濁り酒とスイ
その日の酒場は、少しざわついていた。
理由はすぐ分かった。
カウンターに置かれた酒が、
妙に濁っている。
「これ、大丈夫か?」
客の一人が言う。
店主は腕を組んだ。
「昨日の仕込みだ」
「濁りすぎだろ」
確かに、
いつもの葡萄酒より色が濃い。
俺も一口飲む。
……妙だ。
酸味が強い。
悪くはないが、
少しだけ引っかかる。
「失敗か?」
誰かが言う。
店主は首を振る。
「腐ってはいない」
それはそうだ。
だが、
安心もできない。
スイが、
足元で揺れている。
色が、少しだけ濃い。
俺は杯を少し傾ける。
スイが、
ゆっくりと縁に近づいた。
「おい」
店主が眉をひそめる。
スイは、
酒の表面にほんの少し触れた。
一瞬だけ、
色が濃くなる。
すぐに元に戻る。
それだけだった。
「……で?」
客が言う。
俺は杯をもう一口飲む。
さっきより、
少しだけ軽い。
「……変わったな」
「何がだ」
「癖が抜けた」
店主も飲む。
少し黙る。
「……ほんとだな」
酒場がざわつく。
「何したんだ、それ」
「知らん」
正直だった。
スイは、
何もなかったように戻る。
色も、元の青だ。
「お前、何してるんだ」
聞いても答えはない。
もう一度、杯を差し出す。
スイが近づき、
同じように表面に触れる。
やはり一瞬だけ色が変わる。
そして戻る。
店主が杯を奪うように取り、
一気に飲む。
「……売れるな、これ」
「最初からこうならな」
客の一人が笑う。
酒場の空気が少し軽くなる。
スイが揺れる。
少しだけ誇らしげに見えた。
「……お前、酒屋に向いてるな」
意味はないが、
そう言ってみる。
スイは、
特に気にした様子もなく
また静かに揺れた。
その日、濁り酒は全部出た。
「助かった」
店主が言う。
「たぶん」
それで十分だった。




