第二十七話
2028年9月26日
こうして改めて整理してみると、起きたことは何の変哲もなく、文章に起こす価値もないような出来事であったことに気づく。引き延ばして話そうものなら顰蹙を買うし、スパッと伝えるしかないような体験なのだが、これだけ短いのも考え物である。歩いていました。轢かれました。今です。これではまるで歯抜けの紙芝居だ。
しかし、実際に僕が洗剤の憂慮を抱えながらおよそ10年の間、植物よりも無意義な状態で植物状態という名を与えられて、病室のベッドの上をくねくねしていたのも事実である。
10年という時間は、特に僕が失ったいわゆる青春に当たる、人生の脂が乗った(らしい)10年は世間的にはやけに重要視される時間であるため、僕でなければまた動けなくなるぐらいに自己破壊に走る可能性はあるだろう。
でも、僕にとって10年はただ10年だ。年が10個。日が3650個。時が87600個で、秒が……まあ、×60だ。と、少し思考を止めるとうるう年を計算に入れていなかったことに気づく。もう面倒だが。
とにかく、いま意識を取り戻したことで、永遠になるかもしれなかった機能停止の時間を10年という有限の時間に収束させることができた。これからのことを考えるべきなのだ。
僕はこれからしたいことなんかを考えながら、地面と水平になっている自分の身体を、腰を起点としてゆっくりと垂直に戻していった。視神経にまで意識を巡らせて、周りを見渡す。
しかし、ここは病室じゃなかった。
これは僕の故郷、の美しくない部分。僕がいまこうなった要因であり、責任であり、根拠であり、事故現場でもある。
自分の最後の記憶にもある、僕が轢かれた道だ。
なぜ、と考えるよりも、自分が事故にあった場所に花の一つも備えられていないことに虚しさを覚えながら、しかしその虚しさも、なぜ、に繋がっていく。
まったく同じ、なんてことがあり得るだろうか。
僕があの事故に会う前から、仕方なく毎日通っていた場所だから、その性質もよく理解している。あの道はよく変化をしていた。多種多様な街路樹がその道に沿って植えられていたため、季節によってその基調となる色はさまざまに変化していた。だからこそ、日ごとに絶妙なマイナーチェンジを見せ、それは僕が見つけていた微かなその道を通る利点であった。
なので、暦の上であの事故の日に近かったとしても、ここまで見える景色が一致することはあり得ないのだ。
というか。
なぜ道の真ん中に病院にあるようなベッドがあるのだ。
先にこちらを疑問に思うべきだったのかもしれない。
病院にあるようなベッドは病院にある場合がほとんどだから、僕が無意識的にそう形容したのだ。しかし、今ここは病院ではない。それに準ずる機関ではないことも明らかだ。病院にあるようなベッドがあるならばそこは病院でなければならないし、病院でないところに病院にあるようなベッドが置かれていては僕の、病院にあるようなベッド、という言い表し方は不適切であった、と認めなくてはならなくなる。だが、その方向性は明らかにおかしい。
と、暫定的には病院にあるようなベッド、の上で胡坐をかいて腕を組みながら、次々と湧いてくるぎもんをしらみつぶしにこねくり回していると。
ストン。
と。いや、正確には。
ゴッ。
という音と共に、地面へと落下した。落下、というのは自分から重力に対して働きかけた者のみが得る結果だと思っていたため、のんびりと思考をしていた自分にそれが訪れて、鈍い痛みと新鮮な驚きを得た。
どうやら、病室にあるようなベッドが消えてしまったようだ。気づいたら僕はボコボコになった地面の上で、座禅のように胡坐を組んで座っていた。
さすがに、ここまで来れば何が起きているのか僕にでも分かった。いや、僕にでもという言い方をしたが、こういう状況把握はおそらく常人より得意な方なので、僕ならもちろん、という言い方が正しかっただろう。
これは夢だ。しかし、今まで夢を見ることすらなかったのだから、これは目覚める兆候である、と考えていいだろう。自分が夢を見ている、と夢の中で自覚する、いわゆる明晰夢を見ることはほとんどなかったが、10年間でかなり僕の頭脳も明晰になったのだろう。明晰になった脳が明晰夢を見るのは、志摩スペイン村がスペインにあるのと同じぐらい当たり前なことだ。まあ、志摩にあるけど。
胡坐をやめて立ち上がる。とりあえず、これから目を覚ませば僕の身体は自由に動くようになる、はずだ。脳がここまで正常になっているんだから、最悪脳波だけで生活できるようにしてほしいものだ。
これから何をしようか、そう考えながらこの道を歩くことすら懐かしい。自分から目を覚まさせることなんてできるのかも分からないし、もしできたとしてもやりたくない。もう一度ここまで自由の利く夢を見れる保証なんてないし、どうせならやれることはやっておきたい。




