第三十四話
CASE226/絶滅の予兆/人類 2028年8月27日
今、人類は史上最大の絶滅の危機に立たされている、と言っていいだろう。
臨界点に達し、均一化される人々がついに全世界で発見されるようになった。
これまではまだ世界的には埋もれてしまうほどの件数しか発生しておらず、個々の事件は変死や病死として扱われるだけで済んでいたが(しかし一部の物好きには半ば冗談として扱われていたのも事実だ)、とうとうそうも行かなくなってくるだろう。
先日のアメリカ大統領の変死も、均一化によるものだ。
一言一言に大きな注目が集まる演説の中で、米大統領の脳は突如、弾けた。軍への従事経験もある彼の恰幅の良い体が、肉の弾ける音と共に倒れた。演説台にもたれかかるように倒れたために、均一化によって損傷を受けた脳の断面は、報道陣のカメラにばっちり捉えられてしまった。
こうなってはもうどうすることもできないだろう。
人類は均一化の存在を知ってしまった。そして、たとえその存在を信じなくても、脳を持つ以上、人類である以上、その結末はみな同じだ。同じ脳が弾け、問答無用で死に至る。
あの報道からおよそ二週間が経過し、均一化されたとされる人々の遺体は急激に増加している。これまでのおよそ1000日間で発生してきた225件の均一化が、もはや一日で起きるペースで。これからそのペースはどんどん速くなっていくだろう。
もちろん、現状を打開できるような画期的な対処法を探すつもりはある。
しかし、同時にいま漂っている世界全体の諦観のようなものを感じ取ると、その気力すらも失せてくる。こんなことを書いてしまうと、もはや自分の生物的な本能が薄れてきたと判断するしかないのだが……。
人類はずっとこのときを待っていたのではないだろうか。
このときというのは、単に寄生脳が関係している場合でなくとも。
人類は生まれてからしばらくすると、生態系の頂点へ堂々と居座った。長い間、人が生まれ、死に、生まれ、死に、そして生まれ、死ぬほどの長い間、人類はずっと人類であった。
だからこそ、人間以外の動物に接するときは必ず自分の安全が担保されているという考えが染みついている。これはもう、染みついているとしか言えないほどに当たり前のことだ。
当然、こうやって人間以外の生物に自身の立場を上回られることは歴史の中ではなかった。もちろん、人間より体躯が大きい生物に生命の危機を感じることがゼロであったとはいえない。しかしそれは、飽くまで肉体的な命の奪い合いでの話であり、人間が人間として成った原因である、知能での話ではなかった。
しかし人間は知能で寄生脳に負けているのだ。というか、もともと負けていたのだ。
人間の知能は寄生脳のものであり、人間が本来的に持ち合わせているものは、もはや何もない。すべて脳の発達によって獲得してきた機能ばかりだ。
さて、そんな事実に段々と勘づいてきた人類は、怒りを覚えるだろうか、後悔を覚えるだろうか。
私は、人類は今この瞬間、経験したことのない愉悦を感じているのではないか、と思う。まあ、経験がしたことがないというのは当たり前だが。
圧倒的な存在に先を越されるとき、人間は案外その事実を受け入れて、半ば他人事のように楽しむ癖がある。地方のコンテストで世界レベルのパフォーマンスをする人がいて、それに負けたとしても悔しいと思える人間は少ない。それよりも自分の立場なんて忘れて、その現状を楽しんでしまうことの方が自然だろう。たとえそれに負けたらすべてを失うとしても。
いま、人類は地球という地方コンテストで寄生脳に宇宙レベルのパフォーマンスを見せられているのだ。
そうなると、もはや楽しむしかない。
死も、その先の絶滅も忘れて、今は長い間君臨していた頂点から引きずり落されている浮遊感を味わうことしかできない。地球においての人間の歴史がジェットコースターだったとしたら、これまでの700万年はただ長い長い坂を登っていただけだ。リンゴをかじり、石器を作り、海に出て、争い、ただ生きているこの時間は、すべてこれから起きる空前絶後の下り坂のための前振りでしかなかった。
それは、これまでの時間が長いほど、エキサイティングでスピーディーな体験になるだろう。その体験を味わうことがジェットコースターに乗ることの目的なのだから、登っている時間を帳消しにできるほどの時間にならねばいけない。
登る時間を楽しみにジェットコースターに乗る人はいない。みんながみんな、そのカタルシスから解き放たれたいから、下りたいから、元の高さに戻りたいから乗るわけだ。
いま人類に訪れているのはそんな時間だ。寄生脳によって連れてこられた高い高い場所から、生まれたところの高さまで戻るだけ。そう、ただ戻っているだけ。生まれてから溜め込んできたタルシスの解放。たとえ短くても、下る時間1秒ずつが過去の自分達の責任によって生まれたものであり、その時間は伸ばしも縮めることもできない。
だから、待ち望んでいたのではないか、なんて不謹慎なことを考えてしまう。個人単位で死に絶望することはあっても、その全体を司る雰囲気は「やっと終わったー」というような楽観的な考えなのではないだろうか。
まあ、それはこの先分かることだ。
CASE226/絶滅の予兆/人類 終




