第42話「罪に化ける」
拳で、勝てない相手が、いる。
骨は、棒だ。
そう教えてきたが、その棒が、まるで利かない相手もいた。
法と、群衆と、神の名を騙る者だ。
その相手が来た時、俺は生まれて初めて、自分の無力というものを、思い知らされた。
◆◇
昇格してから、半年が過ぎた。
その間、俺たちは、カルディスでよく稼いだ。
海沿いの魔物討伐。
商隊の護衛。
名が上がれば、舞い込む依頼の格も上がる。
おかげで、銭が貯まった。
貯まった銭で、俺は宿の一室を、月ぎめで借りた。
屋根のある場所で、灰が、眠れるようになったのだ。
壁を背にしなくても。
棒を抱かなくても。
……これで、いい。
そう、思いかけていた。
だが、そう思いかけた、まさにその朝に。
宿の扉が、叩かれた。
その叩き方は、宿の主のものじゃなかった。
拳じゃない。
鉄の、柄だ。
◆
扉の外に、兵がいた。
だが、領主の兵じゃない。
白と、紫の衣。
胸には、紫水晶の紋章。
……教会だ。
その兵の前に、痩せた男が、立っていた。
黒い法衣に、手には羊皮紙の束。
ひと目で、審問官だとわかった。
男は、俺たちを見るなり、羊皮紙を開いた。
開いて、抑揚のない声で、読み上げる。
「カラス、ならびに、レン」
「以下の、嫌疑により、これを、拘引する」
灰が、すっと棒に手を伸ばした。
その手を、俺は、上から押さえた。
ここで棒を出せば。
たとえ兵を何人倒したところで。
教会そのものを敵に回せば、もう、どこにも逃げ場がなくなる。
……読ませろ。
俺は、男の声を、最後まで聞くことにした。
◆◇
「禁じられた、文字を、記す板を、所持していた」
黒い板に刻んだ、あの縦線|のことだ。
ジューラが、別れ際にくれた、一本の線。
あれが、いつのまにか、呪いの符に化けていた。
「人の体を、刃で、開き、毒を、抜いた」
医術のことだ。
灰の脇腹を、縫った夜のこと。
救うための手が、呪術に化けた。
「来ぬ災いを、先に、知った。悪魔と、通じる者の、業である」
灰の、勘のことだ。
奪う者を、誰より先に見抜く目。
穴の底で、生き延びるために研ぎ澄ました、あの目。
あれが、悪魔との交信に化けた。
「魔物を、退けた村に、流行り病が、出た。被告らが、運び込んだものである」
……討伐の帰りに、立ち寄っただけの村だ。
病なんて、運んじゃいない。
だが、誰かが死ねば、よそ者のせいにできる。
「夜間、墓地を、徘徊し、死者を、暴いた」
倒した魔物の、素材を採った夜のことだ。
牙を抜き、皮を剥いだ。
あれが、墓暴きに化けた。
ひとつ、またひとつ。
俺たちが、ただ生きるためにしてきたことが、読み上げられるたびに、罪へと化けていく。
救った手が。
研いだ目が。
生き延びてきた、その全部が。
悪魔の業に、塗り替えられていった。
生きるためにしてきたことが罪に化けていく。
◆
審問官は、最後に、もうひとつ読み上げた。
いちばん、低い声で。
「王の、血統を、侮辱した」
俺は、思わず、聞き返しそうになった。
……王の、血統。
この子が。
流れの、奴隷の子が。
どうやって、王の血を侮辱するというのか。
王族になど、会ったことも、ないだろう。
馬鹿げている。
あまりに、馬鹿げた罪状だ。
なのに。
なぜか、背筋が、冷えた。
灰が、その言葉に、わずかに顔を上げたからだ。
言葉なんて、通じないはずなのに。
「王」という、その音にだけ。
この子の灰色の目が、ほんの一瞬。
遠い、どこか別の場所を、見た。
……気のせいだ。
俺は、そう思うことにした。
思うことにして、審問官に訊いた。
「召喚状は、来ていない。なぜ、いきなり、拘引する」
審問官は、顔を、上げもしなかった。
「被告は、三度の、召喚に、応じなかった」
「三度。そんなものは、来ていない」
「応じなかったこと、それ自体が」
男は、言った。
「神の、裁きを、恐れる、証左である」
……来てもいない召喚に応じなかったから、有罪。
最初から、答えは決まっているのだ。
逃げ道は、どこにもない。
この男は、結論を、はじめから手に持って、ここへ来ていた。
来てもいない召喚に応じなかったから有罪。
◆◇
兵が、俺たちを、ぐるりと囲んだ。
その時、宿の通りの向こうに。
見覚えのある外套が、あった。
仕立ての、良い。
プリズマの、貴族の外套。
クライス・ファルディンが、壁にもたれて、こちらを見ていた。
審査の、あの日と同じ目で。
欲しいものを、見つけた目で。
俺と、目が合った。
合うと、男は、薄く笑う。
そして、自分では何もせずに、背を向けて去っていった。
……お前か。
お前が、裏で糸を引いたのか。
あの夜、灰に負けたことを面白がった、あの時から。
この男は、拳でも剣でもない、別の手を使ってきた。
法と、神の、名を。
灰の棒は、その相手には、届かない。
届かないものに、俺たちは、囲まれていた。




