表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰のレン  作者: KASANE
カラス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/54

第26話「片腕の構え」


 子が、目を覚ました。


 覚ましたのは、左目だけだった。


 右の目は、もうない。


 残った左目は、金色に近い灰を帯びていた。


 眠りの靄はなかった。


 覚めた瞬間から、その目は澄んでいる。


 澄んだまま、警戒していた。


 寝ぼけは、ひとつもない。


 目が、まず天井をなぞる。


 壁。


 棚。


 火。


 出口。


 最後に、俺。


 俺を捉えた瞬間、子の体が動いた。


 床に落ちていた薪を掴む。


 掴んだ薪を、剣のように構えた。


 片手で。


 左腕のない体で。


 薪の先が、まっすぐ俺の喉を指している。


 俺は動かなかった。


 動けなかったのではない。


 動かない方がいいと、体が判断した。


 この子は、脅しているのではない。


 生きる姿勢を取っている。


 俺は両手を上げた。


 ゆっくり。


 見えるところに。


「大丈夫だ」


 言葉は通じない。


 分かっている。


 分かっていても、声は出した。


 声の高さが、刃より先に相手へ届くことを、俺は知っていた。


「取らない。何も、取らない」


 子の目は動かない。


 その目の底に、俺が二年で見慣れたものがあった。


 恐怖だ。


 だが、この子の恐怖は少し違う。


 震えていない。


 震えずに、構えている。


 何度も、こうしてきた目だった。


 ◆◇


 警戒したまま、一時間が経った。


 子も、俺も、動かない。


 上げた両手が、だんだん重くなってくる。


 だが、下ろせば薪が来る。


 だから、下ろさない。


 子の構えも揺れない。


 揺れないが、薪の先だけは少しずつ下がっていく。


 体力が削れている。


 その間、俺は子を観ていた。


 医者の目が、勝手に観てしまう。


 頬はこけている。


 唇は乾いて、ひび割れている。


 肩で浅く息をしている。


 脇腹には、俺が縫った傷。


 縫い目はまだ赤い。


 赤いが、膿んではいない。


 膿んではいないが、確かめたい。


 そう思った時には、手が動きかけていた。


 医者の手だ。


 傷に触れて確かめる手。


 前世で、何千回も伸ばした手。


 その手が伸びかけた瞬間。


 薪の先が跳ね上がった。


 下がりかけていた先が、まっすぐ俺の喉へ向く。


 止まれ。


 俺は手を止めた。


 止めて、ゆっくり元の位置へ戻す。


 戻しきるまで、薪は下りなかった。


 触れたい手を、止めること。


 いまの俺にできる手当ては、それだけだった。


 前世の俺は、動かなかった。


 動けと言われるまで、動かなかった。


 だが、いまは違う。


 動きたい手を、自分で止めている。


 同じ動かないでも、これは俺が選んだ動かないだ。


 この子に要るのは、診断じゃない。


 水と、時間だ。


 ◆◇


 先に動いたのは、子の喉だった。


 ごくり。


 唾を飲み込む音がした。


 乾いた喉が、小さく鳴る。


 その音を、子自身が聞いた。


 目だけが、床の器へ動く。


 器には水がある。


 俺が汲んでおいた水だ。


 子は薪を構えたまま、器へにじり寄った。


 寄るなり、空いた片手で器を奪う。


 奪って、口へ運ぶ。


 がぶがぶと喉を鳴らして飲んだ。


 水が口の端からこぼれる。


 こぼしても、構わず飲む。


 飲む間も、薪の先は俺に向いたままだ。


 武器は下ろさない。


 賢い。


 いや、違う。


 奪うことに慣れている。


 俺は動かなかった。


 動けば、この均衡が壊れる。


 ◆◇


 水を飲み終えて、子は立とうとした。


 だが、体が傾く。


 脇腹だ。


 俺が縫った、あの傷。


 傷が、立つことを許さなかった。


 子の膝が床に落ちる。


 落ちても、薪だけは離さない。


 手の甲に、青い血管が浮いている。


 その下に、脈があった。


 弱い。


 弱いが、ある。


 ある。


 俺は黒い板を出した。


 白い石で、線を引く。


 |


 一本の縦線。


 それを、子に見せた。


 子は見なかった。


 見なくても、俺はその線を消さない。


 消さなければ、ある。


 この子は、まだある。


 俺も、まだある。


 縦線を板の上に残したまま、俺は子から離れた。


 壁を背に座る。


 ここから先は、この子が決めることだ。


 逃げるのも。


 留まるのも。


 俺は決めない。


 決めれば、また奪う側に戻ってしまう。


 戻らないために、俺は待つことにした。


 待つ。


 前世の俺は、それを知らなかった。


 命じられるまま頭を下げた。


 詫びて、何も決めずに死んだ。


 だが、いまは違う。


 決めないことを、自分で選んでいる。


 消されなかった一本の線が。


 ふたつの命を、数えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ