第二十九話
何でもできる夢の中、と理解してからここまでやってしまうとは。別に普段から、地面を割ってその破片を球状にし空で転がして地面を作った後空に飛んで重力が反転した志摩スペイン村に行きたい、なんて考えていたわけじゃない。ただできるからやってしまっただけだ。トンカチを持つと何でも釘に見えるというが、明晰夢を見るとなんでも志摩スペイン村に見えてしまうんだろうか。
とにかく、脳内であれば僕はここまで何でもできるということが分かった。願うのは、この夢がなるべく長く続くことだ。起きた後の面倒さを考えると、。高校生の僕が10年経って、もはやなんでもない人になってしまったことはまだいいのだが。その後に待ち受けている、リハビリとか、就活とか、あとおそらく高卒認定試験、みたいなのもやらないといけないんだろう。よく知らないけど骨が折れそうだ。
ゴリッ。
……本当に折れた。
なんでも思うがまま、というのはこういうことなのか、と実感する。治すには、まあどうせなら、という思いに駆られて、空から杖を取り出す。杖を順手に持ち先端の丸くなった部分をちょんと足の折れた部分につける。
治った! いや、こんなことまでしなくても治るのだが。一応杖は足元に置いておく。
やはり僕としては可能な限りこの妄想の世界に居たいし、まだやりたいこともある。しかし、現実での経過時間がどれほどになるのかも検討がつかない。夢というのは体験では10分に満たないような体験だが、実際は7時間、8時間とアニメを一気見するぐらいの時間が経過しているわけなのだ。倍率にしておよそ48倍。こんな何の根拠もない概算で出た答えが適用されるかは定かではないが、とにかく現実と同じ時間の流れと言うのはあり得ない話だろう。
結論の出ないことを考えるのは不毛だ。結局僕が初めて生まれ落ちたときと同じなのだ。ただ存在を今定められたというだけ。本当は夢なんて見ていなくて、ここが天国なのかもしれない。僕がやるべきなのは、夢の中でも現実の世界でも変わらない。のんびりと、死に向かって進むことだけだ。まずはその、のんびりの要件を満たすために、志摩スペイン村のチュロスのことを思い出す。
手元から視線を離した隙に、チュロスが握られていた。これをお供に、貸し切り状態のスペイン村を楽しむのも今は良いだろう。
と、思ったのだが。
「あんまり覚えてねえな」
思わず声に出してしまうぐらいに、細部がぼやけた曖昧な光景しか目に入ってこない。まあ、景色の要素一つ一つを覚えておくなんて、車に轢かれるぐらいのイベントがなければできることではない。あのときはたまたま記憶に強く残っていただけで、普通はこれぐらい曖昧なものなのだ。どんな感じだったかなと思いだそうとしてみても、今目の前にある以上のクオリティを出すことはできない。当然だ、同じ脳を頼りにしているのだから。
しかし、客が誰も見当たらないというのは、自分の生来の人嫌いを感じてしまって、少しチュロスが不味くなる。
「違う」
へ!
「少し違うところがある」
驚いて腰を抜かしてしまった。
目の前に、いままでに見たことがない「形」があった。




