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灰のレン  作者: K3


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第3話 後編「医者の魂」(二)


 山小屋に戻るまで、子は一度も目を覚まさなかった。


 小屋の床に、俺は子を寝かせた。


 寝かせて、棚の前に座る。


 道具を出して、机に並べた。


 並べた道具は、六つ。


 ——ナイフ。


 ——短刀。


 ——鉗子に似たもの。


 ——針。


 ——糸。


 ——ガラス瓶、三本。


 六つを、俺は見た。


 見ながら、頭の中で別の六つを思い出していた。


 前世の手術室の卓に並んでいた、六つ。


 ——メス。


 ——止血鉗子。


 ——鑷子。


 ——持針器。


 ——剪刀。


 ——開創器。


 それを、頭の中で並べる。


 並べてから、ひとつずつ置き換えていく。


 ——ナイフは、メスになる。


 皮を剥ぐための薄い刃が、ここではメスになる。


 ——短刀は、メスの予備になる。


 刃が太いから、本番には使わない。


 使うのは、緊急の時だけだ。


 ——鉗子に似たものは、止血鉗子にも鑷子にもなる。


 二役を、ひとつの道具にさせる。


 ——針は、針。


 弓のように曲がった針。前世の外科の針と、同じ形。


 ——糸は、亜麻。


 亜麻なら、後で抜糸がいる。


 必要なら、戻ってきて抜く。


 ——ガラス瓶、三本の中身は、ワインと蜂蜜と酢。


 ワインは、洗浄液になる。


 蜂蜜は、湿布になる。


 酢は、消毒になる。


 置き換えを終えて、足りないものを数えた。


 剪刀、開創器、吸引、麻酔、光、無菌。


 六つが、ない、と、俺は、書いた。






 剪刀。開創器。吸引。麻酔。光。無菌。


 六つが、ない、と、俺は、書いた。






 足りない六つを、もう一度置き換える。


 ——剪刀の代わりに、ナイフの刃で糸をこする。


 ——開創器の代わりに、俺の左手を使う。


 ——吸引の代わりに、布で吸わせる。


 ——麻酔の代わりに、子の意識がないことを利用する。


 ——光の代わりに、火を近づける。


 ——無菌の代わりに、全部を火に通す。


 置き換えが、終わった。


 もう、現代の手術室のことは考えない。


 ここにあるものだけで、やる。


 そう、決めた。


  ◆


 決めた、けれどもまだひとつ残っている。


 残っていたのは、棚の奥の隅。


 そこに、布のかたまりがあった。


 それを、俺は机に出した。


 布を開く。


 中に、黒い石。


 黒い石は、ふたつ。


 大きさは、それぞれ俺の手のひらの半分ほど。


 ——黒曜石。


 名前を、俺は知っていた。


 前世の医学雑誌で、読んでいたからだ。


 読んだのは、最先端の眼科手術の論文。


 論文には、こう書いてあった。


 ——黒曜石の刃は、ステンレス鋼のメスより百倍鋭い。


 ——刃の厚みは、三ナノメートル。


 ——細胞を引き裂くのではなく、細胞の間を通る。


 二年前の夏の夜、俺は商隊を襲った。


 その商隊は、火の山の麓の国から来ていた。


 隊商の革袋の底に、黒い石がふたつ。


 仲間たちは、上の銀貨と布だけを取った。


 底の黒い石には、見向きもしない。


 ただの割れやすい石にしか、見えなかったからだ。


 見えていたのは、俺だけ。


 俺は、黙ってふたつとも自分の革袋に入れた。


 その俺を、ヤナが見た。


 ヤナは、笑う。


「お前、それ、なんに、使うんだ」


 俺は、答えなかった。


 答える代わりに、その夜の分け前の干し肉とパンをヤナに渡した。


「黒い石、ふたつで、夕飯、ひとつ」


「お前、いい、買い物、したな」


 黒い石、ふたつで、夕飯、ひとつ。


 いま、その夕飯は、子供の命に変わっていた。






 黒い石、ふたつで、夕飯、ひとつ。


 その夕飯が、いま、子供の命になった。






 いま、二年経って、俺はその石を机に置いた。


 その隣に、骨の欠片を置く。


 骨は、犬の肋骨。


 欠片の先で、黒曜石の縁を押した。


 押すと、薄い欠片がはがれる。


 欠片の縁が、光った。


 その縁が、いま世界で最も鋭い線だった。


 ——三ナノメートル。


 俺は、頭の中でつぶやいた。


 握った俺の手は、震えない。


 二年かけて、震えない手を作ってきた。


 作ってきた手が、いま医者の手に戻る。


 押し剥がしを、続けた。


 その手で、三枚の薄片を作った。


 ——一枚目は、皮膚の切開用。


 ——二枚目は、組織の切除用。


 ——三枚目は、予備。


 予備がいるのは、黒曜石が脆いからだ。


 刃の側面に力をかけると、割れる。


 割れた破片が子の体内に残れば、それは感染源になる。


 残さないために、切る時は刃の面と皮膚の面を平行に保つ。


 そう、自分に命じた。


 命じてから、ナイフの刃と黒曜石の薄片と針と鉗子に似たものを、火に近づけた。


 近づけて、刃が青く光るまで待つ。


 待ってから、引いた。


 それを、机の布の上に並べる。


 その布も、火に通してある。


 全部、火を通した。


 無菌は、不可能。


 不可能だが、やれるだけはやった。


 あとは、この手が、覚えているかどうかだ。


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