第54話「逃げ道を数える」
穴の底にも、季節は届く。
上の光の口から、寒さが落ちてくる。
その寒さが、二度、来た。
二度目の寒さが緩んだ頃、私は二十歳になっていた。
岩の縦線は、二本のまま、ある。
消えた線は、ない。
増えた線も、ない。
七人は、七人のままだった。
奪い合いの穴で、ふた冬を、誰も欠けずに越えた。
水と、火と、薬と、数えの順番が、それをやった。
◆ ◇
北の壁の、風の話を書く。
トビが見つけた場所は、裂け目だった。
壁のなかほどから、天辺の近くまで、岩が縦に裂けている。
裂け目の奥を、風が通っていた。
外へ、抜けている風だ。
人が通るには、狭い場所が三つあった。
三つとも、岩を削れば広がる。
削る役は、決めるまでもなかった。
サイが、黙って、骨の先を研いだ。
二十年前、別の穴の格子を緩めた男だ。
夜ごと、サイは裂け目に登った。
急がない削りだった。
急がない者の削りだけが、岩を変える。
それを、この男ほど知っている者はいない。
二十年前の続きを削る男がいた。
今度は売られる前に終わらせる。
◆ ◇
ナダの数を書く。
籠は、ふた晩ごとに降りる。
綱を引く係は、四人。
弓を持つ者が、ひとり、口の脇に立つ。
穴の口に弓がいることを、私は体で知っている。
脇腹の古い傷が、寒さの来る前に疼くからだ。
月のない夜は、上の声が減る。
番が、ふたりになる。
籠の上がった翌日は、ひと晩、誰も口を覗かない。
ふた晩ごとの籠を、ナダは何年も数えてきた。
数えの狂いは、ひと晩もないという。
「潮と同じだ。狂うのは、人の方さ」
◆ ◇
道具のことも書く。
ガロは、研いでいた金物を、杭に変えた。
岩の継ぎ目に打ち込む、短い杭だ。
楔と、骨の槌も作った。
火と、石と、根気だけで。
ナダは、ぼろ布を裂いて、綯った。
船乗りの指は、布切れを綱に変える。
「人ひとりなら、吊れる」
リンは、草を選り分けていた。
「上に出てからの、傷と熱の分さ」
ネネは、いちばん軽い。
狭い場所を、最初に抜ける役だ。
トビが、道を読む。
サイが、道を広げる。
私は、ぜんぶを数えて、組んだ。
誰がどこで何を持ち、誰の後ろを登るか。
数えて、組む。
看ていた頃、カラスがいつもしていたことだ。
熱を数え、息を数え、それから手を打つ。
順番は、命より先に来る。
数えた数が道具になる夜が来る。
稽古も、した。
夜の裂け目は、目では登れない。
手で、覚えるしかない。
トビが先に登り、続く者が、手の置き場をなぞる。
ひと晩に、ひとりずつ。
ネネは、三度目で、狭い場所をすり抜けた。
リンは、毎度、悪態をついた。
「客はもう取らないよ。岩は、別だけど」
ナダは、登る稽古をしなかった。
「俺は、吊られる側だ。荷物に、稽古はいらん」
笑う声が、小さく、火の輪に落ちた。
穴の底で笑う声を聞くのは、それが初めてだった。
◆ ◇
決行の夜を、決めた。
月のない夜と、籠の翌日が重なる晩。
ナダの数えでは、次の新月にそれが来る。
あと、九日。
九日あれば、サイの三つ目の狭さが、広がり切る。
計算は、足りていた。
◆ ◇
その日、昼の光の中で、上の口に人影が立った。
籠の日では、ない。
影は、降りてこなかった。
覗き込んで、長いあいだ、動かなかった。
ナダが、目を細めた。
「……数えてやがる」
影の指が、穴の底を、ゆっくりなぞっていた。
ひとり。
ふたり。
頭数を、取っている。
籠でも、綱でもない日に。
それが何を意味するかを、知っている者がいた。
ナダの声が、低くなった。
「頭数を数えるのは、売る前だ」
穴の底が、静かになった。
私は、上の影を見ていた。
数える側の、つもりでいた。
数えられる側に、戻されていた。
上も、数えていた。




