↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響ランナー ~能力を使うたびに記憶を失う運び屋は、崩壊した東京を駆け抜ける~  作者: 深夜のトースト
第一章 零時の扉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/33

第九話_非番の押しかけ客

 時計塔の最上階には、窓が十二ある。


 かつて、ここは国立界面物理研究所の、展望ラウンジだった。研究者たちが昼食をとり、湾岸の景色を眺め、論文の締め切りに愚痴をこぼした場所。今では、窓ガラスはすべて砕け落ち、床には十五年分の埃と、青白い結晶の欠片が、雪のように積もっている。


 その、東向きの窓のひとつに、女がいた。


 半透明の女だった。肩までの髪を、耳にかける。窓の外を見る。振り返る。誰かに向かって、何かを言う。微笑む。そして、ふっと消えて、また、窓辺に現れる。


 髪を耳にかける。外を見る。振り返る。微笑む。


 同じ数秒を、何度も、何度も。


 九条斎は、その残影の正面に、静かに座っていた。


 白い、詰襟のような上衣。腰には、雪代によく似た、しかし鞘の黒い刀。歳は二十六。妹と同じ黒い髪を、うなじで短く束ねている。整った顔立ちは穏やかで、どこか、学校の先生のような柔和さがあった。


 彼は、女の唇の動きを、じっと見つめていた。


 何度見ても、声は聞こえない。それでも彼は、彼女が何と言っているのか、知っている。三年前、この窓辺で、彼女は振り返って、こう言ったのだ。


 ——ねえ、斎。見て。きれいだよ。


 その直後に、床が崩れた。


「斎さまぁ」


 階段のほうから、甘えた声がした。


 千鳥が、左腕を押さえて、ぺたぺたと歩いてくる。白い着物の左袖はなく、包帯を巻いた細い腕が、むき出しになっている。


「やられちゃったぁ」


「見せてごらん」


 斎は、残影から目を離さずに、手だけを差し出した。千鳥はその手に、自分の傷ついた腕を乗せた。斎の指が、包帯の上を、そっとなぞる。


「……凛か」


「うん。凛ちゃん、強くなってたよぉ。斎さまの型、ちゃんと使ってた」


「そうか」


 斎の口元が、ほんの少しだけ、緩んだ。


「でもね、凛ちゃん一人じゃなかったの。男の子が一緒だった。黒いバイクの。その子がね、ちどりの歩き方、そっくりそのまま真似っこして、梁の上まで登ってきたの」


 斎の指が、止まった。


 初めて、彼は窓辺の残影から、目を離した。


「名前は」


「わかんない。でもね、凛ちゃん、『篠宮』って呼んでた」


 篠宮。


 斎は、ゆっくりと、千鳥の顔を見た。


 その目には、驚きも、喜びもなかった。ただ、深い湖の底のような、静けさだけがあった。


「……そうか。見つかったんだね」


「見つかった?」


「ずっと、探していたんだ。十五年前の夜に、ここから消えた〈鍵〉を」


 斎は立ち上がった。


 窓辺の残影が、また、髪を耳にかける。外を見る。振り返る。


 斎は、その横を通り過ぎるとき、まるで本当にそこにいる人の肩に触れるように、そっと、手を伸ばした。


 指は、何にも触れずに、すり抜けた。


「剛」


 部屋の奥の暗がりに、声をかける。


 暗がりが、のそりと動いた。


 巨大な影だった。身の丈は二メートルを超える。剃り上げた頭に、傷だらけの顔。両の拳には、黒い革の手甲。肩に担いだ鉄骨を、どすん、と床に下ろす。結晶の欠片が、ぱっと舞い上がった。


「呼んだか、大将」


「篠宮という子を、連れてきてほしい」


「篠宮ぁ?」


 鬼塚剛は、首をごきりと鳴らした。


「ワイの仕事にしては、えらい地味やな。子供の送り迎えかいな」


「その子は、〈扉〉なんだ」


 斎は、静かに言った。


「十五年前、この塔で開きかけた扉を、閉じた男がいた。その男は、扉を閉じるために、自分の子供の中に、鍵を隠した。その子供が、今、壁の外で、運び屋をしている」


「……ほう」


「満潮には、その子が要る。傷つけないで連れてきてほしい。できるだけ」


「できるだけ、な」


 鬼塚の傷だらけの顔が、獰猛に笑った。


「ほな、できるだけ、優しゅうしたるわ」


 鬼塚が、どすどすと階段を降りていく。


 千鳥が、包帯を巻いた腕をぶらぶらさせながら、斎の顔を覗きこんだ。


「凛ちゃんは? 連れてこなくていいの?」


 斎は、答えなかった。


 窓辺に戻り、また、残影の正面に座る。


 髪を耳にかける。外を見る。振り返る。微笑む。


 ——ねえ、斎。見て。きれいだよ。


「凛は」


 斎は、残影の唇を見つめたまま、言った。


「来るよ。自分で。あの子は、そういう子だから」


 ——ごぉん。


 塔の最下層で、鐘が鳴った。


 斎の膝の上で、黒い鞘の刀が、かすかに震えた。


     *


 零課への報告は、思っていたよりも、あっさり終わった。


「なるほどねえ」


 不破課長は、俺と凛の報告を、飴を転がしながら黙って聞いて、最後にそれだけ言った。


「九条斎が、生きてる。〈潮騒〉っていう響者の集団を率いてる。千鳥っていう幻影使いがいる。そして、旧有明の時計塔で、何かをしようとしてる。と」


「……驚かないんですか」


 俺が聞くと、不破課長は、からころ、と飴を鳴らした。


「驚いてるよ? 僕、顔に出ないタイプなんだよねえ」


 絶対嘘だ、と思った。


 隣の凛を見る。凛は、背筋をまっすぐに伸ばして、不破課長を見ていた。灯台島で毛布にくるまっていた面影は、もうどこにもない。いつもの、融通の利かない、零課の九条凛だった。


「課長。追加の調査を、具申します」


「却下」


「……理由を」


「九条。君は今、冷静じゃない」


「冷静です」


「冷静な人はね、自分で冷静ですって言わないんだよ」


 凛の拳が、膝の上で、白くなった。


「三日、休みなさい。命令だよ。篠宮くんも。あ、篠宮くんは民間人だから、命令じゃなくてお願いね」


「……了解、しました」


 凛は、短く答えて、作戦室を出ていった。


 ドアが閉まる。


 俺は、不破課長を見た。


「課長」


「なんだい」


「白鷺って、何をしようとしてるんですか」


「さあねえ」


「知ってる顔ですよ、それ」


「顔に出ないタイプって言ったでしょ」


 不破課長は、飴をがりっと噛み砕いた。


「篠宮くん。三日、休みなさい。それと、なるべく、一人にならないように」


「……どういう意味ですか」


「そのままの意味だよ」


 不破課長は、それ以上、何も言わなかった。


     *


 そして、なぜか。


「おじゃまします」


 三日間の休みの初日、相良運送の事務所の玄関に、九条凛が立っていた。


 私服だった。白いシャツに、紺色のカーディガン。それに、なぜか、腰には雪代。


「……なんで?」


「監視です」


「は?」


「課長は、あなたに一人になるなと言いました。私は、休みで暇です。合理的な判断です」


「暇なら家で寝てろよ」


「家にいても、眠れないので」


 凛は、さらりと言った。


 それが、たぶん、本当の理由だった。


「……上がれよ。散らかってるけど」


「おじゃまします」


 凛は、きっちり靴を揃えて上がった。


 相良運送の事務所は、町工場を改造した二階建てで、一階が倉庫兼整備場、二階が事務所兼住居になっている。油と鉄と、インスタントコーヒーの匂い。床には、ミナの工具と部品が、宝の山みたいに散らばっている。


「あーっ! 前輪の人!」


 整備場の奥から、ミナが飛び出してきた。ゴーグルを額に上げ、油まみれの指で凛を指差す。


「あの断面! あの断面の人っすよね!?」


「……その件は、大変申し訳ありませんでした」


 凛が、深々と頭を下げた。


「いや謝んなくていいっす! それより、あれどうやって斬ったんすか!? 分子結合どこで切ってんすか!? 切断面の結晶構造、全然乱れてなかったんすけど!? ウチ、顕微鏡で見て泣いたっす!」


「ほつれ、を斬りました」


「ほつれ!?」


「物には、必ずほつれがあります。そこを斬れば、何でも斬れます」


「エモ……! ちょっと、ちょっとだけ、詳しく、そこ座ってもらっていいっすか!? あとウチのホイール見てもらっていいっすか!? 新しいやつ、ほつれ全部埋めたつもりなんすけど!?」


「……埋まっていません。三か所、あります」


「三か所ぉぉぉぉ!?」


 ミナが床に崩れ落ちた。


 凛は、困ったように俺を見た。俺は肩をすくめた。


「気にすんな。いつもこうだから」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。