スウィフ
スウィフとハリス。
長い年月、人類を監視し続けてきた者たちは、地球人という存在を静かに見つめていた。
宇宙から見た時、人類はどのような種族に映るのか――。
その日、フロリダ宇宙空港は離着陸する飛行機の動きもなく静寂の中に包まれていた。それもそのはず、英雄となった地球代表の3人を迎えるため、空港全体が特別に貸し切られていたのだ。彼らの帰還は、通常の方法とは一線を画していた。宇宙船から大気圏に向けて放たれた特別仕様の降下船は、まるで天から降り注ぐ光の矢のように、ゆっくりと地球へと舞い降りていた。
この降下船は、もともと宇宙ステーションからの緊急脱出を目的として設計されたものだったが、その利便性と迅速性から、平常時の帰還手段としても広く用いられるようになっていた。しかし、今回のものは一味違った。内部は高級ホテルのスイートルームを彷彿とさせる豪華な装いで、ゆったりとしたソファーが並び、テーブルには極上のワインが用意されていた。降下中の重力や熱の影響は一切感じられず、通常の三倍の時間をかけて優雅に地球へと降りていくその様子は、彼らの功績を称えるかのようだった。
船内の3人は、まるで未来を先取りするかのように盛り上がっていた。地球に降り立ったとき、どれほどの偉人たちと対面することになるのか、メディアへの出演依頼はどれほどになるのか、自分たちのグッズがどんな形で世に出るのか。彼らは子供のように笑い合い、その輝かしい未来の話題で喜びを分かち合っていた。
フロリダ宇宙空港に降り立った瞬間、搭乗口が開くやいなや、迎えたのは200人のオーケストラによる荘厳な演奏だった。重厚な打楽器の音が心臓の鼓動のように響き、金管楽器、弦楽器、木管楽器が次々と加わり、雄々しい旋律が空港全体を包み込んでいく。その音楽に導かれるように、3人の英雄は笑顔でタラップを降り立ち、彼らを迎えたのはプレス大統領、宇宙開発機関コスモのシラン長官、そしてフロリダ宇宙空港のジャム司令官だった。ちょうど大統領が声を発するころ、オーケストラの演奏は壮大なフィナーレを迎えた。
プレス大統領は静かに口を開き、声を響かせた。
「私はこれまで、他国の代表たちと数多くの交渉を行ってきた。言葉の壁があろうと、相手は同じ地球人だ。我々はテーブルを囲み、対話を通じて理解を深めることができた。しかし、今回君たちが挑んだのは全く違う。未知の領域、何が待ち受けているかもわからない場所へと向かい、交渉相手がいるかさえ不明な状況に挑んだのだ。その冒険は無謀とも呼べるものでありながら、君たちはかつてない偉業を立派に成し遂げた。
コロンブス、マゼラン、ガマ、クック。彼ら偉大な探検家たちもまた新しい世界を発見し、歴史にその名を刻んだが、彼らが見つけたものはすでに存在しているものを発見したに過ぎない。君たちの成し遂げた功績はそれを超越し、歴史に残る名誉として称えられることだろう。
さらに、この出来事は人類史における決定的な転機となる。君たちが成功したその日をもって、私は新たな年号の制定を考えている。この新年号は、世界の代表者たちと共に慎重に議論し、決定していくつもりだ。
これから、君たちはかつてないほどの忙しさに直面するだろう。それは地球人と宇宙人との架け橋となった君たちの宿命だ。世界中から、数えきれないほどの要望や要求が押し寄せ、休む間もないほどだろう。しかし、私は君たちの負担を軽減し、安全を確保するため、最善を尽くすことを約束しよう。これからも地球人の代表として、その役割を果たしてくれることを願っている。君たちの幸運を祈る。おめでとう、そして、心から感謝する。」
その日、医師たちから身体検査を受けた3人は、翌日に備えて体を休めるよう指示された。彼らの手には、1秒単位で予定が記されたスケジュール表が渡され、明日から1ヶ月間は秒刻みの活動が待っていた。
一般の人々には宇宙空港への立ち入りが厳しく制限されていたが、3人の両親は特別に前日から空港に招かれ、栄光なる帰還を迎える準備を整えていた。夕食は政府関係者やマスコミを交えず、3人とその家族だけで過ごす貴重なひとときとなった。家族たちは、これまで味わったことのない超豪華な料理を堪能しながら、3人の体験談に耳を傾けた。月面での出来事は、まだ政府にもメディアにも公表されていない、まさに初公開の話だった。シスが楽しげに家族に語りかけた。
「呆れるほどの技術力をなんだよ。人類の科学力とは比べ物にならないほど進んでいてね。なんと、銀河団を三つも超えてここまで来たみたい。途方もない距離を、光速をはるかに超える速度で旅してきたらしい。」
宇宙に疎いシスの父が不思議そうに尋ねた。
「オア、銀河団って何だ?」
「地球は太陽系にあるよね。その太陽系のような恒星系がたくさん集まったものが銀河系。そして、その銀河系がさらに集まったものが銀河団だ。途方もない大きさだよ。人類には想像するのも難しい。だって、人類は、まだ隣の惑星にさえ立ち入った事がないからね。親父、それがどれだけ遠くから来たか、少しは想像できたかい?」
その声には、彼らの科学技術の誇らしさと、シスの興奮によるかすかな震えが混じっていた。
「途方もない距離だというのは、なんとなく分かったよ。」
父は呟いた。シスはさらに続けた。
「でも、一番驚いたのは、彼らを遥かに凌駕する文明が存在して、彼らはそれの足元にも及ばないって話していた。もう漫画や映画の世界なんて比べ物にならない存在だよ。我々からすると神のような存在だね。」
和やかな雰囲気の中、3つの家族はそれぞれの思いを語り合い、笑い声が絶えなかった。別れ際、親たちは次に会える日がいつになるか分からないことを惜しみながら、メディアを通して子供たちの活躍を見守ると伝え、別れを告げた。
翌日、3人はジェットヘリに乗り込み、ロサンゼルス空港に到着すると、そこからロサンゼルス・コンベンションセンターまでの道のりで大規模なパレードが展開された。パレードは壮大で、熱狂的な群衆が彼らを迎え、地球規模で祝賀ムードが広がっていた。コンベンションセンターでは、前例のない規模で国際宇宙会議が開催され、その様子は全世界に向けて中継された。
会場には、NASA、Roscosmos、ESA、JAXA、CNSA、ISRO、CSA、KARI、ISA、UAESAなどの各国の宇宙機関のトップや幹部たち、宇宙政策の政策立案者、宇宙研究者、そして宇宙産業機関のリーダーたち、総勢200人ものそうそうたるメンバーが集結していた。
国際宇宙連盟会長のクラシュが壇上に立ち、重々しく会議の開始を告げた。
「第525回国際宇宙会議を開催する。今回の議題は、地球代表として帰還したヴァーナ、リカ、シスの三人からの報告を受け、月で遭遇した宇宙人への対応を検討することにある。実在する宇宙人に対して、我々地球人がどう対応するべきか。これは、地球の未来を大きく左右する極めて重要な会議であり、ここでの決定が我々の運命を決めることになる。」
クラシュは一瞬間を置き、続けた。
「まずは、彼らと交渉するにあたって、彼らの呼び名を決める必要がある。『宇宙人』と呼ぶのは失礼にあたるだろう。何か良い総称はないだろうか?」
会場はざわめき始め、さまざまな意見が飛び交った。その中で、宇宙産業機関SpaceXのトップが声を上げた。
「どうだろう、シンプルに『ビジター』という呼び方は?」
書記が白板に「ビジター」と記すと、他の提案も次々と上がり、5分ほどで33の候補が出揃った。クラシュは賛成と思う名前に手を挙げるよう呼びかけ、一つ一つの候補を列挙していった。そして圧倒的な支持を得て、ついに彼らの総称が決まった。
「彼らの総称は『ルナリアン』とする。この会議は国際宇宙会議ではあるが、ここに第1回ルナリアン会議の幕開けを宣言する。」
ルナリアンを提案したJAXAのトップがガッツポーズを控えめに決め、静かに喜びを噛みしめた。
クラシュは続けた。
「次に、ルナリアンとのファーストコンタクトに成功した3人から、月面での出来事をすべて公表してもらう。この出来事は、地球人全員が知るべき重大な事実であり、政治的、宗教的な影響を一切排除して、正確に世界中へ伝えてもらいたい。」
3人が壇上に招かれた。
「ヴァーナ、あなたがルナリアンとの交渉を主導したと聞いている。今回の話のメインスピーカーを務めてもらおう。リカとシスも、それぞれの視点から補足をお願いする。」
ヴァーナは一歩前に出て、堂々と語り始めた。話が進むにつれ、会場には驚愕の声が漏れた。彼らに脳に量子を埋められ、その量子を用いて、言葉の壁もなく話ができること、ルナリアンが信じられないほど遠方からやってきたこと、地球の重力、自転速度を調整したこと、今の人類はロリンズ族のDNAを基に進化したこと、未確認飛行物体『UFO』は彼らの地球探査機であり、レチリと呼ばれる存在が地球と人間を観察していること、戦争のような争い事は一切しないこと、地球上には彼らの身体を蝕む細菌が広がっていること、などが明かされた。
ヴァーナは締めくくりにスウィフからの重要な言葉を伝えた。
「最後に、ロリンズ族の1人がこう言いました。『我々と交渉する者は、嘘や偽りなく、すべてを正直に話すこと』。嘘や隠し事をするような行為は彼らにはありません。それは、ルナリアンだけでなく、他の惑星に生きる全宇宙の知的生命体にとっても同様のようです。嘘という概念を持つ知的生命体は地球人だけという事でした。これからの人類は、すべてを打ち明け、正直に交渉することで、他の宇宙人と真に信頼できる関係を築いていく必要がある。これは必須の交渉条件となります。」
その言葉に、会場の全員が静かに耳を傾けていた。全ての話を聞き、地球人が全宇宙で特殊な存在である事を皆が理解した。映画や小説で宇宙人たちと戦う物語を地球人は好んでいたが、それは自分達の完全なる創造でしかなかった事実が明かされた瞬間だった。
クラシュが前に立って言った。
「ヴァーナ、リカ、シス、ありがとう。ルナリアンの大まかな事が理解できたよ。これから彼らと共存していくためにどうするのが最善なのか検討していこう。ルナリアンが別の星を探求する為に地球から離れると、地球の環境が変わり住めなくなる恐れもある。そうなる前に出来る事なら、少しでも彼らの技術を吸収したいところだ。しかし、その前に難しい課題が出てくるだろう。」
ルナリアン会議は、熱気に満ちた三日間の議論を経て、ついにその幕を閉じた。そこで議論されたルナリアン基本法案の十条は、異例のスピードで承認され、わずか二日で歴史に刻まれた。今後、ルナリアンとの交渉を担うメンバーには、地球の政治に絡む者は除外され、そのリーダーには、堂々たる存在感のヴァーナが選ばれた。
ルナリアンの宇宙技術を吸収するため、まずは天文学、宇宙物理学、宇宙工学、宇宙科学、そして宇宙環境工学の博士号を持つ七名のエリートが選ばれた。彼らは、交渉の進展に応じて見直されることになるが、その任務は誇り高きものであり、選ばれし者たちの責任は計り知れない。
また、交渉に臨む際には、地球側もルナリアンとの真摯な対話を示すために、ヴァーナたちと同様に脳に量子を埋め込んでもらい、隠し事のない言葉を交わすことが決定された。真実の対話が、この新たな時代の鍵となる。
さらに、ルナリアンを地球に迎えるための準備も急ピッチで進める。ビトルズ族の巨躯に見合う建物がオクラホマ州に建設することが確定し、そのための工事が半年以内に完了するよう指示された。テロの危険性を最小限に抑えるため、詳細な場所は極秘裏に選ばれることとなった。
ルナリアンとの関係をさらに深めるため、今後、ルナリアン会議は月に一度の定例行事として行われることが決まり、地球はその未来に向けた一歩を着実に踏み出していく準備が整っていった。
世界は、ルナリアンとの出会いの冒険物語に夢中になっていた。学校や会場、そしてスタジアムで語られるたびに、その物語は世界を駆け巡り、異なる人種、異なる文化を超えて広がっていった。誰もが、未知なる存在――ルナリアン――に心を奪われた。世界のどこでも、この興味と驚きは共通していた。
やがて、その影響は世界の政治にまで波及した。長きに渡り争い続けていた国々は、一時的に戦火を止め、共通の未知なる存在に対して警戒を強めるようになった。それは攻撃の準備ではなく、むしろ守りを固めるための動きだった。ルナリアンが敵意を持たないと宣言しても、疑い深い人間の本能が、何か隠された力があるのではないかと疑念を抱かせていたのだ。
3人の冒険者たちは、世界中を駆け巡りながらも、リモートでルナリアン会議に参加していた。ある会議で新たに細菌学者がメンバーに加わる話があった。その彼は次回、月へと旅立つ際に同行し、持参する2000種もの細菌の中から、ルナリアンにとって脅威となる細菌種を見極めることが使命だった。
しかし、ファーストコンタクトから3ヶ月が過ぎても、ルナリアンからの連絡は途絶えたままだった。ルナリアンは人間に何を期待しているのか、人間がルナリアンと会うために準備の為に時を待ってくれているのか、はたまた人間との交渉は無駄となったのか不安が忍び寄っていた。
そんな中、3人がエジプトのギザで講演を行っているとき、ヴァーナの目は民族衣装に身を包んだ群衆の中で、ひときわ異彩を放つ一人の女性に釘付けになった。彼女はアメリカ人を思わせる装いで、他の誰とも違っていた。講演中もヴァーナの視線は何度もその女性の方に向けられたが、2時間にわたる講演が終わり、サイン会で再び彼女に会えることを期待していたものの、その女性は現れなかった。
ヴァーナはシスとリカにその女性のことを尋ねたが、3000人もの参加者がカラフルな民族衣装を纏う中で、一人の女性に気づくはずもなく、「そんな人いた?」と呟かれるだけだった。謎めいた女性の姿は、まるで蜃気楼のように消えてしまった。
その夜、パルテノン神殿を模した三階建てのホテルのベランダで、ヴァーナはワインを片手に星空を眺めていた。空には無数の星が瞬き、静寂が心を包み込む。だが、ふと気配を感じ、下を見下ろすと昼間のあの女性がまるで夜の帳を裂くように、こちらをじっと見上げていた。
ヴァーナは心が弾むのを感じながら、彼女にその場を離れないようジェスチャーを送り、ガウン姿のままホテルの玄関ホールを駆け抜けた。だが、そこに彼女の姿はなかった。しかし、ほんの一瞬、100メートルほど先の角を曲がる彼女のシルエットが目に映った。心臓が高鳴り、彼は迷わず追いかけた。その道はギザのピラミッドが望める丘へと続いていた。
丘の頂上に到達すると、彼女は静かに座っていた。ヴァーナは無心に駆け寄り、その横に立つと、優しく声をかけた。
「こんばんは。隣に座って、話をさせてもらえますか?」
彼女は薄手のコートのパーカーを被ったまま、ゆっくりと頷いた。ヴァーナは彼女の隣に腰を下ろし、ピラミッドを見つめながら問いかけた。
「失礼ですが、昼間の講演に来ていた方ですよね?」
パーカーで顔は隠れていたが、彼女が再び頷くのがわかった。
「初めてお会いして、いきなりこんな話をするのは奇妙かもしれませんが、どうも気になっていたんです。講演中、なぜかあなたの存在がずっと頭から離れなかった。奥にいたので顔は見えませんでしたが、ずっと目が合っているような気がして…不思議な感覚でした。」
ヴァーナが言い終わると、彼女はパーカーを静かに下ろし、その顔を彼に向けた。彼女の姿を見た瞬間、ヴァーナの時間は凍りついた。彼女の顔は、まるで天使の微笑みが宿るかのように美しく、その瞳は夜空に瞬く星々よりも深く澄んでいた。彼女の周囲だけが鮮やかな色彩に包まれ、世界が白黒に変わるかのような錯覚にとらわれた。心臓が激しく鼓動し、呼吸すらも忘れてしまうほどだった。
しかし、彼女が静かに視線を向け、ヴァーナに語りかけたその瞬間、彼は現実に引き戻された。
「こっちへ。」
その声は、まるで雨後の静かな湖に滴り落ちる水滴のように、穏やかでありながらも、ヴァーナの心の奥深くに波紋を広げた。彼女は立ち上がり、そっと彼の手を取り、2人は無言のまま、ピラミッドに向かって静かに丘を下り始めた。
ヴァーナは彼女に手を引かれ、まるで夢の中にいるかのように、無言でその後を追った。2人がピラミッドの北東の角に差し掛かったとき、足元の砂がまるでホログラムのように実体を失い、抵抗なく体が砂漠に沈み込んでいく。見えない階段を一段一段下りるような感覚があったが、ヴァーナは不思議と驚きや恐怖を感じることなく、ただ静かに彼女の後を追い続けた。
砂漠の下に潜り込むと、目の前には高さ20メートル、幅10メートルほどの土色の明るい通路が広がっていた。その光景は、ピラミッド内部の広大な通路を思わせたが、石の継ぎ目はどこにも見当たらず、壁の素材すらも判別できなかった。まるで異世界に迷い込んだかのような場所だった。
そのとき、通路の奥から白い光の輪が静かに近づいてきた。光は2人を優しく包み込むと、再び元の方向へと動き出し、2人の体を浮かび上がらせた。通路の風景は変わらず、その速度を実感することはできなかったが、方向からピラミッドの地下深くに潜っているとヴァーナは予想した。
やがて光は行き止まりの壁の前で静止した。2人が一歩前に踏み出すと、白い光は音もなく消え、土色の壁だけが残った。彼女がヴァーナの手を引いて歩み壁をすり抜け、目の前には信じられない光景が広がっていた。そこには、何とハリスが待っていた。
ヴァーナはまるで現実を超越したかのような驚きで、思考が一瞬凍りつき、まるで夢の中にいるかのように混乱した。
「えっ!これって、いったい…。」
動揺するヴァーナの脳内に、ハリスの声が響いた。
「ビスティで直接話をした方が良いから、スウィフに連れて来てもらった。」
ヴァーナは混乱しつつも、口を開いた。
「ここ…月?君はスウィフなのか?」
彼女は穏やかな笑みを浮かべ、その微笑みはまるで世界のすべての罪を許すかのようだった。そして、ヴァーナの量子に直接、彼女の言葉が伝わった。
「そう。私はスウィフ。ロリンズ族と知って、マスクを外した私を見るのは、地球人ではヴァーナが初めてね。」
スウィフはマスクをつけると、彼女の服装も以前の白いローブのような衣装に変わった。そして、彼女は続けた。
「あなたたち3人の行動を地球でずっと見ていました。3人が我々と対話するにふさわしい存在であることを確信しました。ルナリアン会議のことも把握していますし、人間が我々に近づこうと努力しているのも分かっています。こちらに来る学者たちには、正しい物理を教えましょう。そうしなければ、我々の技術を提供しても、それを実現することは今の人間のレベルでは不可能だから。」
ヴァーナはスウィフの話が耳に入らなかった。今の状況が理解できず、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「えっと…ピラミッドを通じてワープして月に来たの?ピラミッドには…えっと、次元転送装置があるってこと?」
ハリスが落ち着いた声で答えた。
「そうだ。地球までの近距離なら転送装置が使える。以前は南極の施設に向かうとき、探査機を使うこともあったが、基本的には地上のピラミッドを利用して移動していた。世界中のピラミッド間での転送も可能だが、ビスティとつながっているのはエジプトのピラミッドだけになっている。今はスウィフしか利用していない。」
ヴァーナは感心し、今度は量子通信で返した。
「ここでピラミッドの謎が解けるとは…君たちの技術がどれほ人類の技術を超越しているかを改めて感じた。ただ、以前、転送装置で宇宙船に転送してもらったときは、眩しくて目が開けられないほどだったが、今回はそんなことがなかった。ピラミッドの転送装置は何か違うの?」
ハリスが再び答えた。
「転送装置同士では空間を開くのは容易だが、空間座標を指定して転送するにはそれなりのパワーが必要だ。その時、恒星エネルギーを放出する時の光が目を眩ませたのだろう。我々には何ともないが、人間には影響があるようだな。」
ヴァーナは納得して頷いた。
「なるほど、装置間の転送とは違うという事は理解できた。ハリス、ところで、話があってここに呼んだみたいだけど、要件は何だろう?」
ハリスの隣に、淡い光をまとった映像が現れた。それはオクラホマの建設現場、まさにビルが測量されている様子だった。
「我々のために建物を用意しているようだが、地球に行く際には専用の船を使うつもりだ。この建設は不要となる。すぐに中止してくれ。」
ヴァーナは頷きつつも、やや不満げに応じた。
「分かった。伝えておく。それくらいのことなら、ここまで来なくても量子で通信してくれればよかったのに。」
ハリスは一瞬間を置き、鋭く切り返した。
「いや、それだけではない。重要なのは生態系について話をしたいからだ。人間が生態系を壊しているが、その影響が過剰すぎると感じるのだ。強いものが弱いものを支配するのは自然の摂理だが、知識ある者が介入する場合、その影響を最小限に抑えるのが常識だ。だが、地球は違う。人間は地球の頂点に立つ存在でありながら、他の生命を守ろうとはしない。宇宙や自然のバランスを変え続けている。これも人間の特殊性か?それとも、あまりに多様な生物がいるからか?ヴァーナ、お前の考えを聞きたい。」
ヴァーナは考えを巡らせた。
「これは人類の歴史を知る者なら誰もが理解していることだ。人類は技術を向上させる過程で、18世紀の産業革命を経て、急速に環境を変えた。工業化が進み、便利な生活を追求する中で、生態系は後回しにされた。20世紀後半にはその影響が認識され始めたが、世界が真剣に向き合い始めたのは21世紀の中頃だ。しかし、その頃に地球寒冷化が起こり、生態系が大きく崩れた。何とか生き延びる事ができた人間は生活を安定させて、ようやく身の回りの環境に目を向けることができたが、すでに手遅れだった。現在は生態系の回復に取り組んでいるが、かつての自然溢れる世界に戻すには時間がかかる。完全に元の生態に戻すには、今の人類が他の惑星に移住するか絶滅するしかないだろう。そして、人間が作り出したものが完全に消えるには数百万年かかると言われている。これも人間の愚かさの一端だ。」
ハリスは冷酷な眼差しで続けた。
「人間は、この宇宙にとって不要な生物なのかもしれない。我々の祖先からの進化とは全く違う道を歩んだ種族であり、同じ種族で殺し合うという危険な生物である事は間違いない。この特殊な生物を研究する事に意味があるのか疑問だ。」
ハリスがもっと生態系について議論しようとした、その時、スウィフが間に割って入った。
「ハリス、ヴァーナが言ったように人間が21世紀に寒冷化の危機を乗り越えたことを忘れてはいけない。もし宇宙が人間を不要と判断していたなら、その時に絶滅していたはず。だが、彼らはそれを乗り越え、今ここにいる。生態系が大きく変わったのは、人間の影響だけではない。」
ヴァーナはスウィフの言葉に感謝の念を抱きながら心の中で呟いた。
「スウィフ、ありがとう…。」
スウィフが怒りをあらわにハリスに尋ねた。
「ハリスが聞きたいことはそれだけ?」
ハリスは少し考えた後、答えた。
「いくつかあるが、先ほどの話を聞いて、もう少し今の人間の歴史について知ってからの方が良いと判断した。ヴァーナ。これだけの為に悪かったな。」
スウィフがまた仮面を外し、ヴァーナの手を取った。彼の心に、暖かな安心感が広がった。
スウィフがヴァーナをピラミッドに戻すと、彼女はそっとヴァーナの頭に指をあてた。すると、まるでシャボン玉のような透明な膜が、ふわりと彼の体を包み込んだ。スウィフはそのままヴァーナを見つめ、静かな声で語り始めた。
「ハリスは地球が特別な場所だと認めてはいるけれど、人間を研究する意義については疑問を抱いている。偉大なるマッカートの仕事を継いでいるからこそ、最後まで責任を果たそうとしているだけなの。実際、ハリスは地球に住むことができないから、別の惑星に早く移動したいと考えているわ。他にも、人類が開発した物が、ハリスの過去に関係するのも気にかかっているけどね。」
ヴァーナは驚きと不安を抱えながら問いかけた。
「そんな話をしても大丈夫なの?」
スウィフは微笑んで、軽く首を振った。
「今は誰にも話が聞けないようにしているから心配しないで。このままだと、ハリスは別の星に移動しようとするかもしれないわ。マッカートが願ったのは、人間がビスティに辿り着くまで待ってほしいということだった。私達はその約束を守ったけれど、その後のことは何も言い残されていないから、ハリスは自分の意見を総括に伝えるはず。もしビスティが移動する事になれば、地球の自然環境は更に大きく変わり、人類は絶滅の危機に瀕する可能性が高まる。それだけは何としても防がなければならない。」
ヴァーナはその言葉に思いを巡らせた。
「確かに、月がなくなれば海の波も消え、自転速度が変わるだろう。魚にも影響が出て、生態系がさらに崩壊する。気候変動が激化し、1日の長さが変わることで、生物の体内リズムが狂い始めるかもしれない。それは非常にまずいことだ。」
スウィフは少し目を細め、決意を秘めた声で続けた。
「ヴァーナ、私たちは地球に住めないと言っていたけど、ロリンズ族は住めるかもしれないわ。私は何度か地球とビスティを行き来するうちに、地球の細菌に対抗できる体になった。今では細菌から身体を守るバリアを張らずに、地球で活動できるほどにね。これは自分でも驚いている事実。ハリスや総括レノにこのことを報告するつもりだけど、今はそのタイミングじゃないの。もしビトルズ族全員が細菌に耐えられる体になれば、地球に住めない問題は解決するはず。」
ヴァーナは急き立てるように言った。
「それは早く報告しないと。」
スウィフは微笑んで首を振った。
「いいえ、タイミングが大事なの。私に任せて。」
再びスウィフがヴァーナの頭に指をあてると、シャボン玉の膜は消え去った。
スウィフは柔らかく微笑み、別れを告げた。
「明日の仕事に備えて。また私やハリスが話をしたいときは連絡するわ。」
スウィフと別れたヴァーナは、スウィフの話は地球の近未来の話で、人類の存続につながるほど重く重要な事だが、それ以上に彼女自身のことばかりが頭を占めていることに気づいた。まるで心を奪われたかのように。ヴァーナは自分がスウィフに恋していると悟った。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
今回は、スウィフという存在を中心に、地球人と宇宙側の価値観の違いを描いた章となりました。
また、ビスティにいる統括たちも本格的に登場し、ここから物語はさらに大きく動き始めます。
今後も『ルナリアン』を楽しんで頂ければ幸いです。感想も頂ければ励みになります。




