第3話 後編「医者の魂」(三)
子の脇腹の布を、めくった。
その下に、傷。
傷は、もう矢じりが抜かれていた。
抜かれた跡は、矢じりを押し戻して抜いた跡。
返しを傷の奥で回避して、抜いてある。
回避の仕方は、教科書通り。
前世の、外傷外科の本。
その通りに、誰かがこの子を処置していた。
処置した、誰か。
名前を、俺は知らない。
知らないが、その誰かは経験で覚えた人間だ。
経験で教科書通りのことをできる人間は、ふたつにひとつ。
——天才。
——必死。
震えながら、必死で、矢じりを、押し戻した、誰か、がいた。
俺は、後者だと思った。
処置の跡の丁寧さの奥に、震えの痕跡が見えたからだ。
——感謝する。
心の中で、頭を下げた。
そのまま、傷を見続ける。
傷の奥に、毒が残っていた。
毒は、変色している。
その部分を、俺は切り取ることに決めた。
左手で、傷の縁を開いた。
その縁に、黒曜石の一枚目の薄片を当てる。
次の瞬間、刃は皮膚を通り抜けた。
刃が皮膚を切るというより、細胞と細胞の間をするりと通る感覚。
その感覚を、俺は知らない。
前世で握ったのは、ステンレス鋼のメスだけ。
ステンレス鋼の刃は、皮膚を引き裂く。
いま、その手応えがない。
ないのが、不思議だった。
不思議だが、刃は確かに進んでいる。
刃の奥で、子の皮膚はほとんど出血しない。
刃が、毛細血管の間をすり抜けて通っていたからだ。
その刃の後ろで、子の皮膚は薄く開く。
下に、毒の滲んだ組織が見えた。
その組織を、俺は鉗子に似たものの先でつまんだ。
つまんで、引き出す。
引き出した組織は、変色している。
それを、黒曜石の二枚目の薄片で切り取った。
切り取った組織を、布の上に置く。
その色は、ほぼ黒。
それから、傷の奥を見た。
その奥に、新しい毛細血管の断面。
断面は、きれいだった。
刃が、引き裂かなかったからだ。
——この刃は、医学の未来から来た刃だ。
未来から来た刃が、いま、中世の、子供を、救って、いた。
未来から来た刃が。
中世の、子供を、救っていた。
救う刃を、俺は子の体の外で止めた。
刃の面に、力をかけないため。
力をかければ、刃は割れる。
割れた破片が子の体内に残れば、それは感染源になる。
なる前に、二枚目の薄片を布の上に置いた。
置いてから、傷の奥に破片が残っていないか確かめた。
その目で、奥のすべての隙間を見る。
どの隙間にも、黒い欠片はない。
それを確かめて、俺は息をついた。
◆
毒の残りを、俺は絞り出した。
傷の両側を、押す。
この押す動作を、俺は教わった覚えがない。
覚えがないが、手は動いた。
動いた手の押し方は、優しい。
子の体が、もうほとんど力を残していなかったからだ。
出てきた液は、黒い。
それを、布で吸わせた。
その布を、別の布と交換した。
交換を、三回繰り返す。
三回目で、出てくる液の色が薄くなった。
毒が、ほぼ出きった合図。
ガラス瓶の一本目のワインを、傷の奥に注いだ。
注いだワインが、傷の内側を洗う。
その液を、布で受けた。
布を、また交換した。
繰り返してから、二本目の酢を傷の縁につけた。
縁の皮膚に、酢を染ませる。
外側の、消毒。
最後に、三本目の蜂蜜を出した。
蜂蜜を、別の布に塗った。
その布を、傷の奥に詰めた。
それが、傷の内側で湿布として働く。
それを、俺は知っていた。
前世の知識と現地の知識が、ここで一致したからだ。
一致したのは、不思議だった。
不思議だが、ありがたかった。
だが、まだ終わっていない。
子の呼吸は、浅いまま続いていた。




