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灰のレン  作者: K3/KASANE
カラス編

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33/64

第32話「手放さなかった名」


「親子かい」


 それだけだった。


「ああ、まあな」


 背中に汗がにじんでいた。


 男は古い紙を一枚引き寄せた。


 次に、灰を見た。


「そっちは」


 灰の指が、俺の外套を強く掴んだ。


 俺は言おうとした。


 灰、と。


 俺が渡した名を。


 その時だった。


 小さな声がした。


「……レン」


 乾いた、かすれた声。


 めったに出さない声だ。


 灰が言った。


 俺は思わず灰を見た。


 布の下の目が、まっすぐ受付の男を見ている。


 もう一度、その口が動いた。


「レン」


 今度は、はっきりと。


 灰じゃなかった。


 俺が渡した名を、この子は消したわけじゃない。


 その奥から、別の名を出した。


 レン。


 俺の知らない名だ。


 番号でもない。


 灰でもない。


 この子が、自分で口にした名だ。


 俺が灰と呼んだ子は、もとからレンだったのだ。


 穴の底で。


 誰にも書かせず。


 誰にも消させず。


 胸の奥に、ひとつだけ握っていた。


 言えば奪われる。


 そういう場所で、この子は生きてきた。


 だから、言わずに守ってきた。


 その名を、いま。


 この子は自分から声に出した。


 奪われる場所では、言わないことが守ることだった。


 だが、ここでは言うことが、自分のものにすることだ。


 男は肩をすくめた。


「で、どっちだ」


 俺は少し笑った。


「両方だ」


 灰と、レン。


 二つの名が、紙に並んだ。


 ただし、それは冒険者の登録証ではない。


 宿を紹介するための控え。


 街の隅で、しばらく息をするための仮の紙だ。


 冒険者の札をもらったのは、俺ひとり。いちばん下の、最下級だ。


 灰の分はない。歳が、足りないからだ。


 それでも、紙にレンの名が残った。


 俺の書けない手の代わりに。


 この子の、まだ書かない手の代わりに。


 ギルドを出ると、日が暮れかけていた。


 酒場の軒先に、冒険者たちがたむろしている。


 泥と返り血で汚れている。


 樽に腰かけて酒をあおっていた。


 誰も、レンを見ない。


 逃げた奴隷にも、売り物にも、興味がない。


 ただ疲れていて。


 ただ飲みたいだけだ。


 灰の目から、ほんの少し力が抜けた。


 この世界には、奪う者と奪われる者と。


 それから、ただくたびれた者もいるらしい。


 俺たちも、その中に紛れればいい。


 灰は、まだ冒険者ではない。


 まだ、ただの逃亡者だ。


 それでも。


 カラスと、灰。


 そして、レン。


 名さえあれば、少しだけ紛れられる


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