アースポッド
人類滅亡まで残された時間は、あと三年。
絶望の中で提示されたのは、誰も想像しなかった生存への道だった。
それは、地球を捨てるのではない。
地球の地下に、新たな世界を築くという選択である。
シスとリカは憧れの「ウエストゲート ラスベガス」に旅行に来ていた。煌めくカジノのネオン、刺激的なショー、二人で過ごす久々の長期休暇は、夢のような時間だった。4日目の夜、豪華なディナーを終え、プールサイドバーで濃い目のカクテルを手に、二人は満月が照らすプールをぼんやり眺めていた。プールの水面は静かに輝き、まるで鏡のように世界を映し出していた。その時までは。
突然、プールの水面が不自然に凹み始めた。まるで何か巨大な力が、透明な球体を押し付けているかのように。その異様な光景に、周囲の人々は悲鳴を上げ、プールサイドから次々に逃げ出していく。水が溢れ出す寸前で、なんとか水面は止まったが、空間には不気味な歪みが残った。逃げ腰の姿勢でシスがその歪みを凝視していると、突如として空中に二本の脚が現れ、地上に向かって滑るように降りてきた。
シスは驚愕し、口に含んでいたカクテルを噴き出した。
「エクソシストを呼べ!」
人々が次々と逃げ去る中、シスとリカもその場を離れようとした。その時、聞き覚えのある声が二人を引き止めた。
「おいおい、2人ともどこに行くんだ?」
振り返った2人の目に映ったのは、美女を伴って空中から降り立つヴァーナだった。動揺のあまり声を失った2人に、ヴァーナは軽い照れ笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「ちょっと派手過ぎたか?」
ヴァーナがプールサイドに足をつけた瞬間、プールの水面は静かに元に戻った。リカが我に返った。
「『派手過ぎた』じゃ済まない!何が起きているの、これ!」
ヴァーナは周囲の散乱したテーブルや椅子を見回し、少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
「悪い、悪い。そこまで驚かせるつもりはなかった。ともかく、改めて彼女を紹介しよう。君たちも知っているスウィフだ。」
シスは一瞬、息を飲んだ。
「絶世の美女だな。」
リカも呆然としたまま呟く。
「本物のスウィフ?私たち人間とほぼ一緒だけど。もしかして擬態変装?」
スウィフは柔らかく微笑み、優雅に挨拶を返した。
「仮面を外した姿をお見せするのは初めてね。私は変装無しの素顔のスウィフ、どうぞよろしくね。」
いつもの頭に優しく語り掛けてくれていた声と同じ声が耳から聴こえた。シスが一言。
「口で英語、喋ってる……」
混乱に包まれたプールサイドを離れ、シスとリカの宿泊している部屋に戻った。ヴァーナとスウィフを招き入れ、ルームサービスで届いたワインを片手に、4人がテーブルで向き合った。リカはため息をつきながらヴァーナを睨んだ。
「まさか、前置きもなしにUFOで私たちのホテルまで来て、あんな登場の仕方をするなんて。みんながパニックになるのも、わかるでしょ。」
ヴァーナが気まずそうに苦笑して言う。
「まだ言うか。まぁ予定ではホテルの近くで降りて、歩いてココに来るつもりだったんだけど、ちょうど、プールサイドに居る2人を見かけたから、少し派手な方が楽しんでくれるかなって思ってね。他の人も驚かさないように、次からは気をつけるよ。」
ヴァーナは素直に謝罪した。
シスが話に割り込んだ。
「で、わざわざ俺たちに会いに来たってことは、何か大事な話があるんだろ?」
ヴァーナは真剣な表情になり、南極に関する驚くべき事実を語り出した。話を聞いていたシスが口を開く。
「南極の地下に90億人が住めるスペースがある?それを今聞いて、はいそうですかって信じられる奴がどこにいると思う?どうやったらそんなことが可能になるんだ?」
ヴァーナは思った通りの返事がきて、スウィフを見た。
「ほらな、スウィフ。俺の言った通りだろ?まずは2人に話して反応をみるべきだって。それに、月が宇宙船だってことすら、君たちの存在が公表されなければ、いくら言っても誰もそんな話を信じちゃくれないよ。人間は自分達の技術では考えられないものは否定するのが普通なんだよ。」
スウィフは静かに頷き、ヴァーナに同意した。
「その通りみたいね。じゃあ、具体的なスペースのサイズを言えば信じてくれるかしら?」
「いや、それも現実離れし過ぎだと思う。結局、実際に見せない限り信じないと思うよ。」
ヴァーナが頭を掻きながら、スウィフに訊ねる。
「ちなみに、スペースってどれくらいの大きさなの?」
スウィフは淡々と答えた。
「縦が1000キロ、横が1500キロ。」
「へっ?」
3人は同時に声を揃えて言った。リカは半信半疑でヴァーナを見つめる。
「『へっ』て、ヴァーナ、あんたその目で見てきたんじゃないの?」
ヴァーナは肩をすくめて言った。
「いや、一部だけしか見てないんだ。残りはスウィフから説明を聞いただけでさ。まさか、そこまで広いとは思わなかった。90億人が住めるって聞いた時は、相当広いんだろうなとは思っていたけど、それが地下40階分もあるって言うなら、余裕すぎるな。」
シスも驚きを隠せない。
「えぇぇ、40階!その広さのスペースが地下40階もあるの?その各階の高さはどれくらい?」
スウィフは微笑んで答えた。
「地下1階は300メートル、それ以外の階は全て200メートル。」
その言葉に、再びヴァーナが驚愕した。
「えっ、200メートルって……。想像より遥かに高い……。山が入るな……。」
リカが疑問を口にする。
「でも何で南極にそんなスペースがあるの?」
ヴァーナが軽く概要を説明して、あまりに現実離れした事実を受け入れるしかなかった。
そして、ヴァーナが全人口とスペースについて計算して口を開いた。
「うん、本当にいけそうだ。病院、学校、そして娯楽施設を建設しても問題ないだろう。スペースにはまったく困らないな。」
シスが最後に話を纏めた。
「OK、俺たちは理解したというより、信じるしかないな。けど、これを会議で『南極に、90億人が丸ごと入るスペースを地下40階に用意しました』って説明するのか。俺達の反応と一緒で、誰も信じないだろう。だから、スウィフ。君がロリンズ族の代表として、南極の地下の映像を流しながら説明してくれたら、説得力がまるで違う。頼むから、君から説明してくれないかな?」
ヴァーナたちから発せられた緊急声明から、10日後に緊急世界会議の開催が決まった。ロリンズ族の一人も会議に出席するとの知らせが事前に伝わっており、世界183カ国すべての代表が顔を揃えた、まさに歴史的な場となった。リモート参加ではなく、ほとんどの国が直接会場に集まることを望んだため、開催地には世界で一番安全であると評価される日本が選ばれた。
会場に選ばれたのは、20世紀に建築され、和と洋の美を融合させた京都国際会館。長年の改築と増設を経て、いまやメインホールは6000人を収容できる壮大なものとなっていた。そこに世界の代表者たちが集い、かつてない規模の会議が始まろうとしていた。
ヴァーナが今までの経緯を淡々と説明した後、静寂の中、スウィフがステージに滑るように現れた。仮面をつけ、その振る舞いは月のビスティで見せたものと同じ威厳を漂わせ、ロリンズ族の神秘性を一層際立たせていた。スウィフが姿を見せた瞬間、会場はざわめきに包まれたが、すぐに自制が戻り、その驚きは静まり返った。
スウィフは地球の5000を超える全ての言語を自在に話せるが、今回はヴァーナを介して意思を伝えることが決まっていた。スウィフの言葉をヴァーナが訳す声が会場に響く。
「こんにちは、地球の代表者の皆さん。私は、あなた方が『月』と呼んでいる、宇宙船ビスティから来ました。以前、我々の総括レノがニューヨークで地球の皆さんにメッセージを残しました。その内容はもう振り返らずともお分かりでしょう。そして、地球の現状の科学力では、その課題を解決するのは困難であることを我々は理解しています。この緊迫した状況を打開するため、我々、ロリンズ族はある提案を持ってきました。それは、地球上の全人類を収容できるスペースの提供です。」
その瞬間、会場は再びどよめいた。同時にスウィフは広い会場の座席の上をゆっくりと回転して漂う大きな3Dホログラム映像のようなものを映し出し、さらに驚きが広がった、静まるのを待ち、スウィフは話を続けた。
「その場所は南極。地下42階の施設があり、地下1階と2階は我々のものですが、地下3階から42階までは地球人に提供します。」
会場中から感嘆の声が漏れる。
「各階の広さは、縦1000キロ、横1500キロ、高さ200メートル。その中で、地球人が自由に居住環境を設計することができます。」
桁違いの大きさに会場がまたどよめく。
「スペースの設計において制限があります。スペース内の移動手段を我々が用意します。スペースの周囲の壁、天井から50メートルは高速移動床が設置するので、各階のスペースは少しだけ狭くなることを考慮ください。
その他、考慮すべき点を述べます。
1.水は周囲の海から無限に取り込むことができるので、浄水施設を設計してください。
2.地球人が使用するエネルギーである電気は、我々のダークエネルギー装置から供給するようにします。現在の地球上の全ての発電所から得られる電力量の数千倍ほどの供給可能なので、電力不足を心配する必要はありません。
3.建築資材など必要な物すべて、地上のどこからでも転送装置を使って運べるようにします。資材を運ぶ飛行機や船を用意する必要はありません。
4.無重力装置を貸与します。100トンの資材でさえ片手で持つことが可能です。重さは全く感じないでしょう。資材がどこかに衝突する心配も不要です。資材の周囲にクッションに守られます。」
スウィフの説明は淡々と10分ほど続いた、ついに最後の警告に至った。
「最後に、一つ重要な点を伝えます、我々には睡眠という概念がありません。従って、スペース内は常に明るい状態が続きます。夜が訪れることはありません。夜のような暗さが必要なものは工夫が必要となります。それは地球人の科学で工夫してください。」
その後、代表者たちから次々と質問が寄せられたが、すべて的確に回答され、会議場にはまだ戸惑いの色も残っていたが、少なくとも提案そのものを否定する声はほとんど消えていた。何人か移住など不可能と声を上げる者もいたが、ほぼ全員がスウィフの提案に納得した。
その日から京都国際会館は20日間、異例の貸切状態が続いた。世界の運命を握る会議が開かれる場所として、重々しい空気が漂うなか。スペース開発のために選ばれたのは、五人の最高権限を持つ者たち。彼らの決断は、まさに人類の未来を左右するものだった。そして、その新たなスペースには名が与えられた。
―― アースポッド
地球に新たな命が宿ることを象徴する響きのある名前だった。
世界中から集められた名だたる建築のプロフェッショナルたち。住宅、商業、産業、都市設計の分野を極めた者たちが一堂に会し、持続可能な未来を描くべく議論を重ねた。建築設計士から設備設計士、電気設計士、機械設計士まで、数え切れないほどの専門家たちから提出された計画の採否は五人の決定者に委ねられる。一方で、別のチームでは、生存のための最小限のインフラ整備を進めるため、スケジュールが組まれていた。新しい世界の姿が24時間体制で確実に描かれていくのであった。
京都国際会館で、次なる世界の生存戦略が真剣に検討されている最中、全世界にヴァーナからのメッセージが各メディアで一斉に報道された。その内容は転送装置。一週間後に各地に現れるという予告だった。
その翌日には、アースポッドの広大な土地が、100メートル四方の正方形に区切られ、全世界のサーバーに公開された。誰もがその情報にアクセスでき、任意のポイントを調べることが可能となった。転送装置の使い方は驚くほどシンプルだ。
1.転送先の場所の番号を声に出す。
2.表示された番号が正しいことを確認し、1分以内に装置に触れる。すると、瞬時にアースポッドへ転送される。戻りたいときは、アースポッドの装置で元の場所の転送装置の番号を呼べばいい。
そのメッセージが発表されてから一週間、予告通りに世界中の人の少ない場所に、奇妙な装置が出現した。赤、緑、青の光が大小入り乱れ、絶えず揺らめく様は、様々な色を映し出すパレットのようだった。その高さは20メートル、幅は30メートルにも及び、横から見るとその薄さは限りなくゼロに近い。空間の裂け目がそこに存在しているかのようだった。それは、ある国では神の門と呼ばれ、ある国では侵略兵器と恐れることもあった。
アースポッド開発計画が始動した。それは、全区画にわたる超大型浄水施設の設置からスタートする。この新たな世界では、生命の維持に欠かせない水が最優先だった。そして、ビルを製造するための工場、さらには家電製品や生活用品、身の回りのあらゆる物を生産する工場が建設される予定だった。しかし、地上のようにモノを使い捨てる文化はなくなる。アースポッドでは、再生可能な資源だけが使用される世界となる。この新世界には「捨てる」という行為が存在しない。
さらに、これらの工場に並行して、ロリンズ族により、人工肉や野菜といった食糧生産のインフラも事前に整備されていく。生きていく為に要となる重要な箇所は全てロリンズ族が手を下した。人類が暮らすこの空間では、食料さえも完全にコントロールされ、無駄のないサイクルが実現されようとしていた。
今後、地上では最低限のインフラ整備が続く中、世界はアースポッドに全力を注ぎ込む事になる。
人類はついに、生き延びるための道筋を見出したかに見えた。だが、それは滅亡を回避するための第一歩に過ぎない。真に難しいのは、その先――九十億人が一つの世界で生きる方法を見つけることだった。
南極の地下に広がる超巨大空間――アースポッド。
最後までお読みいただきありがとうございます。
人類は滅亡を回避するための希望を手に入れた。
しかし、希望を得ることと、その希望を形にすることは別の話である。九十億人が暮らす新世界。
そこには技術だけでは解決できない問題が、無数に待ち受けていた。
人類最大の挑戦が、今まさに始まろうとしている。
引き続き『ルナリアン』を楽しんで頂ければ幸いです。一言でも感想も頂ければ励みになります。




