↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響ランナー ~能力を使うたびに記憶を失う運び屋は、崩壊した東京を駆け抜ける~  作者: 深夜のトースト
第一章 零時の扉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/33

第二十話_赤い廊下

 赤い光だった。


 非常階段を、降りる。一段。また一段。壁に埋めこまれた非常灯が、十五年間、誰に見られることもなく、赤く、灯り続けている。


 何階分、降りたのか、分からなくなった。


 階段が、終わった。


 その先に、廊下が、続いていた。


 長い、長い、廊下。床にはリノリウム。壁には、色褪せた掲示物。〈第三実験棟 関係者以外立入禁止〉。〈実験中は私語厳禁〉。〈火の元確認〉。


 赤い、光。


 ——知っている。


 俺は、この廊下を、知っている。


 足が、止まった。


 廊下の両側に、残影が、いた。


 白衣の人たち。警備服の人たち。みんな、同じ方向へ、走っていた。俺が降りてきた階段のほうへ。廊下の奥から、こちらへ。必死の顔で。振り返りながら。誰かの名前を、叫びながら。


 たくさんの、足音。


 聞こえないはずの、足音が、聞こえる気がした。


 同じ方向へ、流れていく。


 俺は、その流れに、逆らって、歩いた。


 廊下の、奥へ。


 残影たちが、俺の体を、すり抜けていく。冷たい。一人、また一人。


 その中に、ひとつだけ、小さな影があった。


 走っている。


 大人たちの足の間を、転びそうになりながら。半透明の、四歳くらいの、男の子。


 手に、何かを、握りしめている。


 その子は、廊下の途中で、一度だけ、振り返った。


 それから、また、前を向いて、走っていった。


 俺の横を、すり抜けて。


 ——あれは。


 俺は、振り返らなかった。


 振り返らなくても、分かった。


 あの子は、生きている。生きて、階段を上がって、外に出た。だから、あれは残影じゃない。ただ、この廊下が覚えている、動きの残響だ。俺の〈追想〉が、勝手に、拾い上げているだけだ。


 たぶん。


 廊下の、一番、奥。


 巨大な、鉄の扉が、あった。


 高さは、三メートルくらい。表面には、複雑な紋様のような回路が、びっしりと刻まれている。その隙間から、白い光が、漏れていた。脈打つように。鐘の音に、合わせて。


 そして、その扉の前に。


 一人の男が、立っていた。


 白衣。痩せた背中。


 男は、扉の前で、こちらを振り返った。


 眼鏡の、片方のレンズに、ひびが入っていた。


 その向こうの目が、笑っているのか、泣いているのか。


 十九歳になった今の俺にも、やっぱり、分からなかった。


 男の唇が、動いた。


 何か、言っている。


 声は、聞こえない。


 それから、男は、扉のほうへ向き直って、その脇の、小さな、制御室の入口へ、消えた。


 そして、また、扉の前に、現れた。


 振り返る。何かを、言う。制御室へ、消える。


 振り返る。何かを、言う。制御室へ、消える。


 十五年間。


 ずっと。


「……父さん」


 声が、出た。


 父さんの残影は、俺のほうを、見ていた。


 でも、見ているのは、俺じゃなかった。十五年前の、四歳の俺だった。廊下を走っていく、小さな背中に向かって、何かを、言い続けていた。


     *


 午後十一時四十八分。


 時計は見ていない。でも、分かった。体の奥の、引っ張られる感覚が、どんどん、強くなっている。扉の隙間から漏れる光が、どんどん、太くなっている。


 あと、十二分。


 俺は、扉の前の床に、座りこんだ。


 ジャケットの内ポケットから、黒い手帳を、取り出した。


 鉛筆を、握る。


 ——分かっていた。


 この扉を閉じるのは、たぶん、〈追想〉の五秒じゃ、済まない。


 父さんは、閉じた。でも、出てこなかった。


 俺の力は、残響層に、直接、触れる力だと、不破課長は言った。だったら、扉を閉じるとき、俺は、残響層の、一番深いところに、手を突っこむことになる。


 そのとき、何が起きるか。


 たぶん、たくさん、消える。


 いつもの、ひとつ、じゃない。


 だから、書く。


 消えたら困るものを、全部。


 鉛筆が、紙の上を、走る。


〈篠宮迅。十九歳。相良運送の運び屋。カラスに乗ってる。〉


〈相良鉄心。鉄さん。親父みたいなもん。コーンスープをくれる。左腕にひび。早く治れ。〉


〈日向美奈。ミナ。整備士。カレーは甘口。祭り囃子のセンスは最悪。最高。〉


〈千代婆さん。湊。灯台島。待ってる。毎週配達。時間指定は守る。〉


〈不破課長。飴。たぶん、いい人。〉


 手が、止まった。


 次のページに、書く。


 一番、大きな字で。


〈九条凛。〉


 鉛筆の先が、紙に、食いこむ。


〈相棒。信じていい。〉


〈刀は雪代。兄貴は生きてる。困ったような顔で笑うやつ。〉


〈ココアが好き。死ぬほど甘いのが好き。本人は隠してるつもり。〉


〈怒ると「ばか」って言う。〉


〈俺のことを、迅って呼んだ。〉


〈待ってるって言った。〉


 少し、考えて。


 最後に、一行。


〈帰れ。〉


 手帳を、閉じた。


 内ポケットに、しまう。銀色の保温ボトルの、隣に。


 立ち上がる。


 扉の前に、立つ。


 父さんの残影が、また、振り返った。


 何かを、言っている。


 俺は、手袋を、外した。


 鉄の扉に、手のひらを、押し当てた。


 ——流れこんでくる。


 冷たい。熱い。重い。軽い。


 十五年分の、いや、もっとずっと昔からの、無数の、動き。


 その中に、ひとつだけ、はっきりと、浮かび上がってくる動きがあった。


 十五年前の、八月十五日。


 午後十一時五十九分。


 この扉の前で、振り返った、男の動き。


 今日、四回目。


 一日三回まで。


 自分で決めた、ルール。


 ——ごめんな、鉄さん。今日は、時間外配達だ。


「〈追想〉」


 体が、父さんになった。


 振り返る。


 廊下の向こう。走っていく、小さな背中。


 この体は、その背中を、見ている。


 見て、いる。


 そして、俺の唇が、動いた。


 父さんの唇の動きを、なぞって。


 俺の声で。


 父さんの、言葉を。


「——迅、ありがとう」


 俺の口から、俺の声で、知らない言葉が、こぼれた。


「生まれてきてくれて、ありがとう。……忘れて、いいからな」


 ——ああ。


 これだったのか。


 十五年間、思い出せなかった言葉。口の形だけが見えて、声が届かなかった言葉。


 忘れていいからな。


 父さんは、そう言ったのか。


 鍵を、俺に渡して。たぶん、自分が戻れないことを、知っていて。


 その上で、忘れていいって。


 体が、くるりと、制御室のほうを向く。


 父さんの、最後の数秒の動き。


 制御室の入口へ、歩き出す。


 五秒。


 体が、俺に、戻ってきた。


 制御室の、入口の前で。


 頬が、濡れていた。


 拭わなかった。


 頭の奥で、ぷつり、と。


 何かが、消えた。


 何が消えたのか、確かめなかった。


 制御室に、入った。


     *


 小さな部屋だった。


 壁一面に、計器と、モニターと、スイッチ。すべて、十五年前の埃をかぶって、沈黙している。


 正面の壁だけが、ガラス張りになっていた。


 その向こうに、扉の、本体があった。


 巨大な、球体だった。


 直径は、十メートルくらい。表面は、薄紫色の光で満たされていて、その光が、渦を巻いている。渦の中心に、裂け目があった。虚獣の顔にあるのと同じ、黒い裂け目。それが、ゆっくりと、ゆっくりと、口を開けるように、広がっていく。


 鐘の音は、その球体が、震える音だった。


 制御卓の前に、椅子が一脚、あった。


 背もたれに、白衣が、かかっていた。


 それだけだった。


 他には、何もなかった。


 誰も、いなかった。


 制御卓の中央に、小さな、鍵穴があった。


 真鍮色の。持ち手の形に合わせた、変な形の、鍵穴。


 俺は、カラスのキーホルダーから、鍵を、外した。


 十五年間、ずっと、持っていた鍵。


 なくすなよ、と言われた鍵。


 鍵穴に、差しこむ。


 ぴたりと、入った。


 左に、二回。


 止める。


 右に、一回。


 そして、押しこむ。


 ——がちゃん。


 制御卓の、すべての計器に、一斉に、光が灯った。


 モニターに、文字が流れる。〈手動閉鎖シーケンス 起動〉。〈界面接続者の認証を要求〉。〈接続面に、手を〉。


 制御卓の、鍵穴の横に、手のひらの形をした、金属のプレートがあった。


 その表面に、うっすらと、手の跡が、残っていた。


 細くて、指の長い、研究者の手の跡。


 ——父さんは、ここに、手を置いたのか。


 そして、扉を閉じた。


 でも、完全には、閉じられなかった。


 父さんは、響者じゃなかったから。残響層に、直接、触れる力は、なかったから。


 だから、半分しか、閉じられなかった。


 そして、残りの半分を、閉じるために。


 父さんは、俺を、ここに連れてきたのか。


 零時の夜に。


 扉の、一番、近くに。


 ——鍵は、お前さん自身や。


 鬼塚の言葉。


 ——迅、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。


 父さんの言葉。


 どっちが本当なのか、分からなかった。


 たぶん、両方、本当なんだろう。


 俺は、金属のプレートに、手のひらを、重ねた。


 父さんの手の跡の、上に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。