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灰のレン ~転生医師に拾われた片腕片目の奴隷少女が、百年をかけて神になるまで~  作者: K3/KASANE
第七編「旗は誰のものか」

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第7話「侮り」

 

 古参の下士官たちの嫌がらせは、すぐに始まった。


 ◆


 表立っては、来なかった。

 それが、いちばんたちが悪い。正面から殴ってくる相手なら、殴り返せる。理由も、はっきりする。だが、こそこそやる相手は、つかまえどころがない。やったという証も、残さない。

 まず、私の隊への配給が、回ってこなくなった。

 手配したはずの飯が、途中で別の隊へ流れていた。誰の指図か、証はない。流れの変わり目を見れば、どこで誰が手を入れたかは、おおよそ見当がついた。数えの目は、こういう時に役に立つ。誰が、いつ、何を、どれだけ。それを追えば、消えた飯の行き先が、影のように浮かんでくる。

 次は、集合の時刻だった。

 私にだけ、わざと違う刻限が伝えられた。皆がもう並んでいる場所へ、私と十人だけが、遅れて着く。新参の隊はたるんでいる、と古参が嗤う。新参の女が率いるから、こうなる、と。

 装備にも、細工があった。

 私に回ってきた剣は、刃こぼれのひどいものだった。柄も、ぐらついていた。隻腕の婆さんには、これで十分だろう、というわけだ。


 ◆


 私は能面で、受けた。

 怒らなかった。正しくは、怒っていた。だが、顔には出さなかった。怒りを通り越すと、私は静かになる。手が震えない。頭の芯だけが冴える。その冷たさで、私はひとつずつ、対処した。

 配給が回らないなら、回る道を自分で作った。十五年の伝手は、軍の中にも、細く伸びている。荷を動かす者、銭を扱う者。そういう者には、どこの軍にも、必ずいる。彼らとは、命令ではなく、貸し借りで話ができた。

 集合の刻限は、二重に確かめた。古参の口だけを信じない。複数の筋から、裏を取る。商いと同じだ。ひとつの相手の言葉だけで、動かない。値も刻限も、いつも別の筋で、確かめる。

 刃こぼれの剣は、自分で研いだ。

 夜、皆が寝てから。三本の指で砥石を握って、ぐらつく柄を締め直し、刃をきれいに研ぎ上げた。古参が嫌がらせのつもりで渡した剣を、私は、誰よりよく切れる剣に変えた。意趣返しではない。生きるための、当たり前の手当てだ。鈍らな刃は、いざという時、自分を殺す。道具を粗末にする者から、先に死ぬ。それは、盗賊の頃からの、鉄則だった。

 ヨナスが、それを見ていた。

「……隊長は、怒らないんですか」

 ヨナスが、小声で聞いた。火のそばで、膝を抱えて。

「怒っているさ」と、私は答えた。研ぐ手は止めなかった。

「ただ、いま怒っても、何も変わらない。だから、研いでいる」

 ヨナスは、それきり黙った。だが、その夜から、ヨナスも自分の剣を研ぐようになった。少年は、よく見ている。言葉より、手の動きを見て、覚えていく。私が、カラスからそうしたように。教えるとは、たぶん、こういうことだ。口で言うより、手を、見せること。


 ◆


 女騎士に初めて会ったのは、その頃だ。


 ブリギッテ・フォン・ファルケンシュタイン。

 名門の出の騎士だった。男ばかりの軍で、実力で地位を得た女だという。背が高く、姿勢がまっすぐだった。鎧の手入れが、行き届いている。歩き方ひとつで、どれだけ訓練を積んだかが分かる。剣の振り方を見れば、なお分かる。素人ではない。何年も、自分の体を剣に作り変えてきた者の、動きだった。私とは、生まれも育ちも、何もかもちがう女だった。

 その騎士が、ある日、私の前で足を止めた。

 上から下まで、私を見た。隻腕。三本指。年のいった新参の女。

 古参の嗤いとは、別の目だった。古参は、私を戦力外と侮り、笑って、安心する。この騎士は、ちがった。笑わなかった。

「あなたが、噂の」

 ブリギッテは言った。声に、冷たさがあった。

「商人あがりの、隻腕の下士官。頭数が足りないからと、こんな者まで士官にする。軍も、地に落ちたものね」

 私は答えなかった。

 ブリギッテは続けた。

「言っておくわ。戦場は、商いの卓ではない。値切りも、駆け引きも通じない。剣の届かない者は、死ぬ。あなただけならいい。だが、あなたの預かった連中まで、道連れにする」

 誇り高い女だ、と私は思った。

 その誇りが、本物であることも、分かった。この女は、口先で侮っているのではない。本気で、私を危ういと思っている。隻腕の素人が、十人の命を預かることを。十人の中の、ヨナスのような少年が、私の不手際で死ぬことを。

 それは、ある意味で、正しい心配だった。

 だから私は、言い返さなかった。能面のまま、頭をわずかに下げた。心配は、受け取った、という意味の礼だった。

 ブリギッテは、その反応が意外だったらしい。一瞬、眉を寄せた。言い返してくると、思っていたのだろう。商人なら、口がうまいはずだ、と。だが私は、黙って、頭を下げただけだった。

 ブリギッテは、それきり、背を向けて去っていった。鎧の音が、規則正しく、遠ざかっていった。


 ◆


 いつか、この女とは話せる気がした。

 根拠はなかった。ただ、侮り方がちがった。古参のように、弱い者を嗤って安心する侮りではない。この女の侮りは、強さを、本気で問う侮りだった。お前に、その資格があるのか、と。

 強さを問う相手とは、いつか、強さで答えられる。

 だが、それは今ではない。

 今の私は、まだ、ただの隻腕の新参だ。問いに答える場は、まだ来ていない。手合わせも、初太刀も、まだ先のことだ。言葉で「私は強い」と言っても、何の意味もない。商いと同じだ。口で言う値には、誰も金を払わない。払うのは、物を、見せてからだ。

 来るまでは、能面で受ける。

 六十年、そうしてきたように。


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