第三話 零課
取調室の椅子は、どこの国でも硬いらしい。
いや、他の国の取調室なんて知らないけど。とにかく、硬い。一晩留置室で寝て、朝飯に冷えたおにぎりを二個食わされて、そのまま連れてこられたのがこの部屋だ。窓はない。机の上には、俺の黒い手帳と、カラスのキーホルダーが並べて置いてある。
向かいの椅子は、空いている。
壁の時計の秒針が、三周した。
四周目に入ったところで、ドアが開いた。
「やあやあ、お待たせしたねえ」
入ってきたのは、くたびれたスーツの中年男だった。五十代くらい。髪には白いものが混じり、ネクタイは緩んでいる。口の中で、何か転がしている。からころ、という音。飴だ。
「僕は不破。不破宗一郎。ここの、まあ、課長みたいなことをやってる。よろしくねえ、篠宮迅くん」
フルネームで呼ばれて、少しだけ背筋が冷えた。名乗った覚えはない。
「……どうも」
「飴、いる? ハッカと、いちごと、あと何だっけな、これ。黒糖?」
「いらないです」
「そう? ここの飴、うまいんだけどねえ」
不破課長はポケットから飴をひとつ取り出し、包み紙を剥いて、もう一つ口に放りこんだ。からころが、からころころ、になった。
「さて。昨日はうちの九条がお世話になったね」
「世話になったのはこっちですよ。前輪を真っ二つにしてもらって」
「ははは。あれはねえ、あの子なりに手加減したんだよ。本気なら、バイクごと君の脚までいってた」
笑えない冗談だった。冗談じゃないのかもしれない。
「単刀直入にいこうか。篠宮くん、君は響者だね」
「……響者って何ですか」
「とぼけなくていいよ。九条から報告は上がってる。触れた物から何かを読み取って、他人みたいな動きをする。そうだろう?」
俺は黙っていた。
不破課長は、怒るでもなく、ただ机の上のキーホルダーを指先でつついた。真鍮の鍵が、かちゃりと鳴った。
「響者っていうのはね、零時以降に現れた、まあ、ちょっと変わった力を持つ人たちのことだ。原因はよく分かってない。裂界の近くで暮らしていた人や、零時の夜にあの中にいた人に多い。で、だいたいみんな、何かを払ってる」
からころ。
「九条は体温。うちの他の連中も、視力だったり、痛覚だったり、寿命だったり、いろいろ。君は?」
「……答える義務あります?」
「ないねえ。でも、答えてくれたら話が早い」
「早くなくていいです」
「そっか」
不破課長はあっさり引き下がった。それから、机の上の手帳を、指で軽く叩いた。
「この手帳、中を見させてもらったよ。ごめんね。仕事だから」
「……」
「日付と、時間と、『何か消えた』。それから、ずいぶんたくさんの、細かいメモ。好きな食べ物とか、人の誕生日とか。ふつう、こういうことはメモしないよねえ。忘れないから」
喉の奥が、ぎゅっと詰まった。
不破課長は、それ以上は何も言わなかった。言わなくても、分かっている顔だった。
「篠宮くん。取引をしよう」
「取引」
「君のやってる違法運送。特措法違反が二つ。それに無許可の結晶取引も入れたら三つ。全部合わせると、まあ、未成年でもそこそこ長く臭い飯を食うことになる。君の雇い主の相良さんも、ただじゃすまないねえ」
鉄さんの名前が出た。顔に出たらしい。不破課長が、ほんの少しだけ目を細めた。
「でも、全部見なかったことにしてもいい。君が、うちに協力してくれるなら」
「協力って、何を」
「運び屋っていうのは、裂界の中の道を、うちの誰よりもよく知ってる。地形がずれる場所も、虚獣の巣も、安全な抜け道も。そうだろう?」
「……まあ」
「うちはね、人手が足りないんだよ。中に入れる人間も、中で生き残れる人間も。だから、道案内を頼みたい。ついでに、その力も、ちょっと貸してほしい」
からころ。
「どうかな」
俺は鍵を見た。手帳を見た。
鉄さんの顔が浮かぶ。ミナの顔も。千代婆さんと、湊の顔も。
俺が捕まったら、灯台島に荷物を運ぶやつがいなくなる。
「……運送業は、続けていいんですか」
「うん?」
「島への配達。あれ、俺がやめたら、あそこの人たち、困るんで」
不破課長は、少しだけ意外そうな顔をした。それから、飴をがりっと噛み砕いた。
「いいよ。見なかったことにする。僕、目が悪いからねえ」
「眼鏡かけてないですよね」
「伊達じゃない分、余計に悪いんだよ」
意味が分からなかった。
*
「カラスちゃああああああああん!!」
零課の地下駐車場に、悲鳴が響き渡った。
引き取りに来たのは、相良運送の軽トラックだった。運転席から鉄さんが、助手席からミナが降りてきて、ミナは荷台に積まれたカラスを見るなり、膝から崩れ落ちた。
「前輪っ! ウチの前輪っ! 三日! 三日寝ないで削り出したマグネシウム合金ホイールがっ! なんでこんな、こんな、えっ、断面きれい!? なにこれ、レーザー!? ウォータージェット!? えっ、エモい……!」
「悲しむか感動するかどっちかにしろ」
「両方っす!!」
日向美奈、十五歳。相良運送の住み込み整備士。家出してきたところを鉄さんに拾われて、今では会社の機械全部を一人で面倒見ている天才だ。油まみれのつなぎに、ゴーグルを頭に乗せて、断面に頬ずりしている。
その横で、鉄さんが俺を見下ろしていた。
相良鉄心、五十八歳。元陸上自衛隊。坊主頭に白い無精ひげ、腕は丸太みたいに太い。無口で、怒ると怖い。怒らなくても怖い。
「坊主」
「……はい」
「怪我は」
「ないっす」
「そうか」
それだけだった。拳骨も、説教もなかった。鉄さんは俺の頭を一回、ぐしゃっと撫でて、それから駐車場の柱の陰に向かって、低い声を出した。
「出てこい。いるのは分かってる」
「いやあ、さすが元レンジャー。気配でばれちゃうかあ」
柱の陰から、不破課長がひょっこり顔を出した。飴の音がする。
「お久しぶりです、相良さん」
「知り合いかよ」
思わず突っこむと、鉄さんは鼻を鳴らした。
「昔、ちょっとな」
「ちょっと、ねえ」
「うちの坊主を顎で使う気か、不破」
「顎じゃなくて、頭を下げて頼んでるんですよ。ほら、こうやって」
不破課長が、深々と頭を下げた。芝居がかっていたけれど、下げた頭は、なかなか上がらなかった。
鉄さんは、長いこと黙っていた。
それから、俺を見た。
「お前が決めろ」
「……やるよ。灯台島の配達、続けていいって言うし」
「そうか」
鉄さんは、また鼻を鳴らした。
「なら、死ぬな。それだけだ」




