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灰のレン  作者: K3/KASANE
第六編 商人編

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第15話「掟を、書いておきたい」


 奪う者にも、掟があった。


 盗賊の頃、私は四つの掟で獲物を選んだ。奪うのは、人を売る側・穴へ送る側・数えから外す側だけ。村と小商いは見送る。殺しは出さない。鎖は解くが、団には入れない。あれは、生き延びるための掟だった。立派な道徳ではない。死人を出せば追っ手が倍になる。村を襲えば、その村が一斉に役人へ走る。生き延びるための、冷たい勘定だった。


 商人になってからも、私はその四つを、捨てなかった。捨てるのではなく、形を変えた。奪う相手を選ぶ掟を、買う相手を選ぶ掟に、置き換えた。獲物の掟が、商いの掟になる。中身は、ほとんど同じだ。ただ、向きが、ひっくり返っただけだった。


 商いを始めて何年も経った、ある冬の夜のことを、書く。


 その頃には、灰の村はもう、立派な商館になっていた。廃砦の崩れた石組みに、ガロが屋根を渡した。崩れていた塔の根方を土壁で囲い、雨をしのぐ屋根を架け、土間を平たい石で均した。塔の真下には、銀を溶かすための坩堝の火が、据えられている。あの、役所の刻みのある銀を、名を消すために溶かした、その火だ。火は、それからも、消えていなかった。鉄を打ち、蹄鉄を直し、坩堝を熱する火として、ガロが、絶やさず守っていた。


 北街道を行く荷馬車が、水を貰いに寄る。馬の蹄鉄を、打ち替えに寄る。寄った荷馬車が、ついでに、塩を買っていく。鉄を買っていく。そうしているうちに、塒だった丘は、人の集まる場所に変わっていた。盗賊の隠れ家が、商人の宿になる。その変わり目にも、稲妻のような瞬間はなかった。地味なことの積み重ねの先に、いつのまにか、商館があった。


 その夜は、冷えた。


 冬の北街道の夜だ。丘の上は、街道を吹き上がってくる風が、まともに当たる。土壁の隙間から、細い風が、入ってくる。火の輪のそばだけが、橙に温かかった。私は、火に手をかざして、座っていた。たったひとつの手を。指の節が、夜のあいだに冷えて、火の熱を、じんわりと吸っていく。


 その火の輪に、ヒナがいた。


 もう、私の片腕だった。背は私を追い越して久しく、声も低い。あの、十二の年に拾った痩せた子は、いまや、肩幅の広い、大人の男になっていた。腰には、数えの木札を提げている。ナダから受け継いだ、人数と年を刻む札だ。けれど近頃のヒナは、その木札のほかに、もう一つ、別の帳面を持つようになっていた。


 膝の上に、その帳面を、開いている。麦の値、塩の値、鉄の値。どの土地で何が高く、何が安いか。それを、墨と筆で、書きつける。木の小皿に墨を磨り、筆の先を浸して、細かい字で、数を並べていく。数えの木札が、人を数える道具なら、この帳面は、世界の値を数える道具だった。向こうの帳面、と、私は呼んでいた。カラスの遺品の読めない帳面とは、別のものだ。こちらは、読める。誰でも、読める。誰でも読めるように、書くのが、ヒナの仕事だった。


 「掟を、書いておきたい」


 ヒナが言った。火明かりに、筆の先を浸している。


 「散った七人にも、これから雇う者にも、同じことを伝えたい。レンの口移しじゃ、いつか、形が崩れる」


 もっともな話だった。私の頭の中にあるだけの掟は、私が死ねば消える。穴の底で覚えたものは、書いて残さなければ、次へ渡らない。ナダが、数えを木札に刻んで残したように。私は、火に手をかざして、四つを、口に出した。


 「奪わない」


 ヒナが、筆を走らせる。


 「誤魔化さない。目方も、品も」


 また、走らせる。


 「欲張らない」


 「同じ相手に、続けて持ちかけない」


 四つ、書き終わった。ヒナは、墨の乾くのを待ちながら、それを読み返した。


 「獲物の掟と、同じだ」


 低い声で、そう言った。気づいたのだ。私は頷いた。


 奪わない、は、村と小商いを見送る掟の裏返しだった。誤魔化さない、は、目方を偽らない掟。欲張らない、は、殺しを出さない掟と、根が同じだ。


 そして、四つ目。同じ相手に、続けて持ちかけない。


 これは、水の掟だった。同じ形を、二度使わない。石のように固い型を続ければ、いつか、その型を読まれて、罠の土台にされる。盗賊の頃、私たちは同じ襲撃の型を、決して繰り返さなかった。獲物を選ぶ掟は不変でも、襲い方は、毎回、形を変えた。商いも、同じだ。同じ宿場で、同じ品を、毎度同じように売り買いすれば、その値が、その宿場の相場になる。相場になれば、誰かに読まれ、待ち伏せられ、出し抜かれる。


 「奪う者の掟が、そっくり、回す者の掟になる」


 ヒナが、感心したような、呆れたような声を出した。


 「中身は、なんにも、変わってない」


 「変わってない」


 私は答えた。それでいい、と思っていた。


 ヒナは、書き終えた帳面の頁を、火明かりに、かざした。墨が、乾いている。四つの掟が、そこに、並んでいる。奪わない。誤魔化さない。欲張らない。同じ相手に、続けて持ちかけない。私の頭の中にしかなかったものが、字になって、紙の上に、座っていた。


 「これを、雇う者みんなに、覚えさせる」


 ヒナが言った。


 「破った者は、置かない。獲物の掟を破った仲間を、置かなかったのと、同じだ」


 その通りだった。盗賊の頃、掟を破る者は、団に置かなかった。一人の欲が、八人を、追っ手の前に、引きずり出す。だから、置かなかった。商いも、同じだった。


 書いてしまえば、もう、私が死んでも、消えない。


  ◆  ◇


 商いで、いちばん遅く育つものは、信用だった。


 銀は、一夜で増える。盗賊の頃、月のない夜をひとつ選べば、二十年分の蓄えのひと袋くらいは、簡単に手に入った。けれど信用は、そうはいかない。一夜では、一粒も増えない。何度も同じ宿場に通い、約束した日に来て、言った値で買い、誤魔化さずに目方を計り、それを何年も続けて、ようやく、芥子粒ほど、積もる。


 マルゴットという女が、それを教えてくれた。


 北街道の宿場を切り盛りする寡婦だ。亭主を早くに亡くして、一人で宿を回している。背が低く、腕が太い。竈の前に立つと、その太い腕で大鍋をかき回し、客の数を一目で数え、麦の減り方を頭の中で計る。声は大きく、口は悪い。けれど、その口の悪さの裏に、はかりごとはなかった。


 私が初めてその宿に荷を持ち込んだ時、マルゴットは、私を、上から下まで、じろじろと見た。隻腕の女商人だ。腕が一本しかなく、目も片方ない。樫の棒を杖がわりに突いている。普通の商人なら、まず疑われる。盗賊崩れか、訳ありの逃散者か。マルゴットの目は、確かに、私を疑っていた。


 「塩か」


 私が荷を解くと、マルゴットは、それだけ言った。


 「東の関所筋から運んだ。一袋、この値で」


 私は値を言った。相場より、すこし安かった。けれど、安く言ったのは、信用を買うためではない。荷が、その値でしか捌けない時季だったからだ。マルゴットは、塩を指でつまみ、舐めた。湿り気と、雑物の混じり具合を、舌で確かめている。それから、計りに、荷を載せた。


 自分の計りで、自分で計った。商人を疑う者は、相手の計りを信じない。自分の計りで計り直す。マルゴットの計りで計っても、私の言った目方と、一粒も違わなかった。マルゴットは、計りの針を、しばらく見ていた。それから、私の顔を見る。


 「言った目方と、おんなじだね」


 「誤魔化さない」


 私は答えた。


 「そういう掟だ」


 マルゴットは、ふん、と鼻を鳴らした。信じたのか、信じなかったのか、その時は分からない。けれど、値を払い、塩を受け取る。それが、最初の取引だった。芥子粒ほどの信用も、まだ、積もってはいない。


  ◆  ◇


 二度目に行った時、マルゴットは、計りを出さなかった。


 私が言った目方を、計り直さずに、受け取る。それが、芥子粒ひとつ目だ。三度目には、宿のいちばん良い席に、汁の椀が、置かれた。冷えた夜だ。椀から、湯気が立っている。たったひとつの手で、私はそれを受け取った。指の節が、じんわりと温まる。信用は、そうやって、椀ひとつぶん、席ひとつぶん、積もっていった。


 幾度目だったか、マルゴットは、頼まれもしないのに、私に教えてくれた。どの宿場の主が、目方を誤魔化すか。どの仲買が、麦に石を混ぜるか。どの関所の役人が、賄賂で荷を止めるか。宿場の女は、街道のすべてを知っている。マルゴットは、その噂の集まる場所にいた。


 「あんたには、教えとくよ」


 マルゴットは、大鍋をかき回しながら言った。


 「目方を誤魔化さない商人は、めずらしいからね」


 誤魔化さない者には、誤魔化さない者の話が、集まってくる。正直は、それ自体が、利になる。マルゴットのような者が、街道のあちこちにいて、私のことを、目方を誤魔化さない隻腕の女、として、覚えていく。覚えられた名は、私の固有の名前ではない。それで、足りた。


 固有の名を立てずに、信用だけを立てる。それが、私の商いの形になっていった。名前のない女が、約束だけは守る。そういう商人として、私は、街道に知られていった。名は残さず、信用だけを残す。


 あの言葉のない男も、誰にも名を残さずに、信用だけで、二年を生きた。読めない帳面を懐に抱えたまま、名を摩耗させて。私は、その去り方を、商いの上で、なぞっていた。


 懐の読めない帳面が、その夜も、温かった。


  ◆  ◇


 欲張らない、という掟が、いちばん、難しかった。


 ある年の春のことだ。端境期で、どこの土地も、麦が、底をついていた。値が、じりじりと、上がっていた。その頃、私の荷台には、たまたま、麦が、積んであった。冬のうちに、安く仕入れておいた麦だ。端境期に、売れば、儲かる。それも、大きく。


 ある村に、麦を売りに、寄った。


 その村は、ひどく、麦に困っていた。蓄えが、尽きかけていた。次の刈り入れまで、まだ、ひと月ある。村の者が、私の荷台の麦を見て、目の色を、変えた。いくらでも出すから、売ってくれ、と言った。足元を、見られていた。いや、足元を、見ていたのは、私の方だ。困っている相手には、いくらでも、吹っかけられる。麦が欲しくてたまらない相手は、どんな値でも、払う。払えなければ、死ぬからだ。


 吹っかけよう、と、一瞬、思った。


 盗賊の頃の目だった。弱った相手から、奪う目。困っている者の足元を見て、絞り尽くす目。その目が、一瞬、戻ってきた。けれど、私は、その目を、抑えた。村の者に言った値は、相場より、すこし上、だった。困った相手から取れる、いちばん高い値ではなく、私が、まっとうに儲けられる、ぎりぎりの値だ。


 欲張れば、その村は、私を、覚える。あの隻腕の女に、足元を見られた、と。困っていた時に、絞られた、と。そういう恨みは、消えない。村の者は、私が、次に来た時、二度と、取引をしないだろう。それどころか、私が、どこかで足を滑らせた時、その恨みが、追っ手に変わる。


 欲張りは、奪う日々でも、回す日々でも、同じ穴に落ちる。


 その村は、相場より少し上の値で、麦を、買った。喜んで、買った。法外な値ではなかったからだ。村の者は、私を、覚えた。困った時に、ぼったくらなかった商人として。次の年も、その村は、私から、買った。欲張らなかったぶんが、芥子粒の信用になって、次の年の取引に、戻ってきた。


 目先の儲けを、大きく取らなかったぶん、長い儲けが、戻ってくる。


 それが、欲張らない、という掟の正体だった。立派な道徳ではない。困った相手を、絞らないのは、優しさではない。長く、生き延びるための冷たい勘定だ。盗賊の掟と、同じだった。多く取りすぎれば、相手が死ぬ。死人は、追っ手を倍にする。だから、欲張らない。回す者の掟も、奪う者の掟と、根は、同じだった。


  ◆  ◇


 信用が積もると、面が、できた。


 散った七人が、それぞれの土地で、結節点になっていた。サイが東の宿場で街道を見張り、リンが西の市の町で薬草と相場を読み、トビが各地の屋根に便りを飛ばす。マルゴットのような、正直な取引相手が、その面のあいだあいだに、結び目として、増えていく。一人と一人がつながり、そのつながりが、また別のつながりを呼ぶ。点が、線になり、線が、面になっていった。


 その面の上を、銀と物が、行ったり来たりする。塩の足りない土地へ塩を運び、鉄の余る土地から鉄を買う。ナダが地に描いた、あの値の地図の上を、私の荷馬車が、本当に走るようになっていた。


 商人として、私は、すこしずつ育っていた。目方を計る目が、肥えた。品の良し悪しを、舌と指で見分けられる。値が動く前に、動く気配を、嗅げるようになった。盗賊の頃、危ないものを嗅いだ鼻が、いまは、儲けと損の気配を、嗅いでいる。同じ鼻だ。


 何百回もの正直な取引の中で、すこしずつ、商人になっていった。マルゴットの計りの針が、私の言った目方とぴったり合うたびに。冷えた夜の椀が、ひとつ、また、ひとつと、私の前に置かれるたびに。


 その積み重ねのある日のことだった。ヒナが、向こうの帳面を繰りながら、眉を寄せた。


 いつもと違う数字が、そこに、並んでいる。

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