第43話「祝福と異端」
審問廷は、教会の地下にあった。
石を積んだ、冷たい部屋だ。
高い窓からは細い光が一本だけ差し込んでいて、その光の真下に、俺たちは鎖で手を繋がれたまま立たされた。
正面の高い席に、審問官が三人並んでいる。
だが、いちばん上の、いちばん立派な席だけが、ぽつんと空いていた。
誰のための席なのか、俺は知らない。
知らないが、その空いた席には、ここにいない誰かが座っているような気がした。
姿は見えない、もっと偉い誰かが。
◆
審問は、問答の形をしていた。
だが、形だけだった。
「被告は、文字の板を、所持していたか」
「あれは、ただの、覚え書きだ」
「覚え書きを、なぜ、消しては、また書く。何度も」
書ける。
消せる。
何度でも。
それはジューラの言葉で、ある、ない、を教えるためのただの線だった。
だが、そう答えてみても無駄だった。
「消える文字。それは、証を、残さぬための、呪いの、作法である」
そう返ってくる。
何を言っても、俺の言葉は罪の証拠に化けて戻ってくるのだ。
弁明が、弁明にならない。
それどころか、弁明すればするほど、罪のほうが増えていく。
……これは問答じゃない。
答えは、最初から決まっている。
俺は何を言っても負ける盤の上に、立たされていた。
◆◇
審問官が、灰を指した。
「この、子供。剣も、持たぬ、片腕で。大人を、退けると、聞く」
「鍛えただけだ」
「鍛えて、届くものでは、ない」
審問官の声が、初めて熱を帯びた。
「人の、業を、超えた力。それは、神の、恵みか。さもなくば」
男は、言った。
「悪魔の、徴だ」
……ここだ、と俺は気づいた。
この男たちは、灰の力がただの鍛錬で身についたものではないと、ちゃんとわかっている。
わかっていて、わざと、それを悪魔の徴と呼んでいるのだ。
——もし。
もしこの子の力を、別の場所で、別の都合で見つけていたなら、こいつらはきっと、同じ力を神の恵みと呼んだだろう。
祝福と異端は、同じものの裏表でしかない。
呼ぶ側が、都合のいいほうへ、ひっくり返すだけだ。
恵みと呼べば手元に囲い込み、徴と呼べば焼いて捨てる。
力そのものは、何ひとつ変わらないのに。
決めるのは、いつだって力を持たない側じゃない。
名前を、つける側だ。
祝福と異端は同じものの裏表だ。
決めるのは名を決める側だ。
◆
審問官が、兵に命じた。
「徴を、検めよ。悪魔は、肉に、印を、残す」
兵が灰に近づいて、襟を合わせていた手を乱暴に振り払った。
そのまま外套を引き下ろし、肩をむき出しにする。
止める間もなかった。
俺がこれまでずっと隠し続けてきたものが、いま、大勢の目の前に晒された。
灰の、背中。
そこに焼きつけられた、二重の輪の烙印。
逃げた奴隷の、しるしだ。
審問廷が、ざわりとざわめいた。
「逃げた、奴隷だ」
「奴隷が、冒険者を、騙っていた」
声が、波のように広がっていく。
それでも灰は、抵抗ひとつしなかった。
晒された背中のまま、ただまっすぐに立っている。
奪われることに、すっかり慣れきった体で。
その時。
最上段から、低い声が降りてきた。
「……奴隷の、子か」
クライス・ファルディンだった。
審査のあの日には何も知らなかった、という顔をして。
たったいま、初めてそれを知ったかのような顔で、灰の烙印を見下ろし、薄く笑う。
「それが、これほど、とはな」
欲しかったものが、思っていたよりもずっと珍しい代物だったと。
そう知った、笑いだった。
◆◇
判決は、すぐに出た。
最初から決まっていたのだから、当たり前だ。
「両名を、異端と、認定する」
「身柄を、しかるべき場所へ、移し、贖わせる」
しかるべき場所。
それがどこかとは、誰も言わなかった。
言わなかったが、その言葉の裏から、かすかに海の匂いがした。
港から船に乗せる気だ。
海の向こうの、二度と戻れない場所へ。
審問官の声がまだ続いている間、最上段のクライスが、判決を聞いてひとつ頷いた。
いかにも満足げに。
負けを面白がったあの男が、いまは別の盤の上で、しっかり勝っていた。
拳の届かない、力では引っくり返せない盤の上で。
負けを面白がった男がいま別の盤で勝っていた。
◆◇
牢に、戻された。
冷たい鉄格子の向こうで、灰は壁を背にして座っていた。
その背中を見るのは、久しぶりだった。
取り上げられて棒もない、武器を持たない手で、膝を抱えている。
それは、あの穴にいた頃の目に戻りかけている背中だった。
奪われる側の、目に。
……戻すか。
俺は、思った。
ここまで来て、こいつをまた、あの目に戻してたまるか。
法では、勝てない。
神の名にも、勝てない。
言葉で抗おうとすれば、罪が増えていくだけだ。
だが、それでも、道はある。
船に乗せられるというなら、港までは歩いて行く道があるということだ。
そして道の上では、法も、神も、鎖を握る兵も、結局はただの骨にすぎない。
骨は、棒だ。
棒は、骨だ。
俺は、灰の隣に座った。
座って、低い声で言った。
「灰。聞け」
灰の灰色の目が、俺を見た。
奪われる側の目に、まだ半分、沈んだままで。
「奪われたままで、消えるのは」
俺は、言った。
「もう、たくさんだ」
灰の目の底に、ほんのわずかだけ、光が戻った。
その光を、俺は知っている。
棒を握る時の、あの光だ。
俺たちは、法廷では負けた。
負けたが、まだ終わってはいない。
港までの道で、今度はこちらから。
抗いに、行く。




