する。
目には涙が滲み、息をするだけでも苦しかった。
それでも、手を止めるわけにはいかなかった。
「くそっ! なんなんだよ、この火は!」
サルジが怒鳴る。
「頼む……!」
僕は思わず呟いた。
「お願いだから、消えてくれ……!」
どれほど時間が経ったのだろう。
やがて、ようやく炎が小さくなり始めた。
火柱は崩れ、残された火も少しずつ消えていく。
そして……炎の向こうにあったものが、僕たちの前に現れた。
「…………」
僕は、何も言えなかった。
そこにいたのは、もう僕たちの知っているボルドではなかった。
あの大きな身体も、豪快な笑顔も、酒臭い息も。
その人らしさを感じさせるものは、ほとんど残されていなかった。
「……うっ」
胃の奥から、何かが込み上げてきた。
僕は思わず口元を押さえ、顔を背けた。
直視できなかった。
目を閉じても、あの光景が焼き付いて離れない。
「……ボルドさん」
声に出してみた。
返事はなかった。
当然だった。
けれど……ほんの少し前まで、確かに生きていたのだ。
僕たちと同じように歩き、笑い、怒っていた。
それなのに……人間というものは、こんなにも突然、いなくなってしまうものなのだろうか。
僕はその場に膝をついた。
誰も、何も言えなかった。
ただ、燃え残った木片が崩れる乾いた音だけが、静かな山中に響いていた。
しばらくの間、僕たちは何もできなかった。
ようやく気持ちを立て直したレイが、ボルドの遺体を埋葬することを提案した。
獣に荒らされないよう、野営地から少し離れた場所に穴を掘る。
僕は、遺体に目を向けることすらできなかった。
結局、埋葬の大部分をレイとサルジに任せてしまった。
情けない。
自分でも、そう思った。
けれど、どうしても身体が動かなかったのだ。
簡素な墓ができあがると、僕たちはその前にしばらく立ち尽くした。
墓標らしい墓標もない。
ただ、掘り返した土の上に、いくつか石を積み重ねただけだった。
「…………」
僕は手を合わせた。
ボルドとは、まだ出会って三日しか経っていなかった。
親しい友人だったわけでもない。
むしろ、面倒な人だと思うことの方が多かった。
それでも、これほど呆気なく別れが訪れるとは、夢にも思わなかった。
「……さて」
沈黙を破ったのは、サルジだった。
彼はレイの方を向いた。
「レイの兄ちゃん。悪いが、何があったのか説明してもらえるか?」
レイは地面を見つめていた。
両手を組み、深く俯いている。
しばらく返事はなかった。
「……レイさん?」
僕が声をかけると、彼はようやく顔を上げた。
「……ええ。そうですね」
その表情は、ひどく疲れ切っていた。
「私たちは、あなた方が探索に向かったあとも、いつも通り野営地の警備を続けていました」
レイは、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「特に異常はありませんでした。互いに持ち場を守り、周辺を警戒していたんです」
「それで?」
「しばらくすると、ボルドさんが頭痛を訴え始めました」
「頭痛?」
「ええ。昨日、酒を飲みすぎたせいだろうと本人は言っていました」
……ああ。
あの酒樽の件か。
「それで、身体を洗って頭を冷やすと言い出したんです。水の入った樽をひとつ持って、少し離れた場所へ行ってしまいました」
レイは、苦々しげに唇を噛んだ。
「本当なら止めるべきでした。ですが、また言い争いになるのも面倒だと思ってしまって……」
「……それで、見過ごしたのか」
サルジが尋ねた。
「はい」
レイは深々と頷いた。
「その後、しばらくは何事もなかったんです。ですが、突然……」
彼の声が震え始めた。
「あの悲鳴が聞こえたんです」
僕は思わず、さっきの光景を思い出した。
凄まじい炎、聞こえてきた絶叫。
そして……もう二度と声を発することのない、ボルドの無残な姿。
「……すぐに駆けつけました」
レイは続けた。
「ですが、その時にはもう……彼は炎に包まれていました」
言葉が途切れた。
レイは口元を押さえ、顔を背ける。
「……すみません」
「いや、もういい」
サルジが低く言った。
「大体のことは分かった」
そして、少し間を置いて尋ねた。
「犯人は見たか?」
「……いいえ」
「誰かが逃げていく姿は?」
「それも……見ていません」
「そうか」
サルジは腕を組みながら、目をつむって何か思索を巡らせているようだった。
「ですが……」
すると、レイが重々しく口を開いた。
「あれほど激しく、人間が燃え上がるなんて……普通では考えられません」
彼は青ざめた顔で僕たちを見た。
「もしかすると、本当に……」
そこで一度、言葉を飲み込む。
「この山には、ドラゴンがいるのではないでしょうか」
その瞬間。
「……チッ!」
サルジが、苛立たしげに舌打ちした。
「馬鹿馬鹿しい!」
「……何ですって?」
「ドラゴンだと? そんなもん、まだ見てもいねぇだろ!」
サルジは勢いよく立ち上がった。
「どうせ頭のおかしい山賊か何かが、燃えやすい油でもぶっかけて火をつけたんだろうよ!」
「ですが、あの炎は……!」
「だからって、すぐに化け物の仕業にするんじゃねぇ!」
二人の声が、険しさを増していく。
僕はまた喧嘩になるのかと思った。
けれど、サルジはそこで口を閉じ、深く息を吐いた。
「……とにかくだ」
彼は僕たちを見回した。
「これからは、絶対に一人で行動するな。何をするにも三人一緒だ」
「……はい」
「寝る時も、警備する時もだ。誰かが単独行動を始めたら、必ず止めろ」
その言葉には、反論の余地などなかった。
少なくとも今、僕たちは何者かに命を狙われている可能性がある。
しかも、仲間を一人失ったばかりなのだ。
もう、同じことを繰り返すわけにはいかない。
……それでも。
僕の頭には、ひとつ気になっていることがあった。
あの炎だ。
サルジは燃料を使ったのだろうと言った。
けれど、あれほど激しく燃えていたのに、近くには犯人らしい人影もなかった。
何より。
あんな炎を起こすには、一体どれほどの燃料が必要なのだろう。
「……ロイド?」
サルジが声をかけてきた。
しかし、その時僕はすでに歩き始めていた。
もう一度、あの場所を調べてみたかったのだ。
焼け跡には、まだ微かな熱が残っていた。
焦げた木と、何か別のものが焼けたような、鼻をつく臭いが漂っている。
先ほどまで人が燃えていた場所。
そう思うだけで、背筋が寒くなった。
それでも、僕は周囲を注意深く見回した。
地面は広い範囲にわたって黒く焦げている。
ところどころに燃え残った木片や灰が散らばり、周囲の草も熱で枯れていた。
「……これは」
中心に近い場所に、黒く焼けた木の破片が落ちていた。
大きさと形からすると、どうやら樽の一部らしい。
レイの話によれば、ボルドは身体を洗うために水樽を持ってここへ来たという。
ならば、この破片はその樽の残骸なのだろう。
僕はしゃがみ込み、慎重に辺りを調べ始めた。
サルジは、何者かが燃えやすい油を使ったのだろうと言っていた。
そうであれば、燃料を入れていた容器や、何かを運んだ痕跡が残っていてもおかしくない。
けれど……。
「……何もないな」
どれだけ探しても、それらしいものは見つからなかった。
もちろん、犯人が証拠を持ち去った可能性もある。
だが、それにしても奇妙だった。
これほど大きな炎が上がったというのに、明らかに人為的な痕跡が見当たらないのだ。
「……ん?」
ふと、僕は少し離れた場所に目を留めた。
灰の塊があった。
ほかの焼け跡とは違い、そこだけ灰が不自然にまとまっている。
僕は近づき、目を凝らした。
どうやら、何かを重ねて置いてあったものが、そのまま燃え尽きたように見える。
木の葉……いや、草だろうか。
植物の繊維のようなものが、わずかに形を残していた。
「……何だろう、これ」
僕は灰に手を伸ばしかけた。
その時。
「おいっ!!」
背後から、大きな怒声が響いた。
「何やってんだ、てめぇ!」
「うわあっ!」
驚いて振り返ると、サルジとレイがこちらへ駆け寄ってきていた。
サルジは顔を真っ赤にしていた。
「お前、死にてぇのか!?」
「えっ、あ、いや、その……!」
「ついさっき仲間が殺された場所だぞ! 犯人が近くに潜んでるかもしれねぇってのに、何一人でうろついてやがる!」
……しまった。
言われてみれば、その通りだった。
僕は手がかりを探すことに夢中になり、さっき決めたばかりの約束をもう破ってしまっていたのだ。
「ご、ごめんなさい……!」
「まったく、勘弁してくれよ……!」
サルジは頭を抱えた。
その隣で、レイが少しだけ表情を和らげた。
「ロイドさん。何か気になることでもあったのですか?」
「ええと……」
僕は焼け跡を見渡した。
燃料らしいものは、結局見つからなかった。
少し離れた場所にあった灰も、それが何なのかまでは分からない。
確かな手がかりと呼べるものは、何ひとつ掴めていなかった。
「……すみません。何か分かるかと思ったんですけど、結局、何も見つかりませんでした」
「そうですか……」
レイが静かに頷く。
一方のサルジは鼻を鳴らした。
「まあ、素人でもねぇ限り、簡単に足がつくような証拠は残さねぇだろうさ」
彼は周囲を見回した。
「とにかく、もう戻るぞ。これ以上、ここにいるのは危険だ」
「……はい」
僕はもう一度、焼け跡に目を向けた。
黒く焦げた地面。
壊れた樽。
そして、少し離れた場所に残された灰。
あの灰は、一体何だったのだろう。
その疑問を抱えたまま、僕は二人の後を追った。
ボルドが命を落とした三日目。
僕たちは、それ以上の探索をすべて中止した。
野営地の周囲を警戒し、残された食料や武器を確認し、襲撃に備えて守りを固める。
それが、僕たちにできる精一杯のことだった。
正直に言えば、僕は怖くて仕方がなかった。
ドラゴンがいるのか。
それとも、人間の手による犯行なのか。
何も分からない。
ただ、確かなことがひとつだけあった。
僕たちの仲間が、一人殺されたのだ。
そして、次に狙われるのが誰なのかも分からない。
僕かもしれない。
レイかもしれない。
あるいは、サルジかもしれない。
そのことを考えるたびに、胸の奥が冷たくなった。
夕方になると、僕は何度も周囲を見回すようになった。
茂みが揺れるだけで、心臓が跳ねる。
風の音が聞こえれば、誰かの足音ではないかと疑ってしまう。
昨日までは、ただ静かなだけだった遺跡。
今では、その静けさそのものが恐ろしく感じられた。
「……ロイドさん」
レイが僕に声をかけた。
「顔色が良くありませんね」
「あ、いえ……大丈夫です」
「無理をなさらないでください」
彼は少しだけ声を落とした。
「こんな状況です。恐ろしくなるのも、無理はありませんよ」
「……レイさんは、怖くないんですか?」
僕は思わず尋ねた。
レイは、すぐには答えなかった。
そして、小さく息を吐いた。
「……怖いですよ」
意外な返事だった。
「私も、死にたくはありませんから」
そう言う彼の表情は、いつになく真剣だった。
その言葉を聞いて、僕は少しだけ安心した。
どうやら、恐ろしいと思っているのは僕だけではないらしい。
当たり前なことかもしれないが、その事実を当人同士で共有できることが、せめてもの慰めだったのだ。
そして、暗闇が立ち込める夜が訪れた。
僕たちは話し合い、これまでより見張りの交代を短くすることにした。
一人が見張っている間、残りの二人は仮眠を取る。
本当なら、全員が起きて警戒していたいところだった。
しかし、眠らずにいれば判断力が鈍る。
何かが起こった時に、疲れ切って動けなくなってしまっては元も子もない。
やむを得ない判断だった。
僕は寝床に横になった。
もちろん、眠れるとは思ってはいない。
目を閉じれば、あの炎が浮かんでくる。
ボルドの悲鳴。
焼け焦げた地面。
そして、何も残されていないように見えた、あの不気味な現場。
……考えたくない。
僕は毛布を頭まで引き上げた。
やがて、身体の疲労が恐怖に勝ったのだろう。
気がつけば、浅い眠りに落ちていた。
ふと、目が覚めた。
「……ん」
僕はゆっくりと身体を起こした。
天幕の外は、まだ暗い。
どうやら、サルジと見張りを交代する時間が近づいているらしい。
正確な時間は分からなかったが、もう少しすれば交代のはずだ。
……どうせ、これ以上ぐっすり眠れる気もしない。
僕は剣を手に取り、外套を羽織った。
少し早いけれど、サルジには先に休んでもらおう。
そう考え、天幕を出た。
「……サルジさん?」
返事はなかった。
僕は辺りを見回した。
野営地の焚き火は、ほとんど熾火になっている。
赤い光が、わずかに地面を照らしていた。
「サルジさん。少し早いですけど、交代しましょう」
……おかしい。
どこにも姿が見えない。
見張りの場所は、野営地からそう離れていないはずだった。
暗がりに目を凝らしてみたが、人影らしいものは何一つ見当たらなかった。
「……あれ?」
僕は一度、天幕を振り返った。
なぜか、レイまでもいない。
一体どういうことだろう。
二人とも、どこへ行ってしまったのだ。
「レイさん?」
返事はない。
「サルジさん! レイさん!」
声を大きくしてみた。
しかし、誰も応えなかった。
……嫌な予感がする。
ボルドさんの身に、あんなことが起きたばかりなのだ。
まさか……いや、そんなはずはない。
僕は剣の柄を握り締めた。
「……くそっ、二人とも何やってるんだよ……!」
その時だった。
カサッ。
近くの茂みで、何かが動いた。
「……っ!」
僕は反射的に剣を抜いた。
両手で構え、音のした方向へ刃先を向ける。
風だろうか、それとも、何かの動物だろうか。
……いや。
この遺跡には、動物の気配すらなかったはずだ。
カサカサッ。
再び、草を踏む音がした。
何かが、こちらへ近づいてくる。
「だ、誰だっ!」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
次の瞬間。
「ロイドさん!」
「うわああっ!!」
茂みの向こうから、人影が飛び出してきた。
「お、落ち着いてください! 私です!」
「……レ、レイさん!?」
現れたのはレイだった。
僕は思わず、深く息を吐いた。
「な、なんだ……びっくりした……!」
しかし、彼の表情を見た途端、その安堵は吹き飛んでしまった。
レイは青ざめていた。
肩で息をしながら、ひどく慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。
「ロイドさん……大変です!」
「え?」
「サルジさんが……!」
レイは、一度言葉を詰まらせた。
そして。
「サルジさんが、どこにもいないんです!」
「…………え?」
僕は、一瞬その意味を理解できなかった。
「い、いないって……どういうことですか?」
「分かりません!」
レイが首を振る。
「先ほど、あまりにも外が静かだったので、様子を確かめようと思ったんです」
「……はい」
「そうしたら、見張りをしているはずのサルジさんの姿が見当たらなくて……!」
彼は慌てた様子で周囲を指差した。
「野営地の周りを探しました。少し離れた茂みや、荷物の置き場も確認したんです。ですが……」
「……どこにも?」
「ええ。どこにもいないんです」
僕は唾を呑んだ。
サルジが、いなくなった。
ほんの少し前まで、ここで見張りをしていたはずなのに。
一体、どこへ。
まさか……。
僕は頭を振った。
駄目だ、今だけは、最悪のことを考えている場合ではない。
「……探しましょう!」
僕はレイを見た。
「まだ近くにいるかもしれません!」
「ええ。そうですね」
レイも頷いた。
「ロイド、十分に警戒してください。もし何者かに連れ去られたのだとしたら、私たちも危険です」
「……分かりました」
僕たちはそれぞれ剣を手にし、野営地の周辺を探し始めた。
暗闇の中での捜索は、想像以上に難しかった。
月明かりは頼りなく、地面の状態を確かめるだけでも一苦労だった。
枯れ葉や枝があちこちに積もり、雑草が土を覆っている。
足跡らしいものを見つけても、それがいつ、誰によって残されたものなのか分からない。
「サルジさん!」
僕は何度も呼びかけた。
「サルジさん! どこにいるんですか!」
けれど、返事はない。
風が吹くたびに、草木がざわめく。
そのたびに僕たちは足を止め、剣を握り直した。
何者かが潜んでいるかもしれない。
そう思うだけで、身体が強張った。
やがて、野営地の周辺をひと通り調べ終えた。
しかし、サルジは見つからないままだ。
「……どうしましょう」
僕は焦りを抑えきれず、レイを見た。
「この近くには、もう……」
「……遺跡の方へ向かいましょう」
レイは静かに答えた。
「もしサルジさんが自分の意思で移動したのなら、何か理由があったはずです。あるいは……」
彼は、そこで言葉を止めた。
「……いえ。とにかく、探してみましょう」
僕は頷いた。
二人で野営地を離れ、古代都市へと足を踏み入れた。
昼間にも歩いた石畳の道。
見覚えのある建物。
それなのに、夜の遺跡はまったく別の場所のようだった。
建物の窓は黒い穴のように口を開け、崩れた壁は得体の知れない影を落としている。
何かが潜んでいても、おかしくない。
僕たちは互いの位置を確かめながら、慎重に進んだ。
「……サルジさん」
声を出しても、すぐに闇へ吸い込まれてしまう。
返事はない。
足音だけが、静かな街に響いていた。
一体どれほど歩いたのだろう。
気がつくと、東の空が少しずつ白み始めていた。
夜明けが近づいている。
僕たちは、ほとんど休まずに探し続けていた。
それでも何も見つからない。
サルジはどこへ消えてしまったのだろう。
昼間、ボルドが殺された。
そして今度は、サルジが行方不明になった。
まさか、同じ何者かに襲われたのだろうか。
……嫌だ。
僕は歯を食いしばった。
もう、誰かが死ぬところなんて見たくない。
あの炎も、ボルドの最後も。
二度と、あんなものは見たくなかった。
「……ロイドさん!」
突然、レイが声を上げた。
「こちらへ!」
「えっ!?」
僕は慌てて彼の元へ向かった。
レイは石畳の一角にしゃがみ込み、地面を指差していた。
「見てください」
「……これは」
足跡だった。
夜露を含んだ砂の上に、人間の靴と思われる跡が残されている。
それも、ひとつやふたつではない。
微かではあるが、道の奥へと続いていた。
「……足跡!」
僕は思わず声を上げた。
「ええ。比較的小さなものです」
レイは周囲の地面を確認しながら続けた。
「サルジさんの体格を考えると、彼の足跡である可能性があります」
「じゃあ……!」
「まだ断定はできません。ですが、調べる価値はあるでしょう」
僕は頷いた。
そして、二人で足跡を追い始める。
跡はところどころで途切れていたが、しばらく進むと再び見つかった。
そしてその先には、古びた石造りの建物があった。
建物の側面には細い通路があり、足跡はその奥へと続いている。
どうやら、建物の裏手へ通じているらしい。
「……あそこですね」
僕は小さく呟いた。
すると、レイも頷いた。
「ええ」
彼は剣を抜いた。
僕もそれに倣い、腰から剣を引き抜く。
心臓が、激しく脈打っていた。
サルジがいるかもしれない。
あるいは……彼を連れ去った何者かが、そこで待ち構えているかもしれない。
「……ロイドさん」
レイが低い声で言った。
「決して、私から離れないでください」
「……はい」
僕たちは互いに目を合わせた。
そして、剣を構え直す。
一歩。
また、一歩。
崩れかけた石壁に沿って、慎重に進んでいく。
建物の裏側は、まだ夜明けの光が届かず、薄暗かった。
足跡は、その暗がりの奥へと続いていた。
僕は息を殺した。
剣を握る手には、じっとりと汗が滲んでいる。
すぐそこに何かがある。
そんな確信めいた予感があった。
そして僕とレイは、ゆっくりと建物の角へと近づいていった。




