第三十八話
CASE0追加資料/老化機能の変化/博士
前8000年ごろ
「『二人称』は何を望む?」
その瞬間に何をしていたのかは覚えていない。ただ、歴史の片隅に埋没される膨大な数の人間の一人であったのは間違いない。
「え?」
「『二人称』は何を望む?」
自分の脳から、普段自分が使っている言葉で話しかけられた。
「望むって、何を?」
「なんでも」
思えば、ここで拒絶をしなかったから私にこの能力が与えられたのかもしれない。他にも寄生脳からこうやって尋ねられた仲間はいたのかもしれないけど、誰も真面目に取り合わなかったのだろう。
だから、馬鹿正直に自分が望んでいることを伝えてしまったことが、
「じゃあ、死にたくない、とか」
私の最大の失敗で、最大の成功だ。
「分かった」
到底叶えられないような願いを伝えたつもりなのに、目の前に浮かぶ、なにか、は拒絶しなかった。
「最近、『一人称』はそれが叶えられるようになった。目を覚ましたら、『二人称』は死なない」
私は状況も理解できないままその場を去ろうとしているなにか、を止めようとした。
「ちょっと、待って。どういうこと? 詳しく説明を」
すると、
「どうせすぐにまた会うから」
こうして私の脳は進化した。
前5000年ごろ
周りの人間は次々と死んでいった。今に比べたら世界は人間にとって危険だらけだった。思い返せば、老化しないだけの私が生き延びれたのはただの運だったとも言える。
でもそれは時間を重ねるごとに他に代えようがない長所になっていった。人間の歴史を1万年も把握している人物は私が知る限り一人だけだ。
歴史上の賢人とも数々の言葉を交わした。
彼らは私よりもはるかに短い時間で、私には思い付きもしなかった新概念を発明していた。知識量では劣ることはないにしても、私は本当の天才ではない。もし、アリストテレスなんかが私の能力を手に入れたら、人間の文明はまた違った様相を見せていただろう。
そうして、怪しまれないよう、資料の編纂を手伝いながら世界各地を転々として過ごしていた。どの場所にも長居はできない。見た目も声も、一切衰えないところを見られてしまっては、恐れられ、どんな仕打ちを受けるか、考えるだけで恐ろしい。
2025年9月2日
日本にはその60年ほど前から滞在していた。近頃の目覚ましい発展を受けて、この機会に過去の歴史も含めてまとめ上げたいという欲が湧いたからだ。
『東京都内の高校生がテスト中に自傷行為』
そのニュースが私の耳に届いたのは、発生した翌日だった。
そこで働いた感覚をまさに直感と言うのだろう。私はそのニュースが、何か人類にとって重要なものである気がしてならなかった。なぜかは分からないが、そうして何事にも興味を持っておくのは長生きをしても退屈をしないコツだとは分かっていた。
他の編纂作業も抱えながら、独自にその件について調査を進めていった。
すると、日本以外の場所でも同様の事例が発生しているのが分かった。何の前兆もなく気を失い、病院へ搬送される。それは北本のように、暴れた末無理に意識を失う物もあれば、ただ倒れこむような場合もあった。それはまさに世界各地で、無差別的に。
単なる流行り病か、なんなのか。原因を突き止めるために行った周囲の人々への聞き込みをCASEにまとめていった。何かが分かれば面白いと思ったから。
2025年9月4日
北本大樹の通う高校まで赴いたこともあった。周辺はすでに報道関係の人物で埋め尽くされていて、むしろその騒ぎに紛れて話を聞くことができた。
2026年7月3日
新隈修也の地元を訪れたこともあった。能力発現の瞬間について知っている人物から話を聞けるかと思ったが、結局態度の悪い若者に気分を害されるだけだった。
2026年7月20日
楠瀬由衣に至っては、本人から直接話を聞くことができた。そのころから可能な限り健康診断の結果を手に入れ、事前に分かることはないか試行錯誤していたからだ。結果、CASEにまとめられた人たちと同じような異変をきたしていた楠瀬由衣にコンタクトを取ることができた。
聞き込みから再現した、(当時の私からしたら)謎の音も用意して電話をかけた。
しかし、当時の私には彼女に何が起きているのか把握することができず、強く大丈夫だと言い切る彼女の言葉を信用して、特に何の検査も行わなかったのだ。もし、もっと強く言っていたとしたら彼女の命も変わったのだろうか。そうではないような気もするが。
2026年11月7日
そうして関係者への聞き込みを進めているとき、再び私の耳に日本のニュースが飛び込んできた。
『男子高校生が変死。過去には学校内で騒ぎも』
北本大樹が死亡したという内容のニュースだった。
1年前のニュースは、近年の詰め込み学習や、進学校の在り方など、さまざまな方向で議論が巻き起こったおかげで大きく話題になったが、頭が破裂して死亡したという、地上波で扱うにはあまりにも酷なこのニュースはあまり話題にならないまま時間が去っていった。
私はこのころから、それまで世界中で行ってきた聞き込みをもとに、人間の脳が何らかの異常をきたしているのではないかという予想をもっていた。しかし、1万年前のあの奇妙な体験と紐づけるほど察しが良かったわけではなく、愚直にCASEをまとめながら時間が過ぎていった。
徐々に、北本と同様の変死を遂げる人物は増えていき、いつしか他の編纂作業よりも、そんな個人的な調査ばかりに意識が向くようになっていった。
その過ぎていった時間のなかで。
2027年1月17日
『サッカー日本代表、新隈修也。病院内で容体急変』
2027年1月22日
『都内OL、社内で不審死』
過去に聞き込みをしていた人間が次々にその形を失くしていった。
その死に方はどれも一様で、頭が弾けたことによる変死。どう考えても、脳の異変が関係してくる、私はそう勘づいた。
ついに私が、その変死の原因に迫ろうとするころには。
2028年9月10日
静かだった。
たった3年。私にとっても、私以外の人間にとっても短い時間で、あんなに栄えていた人類はもはや定義上絶滅したと言っていい状態に陥っていた。その定義と言うのも人間が決めたものだが。
いま人類が何人生存しているのか、誰にも把握しきれていない。地球は鮮血に染まって、埋葬は間に合わず外へ出ても出なくても頭が空っぽになった人間ばかり見かける。
死体から何か分かることがないか、隈なく調査にかけた。この調査の動機はもはや人類を救うことではない。私が知りたいことを知れるかどうか、という所だけだった。
もう誰もいなくなった私の研究室で、日夜死体を調査した。
そして、CASE1の北本の脳を調べたとき、寄生脳の存在を知った。
自分が死なない理由について明確な答えを得たのもこのときだった。
また、寄生脳がいた人間の身体から読み取れた情報を解析し、文章として残しておく追加資料も残していくようにした。
これは私が調査を行ったとは言い難いため、追加資料という呼び方をするようになった。妙なこだわりだ、もうそれを見せる人間もいないのに。
2039年9月1日
そうして、追加資料をまとめていく中で私は気づいた。
人間は負けたのだ。
寄生脳によって、また自らの進化を求める生き方によって。
自らに不必要な能力を求めたことで、本来の生物的な限界が足を引っ張り、空を飛ぶことができなかった。
じゃあ、私はそれをただ嘆いていればいいのだろうか。
いや、私がやるべきことだけは明確だった。
人間が歴史の中の生物となった以上、私は残された痕跡を掘り起こし、その歴史を明らかにしていくだけだ。
3076年9月1日
CASEのタイトルについては、分かった範囲で書き換えていった。
7896年9月1日
この人は脳のこの機能が進化したのだ、ということが分かり次第。
14389年9月1日
死体を探し出すのは、簡単すぎて苦労した。
25678年9月1日
人間はあまりにも多かった。なんせ100億人近くいたのだから。
36782年9月1日
でも、心は折れなかった。
76459年9月1日
いつか寄生脳に会う生物のためにCASEをまとめなければならなかったから。
100000年9月1日
何より私が知りたかったから。
私が大好きな人類がどうやって滅んでいったのか。
そのすべてを知り尽くしたかったから。
102089年9月1日
見つかる限りほとんどの人間の死体を調査し、CASEも充実してきたとき、外の騒がしさに気づいた。
自分以外の声に飢えていた私は瞬時に気づいた。
地球の新たな入植者だと。
CASE0追加資料/老化機能の変化/博士 終




