第33話「弱く見せろ」
強くなりすぎた子供を、どう隠すか——ルーウェインに着いてまず俺の頭を悩ませたのは、それだった。
ギルドの中に入ると、壁いっぱいに依頼の貼り紙がびっしりと並んでいた。
俺には、その半分も読めない。
文字を書く手は盗賊の二年でなまってしまったし、もともと読むのも得意じゃない。
それでも、添えられた絵と数字なら見当がつく。
下の段に貼られた紙ほど、報酬が安い。
その安い一枚に、簡単な絵が描いてあった。
青いしずくと、その下に剣が一本。
最下級——F級の討伐依頼だ。
俺はその紙を剥がして、受付へ持っていった。
座っていたのは、昨日俺たちを登録したのと同じ男だった。
「ブルースライムか」
男は紙を一瞥して言った。
「水場に湧いて、飲み水を汚すやつだ。新人向けだよ」
「ああ」
俺はうなずいた。
「子供連れでも死にゃしない。せいぜい臭いだけだ」
男が笑う。
俺も笑い返した。
——死にゃしない。
たしかに、そのとおりだ。
だが俺たちの場合、問題はむしろ逆だった。
灰は、俺の外套の裾を小さくつかんでいた。
ギルドの中に満ちた人いきれと、声と、匂いに、まだ慣れないらしい。
それでも、その目だけは妙に落ち着いている。
誰がどこに何人いて、出口はどこにあるか——それを一瞬で測ってしまう、いつもの「値踏みの目」だ。
穴の底で身につけた目だった。
……こいつなら、たぶん、あのスライムくらい一撃で潰せる。
俺が教えるよりずっと前から、灰は「骨は、棒だ」を体で知っていた。
力は、ある。
問題は、その力を誰にも見せないことのほうだ。
水場は、街の外れにあった。
ルーウェインは坂の上に築かれた街で、その坂を下りきった窪地に、湧き水が溜まっている。
近くの一軒家がその水を使っていて、依頼を出したのもその家の婆さんだった。
報酬は銅貨が数枚。
数枚あればパンが二つ買え、二つあれば今日と明日をしのげる。
それだけのことだが、いまの俺たちには大きかった。
盗賊だった頃の蓄えは、もうほとんど底をついている。
人の世で生きるのは、とにかく金がかかった。
宿代、飯代、塩、それに灰へ着せてやる布。
金が尽きれば飢える。
飢えれば、また奪う側へ逆戻りだ。
それだけは、二度としたくなかった。
水場の縁で、青いものがゆらりと揺れていた。
ブルースライムだ。
大人の頭ほどの半透明の塊が、ゆっくりと形を変えながら水を吸い込んでいる。
吸われた水は、見るまに青く濁っていった。
俺は灰に棒を握らせて、言った。
「やってみろ。だが、ゆっくりだ」
灰は棒を構えた。
だが、構えたまま動かず、こちらを振り向く。
「……なぜ」
短い問いだった。
なぜ、わざとゆっくりやるのか——そう訊いている。
俺は答えず、かわりに問い返した。
「お前が速いと知れたら、それを見た奴は、どう思う」
灰はしばらく考えてから、答えた。
「……強い、と思う」
「強い子供を、人はどうする」
灰の目が、すこし揺れた。
穴の底の記憶のほうへ、引き戻されたのだ。
奪うか、狩るか、売るか——こいつは、それを頭ではなく体で知っている。
強い子供を、人は、どうする。
奪うか。
狩るか。
売るか。
俺はそれ以上、言わなかった。
言えば説教になる。
答えは、こいつが自分で掘り当てればいい。
灰が、棒を動かしはじめた。
ゆっくりと、わざともたつくように。
棒の先でスライムをつついては退き、また間を置いてつつく。
誰がどう見ても、下手な新人の動きだ。
——だが、俺は気づいた。
灰のもたつきは、ただのふりじゃない。
棒の先は毎回、スライムの同じ一点を突いている。
半透明の体の奥に、青い核のような粒が一つ。
下手に見せかけながら、灰はその核の位置を正確に測っていたのだ。
俺は「隠せ」としか言っていない。
隠し方までは教えていない。
それを、こいつは自分で考えついた。
……末恐ろしい子だ。
最後の一突きで、灰は迷わず核を貫いた。
スライムはぐにゃりと形を失い、崩れて、ただの青い水に戻った。
俺は崩れた跡から核を拾い上げた。
親指の先ほどの、青い小石だ。
濡れた布でぬぐってやる。
これは売れる。
魔石は灯りにも薬にもなるから、F級の雑魚でも核だけは銅貨に換わる。
残った体のほうは——俺は指で少しすくって、舐めてみた。
……食える。
薄いが塩気があって、煮れば出汁が取れそうだ。
前世の医者の舌が、毒はないと告げていた。
飢えたときのために、知っておいて損はない。
灰が、俺の手元をじっと見ていた。
俺はすくったものを、その口元へ運んでやる。
灰は一瞬ためらってから、口に入れ、こくりと飲み込んだ。
「……しょっぱい」
ぽつりと言う。
俺は笑った。
「だろう」
濁った水も、半日もすれば澄むはずだ。
俺は婆さんの家へ戻った。
婆さんは銅貨を数えて俺の手に載せながら、灰をちらりと見た。
「……いい子だね。おとなしくて」
俺はうなずいた。
「人見知りでね」
嘘は、慣れている。
おとなしくて人見知りの子供——誰の目にもそう映ってくれればいい。
その下に何が眠っているかは、誰も知らなくていいのだ。
坂を上る。
手の中には銅貨が数枚、明日のパンだ。
灰が、半歩後ろをついてくる。
もう、棒を俺に向けることはない。
番号で呼ばれていた子が、いまは俺の連れだ。
冒険者の木札を持つのは、俺ひとり。
灰は、その子。雑役の手伝いの、まだ歳の足りない子供だ。
強さを隠し、名もない流れ者の群れにまぎれて——明日も俺たちは、この人の渦の中へ。
紛れに、行く。




