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灰のレン  作者: K3/KASANE
第三編・冒険者

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第39話「引く手」


 最初の男が異変に気づいた時には、もう、その膝が折れていた。


 灰の棒が、膝の継ぎ目を、的確に打っていたのだ。


 倒れていく男には目もくれず、灰は次の的へ踏み込む。


 二人目の、喉。


 三人目の、肘。


 骨の鳴る鈍い音が、続けざまに響いた。


 俺が教えた、あの一点ばかりを。


 誰に言われるでもなく。


 ためらいも、なく。


 俺も、走った。


 走って、灰の死角に回り込もうとした一人の、首をひねる。


 骨が、鳴る。


 二人で片づけるはずだった。


 だが、ふたを開ければ、ほとんど灰が、片づけていた。


 最後の一人が、鏝を掴んだ。


 武器のかわりに。


 二重の輪を灰へ突きつけて、何かを喚いた。


 売り物に傷をつけるな、とでも言ったのかもしれない。


 灰は、止まらなかった。


 突きつけられた鏝の輪を、棒で払う。


 払って、膝の裏を打つ。


 崩れ落ちる男の喉に、棒の先を、当てた。


 そして、止めなかった。


 ……止めろ、とは。


 言えなかった。


 言う資格が、俺にはない。


 骨は棒だ、と教えたのは、俺だ。


 急所を教えたのも、俺だ。


 だが、この容赦のなさだけは、俺が教えたものじゃない。


 穴が、教えたものだ。


 奪われ続けた五年が、この小さな体に刻みつけたものだ。


 俺はただ、その上に、棒を握らせた。


 すでに刻まれていた牙に、刃をつけてやっただけだ。


 俺が教えたものじゃない。


 穴が教えたものだ。


  ◆


 戦いが、終わった。


 立っているのは、俺と、灰だけ。


 六人の男が、地に伏している。


 灰は、血のついた棒を握ったまま、息ひとつ乱していなかった。


 その目は、水を飲む時と、同じだ。


 ただ静かに、檻の方を見ていた。


 俺は、檻の縄を、ナイフで切った。


 だが、子供たちは、出てこない。


 縄が解けても、膝を抱えたまま、じっと俺たちを見ている。


 こいつは奪う者か、それとも奪われる者か——その目で。


 ……無理もない。


 昨日まで、大人というものは、こいつらを攫う手だった。


 差し出された手が、いつ、引っぱたく手に変わるか。


 この子たちには、わからないのだ。


 俺は、動かなかった。


 ここで近づけば、また固まってしまう。


 動いたのは、灰だった。


 灰は、手にした棒を、地に置いた。


 そして、空いた手を、ゆっくり檻の中へ差し入れた。


 何も言わずに。


 ただ、手を開いて。


 いちばん近くにいる子の、目の前に。


 その子は、しばらく、その手を見ていた。


 指の足りない、灰の手を。


 見て、それから、おそるおそる、握った。


 握られた灰の手は、その子を引っぱたかなかった。


 ただ、引いた。


 檻の、外へ。


 ……お前は。


 かつて奪われる側にいた、その手で。


 いまは、奪われる子を、引いている。


 俺が棒を持たせた、その同じ手で。


  ◆◇


 俺たちは、子供たちを、ブルノヴィエまで送り届けた。


 井戸端で泣いていたあの女が、いちばん小さい子に、駆け寄った。


 駆け寄って、崩れるように、抱きしめる。


 その光景を、灰は、すこし離れたところから見ていた。


 誰かを抱きしめる手というものを、まるで初めて見るように。


 ……お前にも、いたんだろうな。


 あの女みたいに、お前の名を呼ぶ声が。


 穴に落とされる、ずっと前に。


 俺は、それを訊かなかった。


 訊いたところで、灰は答えられない。


 もう、覚えていないのだから。


 あの鏝の連中が奪っていったのは、自由だけじゃない。


 名も。


 顔も。


 呼んでくれた声も。


 ぜんぶ、あいつらが攫っていった。


 ……だが。


 まだ、ある。


 縦線一本にすり減らされても、それでも消えなかったものが。


 この子の中に、まだ、残っている。


 それをいつか、この子は、取り返しに行くのかもしれない。


 名も、顔も、声も。


 奪われた、ぜんぶを。


 俺は、灰の頭に、布をかけ直してやった。


 灰色の髪を、隠す。


 背中の、烙印も。


 いまは、まだ、隠して生きるしかない。


 だが、いつか。


 奪われたものを。


 俺たちは、取り戻しに、行く。


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