第13話「岩の天井」
腹が鳴った。
小さな音だった。
でも、私の中では大きかった。
腹の奥に、何かがいる。
ずっと叫んでいる。
食べろ。
食べろ。
食べろ。
言葉ではない。
でも、そう言っているのは分かった。
私は腹を押さえた。
押さえても、音は消えない。
腹はまた鳴る。
私は目を閉じた。
閉じても鳴る。
だから、あきらめて目を開けた。
暗い。
岩。
冷たい空気。
上のほうに、少しだけ薄い光。
それだけだった。
◆◇
暗闇に目を慣らす。
少しずつ、形が出てくる。
岩肌。
格子。
人影。
人影はたくさんあった。
最初は、岩だと思った。
でも違った。
人だった。
みんな、横になっている。
動かない。
動かない人。
動かない人。
動かない人。
私はそれを見ていた。
その時の私は、まだ死という言葉を知らなかった。
だから、動かない人としか思わなかった。
私の下にもいた。
柔らかい。
人の形をしている。
私は、その顔を見た。
目が開いていた。
でも、何も見ていない。
私はその目を見つめた。
見つめても、その目は私を見なかった。
少しだけ安心した。
見られていない。
それだけで、安心した。
◆◇
その時だった。
上の格子が鳴った。
ぎい。
重い音。
私は縮こまった。
考えるより先に、体がそうした。
上から何かが落ちてくる。
どさり。
鈍い音。
続いて、固いものが落ちた。
かん。
岩に当たって、跳ねて、転がる。
その音を聞いた瞬間。
暗闇が動いた。
人影が動いた。
さっきまで岩だと思っていたものが、一斉に動き出した。
這うように。
獣みたいに。
光の方へ向かっていく。
速かった。
みんな痩せている。
骨ばっている。
なのに速い。
速くて、怖かった。
◆◇
私は動かなかった。
動けなかった。
だから見ていた。
先頭の二人が、落ちてきたものへ辿り着く。
ひとりは、片足を引きずっていた。
もうひとりは、右腕がなかった。
二人とも、私より大きい。
大人だった。
片足の男がしゃがむ。
落ちてきたものを掴む。
それは人だった。
新しい人。
私みたいに、上から落とされた人。
その人は動かなかった。
片足の男は、服を剥いだ。
乱暴に。
早く。
奪われる前に奪うみたいに。
右腕のない男は、別のものを拾った。
かたい音。
乾いた音。
噛む音。
私は目を細めた。
男の口の中に、何かがある。
黒い。
小さい。
男はそれを夢中で噛んでいた。
幸せそうな顔だった。
私は見た。
見ながら思った。
あれは何だろう。
食べ物だろうか。
食べ物なら。
私も欲しい。
腹が鳴った。
また鳴った。
男たちは何かを奪い終えると、すぐ暗闇へ戻った。
戻る時、一度もこちらを見なかった。
私は隠れていた。
動かない人たちの間に、すっぽり埋まっていた。
◆◇
その日、私はひとつ覚えた。
動くと、見つかる。
見つかると、奪われる。
だから動かない。
隠れる。
息を消す。
それだけ。
誰も教えてくれない。
でも、体が知っていた。
その知っているものだけで、私は生きていた。
◆◇
時間が経った。
どれくらいかは分からない。
ここには時計がない。
太陽も見えない。
朝も、昼も、夜も、分からない。
分からないまま、腹だけが鳴る。
何度も。
何度も。
何度も。
私は目を閉じた。
夢を見ようとした。
レン様。
そんな音を思い出そうとした。
けれど、腹の音が邪魔をする。
腹。
腹。
腹。
それしかない。
夢より先に、腹がある。
名前より先に、腹がある。
私は混乱した。
私は誰だろう。
832番。
レン。
わたし。
どれだろう。
考える。
でも、腹が鳴る。
考えられない。
腹が鳴る。
また鳴る。
◆◇
ある時、すぐ近くで音がした。
ごり。
かたい音。
私はそっと見る。
暗闇の中に、人がいた。
子供だった。
私より、少し大きい。
その子供が、何かを噛んでいる。
夢中だった。
私は目を凝らした。
何を食べているのか、知りたかった。
腹が鳴るからだ。
見えた。
白かった。
細かった。
その先に、小さな指がついていた。
私は意味が分からなかった。
分からないまま、見続けた。
子供は噛む。
ごり。
ごり。
ごり。
音が響く。
その音を聞くたび、私の腹も鳴った。
私は目を逸らした。
逸らしたのに、耳が音を追う。
ごり。
ごり。
ごり。
腹が鳴る。
私は、隣の動かない人を見た。
細い腕。
細い指。
冷たい肩。
目は開いたまま。
動かない。
私はその人を見た。
見ていた。
見ているうちに、腹が鳴った。
また鳴った。
何度も鳴った。
すると、何かが浮かんだ。
考えたのではない。
腹の奥から、勝手に浮かんだ。
私は、その人の腕を見た。
細い。
白い。
指もある。
手のひらもある。
全部ある。
しばらく見ていた。
見ているうちに、腹が鳴った。
その時。
私の視線が、腕から少しだけ上へ動いた。
私はまだ、それが何なのか知らない。
知らないまま、ただ思った。
おいしそうだ。
その瞬間。
腹が、大きく鳴った。




