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灰のレン  作者: K3/KASANE
第六編 商人編

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第6話「俺の、片腕」


 散るのはこの三人までだった。


 サイ、リン、トビ。


 三人が、それぞれの方角へ散った。


 けれど、団の全部が散ったわけではなかった。


 残る者がいた。


 ガロ、ナダ、ネネ、ヒナ。


 そして、私。


 五人が、この丘に残った。


 散ると、残る。


 どちらも別れの一部だった。


 散る者は、遠い土地へ、結び目を作りに行く。


 残る者は、この丘で、その結び目をつなぐ真ん中を作る。


 だから、散るのも、残るのも、同じひとつの仕事の別々の半分だった。


 誰が散り、誰が残るか。


 それは、二十年で、自然と決まっていた。


  ◆  ◇


 ガロは、残った。


 いちばん年寄りの鍛冶だ。


 火を扱う男。


 散る、という話が出た時から、ガロは、当たり前のように残ると言った。


「俺は、ここで、火を絶やさねえ」


 ガロは、そう言った。


 その時、ガロは、火箸で燠を寄せている。


 しゃがんで、火の世話をしながら、こちらを見もせずにそう言った。


 岩のような背中だ。


 年を取って、丸くなった背中。


 けれど、火を扱う手だけは、ぴたりと動きが定まっている。


 火箸の先で、散った燠を、ひとところに寄せ集める。


 新しい薪を、その上に、そっと置く。


 風の向きを読んで、火の入り口をすこし広げる。


 火が、よろこぶように、ぱちりと爆ぜた。


 火を絶やさねえ、と言った口より先に、その手が、火を生かしていた。


 火を絶やさない。


 それはただの言葉ではなかった。


 ガロは、二十年、この丘の火を守ってきた男だ。


 誰よりも早く起きて、火を熾す。


 誰よりも遅くまで、火の番をする。


 雨の夜も、雪の朝も、ガロの火は消えなかった。


 廃砦を、商館に変えていく。


 けれど、その商館の真ん中にも、火は要る。


 坩堝を熱し、鉄を溶かし、銀を鋳潰す火。


 火を絶やさない、というのは、帰る場所を絶やさない、ということだった。


 それが、ガロの選んだ、残り方だった。


  ◆  ◇


 ナダも、残った。


 いちばんの年寄りだ。


 元は船乗りで、数えの祖でもある。


 背は曲がり、足は遅い。


 けれど、ナダの頭の中には、海と川と街道の値の地図があった。


 どの港で何が高く、どの土地で何が安いか。


 その地図がなければ、商いは回らない。


 ナダは、丘に残って、その地図を回す。


 散った者から、便りが届く。


 東のサイから、西のリンから、各地を回るトビから。


 その便りを、ナダの頭の中の地図に書き込んでいく。


 すると、地図が生きてくる。


 どこからどこへ、何を運べば、儲けになるか、ナダの地図が教えてくれる。


 ナダは、足が遅いから、散れなかった。


 足の代わりに、頭で、商いを回す。


 それがナダの残り方だった。


 そして、ナダには、もうひとつ丘に残る理由があった。


 数えを渡すことだ。


 二十年、ナダは、数えの木札を守ってきた。


 その数えの掟を、ナダは、ヒナに渡していた。


 けれど、まだ、完全には渡しきっていない。


 値の地図もまだだ。


 ナダは、丘に残って、その残りを、ヒナに渡していく。


 自分が、いつか、いなくなる日のために。


  ◆  ◇


 ネネも、残った。


 傷の治りの早い体を持つ女だ。


 それを、誰にも見せないように、いつも布をかぶっている。


 ネネは口数の少ない女だった。


 散るとも、残るとも、自分からは言わなかった。


 けれど、サイたちが散る話が決まった時、ネネは、静かに残るほうに回った。


 ネネが、なぜ残るのか。


 私は訊かなかった。


 その朝、ネネは、火の輪の隅で繕い物をしていた。


 膝の上に、誰かの綻びた上着を広げて、針を運んでいる。


 布をかぶった顔は、俯いて、よく見えない。


 けれど、針を持つ手は、よく見えた。


 細い、白い手だ。


 日に焼けていない手だった。


 布で体を覆い、日を避けて暮らす女の手。


 その手が、針を、布に刺し、糸を引き、また刺す。


 静かな繰り返しだ。


 散る三人が支度に騒いでいる間も、ネネは、その手を止めなかった。


 別れの朝も、ネネにとっては、繕い物をする一日のようだった。


 治る体を持つ女は、年を取らない。


 あるいは、ゆっくりとしか取らない。


 だから、ネネは、人の中に長くはいられない。


 一つの土地に長く住めば、年を取らないことが知れてしまう。


 怪しまれ、追われる。


 だから、ネネは、人の少ないこの丘に、残るほうがよかった。


 布で体を隠すように、丘に、身を隠す。


 それが、ネネの生き方だった。


 ネネは、丘に残って、暮らしを守る。


 火を熾し、湯を沸かし、繕い物をし、食い物を作る。


 誰かが、それをやらなければ、丘の暮らしは立たない。


 ネネは、それを引き受けた。


 目立たず、口数少なく、けれど、確かに。


  ◆  ◇


 そして、ヒナが、残った。


 私の片腕だ。


 十二の年に拾った、痩せた子が、いつのまにか背が私を追い越して、声も低くなった。


 腰には、ナダから受け継ぎはじめた、数えの木札を提げている。


 ヒナは、散る、という選択を考えもしなかった。


 当たり前のように、私のそばに残った。


 レンのいるところにいる。


 それが、ヒナにとっては、当たり前のことらしかった。


 私が散れと言えば、たぶん、ヒナは散っただろう。


 けれど、私は言わなかった。


 ヒナには、丘に残って、数えと帳簿を回してもらう。


 核に残ったのは、五人。


 ガロ、ナダ、ネネ、ヒナ、私。


 火を守る者、地図を回す者、暮らしを守る者、数えを回す者、そして、全部を束ねる者。


 五人で、この丘を、商館に変えていく。


 散った三人をつなぐ真ん中を作っていく。


 散る三人と、残る五人。


 どちらも、奪う手をやめた者たちだった。


 これから、回す手になっていく。


 私は、丘の縁から振り返った。


 火の輪のそばに、四つの顔があった。


 ガロ、ナダ、ネネ、ヒナ。


 散った三人のぶん、火の輪は欠けていた。


 けれど、欠けた火の輪を囲む四つの顔は不安そうではなかった。


 むしろ、静かだった。


 やるべきことが、もう見えている顔だった。


  ◆  ◇


 散る三人が散った、その夜。


 私たちは、火の輪を囲んだ。


 五人だけの火の輪だった。


 八つだった顔が、五つになった輪は、急に広く感じられた。


 座る場所の間が、すこし空いている。


 サイが座っていた壁際が、空いている。


 リンが湯を配っていた場所が、空いている。


 トビが軽口を叩いていた、火の向こう側が、空いている。


 けれど、その空いた場所を、私たちは見つめなかった。


 火が、いつもより大きく見えた。


 火明かりが、五つの顔を、橙に照らしている。


 ガロの、岩のような横顔。


 ナダの、目を閉じた、しわの深い顔。


 ネネの、布の下の、俯いた顔。


 ヒナの、若い、まだ稚さの残る顔。


 そして、私。


 火を囲む輪が、すこし寂しくなった。


 それでも、火は、変わらず燃えていた。


 ガロが守る火だ。


 人が減っても、火は減らない。


 空いた場所を見つめれば、失ったことになる。


 私たちは失ったのではない。


 送り出したのだ。


 サイは、東の宿場で、街道を見ている。


 リンは、西の市で、薬草を売っている。


 トビは、屋根から屋根へ、飛んで回っている。


 火の輪は欠けたが、つながりは欠けていない。


「これからの話を、しよう」


 私は、火を見たまま、そう言った。


 別れの話は、もうしなかった。


 済んだことだ。


 これからは、残った五人で、どう所帯を回すか、その話だった。


  ◆  ◇


 まず、この丘を、商館に変える。


 廃砦を、商いの拠点にする。


 これまでは、盗賊の塒だった。


 これからは、商人の館だ。


 けれど、見た目は変えない。


 立派な看板を掲げたり、新しい建物を建てたりはしない。


 目立てば、人が来て、私の体が見られる。


 隻腕の女。


 片目のない女。


 背に烙印のある女。


 それを見られたくなかった。


 だから、見た目は崩れた廃砦のまま。


 けれど、中身は、商館にする。


 地下の乾いた室を、荷の蔵にする。


 襲った武具を片づけたあとの空いた室だ。


 そこに、これからは、商いの品をしまう。


 ガロの鍛冶場を、銀を鋳潰す場にする。


 そして、ヒナの帳簿を回す場を作る。


「銀は、まず、鋳潰す」


 私は言った。


 ガロが頷いた。


 役所の刻みのある銀を、火に入れて、無名の塊にする。


 それが、商人としての最初の仕事だ。


「坩堝は、こさえてある」


 ガロが言った。


 もう、支度を始めていたらしい。


 年寄りだが、手は早い。


  ◆  ◇


 次に、海を渡る話をした。


 いずれ、海を渡ることになる。


 私は、そう思っていた。


 北街道の交易だけでは、いつか行き詰まる。


 海の向こうには、豊かな国があると、ナダが言っていた。


 船乗りだった頃に、見た国だ。


「海を渡るなら、船がいる」


 ナダが言った。


 しわがれた声だが、海の話になると、声に張りが戻る。


「船は、買うのか、雇うのか」


「まだ、決めていない」


 私は答えた。


 海を渡るのは、まだ先の話だった。


 今は、まず、この丘を商館に変え、北街道で商いを覚える。


 それができてから、海を渡る。


 ナダの海路の知恵は、その時のために、とっておく。


 けれど、いつか海を渡る、ということは、もう決めていた。


 ナダは頷いた。


 海を渡る日のことを、ナダは待っているようだった。


 もう一度、海を見たい。


 そういう顔だった。


 足は遅くなり、背は曲がったが、ナダの目は、まだ、海を見ていた頃の鋭さを残している。


 ナダの残る理由の中には、それもあったのかもしれなかった。


  ◆  ◇


 最後に、ヒナの話をした。


 ヒナは、火の輪の私の隣に座っていた。


 腰の数えの木札を、てのひらで撫でている。


 人数の段と、年の段。


 それに、これからは、もうひとつ段が増える。


 商いの段だ。


「ヒナ」


 私は呼んだ。


「お前が、帳簿を、つける」


 ヒナは、私を見た。


 帳簿。


 それは商いの数えだった。


 何を、いくらで仕入れ、いくらで売ったか。


 誰に、いくら貸し、いくら借りたか。


 それを、数えて、記す。


 ナダの数えが、人と年を数えるものなら、ヒナの帳簿は、銀と物を数えるものだった。


 数えの掟を、商いに広げる。


 それが、ヒナの新しい仕事だった。


「俺に、できるか」


 ヒナが言った。


 不安の声ではない。


 ただ、自分にできるかを確かめる声だった。


「お前にしか、できない」


 私は答えた。


 それは、世辞では、なかった。


 ヒナは、数えを、ナダから受け継いだ、ただ一人だ。


 商いの数えは、ヒナの手から、しか、生まれない。


 ヒナの帳簿がなければ、私たちの商いは、自分が、どれだけ儲け、どれだけ損したかさえ、分からなくなる。


 帳簿は、商館の、目だった。


 その目を、ヒナが、持つ。


「お前は、俺の、片腕だ」


 私は言った。


 片腕。


 それは、私が、軽々しくは使わない言葉だった。


 私には、腕が、ひとつしかない。


 その腕の代わりになるもの。


 それを、片腕、と呼ぶ。


 ヒナは、私の足りないものを補う者だった。


 数えられない私の、数える手。


 記せない私の、記す手。


 ヒナの帳簿が、私のもう一本の腕になる。


 ヒナは、何も言わなかった。


 ただ、数えの木札をぎゅっと握った。


 指の関節が、白くなるほど、強く。


 それから、頷いた。


 一度だけ、深く。


 引き受けた、という頷きだった。


 火明かりが、その横顔を照らしていた。


 十二の年に拾った時の痩せた子の面影は、もう、あまり残っていない。


 顎の線が、しっかりしてきた。


 肩の幅も広い。


 けれど、数えの木札を握った手だけは、まだ、どこか子供のようだった。


 大事なものを、放すまいとする、握り方。


 私が、樫の棒の握りを、てのひらで確かめるのと同じだった。


 その夜、私たちは、遅くまで火を囲んでいた。


 商館の話、銀の話、海の話。


 やがて、話すことが尽きると、誰も口を開かなくなった。


 けれど、その沈黙は重くなかった。


 やるべきことが見えている沈黙だった。


 ガロが、薪をくべる。


 火が、ぱちりと爆ぜる。


 ナダが、目を閉じて、火に当たっている。


 ネネが、繕い物の手を止めない。


 ヒナが、数えの木札を撫でている。


 五人の新しい所帯の最初の夜だった。


 私は、火を見ながら、明日の段取りを、頭の中でひとつずつ組み立てていた。

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