第60話「八人目」
視線は、三晩、続いた。
近づいても来ず、かといって消えもしない。
藪の闇の同じ高さに、毎晩、あの目だけが浮かんだ。
四晩目に、トビが、火を背にして裏から回った。
藪の鳴る音がひとつして、小さい影が、襟首を掴まれたまま、火の輪の中へ転がり込んできた。
子供だった。
十二、三の、男の子。
痩せて、裸足で、煤けた顔の中で、目だけが大きい。
細い手足には、鎖の擦り痕が、まだ薄く残っていた。
「……飯の匂いが、した」
最初に口から出た言葉が、それだった。
リンが、笑って、椀に汁をよそって差し出す。
「食べな、ひよっこ」
子供は、椀に顔ごと突っ込むようにして、飲んだ。
◆ ◇
話は、その子が食べ終わってから、聞いた。
ふた月前に、私たちが街道で襲った、あの護送の列にいたという。
鎖を解かれた十二人の、いちばん端にいた子だ。
親は、ない。
売られて、運ばれて、海側の町の手前で、私たちに解かれた。
そして解かれたその足で、私たちを追ってきた。
ふた月、藪から藪へ伝って。
「入れない」
私は、言った。
言った先から、子供が、顔を上げた。
「行き先は、選べって、言った」
「あんたの、仲間が、言った。鍵をくれた時に」
「……選んだ」
火の輪が、しんと静かになった。
私の作った掟が、子供の姿になって、私の前に立っていた。
解くだけでは、足りない。
選ばせることまでが、解くということだ——そう決めたのは、私だ。
私が、選ばせた。
その子は、選んで、ここまで来た。
いま追い返せば、あの夜に選ばせたことが、まるごと嘘になる。
選ばせた言葉が選んで戻ってきた。
◆ ◇
火の輪で、短い談合になった。
ナダが、まず言った。
「置け。数えを教える」
「俺の木札を、継ぐやつが、要る」
リンは、答えの代わりに、もう二杯目を椀によそっていた。
ガロは、ひとことだけ。
「飯は、働いた分だ」
トビが、子供の煤けた頭に、ぽんと手を置いた。
「俺も、これくらいの頃から、屋根の上にいた」
「下より、上の方が、まだ広い」
サイは、何も言わず、寝床の藁を、黙ってひとり分広げた。
反対の声は、どこからも上がらなかった。
七人は、七人で回る数だと、私はずっと言ってきた。
だが、数は暮らしの形であって、檻ではない。
檻にしてしまった数は、私たちを呑んだあの穴と、同じものになる。
「働け」
私は、子供に言った。
「盗みは、まだ教えない。火と、水と、数えからだ」
子供は、何度も、何度も、頷いた。
◆ ◇
名前の話は、その夜のうちに出た。
「名は」
ガロが、訊いた。
いつかの夜、私に名を訊いた時と、同じ短さで。
子供は、首を振った。
持っていた名は、売られた時に、市の隅へ置いてきたという。
代わりに呼ばれていた番号は、言いたくないという。
わかる、と言ってやれる者が、この火の輪に、七人いる。
ネネが、子供の前に、しゃがんだ。
「自分で言えば、自分のものになる」
穴の底で、私がネネに渡した言葉だ。
渡した時の形のまま、それが、また次の手へ渡っていく。
子供は、長いあいだ、考えていた。
考えて、それから、ふいにリンを見た。
「……ヒナで、いい」
「ひよっこの、ヒナ」
リンが、こらえきれずに吹き出した。
からかいの渾名を、両手で、自分の名に握り直す。
その握り直し方を、私は知っている。
カラスと、同じだった。
からかいの名を自分の手で握り直した。
◆ ◇
次の朝から、ヒナは、水汲みと火の番になった。
夜は、ナダの隣に座って、木札の刻みを習う。
「ひとつ、ふたつ、だ。ほら、刻め」
嗄れた声と、細い声が、火の側で、並んで数を数える。
ヒナが刻みを間違えるたび、ナダは怒らずに笑った。
怒らない年寄りに、子供は、すぐに懐いた。
ナダの数えに、ようやく引き継ぎ先ができた。
私は、その木札を借りて、新しい刻みをひとつ足した。
人の数を刻む段に、八つ目の刻みを。
七人で回ってきた数が、ひとつ、増える。
増えた分だけ、守るものが増える。
守るものが増えた分だけ、この暮らしは、強くなるのか、脆くなるのか。
まだ、わからない。
わからないまま、私は、木札の上に新しい数を刻む。
八つを。
数えに、行く。




