第16話「金の流れ」
数えの目が、軍の金の流れに、引っかかった。
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イルムガルト少佐が、私にひとつ仕事を回した。
兵站の帳簿の、書き写しと、突き合わせだった。
本来、新参の下級士官の仕事ではない。だが、私の数えの目をあの人は使えると見たらしい。古参は、嫌な顔を、した。なぜ、あんな女に、と。だが、少佐の指図には、逆らえなかった。古参の序列も、少佐の前では、引っ込んだ。
私は、その帳簿を、開いた。
軍の物資が、どこから来てどこへ行くか。何を、いくらで誰から買ったか。びっしりと、数が、並んでいた。
向こうの帳面だ、と私は思った。
世界の側が、人と物を数えるあの帳面。軍の、戦争帳簿。私の懐の、読めない帳面とはまるで別のものだった。こちらは、すべてが、読める。読めるように、できている。誰に、何を、いくら払ったか。一行ずつ、はっきりと。
私は、その数をひとつずつ指で追っていった。
追ううちに、引っかかるものが、出てきた。
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武器や、糧秣の値が妙だった。
同じ物が、ある商会から買うと、よその倍の値がついていた。なのに、軍はその高い商会から買い続けていた。安い方からは、買わない。なぜか。帳簿には、その理由は、書いていなかった。ただ、高い値だけが当たり前のように並んでいた。
運び賃にも、おかしな膨らみがあった。
近い道を通れば、安く済むはずの荷がわざわざ遠回りの道を使っていた。その分の運び賃が、上乗せ、されていた。では、その遠回りの道を誰が押さえているのか。通すたびに、誰が銭を取っているのか。それも、帳簿には、書いていなかった。
数えの目が、ざわついた。
私は、ひとつの取引を選んでたどってみた。
ある月の、矢の代金だった。軍は、たしかにその矢を受け取っている。数も、合っていた。だが、払った先が、妙だった。代金は、いちどある商会に払われその商会からまた別の名へ移っていた。矢を作った職人へ、ではない。職人へ渡る分は、ずっと、少なかった。間に立った名が、いくつもあってそのたびに金が少しずつ目減りしていた。
間に立つだけで、何もせず銭だけ取る。
商いでは、そういう者をただ取りの口と呼んだ。物を動かさず、流れの途中にただ、手を差し込む。差し込んだ分だけ、抜く。一人なら、知れている。だが、いくつも重なれば矢一本の値が職人の手取りの何倍にも、膨らむ。その膨らみを、払っているのは、軍だ。そして、軍の銭はもとをたどれば王国の民の銭だった。
これは、見たことのある形だ、と私は思った。
海の向こうで、私はよく似たものを見た。
あの、飢饉の時だ。
麦の値が、わけもなく、吊り上がった。安い麦は、なぜか、市に出てこなかった。誰かが、流れを、握っていた。商館が、神官の網がそして、その奥の顔の見えない何かが。一見、ばらばらに見える取引がたどっていくと、ひとつの手に繋がっていった。
その手は、飢えで人が死ぬのを、止めなかった。
死んでも、その手は、儲かったからだ。人の命より、帳簿の数の方が、重かった。
いま、目の前の帳簿も、同じ匂いがした。
高い商会。遠回りの、運び賃。膨らんだ値。誰かが、戦の物資の流れを、握っている。握って、そこから、抜いている。戦が、長引けば長引くほどその誰かは儲かる。
だから、戦は、止まらないのかもしれない。
あの、勝てる場での、退却命令も。もしかすると、これと、繋がっているのかもしれない。兵が死ぬのは、その手の勘定の外だった。
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背筋が、寒くなった。
飢えで人が死ぬのと、戦で人が死ぬのと。回している手は、もしかすると、同じ形をしているのではないか。
商館。神官の網。その奥の、黒い顔のない何か。
私は、その奥を、見ようとした。
だが、帳簿の数はそこで途切れていた。どの取引も、ある先までは、たどれる。だが、その先は紙の上からふっと、消える。まるで、誰かがわざと、そこで足跡を消したように。たどらせない作りに、なっていた。
駒には、盤の全部は、見えない。
私は、いま軍という大きな盤のひとつの駒だった。駒の場所からは、盤の隅しか、見えない。盤の全体を、上から見下ろしているのが誰なのか。それは、まだ、見えなかった。
だが、見えなくても、いる。
飢えの時も、いた。きっと、戦の時も、いる。盤を見下ろし、駒を動かし人が死ぬたびに帳簿の数をひとつずつ増やしていく手が。
私は、能面のまま帳簿を閉じた。
軍人の私には、これ以上追う手立てがなかった。商人なら、もっと深く流れを追えた。人を使い、銭を使い奥の手までたどれた。だが、軍規がそれを阻んだ。受け持ちの外に、首を、突っ込むな。お前の仕事は、書き写しだ、と。
私は、その日見た数を頭の奥にしまった。
いつか、もっと近くでこの盤を見られる日が来るかもしれない。来たら、その時こそ、追う。来なければ、それまでだ。数えた目は、忘れない。忘れないことだけが、いまの私にできるただひとつの抵抗だった。
ただ、ひとつだけ強く引っかかることがあった。
あの、勝てる場での、退却命令。あれも、もしかすると、この帳簿の続きにあるのではないか。戦が長引けば、矢も、糧秣も、もっと要る。要れば、間に立つ者たちがもっと、儲かる。勝って、戦が早く終わればその儲けは消える。
だとすれば、勝たせたくない手がどこかにあることになる。
兵が、勝とうとするのを上のどこかでそっと、退かせる手が。
まさか、と私は思った。だが、まさか、と思いきれない自分も、いた。数えの目は、いちどざわつくと、なかなか収まらない。私は、その引っかかりも、頭の奥の同じ棚にしまった。退却命令の、本当の理由をいつか、この数えで突き止める日のために。





