第62話「狩られる側」
穴を出て、十年になっていた。
鎖切りの名は、いつのまにか、本物の私たちより大きく育っていた。
鎖を解かれた者たちが、行く先々で噂を運ぶ。
噂は、口から口へ移るたびに盛られて、まことしやかになっていく。
百人の徒党だの、頭は見上げるような大男だの。
笑って聞いている間は、まだよかった。
噂の中の鎖切りは、決して負けない。
負けない話だけが、酒場で語り継がれて生き残るからだ。
本物の私たちは、その勇ましい噂を、どうやっても追い越せない。
名が育てば、首にかかる値も育つ。
値が育てば、こちらを狩る者の質が、変わる。
それを、私は、甘く数えていた。
◆ ◇
その冬は、蓄えが薄かった。
夏の長雨で麦の値が上がり、銀に換えた蓄えが、いつもより早く減っていた。
だから、本当なら見送る冬の列に、手を出した。
ナダの木札が、その列の前で、首をかしげた。
「うますぎる」
護りが、薄い。
道筋が、素直すぎる。
それでいて、鎖に繋がれた人数だけが、やけに多い。
「飢えた冬に、肥えた獲物。……罠の餌の形だぜ」
老人の言葉に、私は、頷いた。
頷いて、それでも、行くと決めた。
痩せた蓄えの数字が、私の背を押して、そう決めさせた。
決めたのは、私だ。
ここは、間違えてはいけないところだから、二度書く。
決めたのは、私だ。
◆ ◇
月のない谷あいで、列が野営に入った。
手はず通り、トビが先に、闇を渡って様子を見に行く。
やがて戻ってきた口笛が、短く、三度鳴った。
危険の合図ではない。
引き返せ、の合図だった。
遅かった。
谷の両側で、いっせいに火が立った。
鎖の中で俯いていた囚人が、ゆらりと立ち上がる。
立ち上がったその手に、得物が握られていた。
囚人では、なかった。
兵だ。
偽の鎖を、わざと緩く巻いただけの、兵の列だった。
護送だけを襲う、という私たちの掟が、向こうの手の中で、そっくり罠の形に組み直されていた。
護送の形をした罠は、護送だけを狙う盗賊を、過たず捕らえる。
掟が罠の形になって返ってきた。
◆ ◇
退き口は、ひとつしかなかった。
谷の北の、岩の崩れた斜面だ。
「走れ」
私は、言った。
ガロが、肩から兵の壁へ突っ込み、先頭を割る。
刃が、来た。
樫で、受けた。
受けて、流して、膝を打つ。
倒すだけ。
殺さない。
殺せば、罠が、裁きに変わる。
ネネとヒナを、リンが抱えるようにして走らせた。
足のもつれかけたナダの帯を、サイが後ろから掴んで引く。
そうやって、岩の崩れを、ひとりずつ抜けた。
抜けた背中で、口笛が、長く鳴った。
遠くで。
谷の、奥の方で。
兵の目を、自分ひとりに引き受ける側の音だった。
崩れの上から、一度だけ、振り返った。
谷の火明かりの中に、ひとり、静かに立っている男が見えた。
逸る兵の動きを、手の合図だけで止めて、夜の山へ追わせなかった男だ。
闇へ追えば、こちらの得物になる——それを知っている、止め方だった。
狩る側にも、数える者が、ひとりいる。
囮の役は、いつも、トビのものだった。
一味でいちばん、足の速い者の役だ。
その夜だけ、その足が、半歩、足りなかった。
◆ ◇
朝まで、岩場の陰で、待った。
戻る足音は、七つ目までしか、揃わなかった。
ナダが、木札を出して、何も刻まずに、また帯にしまった。
数えの段の、八つ目の刻みに、節くれた指を置いたまま。
リンが、火を、いつもより小さく焚いた。
ネネは、泣かなかった。
泣く代わりに、トビが繕いかけのままにしていた上着を、膝の上にじっと抱えていた。
ヒナが、小さな声で、訊いた。
「……死んだの」
「生きてる」
私は、言った。
値の育った賞金首は、その場では殺されない。
市の広場へ引き出されて、見せしめの裁きに、回される。
生きていることが、慰めではなく、刻限になる。
八つの数にはじめて欠けが出た。
◆ ◇
三日後、サイが、町から高札の写しを持ち帰った。
鎖切りの一味、捕縛。
市の広場にて、裁きに処す。
いつもの高札と、違うところが、ひとつだけあった。
値段が、書かれていない。
値段のあったその場所に、代わりに、日付があった。
七日後の、日付が。
値段なら、まだ追える。
だが、日付は、追ってこない。
こちらが待つあいだ、ただ、減っていくだけだ。
私は、写しを火明かりにかざして、隅々まで暗記した。
町の名。
広場の名。
裁きの刻。
数える。
組む。
七日で、足りるかどうかでは、ない。
七日で、間に合わせる。




