三年の猶予
人類に突き付けられた、三年という猶予。
世界が絶望に包まれる中、ルナリアンたちの間でも意見の対立が生まれていた。
地球人は救うべき存在なのか、それとも――。
ニューヨークで繰り広げられた、ルナリアンとの初の公式会談は、人類にとって計り知れない絶望の幕開けとなった。全世界が息を呑みながらリアルタイムでその瞬間を見守ったが、ルナリアンの声は誰の耳にも届かなかったため、その会話の内容が公になるのは、会談終了から1時間後、大統領が演説の場に姿を現したときだった。彼の口から紡がれた言葉は、地球上のあらゆる場所に響き渡り、人々の心に恐怖と絶望を刻み込んだ。そして、世界は混沌に包まれ、反ルナリアン運動が烈火のごとく広がっていった。
各国の代表者たちは緊急リモート会談で集結し、これからの対応を模索し始めた。だが、スーパーコンピューターがはじき出した予測は、彼らの希望を打ち砕くものだった。世界の全人口である約90億人が安全に地下に移住し、交通、通信、エネルギー、水といったインフラを整えるには、3年どころか30年は必要だという結果だった。現実離れした未来に直面した代表者たちは、ただ苦悩することしかできなかった。
21世紀中頃に太陽の黒点減少による地球寒冷化が20年にわたって続き、その影響で草木は寒さに耐えきれずに枯れ果ててしまった。このため、現代では人工酸素製造装置が普及し、クリーンな酸素を供給するのが当たり前のこととなっていた。現存する草木は観賞用に残されたものが多く、自然に生えるものは陸地の2割にも満たないが、人工酸素が充実しているため、地下生活でも酸素に関しては問題ないと判断された。
地球上の動物たちも寒冷化の影響を受け、牛、豚、鶏の出産成功率が低下し、数が激減したため、人工肉が主流となっていた。これにより、地下での食料供給も可能と見られたが、海洋生物に対する影響はさらに深刻だった。極に近い冷たい水を好む魚の生息域が広がり、食物連鎖が崩壊、食用魚類の6割が絶滅してしまったのだ。人工魚肉製造装置が開発されたが、味の評判は芳しくなく、広く普及することはなかった。しかし、今回の危機を受け、装置の再開発が決定された。
穀物類もまた、人工穀物で賄うことが可能だった、最大の問題は水だった。海に近い地域ならば問題ないが、内陸の国々では水の確保が困難だった。水のインフラ整備が、今や最も重要な課題として浮上していた。
水と食料の問題が解決されたとしても、人類全体の移住にはあまりにも多くの障壁が立ちはだかっていた。このままでは、3年後に訪れる未来は暗く絶望的なものとなるだろう。人類は、この危機を打開すべく、3人の英雄にルナリアンとの再交渉を託すこととなった。しかし、それと同時に、ルナリアンへの細菌攻撃計画が最後の切り札として秘密裏に進行していた。
ビスティに戻ると、ロリンズ族を統括するジヤとスウィフは、総括レノとハリスに激しい怒りをぶつけた。
「レノ、お前はなぜ、我々に何の相談もなく、地球人にあのような発言をしたのだ!」
ジヤは冷徹な眼差しで総括レノを問いただした。
「ジヤ、お前もスウィフから地球人の報告を聞いているはずだ。目覚めてから彼らの行動を見聞きしてきたが、地球人は、このままでは宇宙に受け入れられない存在だ。マッカートも、地球人がここまで堕落するとは予想していなかっただろう。」
レノの声は冷たく、地球人を見捨てるべきだと言わんばかりの口調だった。しかし、ジヤはその意見に異を唱えた。
「堕落とは一体、何のことだ?スウィフからは全て報告を受けているが、地球人がレノをそこまで落胆させるような事をしたとは聞いていない。むしろ、彼らは我々に友好的に接近し、地球と自分たちを共に向上させようとしているではないか。」
ジヤは冷静に反論し、レノを見つめた。
レノは、ジヤが何も理解していないと言わんばかりに、さらに理由を説明した。
「彼らは生態系を破壊しているだけではない。中性子を操作し、その莫大なエネルギーを利用した兵器を製造している。何かはわかるな。しかも、その放射されるエネルギーを自分たちで制御することすらできていない。あのエネルギーは無駄が多く、放置すれば環境を破壊するのは自明だ。すべてが汚染された後では、この星に住むことはできなくなる。再び眠りにつき、新たな星を捜索することになるだろう。さらに言えば、中性子の核分裂連鎖反応の過程で発生する『中性量子もつれ爆発』によって、対となる宇宙のどこかの中性量子にも影響が及び、何らかの被害を被っている場所があるはずだ。覚えているだろう惑星バッハの事故を。あれほどの罪を見逃すつもりか、ジヤよ?」
ジヤも、スウィフから核爆弾が実験で数十回、そして、人類の殺戮に2度使用されたことを聞いていた。
「もし、その理由で地球人を地下に閉じ込めると決めたのなら、その決定を撤回すべきだ。放射エネルギーの危険性は、彼ら自身も理解し始めている。そして、地球人は中性量子もつれ爆発を理解していない。全く何も知らないのだ。もし知っていれば、使用することなどなかったはずだ。
我々の科学力と彼らの科学力を宇宙的な視野で比較し、その結果で弱い彼らを裁くのは、あまりにも理不尽ではないか?彼らはまだ隣の惑星にすら行けない科学レベルだぞ。自分より格下の者に力で押し付けるようなことはあってはならない。
レノ、お前はもう少し地球人の中身を知るべきだ。ハリスの報告は地球の環境問題ばかりで、偏っている内容かもしれない。私たちはまだ、地球人を本当に理解していないだろう。もう少し歩み寄る必要があるのではないか。」
ジヤの声は鋭さを増し、四人の周りの雰囲気が一層重くなった。その視線が鋭くハリスに向けられる。
「ハリス、お前は総括に一体何をどう報告した?地球人がここに来た時の対応と、今のレノの対応は明らかに違う。総括の考えを変えたのは、お前の報告以外にあり得ない。何を、どのように伝えたのか、すべて話せ。」
しかし、ハリスは短く答えた。
「報告することは何もない。私はただ、調べた事実を総括に伝えただけだ。」
しばらく沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは、柔らかな声のスウィフだった。
「ハリス、200年前から、あなたが地球人に対して怒りを抱いていることは薄々気づいていたわ。惑星バッハで起こった中性量子の研究中に中性量子もつれ爆発で、大切な仲間を失った痛みが癒えていないのでしょう。だけど、その悲劇と地球人が中性子を操作していることを結びつけてはならない。マッカートの公約を果たした直後に、そんな急な変心はやめて。」
「あのとき、制御不能になった量子が一瞬で研究室を飲み込んだ。仲間たちは叫び声をあげる余裕さえなかった。あの思いは忘れない…。」
ハリスは、ぼそりと呟き、そのまま黙ったままだった。代わりに、レノが再び口を開いた。
「地球人が特殊な存在であることは認める。しかし、その特殊性が彼らの二面性に起因する危険要素であることも忘れてはならない。彼らは自分の考えとは全く違うことを平然と口にし、異なる行動をとることができる。そんな者たちと共存することは、あまりにも危険だ。我々と共存し、我々の技術を習得すれば、彼らは短期間で我々の技術レベルに追いつく可能性もゼロではない。それも地球人の特殊性の1つだ。そして、彼らは自分たち同士で殺し合う種族だ。我々にその矛先が向く可能性だってある。わかるだろう?もう考えを変えることはない。」
レノの声には冷たさと決意が入り混じり、誰も口を開くことはなかった。そして、彼は続けた。
「これから仮死休眠装置で3年待つ。目覚めた時の地球人を楽しみにしておく。」
ジヤとスウィフは静かに向かい合い、今後の地球人の運命について思案を巡らせていた。
「総括が仮死休眠装置に入っている間に、この星系を離れて、新しい星を探すという手はどうだ?そうすれば、地球人たちは絶滅の危機を逃れられる。」
ジヤは提案しながら、どこか遠くを見つめた。
スウィフは首を軽く振り、柔らかいが確信に満ちた声で答えた。
「ビスティが地球を離れれば、地球の自転速度は狂い、全ての生き物に影響が及ぶ。海の潮汐は恒星の重力だけに支配される事になり、海洋生態系が今よりも崩壊する。地球の環境が激変する中、地球人が無事でいられる保証はない。」
その言葉にジヤも静かに頷き、少し考え込んだ。
「そうだったな。地球の環境をバッハと同じに調整したのは我々だったな。だが、ビスティに代わる重力装置を作ればどうだ? 我々が出発と同時に装置を起動させて地球の周りを公転させれば、地球人たちの生活は保たれるはずだ。」
スウィフの目が一瞬輝いた。
「それなら可能かも。地球人は今まで通りに暮らせる。でも…。」
彼女はため息をつき、思いを込めて続けた。
「残念なことは、私たちが地球人という貴重な存在から離れなければならないこと。もう二度と彼らのような種族に出会うことはないでしょう。それに、地球のように多種多様な生物や微生物が繁栄した理由も、いまだに解明されていない。永遠の謎のまま、私たちは去ることになる。」
ジヤは眉をひそめ、何かを感じ取ったようにスウィフを見つめた。
「ジヤ、頻繁に地球へ行っていたのはご存じの通り。」
スウィフは微笑み、真剣な目をジヤに向けた。
「実は今まで黙っていたことがあるの。私は地球へ行き続けたことで、バリアなしでも地球の細菌に対抗できる身体になった。」
ジヤの目が大きく見開かれた。
「なんだと…?」
スウィフは落ち着いた声で続ける。
「ハリスは地球へ行くとき、いつもバリアを張っている。だから彼は細菌に対抗できる身体にはなっていない。ビトルズ族は対抗できる身体にはならないのかもしれない。だけど、ロリンズ族には、私のように細菌に対抗する身体に変わる可能性がある。それが全員かはわからないけど、少なくとも、かなり高い確率で。」
ジヤはじっとスウィフを見つめ、問いかけた。
「それに気づいたのはいつだ?」
「つい最近のこと。ヴァーナたちがビスティに来てから、地球で彼らが代表として良い地球人なのか見張っていた時に、今まで感じたことのない感覚が体に広がったの。以前、私がしばらく姿を見せなかった時、ジヤが『閉じこもって研究でもしていたのか』と聞いたことがあったでしょう?あの時、実は3日間地球にいた。バリアの効果が切れても、何かに守られているような感覚があって、そのままヴァーナたちを監視していた。さすがに不安になり、4日目にビスティに戻り、細胞活性機で結果を確認したけど、異常は全くなし。正常そのものだった。」
彼女は微かに微笑んだ。
「その後、私はバリアなしで地球を行き来している。細菌の抵抗力が備わったのは、ヴァーナたちと接触してから、さらにヴァーナたちや地球の組織のことを細かく知るために他の地球人とも頻繁に話すようになった。その会話をする為にバリアを外していたから、少しずつ身体に細菌が入ったはず。その少しずつ細菌を取り込む行為を繰り返すことで、私は身体に抵抗力を得たと考えているわ。」
ジヤは息を飲んだまま、スウィフの言葉を噛み締めた。
「…そうか。それが事実なら、我々ロリンズ族はもう少し地球人に近づけるかもしれない。待てよ、マッカートと共に地球に行ったロリンズ族の仲間は失う事になったが、それはどうしてだ。」
「それはピラミッドでは人間たちに技術を伝えるため、バリアを外す回数が多かった事が考えられる。つまり、細菌を吸い込む量が多かった可能性が高い。少しずつゆっくり身体に細菌を取り込むことが要だと思う。」
「…なるほど、理解した。それは試す価値があるな。よし、慎重に慎重を重ねてゆっくりと時間をかけて調査してみよう。」
その時、ジヤはふと閃いて、スウィフに提案を投げかけた。
「…スウィフ、南極に固定されたマッカートの船を使うのはどうだろう。ビトルズ族が地上に君臨すると宣言した以上、もうあのスペースを拡張したマッカートの船を使うことはないはずだ。あのスペースなら、全ての地球人を収容するのは難しいかもしれないが、かなりの人数を避難させられるだろう。」
その提案を聞いた瞬間、スウィフの顔は希望に輝いた。
「素晴らしいわ、ジヤ。確かにあのスペースなら使える。地球人は狭い部屋がいくつも集まった建物、マンションと呼ぶ物に住むことに慣れている。全てをマンションのような建物にして、スペースを増やせば、全員を収容することも可能よ。」
ジヤはさらに深く考え込みながら提案を続けた。
「ただ、スペースを確保しても、地球人の技術では全員をそこに移送したり、新たに何かを建造することはできない。我々の次元転送装置でそれを手伝ってやる必要があるだろう。そして、船内での移動手段も提供するべきだ。地球人の移動レベルは低すぎる。また、マッカートがピラミッドを構築する時に地球人に貸与したような無重力装置を量産し、物資の運搬も快適になるだろう。他にも必要なものはあるだろうが、スウィフ、君の判断で必要だと思うものを地球人に提供してサポートしてやってくれ。ただし、総括が言っていたように、我々の技術が地球人に広まるリスクは回避したい。技術が解析されない仕掛けを施してくれ。」
スウィフは真剣な表情で頷き、答えた。
「了解。私が指揮をとり、必要なものを地球人に提供するための手配をします。ロリンズ族から物資を製造し、彼らに渡しましょう。その技術が解明されることはないように、万全の対策を取ります。そして…ありがとう、ジヤ。これで地球人の救済と、彼らについてのさらなる研究が続けられる。細菌への抗体の研究も含めて、まだまだ多くの謎が残っている。話がまとまったら、ヴァーナたちにこの提案を伝えてみる。」
ジヤは静かに頷いた。その眼差しの中には、かすかな希望と、すべてを見通すような冷静さが交じり合っていた。こうして、地球人救済への小さな希望が生まれた。
しかし、その希望が人類を未来へ導く光となるのか、それとも新たな絶望への入口となるのか――まだ誰にも分からなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、総括レノの宣告を受けた後の地球と、ルナリアン側の反応を描きました。
果たして人類は三年という期限の中で未来を切り開けるのか。そしてルナリアンとの関係はどこへ向かうのか。
今後も『ルナリアン』を楽しんで頂ければ幸いです。感想も頂ければ励みになります。




