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残響ランナー ~能力を使うたびに記憶を失う運び屋は、崩壊した東京を駆け抜ける~  作者: 深夜のトースト
第二章 母の子守唄

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第四話_首都高は貸し切り

 凛が、相良運送に戻ってきたのは、その日の深夜だった。


「迎えに来ました」


 整備場の、新しいシャッターの前で。


 凛は、腰に雪代を差して、背中に、大きなリュックを背負っていた。


「……迎え、か」


 俺は、カラスの横で、立ち上がった。


 ミナが徹夜で付け直した前輪は、予備のアルミホイールだ。「ほつれとか、もう知らないっす。斬られたら、また作るっす」と言って、ミナは、整備場の床で、工具を抱えたまま、眠りこけている。


「霞が関に、連れてくのか」


「いいえ」


 凛は、首を振った。


「逃げます」


「……は?」


「一緒に、逃げます」


 凛は、背中のリュックを、どさっと床に下ろした。


「携帯食料、三日分。救急セット。予備の保温ボトル。ココアパウダー、一キロ」


「一キロ」


「必要です」


「必要か?」


「必要です」


 真顔だった。


「鷹宮次長は、篠宮を、扉の部品にするつもりです。接続し続ければ、篠宮の記憶は、数日で、ほとんど消える。そう、本人が、言っていました」


「……」


「だから、連れていきません。私は、命令違反をします」


 凛は、きっぱりと、言った。


「融通が利かないので」


 ——自分で決めたことにも、融通が利かねえんだよ。


 鉄さんの言葉。


 階段の上から、足音がした。


 鉄さんが、降りてきた。手に、軽トラックのキーを持っている。


「話は聞いた」


「相良さん。すみません。私が篠宮を連れていかないと、相良運送の皆さんが」


「知ってる。だから、こっちも、こっちで、動く」


 鉄さんは、キーを、ちゃりっと鳴らした。


「不破の野郎を、拾ってくる」


「課長を? でも、課長は、拘束されて」


「自宅軟禁だろ。あいつの家なら、知ってる。昔、何度か、酒を飲んだ」


 鉄さんは、整備場の床で眠りこけているミナを、顎で示した。


「ミナは、俺が連れてく。あいつ一人、ここに置いとくわけにいかねえ」


「鉄さん、でも」


「坊主」


 鉄さんは、俺の頭を、ぐしゃっと撫でた。


「お前は、九条の娘と、裂界に逃げろ。あそこなら、国の連中も、そう簡単には追ってこれねえ。灯台島の婆さんを頼れ」


「……」


「戻ってこいよ。今度も」


 俺は、うなずいた。


 うなずくことしか、できなかった。


     *


 午前二時。


 相良運送を出て、三分で、見つかった。


「早すぎだろ!」


 カラスの後部シートで、凛が、振り返る。


 後方。黒い装甲車が二台。その上空に、小型のドローンが、四機。赤いライトを点滅させながら、俺たちを追ってくる。


「事務所を、監視していたようです」


「最初から分かってたのかよ!」


「可能性は、考えていました」


「言えよ!」


「言ったら、篠宮が、出発を渋ると思ったので」


 図星だった。


 交差点。赤信号。突っ切る。深夜の道路には、ほとんど車がいない。でも、いないってことは、こっちも、隠れる場所がない。


 前方。交差点の向こうに、もう一台、装甲車が、横向きに停まって、道を塞いでいた。


「挟まれた!」


「右です!」


 凛が、指差した。


 右手に、高架へと続く、坂道。


 首都高の、入口だった。


 ——晴海線。


 満潮の夜、境界線が溢れ出したとき、湾岸の首都高は、全面通行止めになった。境界線が元に戻った今も、壁に近い区間は、まだ、閉鎖されたままだ。


 閉鎖された高速道路。


 壁の方角へ、まっすぐに、伸びている。


「行くぞ!」


 車体を倒す。坂道を、駆け上がる。閉鎖を示すバリケードの、隙間を、すり抜ける。


 高架の上に出た。


 ——広い。


 片側三車線の、真っ暗な高速道路。街灯は消えている。車は、一台もない。ずっと先まで、何もない、灰色のアスファルトが、夜の中に、伸びている。


 その先に、黒い壁。


 壁の向こうで、薄紫色の光が、脈打っている。


「この先、壁の手前で、高架が崩れています」


 凛が、インカム越しに言った。


「満潮の夜に。三十メートルほど、道路が、落ちています」


「三十メートル……」


「その手前で、下道に降りられる出口が、一つだけあります。そこから、壁の、あなたの抜け道まで」


「了解」


 アクセルを開ける。


 カラスが、真っ暗な高速道路を、無音で、疾走する。


 ミラーに、装甲車のヘッドライト。バリケードを、なぎ倒して、高架に上がってくる。ドローンの赤いライトが、頭上を、旋回している。


 でも、こっちのほうが、速い。


 カラスは、ミナの最高傑作だ。直線なら、装甲車なんかに、負けない。


 ミラーの中で、ヘッドライトが、少しずつ、小さくなっていく。


 ——行ける。


 そう、思った瞬間だった。


 ミラーの中に、何かが、映った。


 ヘッドライトの間を、すり抜けて。


 装甲車よりも、速く。


 人間だった。


 黒い戦闘服の、細身の少年が、高速道路の上を、走っていた。


 足で。


 自分の、足で。


「——は?」


 カラスの速度計は、時速百キロを超えている。


 なのに、少年は、ミラーの中で、どんどん、大きくなっていく。


 追いついてくる。


「柊鏡也……!」


 凛が、振り返った。


「〈写し〉です。第一課に、〈疾風〉という、高速移動の響者がいます。その力を、写している」


「あいつ、何でも写せんのかよ!」


「見たものなら、何でも」


 鏡也が、並んだ。


 カラスの、すぐ右横。


 時速百キロで走るバイクと、並んで、走っている。


 その顔が、こっちを向いた。


 ——やっぱり、顔が、分からない。


 目と、鼻と、口があるのは分かる。でも、それが、どういう形なのか、頭に入ってこない。夜の闇のせいじゃない。見ているそばから、記憶の指の間を、すり抜けていく。


「よう、運び屋」


 鏡也の声は、風の中でも、よく通った。


「止まれって言っても、止まらないよね」


「止まるわけねえだろ!」


「だよね」


 鏡也の手が、カラスのハンドルに、伸びてくる。


「〈断〉——!」


 凛が、後部シートから、刀を振った。


 鏡也の、伸ばした手の先の、空気が、裂ける。


 鏡也は、ひょいと、手を引っこめた。


「おっと。その力、また見せてくれるんだ。ありがと」


 しまった、という顔を、凛がした。


「九条、使うな! あいつに見せたら、写される!」


「……っ、了解」


 凛が、刀を、鞘に戻した。


 鏡也が、笑った気がした。


「残り、四十秒。〈疾風〉が切れる前に、止めさせてもらう」


 鏡也が、加速した。


 カラスの前に、回りこむ。


 時速百キロのまま、こっちを向いて、後ろ向きに走りながら、両手を、広げた。


「轢けるもんなら、轢いてみなよ」


 ——くそ。


 ブレーキをかければ、後ろの装甲車に追いつかれる。


 避ければ、高架の端の、防護壁に突っこむ。


 前方。


 闇の中に、オレンジ色の、点滅するライトが見えた。


 〈この先 道路崩落 通行不可〉


 その手前に、下道への出口。


 鏡也は、その出口の、真正面に、立ちはだかるように、走っていた。


「……出口、塞がれた」


「篠宮」


 凛の腕に、力がこもった。


「崩落地点まで、あと、五百メートル」


 出口は、塞がれた。


 後ろからは、装甲車。


 前には、三十メートルの、崩落。


 ——跳ぶしか、ない。


 でも、カラスの性能でも、三十メートルは、無理だ。俺の、素の腕でも、絶対に、無理だ。


 だったら。


 俺は、ハンドルから、片手を、離した。


 高速道路の、防護壁に、手を伸ばす。


 時速百キロで流れていく、コンクリートの壁。


 指先が、掠める。皮膚が、削れる。


 ——流れこんでくる。


 この高速道路に、刻まれた、無数の動き。


 何万台もの車の、何十万回の走行。急ブレーキ。車線変更。居眠りの、ふらつき。


 その中に。


 ひとつだけ。


 ひどく、強い、動きがあった。


 十五年前。零時の夜。


 この高速道路は、避難する車で、埋め尽くされていた。渋滞。クラクション。悲鳴。その、動かない車の列の間を、一台のバイクが、縫うように、走っていた。


 白いバイク。


 白バイだ。


 後部座席に、誰かを乗せている。小さな、子供。


 この先は、道路が、裂けていた。零時の夜の、最初の〈ずれ〉で。


 白バイは、迷わなかった。


 加速した。


 跳んだ。


 子供を、乗せたまま。


 ——この人は、渡りきった。


 渡りきって、子供を、救急車に、預けた。


 その動きの残響が、十五年間、この防護壁に、焼きついている。


 三週間ぶりに。


 今日、一回目。


 ——ごめん。


 誰に謝ったのか、自分でも、分からなかった。


「〈追想〉」


 体が、白バイ隊員になった。


 知らない人の体の使い方。重心の置き方。ハンドルの握り方。加速のタイミング。


 鏡也が、目の前に、いる。


 この体は、ためらわなかった。


 カラスが、鏡也に向かって、突っこむ。


 鏡也が、目を見開く。とっさに、横に、跳ぶ。


 出口を、塞いでいた体が、どく。


 ——でも、この体が、向かったのは、出口じゃなかった。


 まっすぐ。


 崩落地点へ。


「篠宮!?」


「掴まれ!!」


 オレンジ色の、点滅ライト。


 〈通行不可〉の看板。


 その向こうの、闇。


 カラスの前輪が、高架の、最後の縁を、蹴った。


 ——跳んだ。


 世界が、無音になった。


 風の音も、装甲車のエンジンも、ドローンのモーターも、何も、聞こえない。


 真っ暗な空中を、カラスが、飛んでいる。


 下には、何もない。崩れ落ちた、コンクリートと鉄骨の、谷。


 前方に、向こう側の、高架の縁。


 三十メートル。


 届くか。


 背中で、凛が、俺の腰に、全身で、しがみついている。


 ——この人も、こうだったのか。


 十五年前、後ろに乗せた子供の、小さな腕の感触を、この体が、覚えている。


 絶対に、落とさない。


 絶対に。


 ——届いた。


 後輪が、向こう側の、縁を、噛んだ。


 車体が、跳ねる。前輪が、アスファルトを叩く。衝撃が、全身を、突き抜ける。


 五秒。


 体が、俺に、戻ってきた。


 同時に、全身の筋肉が、悲鳴を上げた。ハンドルを握る腕が、震える。ブレーキ。カラスが、横滑りしながら、止まる。


 頭の奥で、ぷつり、と。


 何かが、消える。


 ——三週間ぶりの、あの感覚。


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