第67話「四十の朝」
四十になった朝のことを、書く。
歳は、自分では数えていない。
数えるのは、ナダの木札だ。
人数の段の、その下に、年の段がある。
その段に、刻みが四十、きれいに並んでいた。
穴を出てから、二十年。
二十年のあいだ、八人は八人のまま、誰ひとり欠けなかった。
——欠けさせなかった、というほうが、近い。
その朝、私は、みんなを、火の輪に呼んだ。
◆ ◇
「鎖切りを、やめる」
私は、言った。
誰も、驚かなかった。
潮の変わり目は、ナダでなくても、わかる。
奪う日は、もう、ほとんどなかった。
商う日が、八人の暮らしを、立てていた。
鎖切りという名は、向こうの帳面の中で、まだ生きている。
高札の値段も、消えてはいない。
だが、その名を殺すのは、向こうの帳面では、ない。
私たちが、もうその名を名乗らないと決めれば。
鎖切りは、そこで、終わる。
名は、向こうから勝手に生えてくる。
なら、その名は、こちらで枯らすこともできる。
水をやらなければ、いい。
つまり、奪うことを、やめれば、いい。
生えた名に水をやるのを、やめる。
◆ ◇
ひとりずつに預けるものは、もう、預け終えていた。
ガロには、火と、鉄を。
リンには、草と、人を読む目を。
ナダには、と言いかけて、やめた。
ナダのものは、もう、私が預かったのだ。
数えの木札は、いつのまにか、ヒナの手に移っていた。
ヒナは、もう、あの十二の子供では、ない。
背は、とうに私を追い越していた。
数えの段も、名乗りの掟も、ぜんぶ覚えている。
トビには、屋根と、軽口を。
ネネには、繕う手と、治る体の隠し方を。
サイには、と言いかけて、これも、やめた。
サイは、誰よりも早く、新しい土地に馴染む。
預けるまでもなく、自分の道を、もう、その目で見ていた。
◆ ◇
散る日は、まだ、決めなかった。
今日でも、明日でもない。
それぞれが、それぞれの潮の頃合いで、出ていく。
そういう散り方を、私は、選んだ。
別れの日をひとつに決めて、みんなで泣くような、そんな散り方は、しない。
穴の底で、大事なものを、いっぺんに失うことには、もう慣れている。
慣れたやり方は、もう、二度としたくなかった。
ひとりずつ、笑って、見送る。
いつか、また、どこかの火の輪で会おう——そう言って、送り出せる散り方を。
◆ ◇
私自身の行く先も、決めていた。
商人だ。
名のない銀を、名のない私が、土地から土地へ、回す。
誰からも、奪わずに。
ナダの頭の中にあった値の地図を、この二十年で、私は、すっかり自分の頭に写し取っていた。
どの川が、どの港に出るか。
どの土地に、何が足りないか。
足りない場所へ、足りない物を運ぶ。
それだけで、暮らしは立つ。
奪われた者を、解いて回る盗賊から。
物を回して、土地と土地を繋ぐ、商人へ。
奪う手が、すっかり、回す手になる。
そして、いつか、その回す手で。
もっと大きな何かを、動かせる気が、していた。
あの黒い衣の男が頭を下げる、そのまた上にいる、見えない手のような、何かを。
まだ、遠い。
だが、商人の足なら、どこへでも行ける。
盗賊の足では、決して行けなかった場所へも。
奪う手が、回す手になる。
◆ ◇
四十の朝の火は、いつもの朝と、何も変わらなかった。
ガロが薪をくべ、リンが湯を沸かし、ヒナが水を汲んでくる。
変わったことなど、何もないように、見えた。
見えた、だけだ。
火は、二十年、ずっと同じ色で燃えてきた。
その朝も、同じ色だった。
ただ、その火を囲む者の中に、もう、鎖切りは、いなかった。
その朝、ひとつの名が、静かに死んだ。
鎖切りという、名が。
名が死んだあとに残ったのは、八人の、ただの人だった。
名のない、ただの人。
それで、よかった。
私は、樫を背に負って、火に背を向けた。
握りの内側の、灰の字を、指で確かめて。
穴の底で繋いだ、あの縄の、その先を。
土地から土地へ、回しに。
商いに、行く。




