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ルナリアン  作者: 広育 春美


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13/14

人類の再出発

人類は滅亡を回避するため、新たな世界を築こうとしていた。

国境も、常識も、これまで当たり前だった価値観さえ置き去りにして。

これは、人類史上最大の移住計画。

新たな楽園――アースポッド誕生の記録である。

 アースポッドの整備は、南極の地下で静かに確実に進められていた。そして、予定よりもわずかに早い、2年6か月で全ての施工が完了した。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。数々の試練が立ちはだかり、その一つひとつを乗り越えてきた結果である。

 世界会議の最も難解な課題、それは国々が区画を奪い合うことであった。強大な国々が広大な領域を欲することは避けられず、この問題は最初に提起され、最後まで解決を見なかった。しかし、ついに歴史的な決断が下された。アースポッドでは「国」という概念そのものを捨て去ることとなったのだ。人類史上、初めて世界が一つに統一され、国境のない世界の誕生であった。

 区画は国境ではなく、言語ごとに分けられた。そこからさらに宗教、宗派ごとに区画が整備された。完全に区画を分けるのは困難を伴うため、区画の境では異なる宗教の人々が混ざることとなった。宗教による区画は、主に10万人以上の信者を有する宗教に対して用意された。ゾロアスター教、ヤズィーディ教、マンディ教、天理教の区画も用意されたが、信者が10万人以下の新興宗教の人々は、無宗教者向けに割り当てられた区画に集まるよう指示された。もっとも、宗教が異なっても、住みたい場所に住むことに制限はない。このような環境で、誰もが自由に移住できるようになった。たとえ家族や友人が国外にいても、それはもはや関係ない。彼らと同じ区画に住むことが可能となり、人々は新しい世界での自由を手に入れた。もちろん、言語や宗教が異なる場所に移り住むことも自由である。

 次に時間を要した問題は、移住を拒む者たちへの対応であった。今の生活を捨てたくない者、居座ることでビスティ族は地球を破壊しないと信じる者、宗教的な理由で移住を認めない者、様々な事情を抱える彼らに、最後の選択が迫られた。ビスティ族がどのように都市を破壊するかは誰にも予測できなかったが、その手段が人知を超えるものであることは確かだった。

 そして、残ることを選んだ者たちには、即座に安らかな死を迎えるための薬が与えられた。移住は、最終的に個人の自由とされ、全ての選択肢が許される新たな世界が幕を開けた。


 アースポッドは、スウィフと地球人との寄り添った話し合いによって、かつて誰もが夢見た理想郷へと変貌しようとしていた。それは単に技術的な進歩だけではなく、人々が再び人間らしい生活を取り戻し、家族との時間が大幅に増え、人と人との絆が深まる世界への道筋だった。

 衣食住のうち、「衣」に関しては、地上からいくらでも持ち込むことが許されていた。しかし、新しい世界では、気温や湿度が常に完璧に保たれ、半袖で快適に過ごせる環境が約束されていたため、冬服は過去の遺物となった。移住先の各部屋には、人数分のロリンズ族が開発した特別な首輪が用意されている。その首輪をつけると、透明な膜が全身を覆い、首から上には透明な膜が顔と髪にぴたりと密着し、首から下には薄い半透明の膜が身体全体を包み込む。その膜はまるで何も纏っていないかのような軽さで、自由な動きを制限することはない。もし運動しても熱を発散させて快適な状態を保つような機能を発揮するのだ。

 さらに、この首輪に手を触れて指示を出せば、膜のデザインを好みに応じて変更することができる。首から上の顔や髪形を変えることはできないが、髪の色、皮膚の色や瞳の色の見た目を自在に変えることができる。同様に、首から下の半透明の膜にも細かなデザインを指定でき、そのまま外出することも可能だった。この首輪だけで日常を過ごすのも良し、膜の上から自分の服を着るのも良し。まさに、衣服の選択肢は無限大で、新たな暮らしはより自由で豊かなものへと進化していた。新しい世界では靴を履くという行為も不要となる。外を歩くという行為は必須ではなくなり、歩く行為は部屋の中だけ。外で歩くのは遊戯や競技、ランニングなどの行為を行う時だけとなる。


 アースポッドにおける「食」は、もはや人間の手を必要としない未来の食卓だった。すべての食材はロボットによって生産され、人工肉や人工魚、人工野菜など、あらゆる食料が無限に、そして無料で提供される世界へと変貌する。食材を指定して欲しい量を注文すれば、冷蔵庫の転送スペースに瞬時に届けられるのだ。

 だが、この冷蔵庫は単なる貯蔵装置ではない。それは、すべての調理をこなす完璧なコックでもあった。料理が苦手な者でも、食べたい料理を口にするだけで、そのすべてが完璧に準備される。辛さや甘さ、具材の指定さえ可能で、同じ料理でもその度に違った味を楽しむことができる。アースポッドでは、毎食が冒険であり、新たな美味の発見が日常の楽しみとなる。無論、自身で料理するのも可能である。


 そして、「住」。アースポッドでは、全世界の個人や家族に部屋が与えられる。家族の人数によって割り当てられるマンションが異なるが、移住後に人数が変わっても、住み続けるか引っ越すかは自由だ。各部屋には必要なものがすべて設置されており、冷蔵庫と洗濯機はロリンズ族からの特別な贈り物である。これらは一切の電力を必要とせず、どのように稼働しているのかは誰にもわからない。

 洗濯機は壁に埋め込まれ、移動は不可能だが、洗剤不要でボタン一つで瞬く間に衣類は新品のように生まれ変わる。そして、壁に埋め込まれたもう一つの装置、それが不要物転送装置だ。余った食材、不要な衣類、すべてをこのスペースに入れ、スイッチを押せば再利用工場へと転送され、新しい形でよみがえる事となる。

 その他の家具は地球人が用意したものだが、壊れた家具は転送シールを所定の位置に貼るだけで、古いものと新しいものが転送されて交換される。すべてがシームレスに機能するこの世界では、古きものは瞬時に新たな価値を得て、生まれ変わる事になる。


 仕事はすべてロボットに委ねられた。人間が汗水を流して働く時代は、静かに終わりを迎えようとしていた。アースポッドでは、仕事は義務ではなくなり、すべての人が平等の地平に立ち、貧富の差は完全に消滅。貧困も過去のものとなり、今までのお金に代わる新たなシステム、「ポイント制度」が導入されることとなる。毎月すべての人に平等に100ポイントが加算され、それをどう使うかは個々の自由に委ねられている。貯めても良し、反対にポイントをすべて使い切っても、生活は完全に保障されているので問題なし。ポイントは、いわば日常を彩るためのボーナスとしての役割を持つものとなる。また、それは受け渡しは行えず、完全に個人に依存する。

 このポイントを使えば、部屋の色やカーテンを好みに応じて変更したり、人工肉や魚の質を上げることも可能だ。そして、最大の贅沢は「仮想遊戯」と呼ばれる施設に使う事が予想された。そこでは、4Dバーチャルの世界が広がり、まるで自分がその場にいるかのような没入体験が可能になる。仲間や家族と一緒に、まるで本物のような遊園地で絶叫したり、山登りや海水浴、さらにはスキューバダイビング、カーレース、バイクツーリング、世界の各地をドライブ、星空の下でのキャンプまで、現実世界のほぼすべての冒険が仮想空間で味わえるのだ。


 18歳までの勉学が義務を終え、社会に貢献すればポイントが加算される。誕生日や結婚といった特別な日にも自動的にポイントが贈られる。18歳以降は自由に生き方を選ぶことができる。勉学を続ける事も可能。興味のある研究施設に入る事も可能。商業ビルも多数用意され、スペースを予約すれば誰でも自分のお店を開くことが可能だ。ヨガ教室や空手教室のような講座を開くこともできる。それらを運営している人々は1日の終わりにポイントが加算される。それに参加して楽しんだ人々にも僅かではあるが加算される仕組みだ。

 しかし、暴力や犯罪など、社会の規範を逸脱した行為をすればポイントは減少する。アースポッドでは、AIが24時間監視し、どこにいてもその行動が見守られている。重罪を犯した場合、もしくは犯罪を3回繰り返した者には、牢獄ではなく、長期冬眠の刑を受ける。重罪では目覚めるのは20年後となり、目覚めた時、周囲の環境は変化している。つまり孤独からの再スタートとなる。他者に危害を加える行為や重大な反社会行為には厳しい処罰が与えられる世界となる。


 アースポッドではどこでも語り掛ければ目の前にウィンドウが現れ、地下40階分の情報をいつでも表示することができ、興味があることを簡単に調べることができる。高速移動床を使えば、どこへでも10分以内に到着可能で、近場なら低速移動床で滑るように移動することができる。

 そして、かつて人々を脅かしていた風邪やインフルエンザといったウイルス性の病気は、アースポッドではもはや存在しない。全ての空調機に搭載されたウイルスフィルターが、病気の根源を完全にシャットアウトしているため、健康という概念さえ変わろうとしていた。アースポッドは、ただの理想郷ではなく、今の現実を超えた新たな人類の楽園へと進化するものだ。


 移住先が既に確定しており、全世界の人々がいつでも新天地へと転送できる準備は整っていた。貧困に苦しみ、過酷な生活を強いられていた者たちは、この解放の時を待ち焦がれていたかのように、移住が解禁されるや否や、次々と新しい世界へと転送されていった。

 ヴァーナ、シス、リカの3人は、息を呑むほどに急速に増えるアースポッドの人口を、静かにビスティのウィンドウで移動数を見ていた。シスが口を開いた。

 「大成功だな。これは。」

 ヴァーナもリカも無言で頷く。その目には、達成感と安堵が入り混じっていた。

 「そうだな…スウィフの提案がなければ、ここまでの世界は作れなかった。人類の進化の歴史は、食糧争いから始まった。だが今や、その根源となる食に困らなくなった。人類にこれ以上の幸せはないだろう。」

 生活環境の変化に抗う者が多くいると思われていたが、その予想は見事に外れた。新天地に対する憧れは、想像以上に強かったのだ。誰もが、働かずとも苦しむことなく食べることができる未来を歓迎した。食事量の制限こそあるものの、飢えることがないという事実は、人類にとってまさに夢のような世界だった。毎日を趣味に費やしてもいい。家族との時間を大切にしてもいい。学問に没頭する者もいれば、新たな芸術を生み出す者もいるだろう。飽きれば、また別の何かに挑戦すればいい。そんな軽い考えさえ、この新しい世界では成り立つのだ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今回はアースポッドの世界設定を中心としたお話でした。かなり説明の多い回になりましたが、人類がどのような未来へ進むのかを描くうえで重要な章になっています。

完成した理想郷アースポッドで、人類がどのように変化していくのかも描いていきたいと思います。

引き続き『ルナリアン』を楽しんで頂ければ幸いです。一言でも感想も頂ければ励みになります。

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