第53話「火がともる」
草の束が、消えた。
リンが、岩棚の窪みに置いていたものだ。
朝、束がひとつ、減っていた。
「鼠だね」
リンはそう言ったが、目は笑っていなかった。
草は、ここでは命の値段がつく。
私は、二晩、寝た振りをした。
足音は、来なかった。
来ないのに、三晩目の朝、また減っていた。
足音のない盗みは、ない。
ないなら、道が違う。
私は、上を見た。
手当ての場所の上は、岩の壁だ。
壁のなかほどに、人ひとり通れる棚が、横に走っている。
あそこを、来ている。
◆ ◇
四晩目、私は、棚の降り口の下で待った。
月のない夜の、いちばん暗い刻だ。
岩の上を、何かが動いた。
音は、ほとんどない。
布で包んだ足の裏が、岩を撫でる音だけ。
影が、棚から降りてくる。
降りた足首の横に、骨の先を当てた。
「動くな」
影は、動かなかった。
動かないまま、口だけが動いた。
「……殺すなら、手早く頼む。腹が減ってると、長引くのはこたえる」
若い男の声だった。
小柄で、痩せていて、目だけがよく動く。
「草を、返せ」
「もう、ない。パンに換えた」
悪びれない言い方だった。
「あんたの骨の振り方は、見てた。それで殺された奴は、いない。だから降りてきた」
よく、見ている。
盗む者の目は、いつも、よく見ている。
◆ ◇
男は、トビと名乗った。
外では、屋根に登る仕事をしていたと言う。
屋根より、人の懐の方が実入りは良かった、とも言う。
「で、こっちに落ちた」
落ちた、で済ませる言い方に、長い話を畳んだ跡があった。
私は、罰の代わりに、仕事を出した。
「天井を、見てこい」
「……は」
「縦穴が、あるか。風の動く場所が、あるか」
トビは、私の顔と天井とを見比べた。
それから、笑った。
「あんた、面白いこと考えてるね」
次の夜、トビは壁の高いところまで登って、降りてきた。
猿より、軽い登りだった。
「天辺までは、無理だ。けど」
「けど」
「風が、動いてる場所がある。北の壁の、ずっと上」
風が動くなら、口がある。
その先は、まだ、誰にも言わない。
◆ ◇
火が、ともったのは、その次の晩だ。
ガロが、研いでいた金物を、石に打ちつけた。
散った火花を、ほぐした布が受ける。
骨と、ぼろと、捨てられた木っ端が、燃えた。
この穴の底で、火を見たのは、初めてだった。
男たちが、遠巻きに集まってきた。
火は、人を集める。
第一の穴で、私はそれを知っていた。
火の番という仕事を、私は、八つの時から知っている。
穴の底に火がともった。
水は、サイ。
薬は、リン。
火は、ガロ。
登りと、上の見張りは、トビ。
決めたというより、手が、勝手に分かれた。
奪い合いの掟の横に、別の掟が、育ちはじめている。
◆ ◇
火の輪の外に、老人がひとり、座っていた。
いつから穴にいるのか、誰も知らない老人だ。
誰とも話さず、いつも、上の光の口を見ている。
その夜、老人は火を見て、それから私を見た。
「……次の籠は、ふた晩あとだ」
嗄れきった声だった。
「なぜ、わかる」
「数えてた。することが、ねえからな」
老人は、ナダと名乗った。
外では、船に乗っていたと言う。
手のひらに、綱の作った固いたこが、いまも残っていた。
潮の満ち干を数えるように、籠と綱の日を、何年も数えてきた。
籠の刻。
綱の刻。
上の係の、人数と癖。
私が数えはじめたばかりのものを、この老人は、とうに数え終えていた。
数は、ここでも、道具になる。
◆ ◇
夜更けの火の脇で、ガロが、口を開いた。
「……灰の村に、いた」
骨を、薪の代わりに、火へ足しながら。
「あんたの名前で思い出した」
「昔の話だ」
それだけで、口を閉じた。
灰の村。
私の名前と、同じ字の村。
訊かなかった。
訊けば閉じる扉のあることを、私は知っている。
代わりに、ガロは、別のことをひとつ置いた。
「山に強い爺がいた」
「化け物みたいに強い。殺すのに疲れて山にこもった」
「居場所は俺が知ってる」
なぜ、いま、それを言うのか。
ガロは、答えず、火だけを見ていた。
言葉は、置かれた。
拾う日が来るかは、まだ、わからない。
◆ ◇
火の輪を、私は、数えた。
サイ。
リン。
ネネ。
ガロ。
トビ。
ナダ。
それから、私。
ななつ。
奪い合う穴の底で分ける者が七人になった。
七人で何ができるかは、まだ言わない。
北の壁の上で、風が動いていることも。
まだ、誰にも。
だが、私の中では、もう始まっている。
水を分け、火を分け、知っていることを分ける者たちを、ひとりずつ、確かめて。
集めに、行く。




