第23話「残った三つ」
百年という時間を、私は、削られた身体の数で測れる。
左の腕。
右の目。
右の手の、人差し指。
背中の、二つの烙印。
それを、いまの私は、こうして書ける。
書けるのは、削られた順を、私が覚えているからだ。
最初に焼かれたのは、背中。
次に潰したのは、大男。
その次に抉ったのは、人ではないもの。
左の腕。
右の目。
右の手の、人差し指。
背中の、二つの烙印。
削られた順を、私は、覚えている。
◆◇
穴の中に、いちばん大きい男がいた。
その男を、私は、内側で「大男」と呼んでいた。
大男は、落ちてくる骨の、いちばん良いところを取る。
誰も、逆らわない。
逆らった者は、動かなくなった。
そうなった者を、私は、何人も見ていた。
◆ ◇
その日の骨は、大きかった。
その骨には、肉がたっぷり付いている。
そのたっぷりの肉に、皆が群がった。
その隙に、私は、骨の端を掴んだ。
掴めたのは、私の手が、もう届く手になっていたからだ。
骨を棒にした夜から、私の手は、遠くまで届く。
その届く手は、その日、いちばん良い骨に、届いてしまった。
その手の上に、影が落ちた。
影は、大男だった。
その手が、私の手を、骨ごと岩に押さえつける。
押さえつけられた私の指の上に、大男が、足を載せた。
その足が、ゆっくりと、踵をねじる。
ねじられた指の関節が、鈍い音を立てた。
ごり、と。
音の後で、痛みが来た。
痛みは、いつも遅れて来る。
その痛みを、私は、声に出さない。
出せば、見つかる。
見つかれば、奪われる。
その時の私は、もう、それを体で知っていた。
知っていたから、声の代わりに、歯を食いしばった。
大男は、骨を取って、岩陰へ戻っていった。
その背中は、私を見もしない。
残された私の手の中で、右の手の人差し指が、潰れていた。
潰れたその指は、もう、まっすぐには戻らない。
届く手は、見られる。
見られた手は、潰される。
◆ ◇
潰れた指の先から、赤いものが滲んでいた。
その赤を、私は知っていた。
——このままにすると、腐る。
腐った者は、動かなくなる。
私は、動かなくなりたくなかった。
穴の隅に、火のある場所があった。
誰かが落とした火種を、古参が絶やさずにいる場所だ。
その火まで、私は這った。
そして、その先で、潰れた指を、火に近づけた。
指の先が、焼ける匂いを立てる。
その匂いを、私は知っていた。
四年前、夢の中で、私の背中が、同じ匂いを立てたからだ。
その匂いの中で、私は、指を火から離した。
離した指は、もう滲まない。
滲まないかわりに、指が、一本、足りなくなっていた。
抱えた私の指は、三本になっていた。
それでも、親指だけは、残っている。
親指は、骨を支える時に要る。
要るものを、私の体は、残したのだ。
残したのは、私の意志ではない。
体が、勝手に、要るものを残した。
残った親指と、三本の指で、私は、骨を握り直した。
その骨は、岩より冷たい。
冷たいその骨を、握る。
握れた。
まだ、握れた。
潰された手でも、骨の先は、まだ届く。
届くということを、私は確かめた。
確かめないと、眠れなかったからだ。
◆ ◇
穴の底に、いるのは、私たちだけではなかった。
動かなくなった者が増えると、暗い奥から、別のものが来た。
来る前に、まず匂いが来る。
甘くて、腐ったような匂いだ。
その匂いがすると、古参たちは、岩陰でじっと動かなくなる。
動かないのは、息を殺すためだ。
私も、息を殺した。
そして、その先で、それは来た。
三体、いた。
人の形を、している。
しているが、人ではない。
肌は、土気色。
目は、白く濁っている。
その下で、黒い舌が、垂れていた。
それたちは、動かない者の方へ進む。
その者を、引きずって、口をつけた。
その音を、私は聞いた。
聞きながら、私は、動かない者の間に嵌った。
嵌って、自分も動かない者の、ふりをする。
四年前、隠れていろ、と、私の中の何かが言った。
その声を、私はいまも信じている。
信じて、私は、息を薄くした。
薄くしたその息の上を、土気色の手が、撫でた。
その手が、私の顔で、止まる。
止まったその指の先が、私の右の目に、入った。
その先で、何かが、抉れた。
抉れた目から、熱いものが流れる。
流れても、私は動かない。
動けば、私は、死肉ではなく、獲物になる。
獲物になれば、目だけでは、済まない。
だから、私は、動かなかった。
動けば、獲物になる。
獲物になれば、目だけでは、済まない。
動かないまま、私は、残った片目で、それを見ていた。
それは、私の隣の、動かない者を選んだ。
選んで、引きずって、暗い奥へ戻っていく。
戻ったその匂いが、薄くなるまで、私は動かなかった。
薄くなってから、私は、右の目を左の手で覆った。
その目は、もう、何も映さない。
その代わりに、私は、左の耳で、奥の暗がりを聞いた。
——あれは、また来る。
——次は、目だけでは、済まない。
その音を、私は覚えた。
◆ ◇
削られても、残ったものがある。
残ったのは、三つだけだった、と、いま書ける。
腹が、減ったこと。
眠りたかったこと。
死にたく、なかったこと。
その三つだけは、削られなかった。
腹が、減った。
眠りたい。
死にたく、ない。
削られなかったのは、その三つだけだ。
その削られなかった三つを、私は、両手で抱えた。
両手のうち、片方は、指が一本足りない。
だが、足りない手でも、骨は握れた。
握れたのは、親指が残っていたからだ。
残ったその親指で、私は、骨を握る。
その先を、暗い奥に向けた。
向けたその先に、また、来るものがいる。
来るそのものに、私はもう、目を半分しか向けられない。
それでも、半分の目で、私は見る。
見て、残ったものを、握りに、行く。




