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残響ランナー ~能力を使うたびに記憶を失う運び屋は、崩壊した東京を駆け抜ける~  作者: 深夜のトースト
第二章 母の子守唄

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第三話_白い髪の次長

「二回目っすうううううう!!」


 相良運送の整備場に、悲鳴が響き渡った。


 ミナは、二つになった前輪を両腕に抱えて、床を転げ回っていた。


「チタン! チタン混ぜたのに! ほつれ全部埋めたのに! なんで!? なんで斬れるんすか!?」


「斬ったの九条じゃねえぞ。今回は別のやつ」


「誰っすか!? どこのどいつっすか!? 住所教えてください! ウチ、そいつの家の自転車、全部パンクさせに行くっす!」


「規模が小さい」


「ウチの怒りは小さくないっす!!」


 ミナは前輪を抱えたまま、断面に頬ずりした。


「……でも断面、前回よりちょっと粗いっす。こっちは、ちょっとだけ、ためらいがあるっす」


「分かるのかよ」


「分かるっす。ウチ、職人なんで」


 鼻をすすりながら、ミナは言った。


「斬ったやつ、たぶん、慣れてないっす。人の力、無理やり使ってる感じがするっす」


 ——力は写せても、慣れは写せない。


 凛の言葉を、思い出した。


     *


 凛は、霞が関に向かった。


「報告に行きます」


 壁の外で、夜明けの空の下で、凛はそう言った。


「命令を受けた以上、一度、出頭する必要があります。出頭しなければ、命令違反で、その場で、相良運送に捜査が入るかもしれません」


「……行って、どうすんだよ」


「状況を、確認します」


 凛は、それしか言わなかった。


 そして、俺を、相良運送の前まで送り届けて、歩いて駅へ向かっていった。振り返らなかった。


 四十八時間。


 その間に、凛が俺を連れていかなければ、鉄さんとミナが、捕まる。


「行かせねえ」


 事務所の二階で、話を聞き終えた鉄さんは、それだけ言った。


 左腕の三角巾は、もう取れている。でも、まだ、完全には治っていない。湯呑みを持つ手が、ほんの少しだけ、ぎこちない。


「鉄さん」


「お前を、国に売って、俺らが助かる。そんな取引、誰が飲むか」


「でも、鉄さんとミナが」


「捕まったら、捕まったで、なんとかする。俺は昔、もっとひでえところにいたこともある」


「ウチもっす!」


 ミナが、整備場から、階段を駆け上がってきた。油まみれのまま。


「ウチ、家出してから、ネカフェとか公園とか、いろいろ泊まってきたっす! 留置所くらい、ホテルみたいなもんっす!」


「そういう問題じゃねえだろ」


「そういう問題っす!」


 ミナは、ゴーグルを、ぐいっと額に押し上げた。目が、赤かった。泣いたあとだ。前輪のせいだけじゃ、たぶん、ない。


「迅さんがいなくなるほうが、ずっと、嫌っす」


 俺は、何も言えなかった。


 鉄さんが、湯呑みの茶を、ずずっとすすった。


「九条の娘は、どうするつもりだ」


「……分かんねえ」


「分かんねえか」


「あいつ、融通利かねえから。命令は命令です、って、真顔で連れてくかもしんねえ」


 鉄さんは、鼻を鳴らした。


「融通の利かねえ奴ってのはな、坊主。自分で決めたことにも、融通が利かねえんだよ」


     *


 ——霞が関、特務局本庁舎、十八階。


 九条凛は、執務室の、革張りのソファに、背筋を伸ばして座っていた。


 向かいに座る男は、白い髪をしていた。


 四十五歳と聞いていた。でも、髪だけを見れば、六十を超えているように見える。顔の皺は少ないのに、髪だけが、雪のように白い。そのちぐはぐさが、どこか、不気味だった。


「九条凛隊員。お会いするのは、初めてですね」


 鷹宮玲司は、丁寧に頭を下げた。


「急な異動で、混乱させてしまったことと思います。申し訳ありません」


「いえ」


「紅茶でよろしいですか。それとも、ココアのほうが?」


 凛の指が、膝の上で、かすかに動いた。


「……紅茶で」


「承知しました」


 鷹宮は、秘書に紅茶を頼むと、手元のタブレットを、凛のほうに向けた。


「単刀直入に、お話しします。私は、〇〇一番——篠宮迅を、国家の重要資産として、保護したいと考えています」


「保護」


「はい。彼は、残響層に直接接続できる、世界で唯一の人間です。その価値は、計り知れません。そして、その価値ゆえに、危険でもある。満潮の首謀者——あなたのお兄さんのような人物に、利用される危険が」


 凛の背筋が、さらに、硬くなった。


「九条斎は、今も、裂界の中で、行方不明です。彼は、再び、〇〇一番を狙うでしょう。そうなる前に、私たちが、彼を、安全な場所で、保護しなければならない」


「安全な場所とは」


「霞が関の、地下施設です」


「そこで、篠宮は、何をするんですか」


 鷹宮は、少しだけ、間を置いた。


「国家のために、働いてもらいます」


「具体的に」


「〈写し扉〉。本物の扉を模した、制御可能な、人工の扉です。〇〇一番には、その接続体になってもらう。残響層を、安全に、制御された形で、観測するために」


「観測して、どうするんですか」


「過去を、見るのです」


 鷹宮の声が、ほんのわずかに、熱を帯びた。


 初めて、感情らしきものが、その声に、混じった。


「残響層には、この世界のすべての動きが、記録されています。十五年前の零時に、何が起きたのか。三年前に、塔の最上階で、何が起きたのか。百年前の、千年前の、あらゆる出来事を、正確に、再生できる。誰が嘘をついたのか。誰が罪を犯したのか。すべてが、明らかになる」


「……」


「嘘のない世界。隠し事のない世界。九条隊員、それは、素晴らしいことだと、思いませんか」


 凛は、答えなかった。


 紅茶が、運ばれてきた。湯気が立っている。凛は、手をつけなかった。


「篠宮の、記憶は」


「はい?」


「篠宮は、力を使うたびに、記憶を失います。扉に接続し続けたら、篠宮は、どうなるんですか」


 鷹宮は、タブレットの画面を、指で一度、滑らせた。


「最初の数日で、個人的な記憶の大部分は、失われると予測されています。ただし、接続体としての機能には、影響ありません。むしろ、余計な記憶がないほうが、接続は安定する」


 凛の指が、膝の上で、白くなった。


「それは、保護では、ありません」


「定義の問題です」


 鷹宮は、穏やかに言った。


「九条隊員。あなたのお兄さんは、満潮の首謀者です。本来なら、あなたも、共犯の疑いで、取り調べを受けるべき立場にある。しかし、あなたが〇〇一番を連れてきてくれれば、その件は、一切、不問にします。あなたは、第一課の、優秀な隊員として、正しく評価される」


「……」


「資産は、正しく配置されれば、正しく機能する。私は、あなたにも、正しい場所に、いてほしいのです」


 凛は、ゆっくりと、立ち上がった。


「了解しました」


 鷹宮が、満足そうに、うなずいた。


「四十八時間以内に、〇〇一番を、連行します」


「期待しています」


 凛は、一礼して、執務室を出た。


 廊下を歩く。エレベーターに乗る。


 ドアが閉まった瞬間。


 凛は、エレベーターの壁に、額を、ごつん、と押しつけた。


 しばらく、そうしていた。


 それから、顔を上げた。


 エレベーターの壁に、第一課の広報用の写真が、貼ってあった。隊員たちの、集合写真。


 その、一番右端の顔が。


 水に濡れたように、ぼやけていた。


 凛は、その顔を、じっと見つめた。


 思い出そうとした。今朝、裂界の検問所で、凛の〈断〉を写した、あの少年の顔を。


 ——思い出せなかった。


 声は、覚えている。冷めた、よく通る声。紫色になった唇も、覚えている。悔しそうな目も。


 でも、顔だけが、どうしても、浮かばなかった。


 エレベーターが、一階に着いた。


 凛は、ポケットから、水色の手帳を取り出した。


 歩きながら、書いた。


〈柊鏡也。第一課。〈写し〉。顔が覚えられない。たぶん、それが代償。〉


 少しだけ、ペンが止まった。


〈篠宮と、少しだけ、似ている。〉


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